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七 西風涙露
三
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「つね」
呼びかけに、春常ははっと目を覚ました。座ったままうとうとしていたようだった。部屋は薄暗くなっていて、日没が近いことを感じさせた。
病を得て、一層白くなった春信の顔が、じっとこちらを見つめている。
「すみません」
春常は春信に近づいた。
「うたた寝をしていました。何かお持ちしましょうか」
「つね」
春信が、夜着から手を伸ばした。春常がその手を取ると、春信の指に力がこもる。
「何か―――」
「つね」
春常の言葉を遮って、春信がまた言った。
「つね、父上を頼む」
春常はぎくりとして兄の顔を見た。その眼差しは青白い光を帯びて、春常の心底を射貫くようだった。
「林家を、どうか頼む」
「兄上」
春常は春信の手を両手で握りしめた。
ああ。この手を掴んで、引き戻すことが出来るなら―――
この人は行ってしまう。遙か遠くへ。
「駄目ですよ………」
どっと涙が溢れて、しずくが自分の手の甲に落ちる。春常は鼻を啜り上げた。
「休んで下さい。―――どうか」
涙で、兄の顔も見えない。春常は兄の手を握ったまま、床にうずくまった。
「お願いです。どうか、そんなことを仰らないで下さい」
「つね」
兄はわずかに語気を強めた。春常はかぶりを振り、涙を流しながら喚くように言ってしまった。
「わたしには―――わたしには到底無理です。兄上、どうか死なないで下さい。父上がどんなに嘆かれるか。兄上がいなくなってしまったら、林家は父上で終わりです」
つね、と言ったきり、兄は黙り込んでしまった。両手で握っていた兄の手に力が入ったのが判って、春常は顔を上げて兄を見た。兄は春常を真っ直ぐに見つめながら、何か言いたげに唇を震わせていた。憤りと悲しみと、それがない交ぜになった顔だった。怒ることも、声を荒げることさえも滅多になかった兄の、凄絶なまでのその表情は、春常の心に突き刺さった。
春信の身体から力が抜けた。目を閉じ、疲れた息を吐き出す。いたたまれなくなって、春常は病室を飛び出した。部屋に戻り、床にうずくまって、声を上げて泣いた。
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「すみません」
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「うたた寝をしていました。何かお持ちしましょうか」
「つね」
春信が、夜着から手を伸ばした。春常がその手を取ると、春信の指に力がこもる。
「何か―――」
「つね」
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春常はぎくりとして兄の顔を見た。その眼差しは青白い光を帯びて、春常の心底を射貫くようだった。
「林家を、どうか頼む」
「兄上」
春常は春信の手を両手で握りしめた。
ああ。この手を掴んで、引き戻すことが出来るなら―――
この人は行ってしまう。遙か遠くへ。
「駄目ですよ………」
どっと涙が溢れて、しずくが自分の手の甲に落ちる。春常は鼻を啜り上げた。
「休んで下さい。―――どうか」
涙で、兄の顔も見えない。春常は兄の手を握ったまま、床にうずくまった。
「お願いです。どうか、そんなことを仰らないで下さい」
「つね」
兄はわずかに語気を強めた。春常はかぶりを振り、涙を流しながら喚くように言ってしまった。
「わたしには―――わたしには到底無理です。兄上、どうか死なないで下さい。父上がどんなに嘆かれるか。兄上がいなくなってしまったら、林家は父上で終わりです」
つね、と言ったきり、兄は黙り込んでしまった。両手で握っていた兄の手に力が入ったのが判って、春常は顔を上げて兄を見た。兄は春常を真っ直ぐに見つめながら、何か言いたげに唇を震わせていた。憤りと悲しみと、それがない交ぜになった顔だった。怒ることも、声を荒げることさえも滅多になかった兄の、凄絶なまでのその表情は、春常の心に突き刺さった。
春信の身体から力が抜けた。目を閉じ、疲れた息を吐き出す。いたたまれなくなって、春常は病室を飛び出した。部屋に戻り、床にうずくまって、声を上げて泣いた。
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