感染

saijya

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第12話

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    機内に流れ始めた不穏な空気に、野田は伏していた気持ちを晴らすような真似をせず、黙って成行を見守っていた。いや、そうではなく、口を挟む資格がないと思い込んでいるのだろう。
    ギロリ、と双眸を銃口に預けた松谷は、肩をすくねて荒くなった鼻息を静めていく。
    君子は和して同せず、小人は同じて和せず、とは孔子の有名な言葉だが、まさにその通りだと、田辺は感じた。隊長と呼ばれていた男が、何故、この松谷を送ったのかよく分かる。田辺が呆れ気味に吐息をつくと、操縦士の男が突然叫んだ。

「なんだありゃあ!?」

    田辺は鋭く男の目線を追い、その先を注視する。あれはなんだろうか、大小様々な黒い影が、凄まじい人数を伴い、ゆらゆらとした足取りで、とある建物から飛び出し、列を成して、飛んでいるヘリコプターを見上げて追ってくるように足を動かしていた。その周辺もバケツをひっくり返したような鮮やかな朱色で彩られており、上空にいる五人にまで鉄錆びのような臭気が漂ってきている。
    目を疑う光景に一同は声も出せずに剥いた瞼を閉じない。
    これこそ、まさに、世界の地獄であり、終末の景色というものはこういうものなのだろうか。操縦士の喫驚に機内の三人も操縦席に集まり、やはり、瞠目した。
    東京で見た新崎優奈という少女が戸部総理を貪り食べる凄惨な姿と重なったのか、松谷と平山は生唾を飲み込む。これから先、自分も戸部のような末路を迎えるかもしれない、そんな恐怖心を振り払う為に、平山は田辺へ訊ねた。

「……正直、予想はしてましたけど、これほどとはね。田辺さんはどうです?揺らいじゃってませんか?」

    問われた田辺は俯いた。
    集団の一人が、五人が搭乗したヘリコプターへと、いつまでも止まらない痛苦に耐えるような雄叫びを出し、それに反応する形で黒い影が大きく震え始め、やがて数多の伸吟が重なりあい、一つの合唱のように響き始める。
    強引に開かれた声紋から漏れだすのは声ではなく呻き、それはまるで、救われない新たな生を受けた自身への鎮魂歌のようだった。
    悲壮的な現実から、逃げ出したくなったのではないか、そんな意味が込められた平山の質問に田辺が返す。

「揺らぐ、そんなことはありませんよ。僕は全てを受け入れます」

    言いながら、田辺はカメラを取り出すとシャッターを切った。焚かれたフラッシュに渋面しつつ、野田は目頭を押さえる。それがこんな現状を産み出した自分への後悔なのか、それとも揺らぐ意識から行われた動きなのか、それを知るよしもないが、太陽が真上にくるまで、残された時間は少ない。

「昔みた映画思い出すな……地獄が定員オーバーになって釜を閉じられなくなり、そこから溢れた死者が現世を歩きだすってよ……まあ、実際はそんな生温いもんじゃないけどな……」

    松谷の呟きに返事はないが、全員の脳裏に同じことが過る。しかし、走行中に外れたブレーキをなおす手段はない。
    五人を乗せたヘリコプターは着実に小倉駅方面へと進み続けた。
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