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エーレアリステシアゥナ学園
門と並木道 新たな出逢い
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……凹。
……凹。
そんな足音でも聞こえてきそうです。
到頭、遣って来てしまいました。
「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」
「はぁ~」
昨日、これでもかというほど、アリスに凹まされたティノですが。
あんなものは序の口、というか、竜の口。
容赦、という言葉を焼き尽くしたアリスは。
「凹凹凹」と品字様にしたくなるくらい、ティノを打ちのめしました。
あれからも「説明」という名の「お説教」は続いて。
純朴な少年は、生きる気力を失ってしまいました。
でも、悲しいことに、それでも人間は生きてゆかなければいけません。
背中の、「イオリ袋」に入っているイオリは、いつも通りに元気いっぱい。
肩に引っついているマルは、最近のぐうたら生活がたたって、まだ眠たそうです。
「ねぇ、マル。何か、『エーレアリステシアゥナ学園』とか書いてあるんだけど」
「この地はかつて、『エーレアリステシアゥナ盆地』と呼ばれておったからの。気になどしておらんと本竜は言うておったが、丸わかりじゃなーーと、人が来たで、ここからは仔犬になるかの、ワンっ」
開け放たれた門から、ティノは入ってゆきます。
門も、見える範囲にある建物も、これまで見たことがないくらい豪華なものでした。
正直、人間があんなものを造れるなんて、ティノには信じられません。
アリスかマルが「幻影」でティノを騙し、嗤っているのかもしれません。
アリスの「説明」によると。
学園の敷地は、「庵」がある「結界」の三倍ほど。
「聖域」の北側。
多少、不便な位置にあります。
「八創家」や「議会」、主要施設などは西側にある為、干渉されにくい場所を選定。
東側には研究施設などがある為、こちらにも近づかないほうが良いとの判断です。
南側が、「八創家」や有力者以外の人々の住居。
中央には多くの者が必要とする、商店や役所などがあります。
それから北には。
「開拓地」と呼ばれる辺鄙な場所が広がっています。
人口が増えたので、言葉通り、「聖語」を上手く扱えない者たちが「開拓」をしています。
ティノは、この「開拓地」の出身ということになっています。
「僕って、場違いじゃないかな?」
「ワンっ、ワンっ。ーー目立つな、というのは無理だからの。開き直って堂々としておれ」
「ごめん。無理」
マルの最後の助言も、意味がなかったようです。
マルは「聖語」を解することができないので。
ここからは本当に、「仔犬」のふりです。
ティノは、「感知」で周囲を探りました。
見える範囲に五人。
無駄、とも思えてしまう広い通路。
「聖域」にある「学園」として見栄えも重要なファクターとなるのですが、それを理解するだけの心の余裕はティノにはありません。
通路の真ん中を歩く度胸などティノにはないので、さりげなく、それでいて目立たない範囲で端に寄ってゆきます。
「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」
でも、それも無駄な努力でした。
見慣れない人々を見て、イオリは大はしゃぎ。
五人の学園生の視線がすべて、ティノに注がれます。
肩には仔犬。
袋に入れた子供を背負っている学園生。
これで人目を引かないはずがありません。
ただ、注目を集めている理由の一つに、ティノの容姿もあるのですが。
学園生たちと目を合わせないようにしているティノが、気づけるはずもありません。
ティノは、どうしようか迷いました。
「聖技場」で入園式が始まるまで、もう少し時間があります。
隠れているのか、或いは時間を潰しているのか。
見えない場所ーー並木道の樹の後ろに居る、六人目。
毎夜、「感知」を使い続けてきたティノ。
無意識に発動できるようになるまで慣れ親しんだ「感知」で、六人目の意識の流れを感じ取ります。
敵意、とは違うようですが、まるで獲物を狙っているかのような、強い感情。
「聖域」に知り合いなど居るはずがないのに。
ここまでの強烈なものを向けられてしまうと、どうにも気になってしまいます。
「気づかなかったことにしよう」
話しかける。
そんな小さな勇気さえ搾りだせなかったティノは。
そのまま歩き続けようとしてーー。
「君。少し、良いかな」
聞こえなかったことにしよう。
そんな勇気も持てなかったので、仕方がなくティノは足をとめました。
「っ!」
ティノは驚いてしまいました。
樹の後ろから現れた、同周期の少年。
これまで見てきた村の少年たちとは異なる、ーー何か。
ティノには、「何」が異なっているのか、明確には言葉にできませんでしたが。
先ほど見た、五人の学園生。
彼らともまた、違います。
気配、或いは雰囲気でしょうか。
昔、「書庫」で読んだ物語の登場人物ーー「王子」のような少年でした。
ーー惜しい。
そう思った瞬間、ティノは冷静になってしまいました。
もう少し、男っぽいほうが。
ティノの理想に、あと一歩でした。
歩き続けた先の、未来で。
なりたいと思っていた自分。
イオラングリディアの横に立つ、理想の姿。
その姿に似てはいるのですが。
でも、やはり少しだけ違うのです。
彼は、ちょっと、顔が整いすぎていました。
周期頃の少女たちから、黄色い悲鳴が上がるのかもしれませんが。
ティノの理想である「男っぽさ」を、彼から感じることができません。
「何ですか?」
残念な気持ちが、言葉の響きに反映されてしまったようです。
ぶっきらぼうに返され、見るからにキョドった少年は、オブラートに包むことなく疑問をそのまま口にしてしまいました。
「き、君は、女の子……だよね?」
「は?」
とりあえず、顔面をぶん殴りたくなりました。
でも、ティノは我慢しました。
どこぞの炎竜のようになってはいけません。
ティノはまだ、「聖域」のことをほとんど知りません。
もしかしたら、見知らぬ人に会った場合、性別を尋ねるのが「聖域」での礼儀作法なのかもしれません。
「僕が女だったら、何?」
「いや、その、君が女の子だったら、恋人候補で……。男だったら、親友候補……というか何というか……」
どうしたものでしょう。
腑抜けた顔ーーという自覚はありましたが。
村長のように冗談というわけでもなく、正面からこんなことを聞かれたのは初めてだったので、対処の方法がわかりません。
「僕、スカート穿いてないけど」
「いや、スカートを穿くかどうかは個人の自由だと聞いている」
学園の制服は男女兼用。
ゆったりとした瀟洒な服で、機能性にも優れています。
高そうだ。
芸術分野に疎いティノの感想はそんなものでしたが、金の刺繍や意匠などアリスの趣味の良さが反映されています。
女子にはスカートも支給されていて、彼の言う通り、穿くかどうかは自由。
動き易さを重視する女子生徒なら、男子と同じ格好ということもあり得ます。
アリスは。
なぜかティノにスカートを渡してきました。
手渡してきたときの、アリスの朗らかな笑顔を思いだし、ティノはげんなりしてしまいます。
ティノの表情を見て、誤解した少年は泣きそうな顔になりました。
何だか、苛めているような気分になってしまったティノは。
面倒なので、竜も頷くくらい断言することにしました。
「僕は、男だ。何だったら、触って確かめて……ひっ!?」
「つっ!」
手を伸ばして。
本当に確かめようとしてきたので、思わずティノは魔力を纏った手で、少年の手を叩き落としてしまいます。
かなり痛かったはずですが、少年はわずかに声を漏らしただけでした。
やせ我慢は見事なものです。
でも、この痛みが功を奏し、少年は普段の冷静さを取り戻しました。
優雅な立ち居振る舞いで、ティノに頭を下げます。
「すまない。君を見て、動揺してしまった。数々の非礼、どうか許して欲しい」
「えっと、まぁ、僕もちょっと悪かったかもしれないから、許してはあげるけど。それで、何で僕を見て、動揺したのかな?」
「ぅ……、その、私は嘘が嫌いだ。君に嫌われたくないが、嘘は言いたくない。正直に言っても良いだろうか?」
「は?」
経験不足のティノでは、彼が何を言っているのか理解できませんでした。
そんなわけで、あっさりと許可をだしてしまいます。
「あー、うん。僕も嘘は嫌いだから、言っていいよ」
「そうか、では、愚痴っぽく聞こえるかもしれないが、聞いてくれ。ーー私は、生まれて初めて『一目惚れ』というものをした。まるで世界が、色鮮やかに輝いたかのようだった。……だというのに、君は自分が『男』だと言う。惚れた相手が『男』だったと知ったときの私の気持ちを少しは考えてくれ!」
逆恨み。
それ以外の何物でもありません。
自分の容姿の「腑抜け具合」に疎いティノは、少年が何を言っているのか理解できませんでした。
男を好きになる男。
ティノにそんな趣味はありません。
ティノの宝物。
求めるのは、イオラングリディアだけです。
そういえば。
イオリが静かなので後ろを見てみると、マルが仕事をしてくれていました。
イオリのお口が、マルの尻尾で塞がれています。
「あと、私は気になったことを聞かないと、我慢ができない性質だから聞くのだが」
「えっと、何?」
「君が背負っている子供と、肩にいる仔犬は『聖人形』なのか?」
そろそろ会話を打ち切りたいと思っていたティノですが。
彼の言葉で、心臓が脈打ちました。
さっそくきました。
一つ目の試練です。
イオリやマルと一緒に学園で過ごす為に、ここで失敗するわけにはいきません。
もし失敗したら。
アリスさんに頼んで脅してもらおう。
そう決めてから。
ティノは慎重に、言葉を選びながら肯定しました。
「うん、そう。イオリは『お爺さん』が造った『聖人形』で、マルは僕が造った『聖人形』」
「そうなのか。少し、見せてもらう」
「え?」
「ワヲっ!?」
好奇心旺盛なのか、少年はもう、マルしか見ていませんでした。
無遠慮に、いきなり尻尾をつかまれたマル。
それだけでなく、尻尾を上に、肛門を確認されてしまいます。
「なるほど。『聖人形』だから、排泄はしない、と。尻尾の感触は、本物以上。そうか、そこまで本物に似せる必要はないから、部分部分、異なっていても構わないということか」
「ふっさ~、ふっさ~、マジュマジュ、もっふ~、もっふ~」
「歌が下手なのは、あえてそうしているのか。完璧にするということは、機能を無駄にするのと同義。それでもここまでの『聖人形』を造れるなど、君の『お爺さん』は凄い」
「ふー、せっ!」
「かはっ……」
今度は魔力を纏いませんでした。
きっちり、お腹に一発入れてから、離れます。
「僕の許しがある前に、『三歩以内』に近づいたら、一生口を利かない」
「ティ~ノは~、おかんむり~、しらんぷり~、ほっかむり~」
ティノに手抜かりはありません。
「感知」で周囲の状況を探ってあるので。
腹パンは、誰にも見られていません。
狙ったのは、みぞおち。
弱い魔物相手で確かめてきたので、お腹のどの部分を、どのくらいの強さで殴れば良いか、おおよそ理解しています。
もう一度、同じ場所を殴れば、失神させることも可能でしょう。
「な……何で…?」
「え? もしかして説明が必要なのかな。どうもこの人は危険人物のようだから、ここで止めを刺したほうが全人類の為かもしれない。どう思う、マル」
「ワンっ!」
「マルも頷いてくれているし、何も問題はないようだね」
「おー! しょっけい~、しょっけい~、しょりしょり、しょっぱ~い」
イオリも賛成してくれています。
そんなわけで、「イオリ優先」のティノは。
判決、私刑。
「わ…私は……、ぅ…クロウ・ダナ…だ。き…君の名を……ぼ…教えて欲しいっ!」
「ダナ……?」
少年ーークロウ・ダナはがんばりました。
呼吸がしづらいでしょうに、しっかりと自分の名前を発音し、正解を引き当てました。
「ダナ」とは、「八創家」の一家です。
昨日、アリスから聞いていたので、何となくですが、ティノは覚えていました。
クロウは、命拾いをしました。
初日から「八創家」の学園生を抹殺するのは不味い。
ティノの理性が、正常に働いてくれました。
「ーーティノ」
「てぃ……ティノ。何と麗しい響き……」
「何か言った?」
「いいえ、何も言っていません」
やっとこクロウは、普通に話せるようになるまで回復しました。
それと同時に、危機感に苛まれました。
ここで別れれば、「変な人」とティノに認識されてしまいます。
それだけは避けなければいけません。
このままでは、「八創家」という地位を振りかざす「嫌な奴」になってしまうかもしれないのです。
「わ、私は! 邸とその敷地からでたことがなかったのだ! それゆえ、不快な行動を取ってしまったかもしれないが、許して欲しい!」
「でたことがない?」
ティノの表情から、険しさが抜けました。
「結界」と「村」。
それだけがティノの世界でした。
クロウも同じだと。
自分と同じように「小さな世界」から飛びだし、学園に来て不安を抱えていたのだと知って。
彼に冷たく当たってしまった自分を、ティノは恥じました。
ただ、譲れない、というか、線引きは必要なので。
条件を突きつけました。
「とりあえず、話は聞く。それによって『三歩以内』を解くかどうかを決める」
「わ、わかった。聞いてくれ。ーー私の母は、流行り病にかかった。私を産めば、命を落とすかもしれない。それでも母は、私を産んでくれた。……母は、助からなかった。愛する妻を喪った父。優しかった母を喪った二人の兄。そんな父と兄たちは私のことを、ーー溺愛したのだ」
「……ん?」
ティノの許しを得ようと焦燥に駆られたクロウは、拙いながらも一生懸命に説明しました。
しかし、懸命さが報われないことなど、世の中にはよくあること。
ティノは最後通牒を突きつけました。
「僕はあまり頭がよくないんだ。僕がわかるように説明してくれなかったら、入園式にでられなくしてあげる」
「は…、はい」
氷竜もかくやという、冷たい声音でした。
クロウの短い人生で、これほどの恐怖を感じたのは初めてのことです。
取り繕うのは無理だと諦め、クロウは事実だけを並べてゆくことにしました。
「使用人から聞いた。母が言っていたそうだ。自分が死んだあと、クロウを愛さなければ、地の国から呪ってやる、と。母は優しく、闊達な人だったようだ。父と兄たちは、自身も悲しいだろうに、私を愛してくれた。ただ、皆は、私を愛し過ぎる、というか、過保護、というか、目の届かない邸の外などに行こうとすると、泣いて悲しむので敷地の外にでたことがなかったのだ」
「えっと? あー、それは、うん、そこまではわかった。それで、よく家族が学園に通うことを許してくれたね」
「そこは、色々あった。父は、『八創家』でも『筆頭』の地位にあり、二人の兄は『天才』。父も兄たちも褒めてくれるが、皆に及ばないことは誰よりも私がわかっている。私にできることは『努力』しかなかった。父や兄たち、何より家族を大切にしていた母に、恩返しをしたくても、……私には何もなかった。このままでは駄目だと思った。だが、どうして良いかわからなかった。そんなとき耳にしたのが、学園のことだ。『八創家』は学園のことを放っておけない。放っておかない。これだ! と飛びついた。ダナ家の跡継ぎになれない私なら適任。周期も問題ない。もし認めてくれないのなら、もう一生頭を撫でさせてあげない、と最終手段を使い、すったもんだの挙げ句、学園行きを勝ち取った」
「……ん?」
「学園」とは、「聖域」に落とされた一石でした。
投げ込まれた石の大きさは、人それぞれ。
ティノが、クロウがそうであるように、大なり小なり、学園生は事情を抱えて「学園」に遣って来ました。
最も大きな石。
落とされた石の、波紋の大きさを理解していないティノは。
多くのことを置き去りにしたまま。
「三歩以内」を解いてあげました。
「あ、ありがとう! これで私たちは親友だな!」
「は? 何を言っているのかな? クロウは、友達候補だよ?」
「こ……候補? そ…それはそれで一考の余地があることだとして……。ーーでは、『聖技場』に向かおうか」
この短い時間の間に多くの経験を積んだクロウは、内心の動揺を隠し、優雅な動作で手を差しだしました。
そして。
魔力を纏ったティノの手で、叩き落とされました。
「ぐぉ……」
「ねぇ、クロウ。クロウは『学習』という言葉を知らないのかな? その手は何? 僕は『お姫さま』じゃないよ。ーー僕は男。僕は男。僕は男。はい、復唱」
「てぃ、ティノは…男……。ティノは…男。ティノは男…」
涙声で、言われるままに復唱するクロウ。
「わかってくれたならいいよ。じゃあ、はい、よろしくね」
ティノはクロウの手を取って、握手。
よくも悪くも、クロウはティノの緊張を解してくれました。
友達。
それも悪くないか。
無駄に格好良いクロウを見ながら、ティノは。
不思議な予感を抱きました。
「ああ! ティノっ、よろしく頼む」
純粋に、喜びの笑顔を浮かべるクロウ。
彼に応えるように、ティノも笑顔で。
ティノの手の甲を、逆の手で「撫で撫で」してきたクロウの手を叩き潰したのでした。
……凹。
そんな足音でも聞こえてきそうです。
到頭、遣って来てしまいました。
「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」
「はぁ~」
昨日、これでもかというほど、アリスに凹まされたティノですが。
あんなものは序の口、というか、竜の口。
容赦、という言葉を焼き尽くしたアリスは。
「凹凹凹」と品字様にしたくなるくらい、ティノを打ちのめしました。
あれからも「説明」という名の「お説教」は続いて。
純朴な少年は、生きる気力を失ってしまいました。
でも、悲しいことに、それでも人間は生きてゆかなければいけません。
背中の、「イオリ袋」に入っているイオリは、いつも通りに元気いっぱい。
肩に引っついているマルは、最近のぐうたら生活がたたって、まだ眠たそうです。
「ねぇ、マル。何か、『エーレアリステシアゥナ学園』とか書いてあるんだけど」
「この地はかつて、『エーレアリステシアゥナ盆地』と呼ばれておったからの。気になどしておらんと本竜は言うておったが、丸わかりじゃなーーと、人が来たで、ここからは仔犬になるかの、ワンっ」
開け放たれた門から、ティノは入ってゆきます。
門も、見える範囲にある建物も、これまで見たことがないくらい豪華なものでした。
正直、人間があんなものを造れるなんて、ティノには信じられません。
アリスかマルが「幻影」でティノを騙し、嗤っているのかもしれません。
アリスの「説明」によると。
学園の敷地は、「庵」がある「結界」の三倍ほど。
「聖域」の北側。
多少、不便な位置にあります。
「八創家」や「議会」、主要施設などは西側にある為、干渉されにくい場所を選定。
東側には研究施設などがある為、こちらにも近づかないほうが良いとの判断です。
南側が、「八創家」や有力者以外の人々の住居。
中央には多くの者が必要とする、商店や役所などがあります。
それから北には。
「開拓地」と呼ばれる辺鄙な場所が広がっています。
人口が増えたので、言葉通り、「聖語」を上手く扱えない者たちが「開拓」をしています。
ティノは、この「開拓地」の出身ということになっています。
「僕って、場違いじゃないかな?」
「ワンっ、ワンっ。ーー目立つな、というのは無理だからの。開き直って堂々としておれ」
「ごめん。無理」
マルの最後の助言も、意味がなかったようです。
マルは「聖語」を解することができないので。
ここからは本当に、「仔犬」のふりです。
ティノは、「感知」で周囲を探りました。
見える範囲に五人。
無駄、とも思えてしまう広い通路。
「聖域」にある「学園」として見栄えも重要なファクターとなるのですが、それを理解するだけの心の余裕はティノにはありません。
通路の真ん中を歩く度胸などティノにはないので、さりげなく、それでいて目立たない範囲で端に寄ってゆきます。
「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」
でも、それも無駄な努力でした。
見慣れない人々を見て、イオリは大はしゃぎ。
五人の学園生の視線がすべて、ティノに注がれます。
肩には仔犬。
袋に入れた子供を背負っている学園生。
これで人目を引かないはずがありません。
ただ、注目を集めている理由の一つに、ティノの容姿もあるのですが。
学園生たちと目を合わせないようにしているティノが、気づけるはずもありません。
ティノは、どうしようか迷いました。
「聖技場」で入園式が始まるまで、もう少し時間があります。
隠れているのか、或いは時間を潰しているのか。
見えない場所ーー並木道の樹の後ろに居る、六人目。
毎夜、「感知」を使い続けてきたティノ。
無意識に発動できるようになるまで慣れ親しんだ「感知」で、六人目の意識の流れを感じ取ります。
敵意、とは違うようですが、まるで獲物を狙っているかのような、強い感情。
「聖域」に知り合いなど居るはずがないのに。
ここまでの強烈なものを向けられてしまうと、どうにも気になってしまいます。
「気づかなかったことにしよう」
話しかける。
そんな小さな勇気さえ搾りだせなかったティノは。
そのまま歩き続けようとしてーー。
「君。少し、良いかな」
聞こえなかったことにしよう。
そんな勇気も持てなかったので、仕方がなくティノは足をとめました。
「っ!」
ティノは驚いてしまいました。
樹の後ろから現れた、同周期の少年。
これまで見てきた村の少年たちとは異なる、ーー何か。
ティノには、「何」が異なっているのか、明確には言葉にできませんでしたが。
先ほど見た、五人の学園生。
彼らともまた、違います。
気配、或いは雰囲気でしょうか。
昔、「書庫」で読んだ物語の登場人物ーー「王子」のような少年でした。
ーー惜しい。
そう思った瞬間、ティノは冷静になってしまいました。
もう少し、男っぽいほうが。
ティノの理想に、あと一歩でした。
歩き続けた先の、未来で。
なりたいと思っていた自分。
イオラングリディアの横に立つ、理想の姿。
その姿に似てはいるのですが。
でも、やはり少しだけ違うのです。
彼は、ちょっと、顔が整いすぎていました。
周期頃の少女たちから、黄色い悲鳴が上がるのかもしれませんが。
ティノの理想である「男っぽさ」を、彼から感じることができません。
「何ですか?」
残念な気持ちが、言葉の響きに反映されてしまったようです。
ぶっきらぼうに返され、見るからにキョドった少年は、オブラートに包むことなく疑問をそのまま口にしてしまいました。
「き、君は、女の子……だよね?」
「は?」
とりあえず、顔面をぶん殴りたくなりました。
でも、ティノは我慢しました。
どこぞの炎竜のようになってはいけません。
ティノはまだ、「聖域」のことをほとんど知りません。
もしかしたら、見知らぬ人に会った場合、性別を尋ねるのが「聖域」での礼儀作法なのかもしれません。
「僕が女だったら、何?」
「いや、その、君が女の子だったら、恋人候補で……。男だったら、親友候補……というか何というか……」
どうしたものでしょう。
腑抜けた顔ーーという自覚はありましたが。
村長のように冗談というわけでもなく、正面からこんなことを聞かれたのは初めてだったので、対処の方法がわかりません。
「僕、スカート穿いてないけど」
「いや、スカートを穿くかどうかは個人の自由だと聞いている」
学園の制服は男女兼用。
ゆったりとした瀟洒な服で、機能性にも優れています。
高そうだ。
芸術分野に疎いティノの感想はそんなものでしたが、金の刺繍や意匠などアリスの趣味の良さが反映されています。
女子にはスカートも支給されていて、彼の言う通り、穿くかどうかは自由。
動き易さを重視する女子生徒なら、男子と同じ格好ということもあり得ます。
アリスは。
なぜかティノにスカートを渡してきました。
手渡してきたときの、アリスの朗らかな笑顔を思いだし、ティノはげんなりしてしまいます。
ティノの表情を見て、誤解した少年は泣きそうな顔になりました。
何だか、苛めているような気分になってしまったティノは。
面倒なので、竜も頷くくらい断言することにしました。
「僕は、男だ。何だったら、触って確かめて……ひっ!?」
「つっ!」
手を伸ばして。
本当に確かめようとしてきたので、思わずティノは魔力を纏った手で、少年の手を叩き落としてしまいます。
かなり痛かったはずですが、少年はわずかに声を漏らしただけでした。
やせ我慢は見事なものです。
でも、この痛みが功を奏し、少年は普段の冷静さを取り戻しました。
優雅な立ち居振る舞いで、ティノに頭を下げます。
「すまない。君を見て、動揺してしまった。数々の非礼、どうか許して欲しい」
「えっと、まぁ、僕もちょっと悪かったかもしれないから、許してはあげるけど。それで、何で僕を見て、動揺したのかな?」
「ぅ……、その、私は嘘が嫌いだ。君に嫌われたくないが、嘘は言いたくない。正直に言っても良いだろうか?」
「は?」
経験不足のティノでは、彼が何を言っているのか理解できませんでした。
そんなわけで、あっさりと許可をだしてしまいます。
「あー、うん。僕も嘘は嫌いだから、言っていいよ」
「そうか、では、愚痴っぽく聞こえるかもしれないが、聞いてくれ。ーー私は、生まれて初めて『一目惚れ』というものをした。まるで世界が、色鮮やかに輝いたかのようだった。……だというのに、君は自分が『男』だと言う。惚れた相手が『男』だったと知ったときの私の気持ちを少しは考えてくれ!」
逆恨み。
それ以外の何物でもありません。
自分の容姿の「腑抜け具合」に疎いティノは、少年が何を言っているのか理解できませんでした。
男を好きになる男。
ティノにそんな趣味はありません。
ティノの宝物。
求めるのは、イオラングリディアだけです。
そういえば。
イオリが静かなので後ろを見てみると、マルが仕事をしてくれていました。
イオリのお口が、マルの尻尾で塞がれています。
「あと、私は気になったことを聞かないと、我慢ができない性質だから聞くのだが」
「えっと、何?」
「君が背負っている子供と、肩にいる仔犬は『聖人形』なのか?」
そろそろ会話を打ち切りたいと思っていたティノですが。
彼の言葉で、心臓が脈打ちました。
さっそくきました。
一つ目の試練です。
イオリやマルと一緒に学園で過ごす為に、ここで失敗するわけにはいきません。
もし失敗したら。
アリスさんに頼んで脅してもらおう。
そう決めてから。
ティノは慎重に、言葉を選びながら肯定しました。
「うん、そう。イオリは『お爺さん』が造った『聖人形』で、マルは僕が造った『聖人形』」
「そうなのか。少し、見せてもらう」
「え?」
「ワヲっ!?」
好奇心旺盛なのか、少年はもう、マルしか見ていませんでした。
無遠慮に、いきなり尻尾をつかまれたマル。
それだけでなく、尻尾を上に、肛門を確認されてしまいます。
「なるほど。『聖人形』だから、排泄はしない、と。尻尾の感触は、本物以上。そうか、そこまで本物に似せる必要はないから、部分部分、異なっていても構わないということか」
「ふっさ~、ふっさ~、マジュマジュ、もっふ~、もっふ~」
「歌が下手なのは、あえてそうしているのか。完璧にするということは、機能を無駄にするのと同義。それでもここまでの『聖人形』を造れるなど、君の『お爺さん』は凄い」
「ふー、せっ!」
「かはっ……」
今度は魔力を纏いませんでした。
きっちり、お腹に一発入れてから、離れます。
「僕の許しがある前に、『三歩以内』に近づいたら、一生口を利かない」
「ティ~ノは~、おかんむり~、しらんぷり~、ほっかむり~」
ティノに手抜かりはありません。
「感知」で周囲の状況を探ってあるので。
腹パンは、誰にも見られていません。
狙ったのは、みぞおち。
弱い魔物相手で確かめてきたので、お腹のどの部分を、どのくらいの強さで殴れば良いか、おおよそ理解しています。
もう一度、同じ場所を殴れば、失神させることも可能でしょう。
「な……何で…?」
「え? もしかして説明が必要なのかな。どうもこの人は危険人物のようだから、ここで止めを刺したほうが全人類の為かもしれない。どう思う、マル」
「ワンっ!」
「マルも頷いてくれているし、何も問題はないようだね」
「おー! しょっけい~、しょっけい~、しょりしょり、しょっぱ~い」
イオリも賛成してくれています。
そんなわけで、「イオリ優先」のティノは。
判決、私刑。
「わ…私は……、ぅ…クロウ・ダナ…だ。き…君の名を……ぼ…教えて欲しいっ!」
「ダナ……?」
少年ーークロウ・ダナはがんばりました。
呼吸がしづらいでしょうに、しっかりと自分の名前を発音し、正解を引き当てました。
「ダナ」とは、「八創家」の一家です。
昨日、アリスから聞いていたので、何となくですが、ティノは覚えていました。
クロウは、命拾いをしました。
初日から「八創家」の学園生を抹殺するのは不味い。
ティノの理性が、正常に働いてくれました。
「ーーティノ」
「てぃ……ティノ。何と麗しい響き……」
「何か言った?」
「いいえ、何も言っていません」
やっとこクロウは、普通に話せるようになるまで回復しました。
それと同時に、危機感に苛まれました。
ここで別れれば、「変な人」とティノに認識されてしまいます。
それだけは避けなければいけません。
このままでは、「八創家」という地位を振りかざす「嫌な奴」になってしまうかもしれないのです。
「わ、私は! 邸とその敷地からでたことがなかったのだ! それゆえ、不快な行動を取ってしまったかもしれないが、許して欲しい!」
「でたことがない?」
ティノの表情から、険しさが抜けました。
「結界」と「村」。
それだけがティノの世界でした。
クロウも同じだと。
自分と同じように「小さな世界」から飛びだし、学園に来て不安を抱えていたのだと知って。
彼に冷たく当たってしまった自分を、ティノは恥じました。
ただ、譲れない、というか、線引きは必要なので。
条件を突きつけました。
「とりあえず、話は聞く。それによって『三歩以内』を解くかどうかを決める」
「わ、わかった。聞いてくれ。ーー私の母は、流行り病にかかった。私を産めば、命を落とすかもしれない。それでも母は、私を産んでくれた。……母は、助からなかった。愛する妻を喪った父。優しかった母を喪った二人の兄。そんな父と兄たちは私のことを、ーー溺愛したのだ」
「……ん?」
ティノの許しを得ようと焦燥に駆られたクロウは、拙いながらも一生懸命に説明しました。
しかし、懸命さが報われないことなど、世の中にはよくあること。
ティノは最後通牒を突きつけました。
「僕はあまり頭がよくないんだ。僕がわかるように説明してくれなかったら、入園式にでられなくしてあげる」
「は…、はい」
氷竜もかくやという、冷たい声音でした。
クロウの短い人生で、これほどの恐怖を感じたのは初めてのことです。
取り繕うのは無理だと諦め、クロウは事実だけを並べてゆくことにしました。
「使用人から聞いた。母が言っていたそうだ。自分が死んだあと、クロウを愛さなければ、地の国から呪ってやる、と。母は優しく、闊達な人だったようだ。父と兄たちは、自身も悲しいだろうに、私を愛してくれた。ただ、皆は、私を愛し過ぎる、というか、過保護、というか、目の届かない邸の外などに行こうとすると、泣いて悲しむので敷地の外にでたことがなかったのだ」
「えっと? あー、それは、うん、そこまではわかった。それで、よく家族が学園に通うことを許してくれたね」
「そこは、色々あった。父は、『八創家』でも『筆頭』の地位にあり、二人の兄は『天才』。父も兄たちも褒めてくれるが、皆に及ばないことは誰よりも私がわかっている。私にできることは『努力』しかなかった。父や兄たち、何より家族を大切にしていた母に、恩返しをしたくても、……私には何もなかった。このままでは駄目だと思った。だが、どうして良いかわからなかった。そんなとき耳にしたのが、学園のことだ。『八創家』は学園のことを放っておけない。放っておかない。これだ! と飛びついた。ダナ家の跡継ぎになれない私なら適任。周期も問題ない。もし認めてくれないのなら、もう一生頭を撫でさせてあげない、と最終手段を使い、すったもんだの挙げ句、学園行きを勝ち取った」
「……ん?」
「学園」とは、「聖域」に落とされた一石でした。
投げ込まれた石の大きさは、人それぞれ。
ティノが、クロウがそうであるように、大なり小なり、学園生は事情を抱えて「学園」に遣って来ました。
最も大きな石。
落とされた石の、波紋の大きさを理解していないティノは。
多くのことを置き去りにしたまま。
「三歩以内」を解いてあげました。
「あ、ありがとう! これで私たちは親友だな!」
「は? 何を言っているのかな? クロウは、友達候補だよ?」
「こ……候補? そ…それはそれで一考の余地があることだとして……。ーーでは、『聖技場』に向かおうか」
この短い時間の間に多くの経験を積んだクロウは、内心の動揺を隠し、優雅な動作で手を差しだしました。
そして。
魔力を纏ったティノの手で、叩き落とされました。
「ぐぉ……」
「ねぇ、クロウ。クロウは『学習』という言葉を知らないのかな? その手は何? 僕は『お姫さま』じゃないよ。ーー僕は男。僕は男。僕は男。はい、復唱」
「てぃ、ティノは…男……。ティノは…男。ティノは男…」
涙声で、言われるままに復唱するクロウ。
「わかってくれたならいいよ。じゃあ、はい、よろしくね」
ティノはクロウの手を取って、握手。
よくも悪くも、クロウはティノの緊張を解してくれました。
友達。
それも悪くないか。
無駄に格好良いクロウを見ながら、ティノは。
不思議な予感を抱きました。
「ああ! ティノっ、よろしく頼む」
純粋に、喜びの笑顔を浮かべるクロウ。
彼に応えるように、ティノも笑顔で。
ティノの手の甲を、逆の手で「撫で撫で」してきたクロウの手を叩き潰したのでした。
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