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第三章 トレヴダール

第十二話 魔力の流れ

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 セルジン王の天幕の中でアレインは、一人冷静に王に近づき静かに進言した。
 〈七竜の王〉を殺せと王が命じたからだ。

「それは……、我が国での彼の死は、無用な争いを招きませんか? 彼の部下達が、そう報告しますよ」
「我が国は戦時故、その心配はいらぬ。あの男は承知の上で入り込んだ、屍食鬼に喰われれば何の証拠も残らぬ」
「七竜リンクルが黙っていないのでは?」
「彼の意識が無いうちは、リンクルの影は現れぬ。レント領の戦いで、彼の父がそう申していたと聞いた。るなら、他の竜騎士達が去った直後が好機だ。その後、屍食鬼に喰らわせる」
「なるほど、承知致しました。ですが七竜リンクルは、陛下に心を開いています。信頼を裏切る事になるのでは?」
「構わぬ、王国を守るためだ。異国の婚約者は、必要ない」

 冷酷な王の瞳に、武将アレインは頷き微笑みかけた。





 オリアンナが意識を失った時、エランはモラスの騎士の一員としてセルジン王の近くにいた。
 トキが彼女の顔の前で潰したのは、眠りの果実と呼ばれるスイの実で、二日間は眠り続ける。
 スイの実には副作用があって、目覚めた後しばらく気分の悪さが続く。

 解毒剤が必要だな。
 薬師の誰かに頼むか。

 エランはそう思いながらも、自分の考えに呆れた。

 王様が手配するだろう?
 僕がやらなくても……。

 彼女の世話が出来ない事に不満を覚えながら、天幕まで運ばれていくのを見送った。
 彼女は厳重な監視下に置かれるだろう、面会を申し出てもきっと許可は下りない。
 オリアンナ姫はセルジン王の婚約者なのだから。

 王が指示を出すために側近達を集め天幕へ入り、しばらくした後にアルマレーク人達が広場へと引き立てられて来る。
 テオフィルスは猿轡さるぐつわを噛まされ惨めな扱いを受けながらも、いたって冷静に現状を受け止めている風に見えた。
 エランには、それが気に入らない。

 オリアンナが竜に拐われた知らせを受け、王と共に竜の集まる場所に辿り着いた時、抱き合う彼女とテオフィルスの姿を見た。
 抵抗している様子はなく、それが不可解で不愉快だった。
 彼に対する憤りは、例えようもなく膨れ上がる。

 それは自尊心の強い王も同じ……、いやエラン以上に激しいものだろう。
 王の怒りが彼女に向く事を、エランは恐れた。だから余計に、テオフィルスが許せない。
 王が天幕から現れ彼を裁き始めた時、テオフィルスが苦しむ姿を見ながら、エランは残酷な気持ちになった。

 このまま、死んでしまえばいい!
 オリアンナに異国の婚約者なんかいらない!

 心の奥底から沸き起こる、どす黒い感情がエランを支配した、王の魔力と同調し、まるで自分がテオフィルスに苦痛を与えているように。

 苦しめ!
 苦しめ、苦しめ……。

 遮断したのは、可愛らしい声だ。

「エラン、ダメよ!」

 冷静なその声は清らかな鐘の音のように、エランの頭の中に響き渡る。
 モラスの騎士の総隊長ルディーナ・モラスの声だ。
 いつの間にか彼の後ろにいたルディーナは、まるで何かから彼を守るように魔力を放っている。
 それは王の放つ魔力とは、まるで対照的なものだ。

「総隊長……」

 自分のかけた呪縛から解き放たれ、エランの意識は現実に戻る。
 今の状況に似つかわしくない程の可愛い笑顔を振りまきながら、その口から出る言葉は冷静そのものだ。

「あなたはオリアンナ姫を守りたいのでしょう? だったら、暗い感情に呑まれてはいけないわ。彼は敵じゃない。王も、いずれ解る」
「敵じゃない? オリアンナを連れ去るかもしれないのに?」
「姫君は本来アルマレーク人じゃなくて? 私には七竜の魔力を感じる。七竜が、姫君を守り始めているわ」
「え?」

 エランはオリアンナの天幕を見たが、何も見えず感じ取る事も出来ない。
 ルディーナの目は何を見て、何を感じ取っているのだろう。
 彼女には全ての魔力の流れが、見えているのではないか。
 自分はルディーナの後を継ぐ存在と見なされているが、遠く及ばないのではないのか。

 ルディーナのように物事の大局を把握する事が出来ない自分を、エランは恥じた。
 そして王の魔力による攻撃に、苦しむテオフィルスを見る。
 彼には七竜リンクルが守りについているはずだ。

 なぜ、竜を呼ばない?

 レント領で七竜リンクルがテオフィルスを守るために、強烈な魔力を吐いた事を思い出した。

 なぜ、反撃しない?
 セルジン王と争う気がないのか?

 テオフィルスの身体が痙攣を起こし始めた時、竜の大咆哮が王に抗議するように響き渡った。
 エランは耳を塞いだ。
 そして気が付いたのだ、争いの原因が、竜イリにある事に。
 あの竜がオリアンナに付きまとわなければ、アルマレーク人がエステラーン王国に来る事もない。
 彼女とテオフィルスが近づく事もない。

 あの竜を遠ざけるには、どうしたらいい?

 王が毒気を抜かれたように攻撃を止め、テオフィルスは意識を失った。
 彼を守るために、竜騎士達が駆け寄る。
 竜イリを追い出す方法を、彼等は知っているはずだ。

 アルマレーク人に、聞けばいい。

 エランは即座に行動した。





 七竜リンクルの影が消えた、テオフィルスが意識を失ったせいだ。
 竜達の動きを見張る国王軍の兵士達は、竜達を仕切っていた存在が突然消えた事に、戸惑いと恐怖を感じる。

「おい、ヤバいんじゃないか? この状況……」

 兵達は身の危険を感じて、じりじりと後退する。
 竜達はその場を動きはしなかったものの、怒りの矛先を探すように長い首を荒々しく振り、足を踏み鳴らす。
 自分達の大事な竜騎士が危険な状態にあるのに、その場を動くなと七竜リンクルに命令されているからだ。

 一頭だけ大きく翼をバタつかせ、今にも飛び立とうとしている竜がいた。
 他の竜より幾分小柄な竜イリだ。
 先程からオリアンナの意識が感じられず、イリは彼女会いたさに飛び立とうとするが、七竜の命令には逆らえない。
 思い留まり翼をたたみ、不満に足踏みして、周りの枯れ木に火を吐いた。
 たちまち枯れ木が燃え上がる。

「風がある、燃え広がるぞ! 火を消さないと……」
「本隊に伝令だ! 消火隊を、早く!」

 兵士達は火に巻き込まれないように後退し、竜が暴れ火災が起きている事を、本隊へ報告するべく早馬で伝令を送った。





 竜達のいる方角から炎が上がっているのを、竜騎士マシーナが気づいた。
 意識を失ったテオフィルスから引き離され、強制的に竜のいる方向へ歩かされている時の事だ。
 竜騎士達は全員後ろ手に厳重に縛られ、兵達から逃れるには余程の好機がないと不可能に思える。

 七竜リンクルの影が消えたせいだ。
 竜のどれかが火を吐いた、これはチャンスだ!

 人質のように〈七竜の王〉テオフィルスをセルジン王に奪われ、竜騎士達は全員強制退去を命じられた。
 今、エステラーン王国を離れれば、テオフィルスは二度もオーリン王太子を誘拐した罪で、どんな目に遭うか判らない。
 アルマレーク共和国に再度莫大な身代金を要求するか、最悪の場合あの狭量なセルジン王に、殺される可能性がある。

 若君を、殺されてなるものか!

 道沿いに松明が掲げられ暗闇でも人々の行き来が分かる中、前方からしゅうで駆けつける馬の足音が聞こえた。
 兵達は道を空けるために、二手に分かれる。
 マシーナは近くにいる竜騎士達と目を見合わせ頷く。
 同行した竜騎士達の大半が、リンクルクランで鍛え上げた強者つわものだ。
 今の状況でテオフィルス救出が最優先される事は、伝えなくても判る。

 早馬が駆け抜けた瞬間、マシーナは近くの兵士に体当たりし、倒れた兵士の顔面を足で容赦なく蹴りつけ一撃で意識を失わせた。
 他の兵達が戦斧で切付けて来たが、素早い身のこなしでかわし相手を足払いして倒し、他の竜騎士の餌食とさせた。
 その戦斧を取り上げ、仲間の縄を切り自分も剣が使える状態になった。
 兵達の武器を取り上げ、仲間の救出に向かう。

 [誰も殺すな]というテオフィルスの指示は、竜騎士全員に徹底して守られた。
 兵達に死者は出ていない。
 意識を失った兵士達を全員縛り上げ、猿轡を咬ませ道から外れた暗闇に放置する。

 竜騎士の護送にあたった兵士達は、竜騎士達の戦闘能力を甘く見ていたのだ。
 ずば抜けた運動神経と戦闘能力の高さが無いと、竜騎士にはなれない。
 その頂点を極めているのが、精鋭マシーナ・ルーザだ。

[第二隊、第三隊は起点まで戻り、国王軍を引き付けろ。第一隊は若君の救出に当たる。各々、遂行!]

 彼の命令に竜騎士達は道を外れ、松明の届かない暗い森の中に消えた。
 第二隊と第三隊は竜の待機する起点へ、そしてマシーナ直属の部下である第一隊は、暗闇に紛れ来た道沿いにテオフィルス救出へと戻った。





 モラスの騎士達の守る対象であるオリアンナが、意識を失い身動き取れない状況で天幕の中にいる。
 彼等の任務は、その天幕を守る障壁を張る事だ。
 新人であるエランは、近くの騎士に嘘の理由を言って、さり気なくその任務から離脱した。

 先程、立ち枯れた森の片隅に、目立たないように着替えの服を置いてきた。
 モラスの騎士の赤い制服では、あまりにも目立ちすぎる。
 着替えるために森に分け入ろうとした時、ルディーナの声が彼の足を止めた。

「うまく立ち回るのよ」

 エランはギョッとして、振り返る。
 彼女の可愛らしく笑った顔が、全てを見透かすように彼に向けられていた。
 緊張に心臓は鼓動を早め、こみ上げる唾を、音を立てて飲んだ。

「あなたは私の後を継ぐ者よ、忘れないで」
「……はい」

 ルディーナの真意が掴めないまま、エランは答えた。
 魔力の流れは、今どこを向いているのだろう。
 大局の見えない自分の行動を、モラスの騎士総隊長は許すと言っているのだろうか。

「行きなさい、姫君を取り戻すのよ」

 エランは一瞬、頬を染めた。
 彼女に嘘は通じない。
 彼は頷き、踵を返した。
 オリアンナを取り戻すために……。
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