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第一章 逆行したレティシア(幼少期)

25. 庶民の子として、ディーン団長に会いに行く

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 皇后宮を出たレティシアが宮殿の廊下歩くと、以前ならば微笑ましい表情で見送ってくれた衛兵も、すれ違う侍女や侍従達も、どこかよそよそしく、気の毒そうにレティシアを見る。

 宮殿に居る皆がもう、レティシアとリュシアンの婚約破棄について何らかの情報を得ているのだと思うと、居た堪れずにもう決して流すまいと思っていた涙が瞳を覆う。
 
 けれども滲んだ視界の中を、レティシアはなるべく胸を張って歩いた。
 今日は皇后に招待されて此処を訪れているのだ、決して後ろめたい事など無いと。

 遠くに見える皇太子宮の石造りの建物はいつもと変わらないのに、もうあそこへは二度と訪れる事が出来ないだろう。
 引き裂かれるような胸の痛みを唇を噛んで堪えつつ、レティシアは長い廊下を進んだ。

 そのうち、レティシアの足は自然と騎士団の鍛錬場へと向かっていた。
 リュシアンの師であるディーンに、何故か無性に会いたくなったのだった。

 逞しい体躯を持つ彼は、以前レティシアと会った時にまた来たら良いと言ってくれた。
 その時見せられた人懐っこく屈託のない表情が、今この城で針のむしろのように厳しい立場のレティシアにとって救いになるような気がするのだった。
 
 レティシアが手に持つのは、皇后宮の近くの空き部屋に置いておいた庶民の服である。これからはあまり来る事も無いだろうと、持って帰るつもりでいた。

「ディーン様に会いに行こう。レティシアとしてではなく、前みたいにどこかの使用人の娘として」

 過去でも今でも、リュシアンはレティシアにわざわざ自身の師匠を紹介する事は無かった。
 仲が良かった頃に一度稽古を見てみたいとレティシアが言ったことがあったものの、「まだまだ師匠にはとても敵わないから、レティーにそんな自分を見られるのは恥ずかしい」と言っていたので、そのせいかも知れない。
 時折騎士団長として護衛に立つディーンを見かけた事はあっても、レティシアは彼と直接会話を交わす事もなかった。
 
 帝国第二騎士団団長であるディーンは、焦茶色の髪と瞳を持つ英雄だった。これまでの数多くの戦で功績を上げ、平民上がりという事もあって民達からの人気もある。

 英雄に憧れた庶民の子どもが会いに行ったとしても不自然ではあるまい。宮殿には住み込みの使用人も多く、小さな子どもだって多く住まっていたからだ。
 
 レティシアは近くの空き部屋に体を滑り込ませると、慣れた様子で庶民の服へと着替えた。
 そうすると何だか気持ちが上向きになってきて、騎士達の鍛錬場へと近づくにつれ、跳ねるような足取りになっていた。

「入り口にはいつも誰も居ないのね」

 鍛錬場の入り口に見張りは居ない。もし居たとしても、ディーンの名前を言えば入れると聞いていた。
 過去でも此度の生でも、レティシアが鍛錬場の中へ足を踏み入れるのは初めての事で、緊張で胸が高鳴るのを手で落ち着かせながら進んでいく。

「わぁ、まるで本気で剣を交えているような訓練を行うのね」
 
 多くの騎士達が実践さながらの訓練を行なっているすり鉢状の底には、流石に小さな身体で入るには目立ち過ぎるだろうと、周囲を囲む広々とした観客席からディーンを探す。
 幸いにも、リュシアンの姿はここには無いようだ。今会うのは躊躇われるのでホッとした。
 
 この鍛錬場は剣術大会などの催し物が開かれる際には一般にも公開され、大人達は娯楽として騎士達の鬼気迫る戦いに夢中になるのだった。

「ディーン様は……。あっ!」

 ディーンが騎士達に指導している姿が見えた。遠く離れたここからは何を言っているのかまでは分からないが、部下と見られる騎士達に、身振り手振りで熱心に指導している。

「リュシアン様も、いつもはあんな風に指導を受けているのかしら」

 ふとそう考えて、また胸がチクリと痛んだ。同時に、ディーンが観客席にポツンと座るレティシアを見つけ、右手を挙げた。
 レティシアはつられるようにして小さな手を顔の横で振る。
 
 近くにいる騎士達もディーンがそのような行動を取るのは何事かと、こちらへいっぺんに視線を向けてきた。
 その視線に哀れみのようなものが含まれていないのは、レティシアが庶民の子どもの出立ちだからだと気付く。
 婚約破棄された侯爵令嬢レティシアでは無い、ただの子どもに向けられる騎士達の視線はどういうわけか好奇心に満ちていた。
 そのうち騎士達が大きな声でディーンを囃し立てる声が聞こえてくる。どうやらディーンは英雄でかつ騎士団長とはいえ、部下からとても親しみを持たれているらしい。

「団長! あの子誰ですか? まさか……団長の隠し子とか⁉︎」
「馬鹿を言うな! お前達、しばらく走って来い! 三十周だ!」

 何やら騒がしい様子の騎士達は、ディーンに命じられて素直に走り始めた。その間にレティシアのいる観客席の方へと向かってくるディーンの表情は、どう見てもとても嬉しそうなのであった。

 

 

 
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