26 / 91
第一章 逆行したレティシア(幼少期)
26. 跪くディーン、凛々しいレティシア
しおりを挟む「ごきげ……いえ、こんにちは」
ズンズンと大股で近づいて来るディーンに、レティシアはなるべく庶民らしい口調を真似るように意識して声を掛けた。
「おお! いつ来るのかと待っていたが、やっと来てくれたか!」
いつぞやのように、ディーンがレティシアに向けてニカっと笑うと眦に皺が出来る。
それだけでレティシアは温かい気持ちになって、瞳が潤み鼻の奥がツンとした。涙腺がグズグズに緩んでいるのを自覚する。
「約束したもの。おじ様に会いに来るって」
「そうかそうか。さぁさ、座って。して、何か深い悩みでも?」
「えっ? どうして?」
「悩みでも無ければ、こんなおじさんに会いに来てそんなに嬉しそうにしたりはしないだろう。それに、ほら目元に涙の跡がある」
そう言われて、レティシアは慌ててポケットから出したハンカチで目元を拭った。
「ちょっと……お友達と喧嘩しただけよ」
「なるほど、まぁそういう事もあるだろうな」
「そんな事よりおじ様、騎士の皆さんはおじ様の事がとても好きみたい」
命じられた通り、真面目に鍛錬場の中をグルグルと走って回る騎士達は、近くに来るとチラチラとこちらを見上げながら仲間同士で何やら話している。
「こら! お前らふざけないでちゃんと走れよ!」
「了解!」
上官から怒られていると言うのにどの眼差しにも親しみがこもっており、それを見下ろすディーンの視線もどこか楽しそうである。
「奴らも前はあんな風に素直じゃなかったぞ。おじさんと同じような平民生まれもいれば貴族の三男坊なんかもいる。同じ騎士でも生まれが違えば色々難しくってな。認めてもらうには、結局のところ口だけじゃなく、自ら進んで態度で示してやるしか無い」
「態度で……」
「そう。誰よりも自らに厳しく、圧倒的な結果を出すんだ。そうすりゃ段々と周りも認めてくれる」
「すごいわ、おじ様。本当に」
すっかり感心した様子で隣に座るディーンを見上げるレティシアだったが、視線の端を見慣れた色がよぎる。
吸い寄せられるようにそちらへと顔を向けると、鍛錬場の入り口をくぐったリュシアンが、剣を携えて周回を終えた騎士達の方へと歩いて行くところであった。
「リュシアン様……」
まさかレティシアがこのような場所に居るとは思ってもいないリュシアンは、騎士達といつもと変わらない様子で談笑している。
高い観覧席に座る庶民に扮したレティシアの事など、遠く離れた所にいるリュシアンに気付かれるはずがない。そう思いつつも、そっと顔を背けてしまう。
そうすればキャップのフリルでリュシアンの様子は見えなくなった。
「レティシア嬢、こちらへ」
「え……」
「さぁ、足元に気をつけて」
「え、待って……」
突然立ち上がったディーンはレティシアの手を引いて観覧席を進み、あっという間にリュシアンの目からは死角になる場所へと移動した。
「会いたいなら構わないが、どうやらそうじゃなさそうだ」
言いつつディーンはレティシアの手を取って正面に跪く。焦茶色の瞳は真っ直ぐに少女の瞳を覗き込んだ。
「そうでしょう? レティシア・フォン・ベリル侯爵令嬢」
「……私の事、ご存知だったのですね」
「決して揶揄った訳では無いのです。あんまりレティシア嬢の変装ぶりがお可愛らしいもので。しかし庶民はあのような絹のハンカチなど使いませんからな」
「なるほど、それは迂闊でした」
やはり百戦錬磨の騎士団長の目は誤魔化せなかったようで、レティシアも素直に白旗を上げた。
「私、今日はリュシアン様にお会いしたくてここに来た訳では無かったのです」
「でしょうな。何やら今は難しい事になっているようだ」
やはりディーンの耳にも届いていたのだ。リュシアンがレティシアとの婚約破棄を望んでいる事が。
背筋を伸ばし、レティシアは勇気を振り絞って尋ねた。
「あの……。何かリュシアン様からお聞きになっていますか? 私の事で何か嫌な思いをしただとか」
「いえ、まさか! 殿下はずっとレティシア嬢の事を気に掛けておいででしたからな。そのような事は……。それにしても、おかしいとは思いませんか。何故突然殿下があのような事を言い出したのか、さっぱり分からんのです」
「私にも……分かりません」
「そうですか。あれほど貴女の事を想ってらしたのに、どうして急に」
リュシアンが尊敬する師、ディーンでさえ詳しい事を聞き及んでいないのだと知り、レティシアは落胆する。
もしかして、ディーンなら何か知っているのではという期待があった。
もちろんリュシアンに直接会って聞けばはっきりするのだろうが、レティシアにとって流石にそれはとても悲しくて耐えられそうに無いのだ。
「リュシアン様のお気持ちをディーン様から伺う事が出来たらと、勝手な期待を寄せてしまいました。お心を煩わせてしまい、申し訳ございません」
溢れそうになる涙を堪えつつ謝罪を述べたレティシアが、唇を噛んで顔を上げる。
未だ目の前で跪いたまま、じっとレティシアの瞳を見つめていたディーンと目が合った時、遠くから剣と剣のぶつかり合う金属音が聞こえて来た。
今頃リュシアンも騎士達と剣を交えて居るのだろうか。
「レティシア嬢、きっと、殿下には何か深い事情が……。何か……あるはずです」
ゴツゴツとした騎士の手が、小さなレティシアの手を握る力が少し増した。
数多の戦場を駆けて活躍して来た英雄の眉間には深い皺が寄り、焦茶色の瞳には泣きそうなレティシアが映っている。
彼自身もリュシアンの変わり様には戸惑いの真っ只中なのだろう。しかし、本心からリュシアンとレティシアの事を心配しているのだという事はひしひしと伝わって来る。
それだけでレティシアは心が温かくなる思いがした。自分の事をこんなにも心配してくれる人間が、過去の人生ではどれほど居ただろうか、と。
「ディーン様のお心遣い、痛み入ります。今すぐ分からずとも、きっとそのうちはっきりするでしょう。どちらにせよ、私はリュシアン様の幸せを一番に願っております」
「しかし……」
「今日はお話出来て嬉しかったです。それでは、ごきげんよう」
レティシアは銀髪を隠すフリルの付いたキャップと、庶民の子どもらしいエプロンワンピース姿で、それはそれは美しい所作のカーテシーを披露する。
その後ヒラリとスカートを翻し、鍛錬場のリュシアンが見えない道筋を選んで去って行く小さな後ろ姿を、ゆっくりと立ち上がったディーンは複雑な面持ちで見つめていた。
13
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!
凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。
紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】
婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。
王命で結婚した相手には、愛する人がいた。
お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。
──私は選ばれない。
って思っていたら。
「改めてきみに求婚するよ」
そう言ってきたのは騎士団長。
きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ?
でもしばらくは白い結婚?
……分かりました、白い結婚、上等です!
【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!
ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】
※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。
※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。
※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。
よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。
※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。
※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです
冬馬亮
恋愛
それは親切な申し出のつもりだった。
あなたを本当に愛していたから。
叶わぬ恋を嘆くあなたたちを助けてあげられると、そう信じていたから。
でも、余計なことだったみたい。
だって、私は殺されてしまったのですもの。
分かってるわ、あなたを愛してしまった私が悪いの。
だから、二度目の人生では、私はあなたを愛したりはしない。
あなたはどうか、あの人と幸せになって ---
※ R-18 は保険です。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる