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七 西風涙露

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 馬鹿者、と罵ってくれれば良かった。お前がそんな風でどうする、甘えるなと、叱責してくれれば良かったのだ。だが兄はそうはしなかった。
 兄は熱に浮かされた譫言うわごとに、大員長になるまでは死ねない、と口走った。林家を盛り立て、学校を建設してこの国を教化する大望を抱き、海の向こうをも見据えていた。無念だったに違いない。志半ばで死ななければならない、その無念や憤りを、兄は春常にぶつけることはなかった。歯を食いしばって一切を飲み込んでしまった。
「安心して下さい。今はわたしが立派に兄上の代わりを務めてみせますよ。ですから兄上はただお体のことだけを考えて、ゆっくりお休みになって下さい」
 任せて下さいと。
 春常はついに最期まで、気休めにもそう口にすることが出来なかった。それほど、兄と自分との能力はかけ離れていた。もう少し年が離れていれば、互いにいつかは、と思えたかもしれない。だが、兄と春常の年の差は一年でしかない。生まれもった才の違いと思うよりなかった。
 春信は、二度と同じ事を口にしようとはしなかった。大人しく薬を飲み、医師に従い、従容と日々を送った。春常には書物のことや私物の処分と、友人知人へのいくつかの言伝を頼んだ。両親には不孝を詫び、娶って間もない妻は実家に返すように言った。
 寛文六年九月一日。
 ひと月の闘病の末、春信は二十四年間の生涯を閉じた。
「つね」
 亡くなる前の日、痩せ衰えた手を伸べて、春信は春常の頬に触れた。じっと目を見つめ、ぽつりと言った。
「ごめんよ」
 何を謝るのか。
 春常はかぶりを振った。兄の細い指が、春常の涙で濡れる。このひと月で、何度涙を流したか判らない。指が目尻を撫でた。
「今まで有難う」
 削げた頬に頬笑みを浮かべて、兄は、最期まで優しかった。
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