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第三話 出会い -2
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――どうして竜舎に見慣れない竜がいるのか。
新しい竜が来る際は必ず数日前に上層部からグスタフに連絡があるはずだ。それからすぐにルインとリアムに説明があって、慌ただしく竜を迎えるための準備を整えるのだ。
しかし、昨日グスタフは何も言っていなかった。
空いていた竜房には餌はおろか、水や寝藁すら置かれていない。とりあえず、と言った様子で空っぽの竜房に身体 を伏せる黒竜を見て、ルインは眉をひそめた。
近付いても怒らないだろうか。フリューゲル種よりも気性が荒いと聞くカタストローフェ種だ。水すら自らが認め た相手からしか受け取らない可能性がある。
けれど、竜房の隅に置かれた鞍を見て、ルインは黒竜のそばに足を進めた。使い込まれたその鞍は、彼が騎士を乗せて長く飛び続けて来た証だ。いくら強靭な竜といえども、長距離を飛べば疲れるし腹も減る。喉だって乾いているはずだ。
だから、どうしても水をやりたいと思ったのだ。
竜というのは人間よりもずっと気配に敏い生き物だ。ルインが近づいてきていることは気づいているはずなのに、 黒竜は目を閉じたままだった。
ゆっくりと息を吐いて、ルインは黒竜がいる竜房に足を踏み入れた。
そして、そこにもうひとつ黒い塊があることに気づいた。
軍から支給される竜騎士の外套。そのフードを目深に被って、竜に寄り掛かるようにしてひとりの男がいた。
それを認めた瞬間、叫び声を上げそうになったのをルインは必死で飲み込んだ。
だって、ひどく驚いたのだ。まさか竜舎で人が寝ているとは思わなかった。
おそらく、彼はこの黒竜の竜騎士だ。
夜半に到着し、疲れた騎竜を竜舎に押し込んで、自分もそのまま寝たのだろう。
軍の基地であるヴィンターベルク城塞には夜中でも見張りの兵士が待機している。男だってここまで案内を受けた だろうに、どうして男は隊舎ではなくここで寝ているのか。
そんなことを思いつつ、ルインは男の顔を覗き込んだ。
その竜騎士はまだ若い男だった。フードから覗く真紅の髪にすっきりとした鼻梁。日に焼けた首筋と、外套越しで も分かる鍛え上げられた体躯。目を瞑っていても分かるその整った容貌を見て、ルインは息を飲む。
詳細は分からないが、おそらく男は新しく配属されたカタストローフェ種の竜騎士だ。当然、入隊以来ヴィンターベルク城塞を出たことのないルインからすれば、会ったことも見たこともない相手のはずだった。――けれど。
ルインの気配に気が付いたのか、男が不意に睫毛を揺らす。
髪と同じ鮮やかな紅。瞳を彩るそれが数度震えてゆっくりと持ち上がった。
現れたのは、空よりも澄んだ青い瞳だ。ルインを映した青が見開かれて驚愕の色に染まる。その瞬間。
――レオン……!
ルインの頭の中で自分ではない誰かの声がした。
そして、唐突に理解する。
ルインが繰り返し夢で見る、出陣直前の男の笑顔。あれほど何度も彼の顔を見送っているというのに、これまでルインは彼の名前を知らなかった。
フェリが愛した竜騎士の男。七十年前の戦争で死んだ男の名前は「レオン」。
夢の中の「レオン」は金茶の髪に冬の森のような深い緑色の瞳をしていた。少し垂れた眦は笑うと人好きがする皺が出来たし、男らしく大きな口はいつだって弧を描いていた。フェリは「レオン」を構成するその全てが大好きだっ た。
目の前の男とは似ても似つかない。髪の色も瞳の色も、その容姿も。その全てが違うけれど、ルインには分かってしまったのだ。
――男は「レオン」だ。
否、正確に言えば「レオン」ではない。あの日、あの場所で「レオン」は間違いなく死んでしまったのだから。
けれど、男は「レオン」だった。ルインと同じ、一度死んでまた生まれ変わった魂を持つ者。
男は青い瞳を見開いてルインを見ていた。そこにどんな感情があるのかは分からない。
ルインは男を見返したまま動けなかった。
新しい竜が来る際は必ず数日前に上層部からグスタフに連絡があるはずだ。それからすぐにルインとリアムに説明があって、慌ただしく竜を迎えるための準備を整えるのだ。
しかし、昨日グスタフは何も言っていなかった。
空いていた竜房には餌はおろか、水や寝藁すら置かれていない。とりあえず、と言った様子で空っぽの竜房に身体 を伏せる黒竜を見て、ルインは眉をひそめた。
近付いても怒らないだろうか。フリューゲル種よりも気性が荒いと聞くカタストローフェ種だ。水すら自らが認め た相手からしか受け取らない可能性がある。
けれど、竜房の隅に置かれた鞍を見て、ルインは黒竜のそばに足を進めた。使い込まれたその鞍は、彼が騎士を乗せて長く飛び続けて来た証だ。いくら強靭な竜といえども、長距離を飛べば疲れるし腹も減る。喉だって乾いているはずだ。
だから、どうしても水をやりたいと思ったのだ。
竜というのは人間よりもずっと気配に敏い生き物だ。ルインが近づいてきていることは気づいているはずなのに、 黒竜は目を閉じたままだった。
ゆっくりと息を吐いて、ルインは黒竜がいる竜房に足を踏み入れた。
そして、そこにもうひとつ黒い塊があることに気づいた。
軍から支給される竜騎士の外套。そのフードを目深に被って、竜に寄り掛かるようにしてひとりの男がいた。
それを認めた瞬間、叫び声を上げそうになったのをルインは必死で飲み込んだ。
だって、ひどく驚いたのだ。まさか竜舎で人が寝ているとは思わなかった。
おそらく、彼はこの黒竜の竜騎士だ。
夜半に到着し、疲れた騎竜を竜舎に押し込んで、自分もそのまま寝たのだろう。
軍の基地であるヴィンターベルク城塞には夜中でも見張りの兵士が待機している。男だってここまで案内を受けた だろうに、どうして男は隊舎ではなくここで寝ているのか。
そんなことを思いつつ、ルインは男の顔を覗き込んだ。
その竜騎士はまだ若い男だった。フードから覗く真紅の髪にすっきりとした鼻梁。日に焼けた首筋と、外套越しで も分かる鍛え上げられた体躯。目を瞑っていても分かるその整った容貌を見て、ルインは息を飲む。
詳細は分からないが、おそらく男は新しく配属されたカタストローフェ種の竜騎士だ。当然、入隊以来ヴィンターベルク城塞を出たことのないルインからすれば、会ったことも見たこともない相手のはずだった。――けれど。
ルインの気配に気が付いたのか、男が不意に睫毛を揺らす。
髪と同じ鮮やかな紅。瞳を彩るそれが数度震えてゆっくりと持ち上がった。
現れたのは、空よりも澄んだ青い瞳だ。ルインを映した青が見開かれて驚愕の色に染まる。その瞬間。
――レオン……!
ルインの頭の中で自分ではない誰かの声がした。
そして、唐突に理解する。
ルインが繰り返し夢で見る、出陣直前の男の笑顔。あれほど何度も彼の顔を見送っているというのに、これまでルインは彼の名前を知らなかった。
フェリが愛した竜騎士の男。七十年前の戦争で死んだ男の名前は「レオン」。
夢の中の「レオン」は金茶の髪に冬の森のような深い緑色の瞳をしていた。少し垂れた眦は笑うと人好きがする皺が出来たし、男らしく大きな口はいつだって弧を描いていた。フェリは「レオン」を構成するその全てが大好きだっ た。
目の前の男とは似ても似つかない。髪の色も瞳の色も、その容姿も。その全てが違うけれど、ルインには分かってしまったのだ。
――男は「レオン」だ。
否、正確に言えば「レオン」ではない。あの日、あの場所で「レオン」は間違いなく死んでしまったのだから。
けれど、男は「レオン」だった。ルインと同じ、一度死んでまた生まれ変わった魂を持つ者。
男は青い瞳を見開いてルインを見ていた。そこにどんな感情があるのかは分からない。
ルインは男を見返したまま動けなかった。
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