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第六話 準備 -2
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竜の離着陸場は基地の最も奥にあった。
岩山の麓に広がる広大な針葉樹林。そこから伸びる木々がすぐそこまで枝を広げていて、知らなければそこに広く平坦な地面があることすら分からないように上手く隠されている。軍の最重要拠点であるためだ。
「アーベント、今日はよろしくね」
茜色の空を背景に翼を広げる黒竜に言えば、アーベントは応えるようにぐるぐると喉を鳴らした。
竜騎士を乗せるための鞍は、騎竜の首元に固定される。背中にある羽根の動きを邪魔せず、口から繋がる手綱を上手く操るにはその場所が最適だからだ。
漆黒の鱗を持つアーベントには、彼によく似合う黒い革の鞍が乗せられていた。
その傍らに立つシグルドは、見慣れた飛行服を身に着けていた。
銀釦があしらわれた黒い外套には、その裏側に分厚い毛皮が縫い付けられている。手には分厚い手袋をして、頭にも毛皮の帽子とゴーグルをつけていた。足元は太ももまである革のブーツだ。
竜騎士たちが駆る騎竜は、見上げることも出来ないほど遥か上空を飛行することもある。
空の上は息すら凍るほどに寒く、吹き付ける風は目を開けられないほどに強い。だからこそ、騎士たちは防寒に特化した飛行服を身に纏うのだ。
「ルイン、準備はいいか?」
「はい、大丈夫です」
訊ねられて、ルインは首元に下げていたゴーグルを上げた。
同じようにゴーグルをつけたシグルドの瞳に、自らの格好が映っている。
アーベントに同乗するルインも、今日は重装備だ。とはいえ、いつもの作業服にジャケットを羽織った格好に加え て、帽子とゴーグルをしているだけではあるが。
ジャケットの前を首元までしっかりと留めて、ルインはシグルドに頷いた。そうすると先にアーベントに騎乗した シグルドが手を差し出してくれる。その手をしっかりと掴んで、ルインは鐙に足をかけた。
馬よりもずっと身体の大きな竜は、騎乗するだけでも一苦労だ。慣れない人間が乗ろうとすれば転げ落ちるだろう し、そもそも竜自身がそれを許さない。竜に乗れるのは本当に竜から認められ、心許された一握りの人間だけだ。
ルインが乗るのを、アーベントは少しも嫌がらなかった。それどころか小柄なルインが乗りやすいようにと、そのしなやかな首を精一杯低くしてくれる。
促すような仕草を嬉しく思いながら、ルインは無事にアーベントの背中に騎乗した。
シグルドの両大腿の間に腰を下ろせば、すぐさまシグルドがルインの細腰に革ひもをくくりつけた。細いが頑丈なそれのもう一方の端は、同じようにシグルドの腰に巻かれている。――命綱だ。
今回の飛行はお遊びのようなものなので、アーベントもそう激しい動きをすることはないだろう。けれども、上空 に飛び上がってしまえば何が起こるか分からない。飛ぶことに慣れてないルインの身体が、間違って放り出されない ようにという配慮だ。
その上、腰を抱えられるように支えられて、思わずぎくりと肩が揺れる。
アーベントに乗れるという喜びばかりが頭にあったルインは、このときになってようやく気付いた。
――ち、近い……!
振り向かずとも分かる、シグルドとの距離。吐息どころか鼓動すら分かるほどに近さに、分厚い外套越しに体温すら伝わってくる。そのことを認識した途端、ルインの心臓がばくばくと大きな音をたてた。
よくよく考えてみれば、それは至極当然のことだった。
竜騎士たちは飛行するとき、竜の背に跨り空をかける。けれどもそれは、竜にとって異物を背に乗せているのと同じことだった。空を飛ぶ際に巻き起こる空気の抵抗やそれによる僅かなバランスの変化。騎士を乗せるという違和感 が強ければ強いほど、竜は本来のように素早く飛ぶことが出来なくなる。
故に、騎士たちは竜の負担にならないように、可能な限り竜と一体になれるように身体を倒す。二人乗りなど滅多なことではしないけれど、竜に誰かと同乗する際は、乗った者同士はぴたりと身体を添わせなければいけなかった。
ルインの背中に、逞しいシグルドの胸が触れる。
それだけでも眩暈がするほどの近さなのに、あろうことか彼の両腕は手綱を握るためにルインを抱き込むような形で前に差し出されていた。
顔が火照り、涙が滲む。けれど、その近さを指摘することは出来ない。
だって、どれも当たり前で必要なことだった。竜に二人で乗るということは、そういうことだとうっかり失念していたルインが悪いのだ。
それに、男同士であればこの程度の距離感はなんら珍しいことではないはずだ。城塞の兵士たちはよく肩を組んだ り、じゃれ合ったりしてお互いの身体に触れ合っている。
自分だって、相手がシグルドでなければ――「レオン」の生まれ変わりである彼でなければ、こんなにも緊張しなかったし、心臓が激しく動いたりしなかった。
自分は「フェリ」ではない。相手は「レオン」ではない。
ルインとシグルドであれば、何の問題もない。
そんなことを考えて、ルインが目を白黒させていたときだった。
「よし、ルイン、しっかり掴まっておけよ。アーベント!」
「ぅわッ」
岩山の麓に広がる広大な針葉樹林。そこから伸びる木々がすぐそこまで枝を広げていて、知らなければそこに広く平坦な地面があることすら分からないように上手く隠されている。軍の最重要拠点であるためだ。
「アーベント、今日はよろしくね」
茜色の空を背景に翼を広げる黒竜に言えば、アーベントは応えるようにぐるぐると喉を鳴らした。
竜騎士を乗せるための鞍は、騎竜の首元に固定される。背中にある羽根の動きを邪魔せず、口から繋がる手綱を上手く操るにはその場所が最適だからだ。
漆黒の鱗を持つアーベントには、彼によく似合う黒い革の鞍が乗せられていた。
その傍らに立つシグルドは、見慣れた飛行服を身に着けていた。
銀釦があしらわれた黒い外套には、その裏側に分厚い毛皮が縫い付けられている。手には分厚い手袋をして、頭にも毛皮の帽子とゴーグルをつけていた。足元は太ももまである革のブーツだ。
竜騎士たちが駆る騎竜は、見上げることも出来ないほど遥か上空を飛行することもある。
空の上は息すら凍るほどに寒く、吹き付ける風は目を開けられないほどに強い。だからこそ、騎士たちは防寒に特化した飛行服を身に纏うのだ。
「ルイン、準備はいいか?」
「はい、大丈夫です」
訊ねられて、ルインは首元に下げていたゴーグルを上げた。
同じようにゴーグルをつけたシグルドの瞳に、自らの格好が映っている。
アーベントに同乗するルインも、今日は重装備だ。とはいえ、いつもの作業服にジャケットを羽織った格好に加え て、帽子とゴーグルをしているだけではあるが。
ジャケットの前を首元までしっかりと留めて、ルインはシグルドに頷いた。そうすると先にアーベントに騎乗した シグルドが手を差し出してくれる。その手をしっかりと掴んで、ルインは鐙に足をかけた。
馬よりもずっと身体の大きな竜は、騎乗するだけでも一苦労だ。慣れない人間が乗ろうとすれば転げ落ちるだろう し、そもそも竜自身がそれを許さない。竜に乗れるのは本当に竜から認められ、心許された一握りの人間だけだ。
ルインが乗るのを、アーベントは少しも嫌がらなかった。それどころか小柄なルインが乗りやすいようにと、そのしなやかな首を精一杯低くしてくれる。
促すような仕草を嬉しく思いながら、ルインは無事にアーベントの背中に騎乗した。
シグルドの両大腿の間に腰を下ろせば、すぐさまシグルドがルインの細腰に革ひもをくくりつけた。細いが頑丈なそれのもう一方の端は、同じようにシグルドの腰に巻かれている。――命綱だ。
今回の飛行はお遊びのようなものなので、アーベントもそう激しい動きをすることはないだろう。けれども、上空 に飛び上がってしまえば何が起こるか分からない。飛ぶことに慣れてないルインの身体が、間違って放り出されない ようにという配慮だ。
その上、腰を抱えられるように支えられて、思わずぎくりと肩が揺れる。
アーベントに乗れるという喜びばかりが頭にあったルインは、このときになってようやく気付いた。
――ち、近い……!
振り向かずとも分かる、シグルドとの距離。吐息どころか鼓動すら分かるほどに近さに、分厚い外套越しに体温すら伝わってくる。そのことを認識した途端、ルインの心臓がばくばくと大きな音をたてた。
よくよく考えてみれば、それは至極当然のことだった。
竜騎士たちは飛行するとき、竜の背に跨り空をかける。けれどもそれは、竜にとって異物を背に乗せているのと同じことだった。空を飛ぶ際に巻き起こる空気の抵抗やそれによる僅かなバランスの変化。騎士を乗せるという違和感 が強ければ強いほど、竜は本来のように素早く飛ぶことが出来なくなる。
故に、騎士たちは竜の負担にならないように、可能な限り竜と一体になれるように身体を倒す。二人乗りなど滅多なことではしないけれど、竜に誰かと同乗する際は、乗った者同士はぴたりと身体を添わせなければいけなかった。
ルインの背中に、逞しいシグルドの胸が触れる。
それだけでも眩暈がするほどの近さなのに、あろうことか彼の両腕は手綱を握るためにルインを抱き込むような形で前に差し出されていた。
顔が火照り、涙が滲む。けれど、その近さを指摘することは出来ない。
だって、どれも当たり前で必要なことだった。竜に二人で乗るということは、そういうことだとうっかり失念していたルインが悪いのだ。
それに、男同士であればこの程度の距離感はなんら珍しいことではないはずだ。城塞の兵士たちはよく肩を組んだ り、じゃれ合ったりしてお互いの身体に触れ合っている。
自分だって、相手がシグルドでなければ――「レオン」の生まれ変わりである彼でなければ、こんなにも緊張しなかったし、心臓が激しく動いたりしなかった。
自分は「フェリ」ではない。相手は「レオン」ではない。
ルインとシグルドであれば、何の問題もない。
そんなことを考えて、ルインが目を白黒させていたときだった。
「よし、ルイン、しっかり掴まっておけよ。アーベント!」
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