竜の庵の聖語使い

風結

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聖休と陰謀

邸宅  罰と惨劇

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 警告。

 ーー三家は、自身の一家の為に、強引な手段を用いる可能性がある。
 ーーティノも狙われる可能性がある。

 クロウが心配して言ってくれた言葉でしたが。
 ティノは、その日の内に忘れてしまったので、「警告」は役に立ちませんでした。

 でも、クロウは知りませんでした。
 ティノの力を。
 何より、マルの力を。

 魔獣のような人間と、魔獣そのものの魔狼。

 そんなティノは。
 現在、とある邸宅に居ました。
 豪華な執務室の真ん中で、とっても不機嫌でした。

 ティノの肩の上で、仔犬のマルは知らんぷり。
 深つ音。
 「敵」が勢揃いしています。

 「敵」が慎重すぎるというか、ちんたらしすぎていたので、ティノはマルにお願いしました。
 ここで断れないのが、マルの悪いところ、或いは良いところ。
 世界が静寂にかしずく、満月の許。
 「聖域テト・ラーナ」に二匹の魔獣が解き放たれました。

「ぱー」

 イオリの寝言。
 ティノが不機嫌な理由です。
 おとり捜査。
 イオリを迎えに女子寮に行ったときには、もうイオリは眠ってしまっていたのです。

 イオリが寝ていたほうが作戦には好都合ということもあって。
 気持ち良さそうに眠っているイオリを起こすことは、ティノにはできませんでした。
 朝まで我慢しないといけません。

「わかっているのか! 『八創家』の当主である我々を拘束するなど、冗談ではすまされぬぞ!」

 縄目の憂き目に遭っている、この男は、クーリゥ家の当主です。
 初老にはまだ達していない周期ですが、髪のに難があります。
 髪の毛をぜんぶ、引っこ抜く。
 そう思ったティノでしたが、手間だったので、簡単な拷問で黙らせることにしました。

「よいしょっと」
「ぱーごー」
「や…め…、きひぃ!?」

 堪え切れず、クーリゥは悲鳴を上げました。
 その、あまりにむごたらしい姿に。
 ティノの後ろで立っている三人の男は、半笑いで溜め息を吐きました。

「私が提案したことだが、これほど効果があるとは。何だか、悪いことをしたような気分になってくる」
「俺たちがいたとこじゃあ普通の、正式な座り方なんだよな。他のとこじゃあ座るだけでキツイ奴もいるみたいだぜ」

 ティノだけでなく、モロウもガロも正体を隠していません。
 外套ローブを纏い、正体を隠しているエルラは発言を控えました。

 三人の男が「正座」を強要され、彼らの後ろに一人、最後まで抵抗した青年が転がされています。
 膝枕の刑。
 膝の上にイオリの頭を乗せられたクーリゥは、拷問の発案者であるモロウを睨みつけました。

「ふぅ……。何が目的だ? ここまでのことをするのだから、相当な覚悟があることはわかる。交渉に応じる用意はある」

 縄目の憂き目の二人目である、この男は、ゲイム家の当主です。
 膝の上からイオリの頭がどけられたので、さっそく交渉を開始したようです。

 クーリゥより若いですが、ティノと同様に線が細い体つきをしています。
 ティノからは生命力が伝わってきますが、ゲイムからは。
 良く言えば老練さが、悪く言えば神経質そうな雰囲気が伝わってきます。

「はぁ……」

 すでに、エルラの家族は助けだしました。
 別室で、マルの「結界」によって護られています。
 それから。
 三人から一任されているので、彼らの処遇をどうするのか、ティノが決めることになっています。

 いえ、ティノは「処遇」をどうするかで迷っているわけではありません。
 この一件にどう決着をつけるのかは、始めから決めていました。

 ティノを悩ませているのは。
 縄目の憂き目の三人目ーーヴァン家の当主のことです。

 ティノとマルに問答無用で拉致されてから、ずっとだんまりを決め込んでいます。
 いえ、そうではないようです。
 反抗する気力が見受けられず、何より、疲弊しているのか生命力が希薄。
 クーリゥと同周期に見えますが、実際にはもっと若いようです。

 結局、根っ子まで辿ってみれば。
 三家は結託し、事に及んでいました。
 このように短絡な行動に走ってしまうほどに。
 クロウに聞いていた以上に、五家と三家の格差は危機的なものだったようです。

「ヴァン様。あなたの息子であるフロイは、規則を破ってまでクロウと試合をし、敗けました」
「……そうか」

 人生最後の言葉。
 そのまま地の国へ行ってしまいそうなヴァンのか細い声に、自分たちの状況も忘れ、クーリゥとゲイムは心配気な顔を向けました。
 根っからの悪人ではない。
 それがティノの感想です。

 「聖域」という場所。
 ティノもようやく、アリスの言っていたことの意味がわかってきました。
 ここは大陸の中心ではなく、絶海の孤島かもしれない。
 そんな風に思ったティノでしたが、自分には関係ないことだと、頭の中から余計な想念を吹き払いました。

 不幸だけでなく、死神まで背負っているかのような頼りない姿。
 何か事情があるのでしょうが。
 ヴァンがどれだけ苦しもうが、どこで野垂れ死のうが、こちらもティノには関係がないことです。
 それでは、なぜ悩んでいるかというと。

 ナインの夢。

 ーーいつか、ヴァン様の前で上演して。
 ーー助けてもらったことのお礼。

 クロウの言葉とは違い、ティノはしっかりと覚えています。
 そう、ヴァンなどどうでも良いのですが、友人であるナインのことは放っておけないのです。
 ティノにもイオリにも問題がないのであれば。
 夢を抱いて胸を焦がす、あの少年の為に。
 最善を尽くさないわけにはいきません。

 ーー人格者として是認。
 ーー底なし沼のような場所。
 ーー善良だったヴァン。
 ーー以前とは性格が変わった。

 リフの説明を断片的に覚えていたティノですが、前に進むつもりのない「弱い人間」には興味がありません。
 そういうわけで、この一件をさっさと終わらせたいティノは。
 感情を宿すことなく、ヴァンに判決を言い渡します。

「ヴァン様に、罰を言い渡します」
「……ああ、従おう」
「あと三周期、当主でいてもらいます」
「…あ、な……?」
「何か文句でもありますか?」
「……いいや、それが私への罰だというのなら。あと三周期、当主をまっとうしよう」

 やっと終われる。
 そんな顔をしていたので、良い気味です。
 イオリを誘拐しようと企んだのですから、本来なら死罪、これでもだいぶ優しいくらいです。

 学園を卒園して、一周期。
 その間に劇団を創るのは容易たやすいことではありませんが、ヴァンの気力が持つかどうかわからないので、その期間でやり遂げてもらわないといけません。

 何かが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
 一生懸命なナイン。
 それでも、ナインの夢が叶って欲しいと、ティノは思ってしまったのですから仕方がありません。

 そうなると、残るは二家の当主への罰です。
 ただ、ヴァンへの罰が予定外だっただけで、彼らへの罰は最初から決まっています。

「……う、ん?」

 判決を言い渡そうとしたところで、当主たちの後ろに転がっていた青年が目を覚ましました。
 その瞬間。
 クーリゥは食ってかかるように、必死になってティノに懇願しました。

「ダーシュに命令していたのは私だ! どのような罰だろうが甘んじて受ける! 死罪だろうが受け容れる! だからっ、だから! 息子のキューイだけは助けてくれ! キューイはダナ家の『双才』をも超える才能の持ち主だ! 『八創家』でなくなったとて構わない! どうかっ、どうかキューイだけは!!」

 エルラが腰に。
 モロウが右手で、ガロが左手。
 がっちりと三人がつかまってきたので、ティノはクーリゥの顎を蹴り上げることができませんでした。

 ごとっ、と重たい音がします。
 クーリゥが身をなげうつように懇願したので、膝の上からイオリの頭が落ちてしまいました。
 これは、いけません。
 ティノの宝物であるイオリに、そんな不埒な真似をしてしまったら。
 全殺し、決定です。

「あー、もう……」

 でも、そうはなりませんでした。
 以前のティノだったら、三人にとめられる前に行動していました。
 甘くなった。
 でも、それも悪くないかもしれない。
 そんなことを考えていたティノですが、起き上がったキューイ・クーリゥの顔を見て、ーー「腹パン」の準備をしました。

 クーリゥが自慢するだけあって、キューイは才知に優れた青年でした。
 「聖語」の実力は、エルラと同等かそれ以上。
 そう、その程度でしかなかったので、ティノの多少は手加減した「腹パン」一撃で床に這いつくばることになったのでした。

 「八創家」の当主だけあって、機転は利くようで、息子の顔を見たクーリゥの目がキラリと輝きました。
 それを見たゲイムも、機を窺います。

「見ての通り、キューイは男前だ! 才能だけでなく、性格もすこぶる良い! 本来なら『八創家』以外の者など認めないが、例外はつき物だ! 君をキューイの婚約者として認めよう!!」
「人には好みというものがある。彼女には、冷静沈着な男が最適だろう。私には息子が三人いるが、『後継者』のガンズンをお勧めしよう」

 人殺しの目をしていました。

 のちにモロウは。
 アリスにそう報告しました。

 そんなモロウは。
 今は、巻き添えを食らわないかを心配中。
 当然、その判断は勘の鋭いガロに委ねます。

 でも、遅すぎました。
 ティノの体から悪意が、いえ、よくわからないものが垂れ流されています。
 わかります。
 逆らってはいけません。
 三人でつかまっていようと、ティノが本気をだした瞬間、竜の前の仔犬です。

「美しく可憐で、何より力強き少女よ。どうか私に、名を教えてはくれないだろうか」

 やめてくれ。
 そう、全力で叫びだしたいモロウでしたが、恋に溺れたキューイをとめるのは無理だと判断。
 このままだと、ティノの前で片膝をつき、手の甲にキスをかましてしまうでしょう。

 背後の竜。
 ここでモロウの頭脳が、生涯で最高にフル回転しました。
 ガロに目で合図してから、大声でティノを称賛します。

「さすがティノ君! 男の中の男! いやさ、漢の中の漢! 少しばかりなよっちく見えるが、さすが男の娘、ではなく男子! 私の息子も、君のように男らしく育ってくれれば良いと、心から願っている!!」
「いよっ、ティノっち! はっはっはっ、実は俺と同じくらい立派なもの持ってるんだぜ! あれにはたまげたぜ!!」

 部屋の中に、氷竜が三竜、佇んでいました。
 もちろんそれは、勘違いなのですが。
 皆は、それぞれに凍えるような恐怖を味わいました。

 ティノが男であると知って、魂が氷漬けになったキューイ。
 魔力ダバダバのティノに触れているので、物理的に影響を受けてしまっている三人。
 触らぬ邪竜に祟りなし、を地で体験する三家の当主。
 そして。
 出番がないので、欠伸を我慢しているマル。

 ーーそれにしても。
 本当に好い加減にして欲しいところです。
 たかが容姿のことでこれほど引き摺るとは、頑是がんぜないにもほどがあります。

 いっその事、スカートを穿いて、美少女のふりをするくらいの心の余裕が欲しいところです。
 それくらいの愛嬌があっても良いでしょう。
 でも、ティノはまだ十五歳。
 精神がお子ちゃまでも仕方がありません。

 そうです。
 ティノは悪くありません。
 悪いのは、理解がない周囲の者たちです。

 一度、自分の容姿を揶揄からかってくる者たちに、思い知らせてやらないといけません。
 でないと、これからも同じような者たちが、あとからあとから湧いてきます。
 そう、これは、当然の権利なのです。

 ーー準備は整いました。

 ティノの腕に魔力が宿った瞬間、モロウとガロが後方に弾き飛ばされます。
 両手が自由になったティノは、左右に大きく手を広げました。
 災禍から逃れらないことを知った、七人の男たちの顔が絶望の色に染まります。

 もう、誰にもとめられません。
 これより、惨劇の宴の始まりです。

「ぱーんー」

 イオリの寝言に合わせ、ティノは。
 パーンっ、と手を合わせました。

 魔力を纏った両手で叩いたので、皆は通常以上の圧迫感にさいなまれます。
 魔力のことを知らないから良いものの、もし知っていたら、昏倒していてもおかしくない開手ひらて

「そんなわけで、何もなかったことにしましょう」
「……は?」
「……ほ?」
「何ですか? 嫌なんですか?」
「な…、何を……?」
「え、あ、いや、……それはどういう……?」

 クーリゥとゲイムが馬鹿面をしていたので、ティノは彼らに丁寧に説明してあげました。

「今日は、何もありませんでした。だから、僕たちはあなたたちに会っていませんし、会っていないのだから会話もしていません。会ったことがないのだから、次に会ったときが初対面です」
「そういうことのようだ。私はティノという学園生とは会ったことがないし、話したこともない。これからもまみえることはないかもしれない。クーリゥ殿とゲイム殿も、そうではないのか?」

 ヴァンの言葉に、一も二もなく、壊れた人形のようにこくこくと首を縦にふるクーリゥとゲイム。
 ティノの裁定を受け容れたエルラは。
 ナイフで当主たちの縄を切ってゆきます。

「そうなると、あとは怪我をしたモロウさんがどうするかですね。全員の手を斬り落として、それなりに苦しんでもらってから治しますか?」
「いや、そこまでしたら、私のほうが悪人になってしまいそうだ。あれは私のほうにも甘さがあった。予見できたことだった。この件で誰かを恨むつもりはない」

 ティノの提案に、揺るぐことなく答えを返すモロウ。
 本心からの言葉であることが、ティノにも伝わります。
 モロウに顔を向け、一度だけ頭を下げるエルラ。

 果たせるかな。
 思った以上にティノは成長していたようで、惨劇は回避されました。

 自分が変わったことに、わずかに戸惑いを見せたティノは。
 誤魔化すようにマルを撫でてから。
 率直な言葉で、がんばっているひとを邪魔しないようにお願いしました。

「今、アリスさんは、自分の為というだけでなく、『聖域』の為に寝る時間も惜しんで働いています。アリスさんが何をしようとしているのか、来周期の『対抗戦』を見てもらえればわかります。『聖語使い』たちは先に進みます。こんなことをする必要はありません。今、どれだけ遅れていようと、皆はもう一度、同じスタートラインに立ちます。そこから始まります。アリスさんとベズ先生がやっていることを、それまで邪魔しないで見ていてください」

 そんなつもりはなかったのに。
 これまでアリスの姿を見て、彼女のことを手伝ってきたから。
 あの優しい炎竜がやりたいことが何か、わかってしまったから。
 ティノは。
 自然と頭を下げ、お願いしていました。

 最も周期が下の少年に頭を下げられ、忸怩じくじたる思いを抱く当主たち。
 「聖域」の未来を誰よりも考えている。
 それがわかってしまった上に、情けまでかけられ、もはや言葉もありません。

「ぱーおー」

 と、ここで何もせずに立ち去っていれば、皆に余計な恐怖を抱かせずとも済んだものを。
 やっぱりティノは、まだお子様でした。
 我慢できませんでした。
 マルはとめようとしましたが、方術を使うか迷っている間に、実行に移されてしまいます。

 イオリが寝ています。
 贈り物のリボンをまだ渡せていません。
 喜んだイオリの笑顔で頭の中がいっぱいです。
 もう、辛抱堪りません。
 ティノの宝物。
 イオリを抱え上げたティノは。

「あ~ぐっ!」

 そんなわけで噛みました。
 どこを噛んだかは秘密です。

 ーー結局。
 惨劇を回避することはできませんでした。
 目の前で行われた邪悪な儀式に。
 七人の男たちの悲鳴が夜空に響き渡ったのでした。
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