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16年目のリベンジ3
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振り返ると、戸田がおおよそ寝ながらもちゃんと歩いてくるがかなり遅れをとっている。春鹿が足を止めて待とうとすると、すかさず晴嵐に、「大丈夫だ、あんなでも、いつもちゃんどついでぐるから」
結局、春鹿は黙って晴嵐にまたついて歩く。
「ランさーん……」
千世が寝言のように呟き、晴嵐は背負いなおして体勢をなおす。
「ハルは強ぇな」
「え?」
「酒。全然酔わねのか?」
「そうだね、いつもいい気分くらいで酔いつぶれることはまずないな。特に今日は初対面だから、いつもより飲む量控えたし。晴嵐もウチで飲んでも全然酔わないよね。っていうか考えてみれば白銀の人ってみんなお酒強いよね? お土地柄?」
「吾郎さにしでも、マタギはザルが多いべ。千世と戸田は毎回ごんな感じ。ま、酒飲んで羽目外すぐらいかわいいもんだ。普段窮屈な思いさせでるがらな」
「……兄貴分は大変だ。いつもあんたが運転手なの?」
「いんや、カラオケに移動さしで朝まで寝だり、代行で帰るごともある。ま、今日はおめが来たしな、それこそこいづらとは初めてだし、ちゃんと俺が送り届げねどいけねだろと思ったはんで」
「そんなところで紳士ぶられても」
「おめが寝ぢまっだ時は前抱きしてやるがら」
そう言った晴嵐の声には笑いが混じっていた。
「前抱きってお姫様抱っこ? やめてね、恥ずかしいし! それに、そんなの、あんた腰やられるよ……! 私、千世ちゃんと違ってデカいし、重いし……。おんぶだってできないよ」
「昔、おめが捻挫した時、おぶってやったろ。軽がったべ」
「いつの話してんのよ。あの頃と今は違うの、体重が全然違う!」
駐車場には、つる子の軽自動車が停まっていた。
「やったぁ、ついたぁー」
いつの間にか、戸田がすぐ後ろまで追いついて来ていた。
後部座席に酔っ払い二人を押し込み、晴嵐の運転で白銀に帰る。
「あ、そうだ。私、明後日の月曜日からいないから。一泊で東京にご出勤。田町の始発で行くわ」
「月曜? 始発?」
「うん。出勤するの昼前になるけど、会社の許しは得た」
帰り道、それから特に話はせず、春鹿は眠りもせず、流れる深夜のAMラジオを聞いていた。
*
月曜日のまだ夜も明けきらぬ早朝、春鹿が玄関の引き戸を開けると、そこに軽トラを背に煙草を吸っている晴嵐がいた。
「……え、おはよ……。何、どうしたの?」
「送る」
「は? どこまで」
「田町までだけんど」
「いやいや、自分で行けるよ。車、駅に置いて行くから」
帰って来た時とは違う小ぶりのスーツケースを、めりめりと砂を噛ませて転がす。今までコンクリートでしか引いたことがないそれは、初めての土の上で、その走行には妙な安定感があった。
しかし、途中でひょいと取り上げられ、軽トラの荷台に乗せられる。
「送ってもらったら、また帰りのアシがなくて困るから。そもそもそのために車買ったんだけど」
「自分で勝手に買い物行ったりしてるべ」
「勝手に買い物って、勝手に行ってなんか悪い?」
「俺が連れでいぐって言ってんのに」
「あのね、それは運転できない人の場合でしょ。親切が行き過ぎてる。そこまで厚かましくないの」
「まあまあ。帰りも迎えにいっでやるがら」
春鹿はため息をついて、簡素な助手席に乗り込んだ。
言い合う労力が無駄だと判断した。
「明日、あんたも仕事でしょ?」
「帰りは夜だべ? 仕事さ終わっでるよ」
「場合によっちゃ東京でもう一泊ってことになるかもしれないの。そうなると帰るのが明後日の朝になって午前中は仕事でしょ。バスで帰らなきゃじゃん」
「平気平気。俺が無理なら母ちゃんに行ってもらう」
「それ、迷惑極まりない最悪の展開なんだけど。あ、ちょっと。タバコの臭いつくの嫌だからこれ以降は車内禁煙ね」
晴嵐がエンジンをかけ、春鹿を一瞥して言った。
「スーツか」
「馬子にも衣裳とかそういうのはいいから」
「いんやぁ、東京っで感じだべー」
「語彙力」
春鹿は窓を開けた。
早朝の空気は澄んでいる。
今日は十分にオフィスカジュアルだけれど、それでもここでは異質な服装だ。この土地にパンプスとストッキングの違和感はあまりある。
「昨日は?」
晴嵐がAMラジオをつけながら言う。
「んー? 昼まで寝て、それから家の用事したり。父ちゃんの今日の分のごはんとか」
「あいつらは夕方まで寝でたべ」
「若いねー。最近は寝たくてもそんなに寝られない」
晴嵐が大きなあくびをする。
「……あんたも無理しなくていいのに」
ほぼ徹夜明けの昨日、晴嵐はどこかの草刈りを手伝っていたらしい。「せいちゃん畑におったべ」と吾郎から聞いている。
もともと空いた道だが、それでも駅まで向かうのに三つ信号がある。そのどれもがまだ点滅信号で、ノンストップで走ってこられたせいか、いつもより早く着いた。
晴嵐が車を停めて、入場券を買う。
「いやいや、いいよ、そんな見送りなんて……てか、切符をお金で買ってる人久しぶりに見た」
「俺、ピッどするやづ持ってねがら」
電車の到着まではまだ時間があった。
誰もいないホームのベンチに座る。山の端の空が白く、もうすぐ陽が昇る。
晴嵐は自販機で缶コーヒーを買った。加糖のカフェオレだ。春鹿には甘くて飲む気もしないそれ。
「嬉しいが? 東京帰るの」
「……三週間ぶりかー。さあ、どうなんだろ。でも言われてみればそこまで楽しみでもないんだよね。こっちでも想像してたような東京中毒にはならなかったし。そこは晴嵐のおかげかも。ありがとね」
にこりとした春鹿に、晴嵐は何も言わなかった。
調子が狂う。
沈黙のついでに、帰って来てからの生活を振り返ってみた。
楽しくはないが退屈ではない。
毛嫌いしていた田舎で、それなりに暮らせている。
「……意外にも昔ほど田舎だなんだって思わないのよね。大人になったのか、年を取ったのか。年齢とともに多様な価値観が知らない間に身についてたんだろうね」
「よぐわがんねけど」
時刻が近づいてくると、ホームにちらほら人の姿が現れた。
「……一泊っで、旦那さとご泊まっだりすんのか」
「いやいや、しないよ」
ホームにアナウンスが流れ始める。
春鹿はスマホで時間を見た。
もうすぐ時間だ。立ち上がる。
「じゃ、行ってくるね。って、見送り付きで上京する人みたいで笑えるよ。まるで名残雪じゃん。東京に出勤するだけなんだけど」
晴嵐は笑わず、立ち上がらず、
「……あん時も、ここでおめを見送っだな」
「あの時って、高校卒業したときのこと言ってんの?」
十六年前。季節は違う、まだ寒い雪の残る春の日。
父や知り合いに見送られたのは改札口までで、晴嵐だけがホームまで送ってくれた。
「あん時の俺は馬鹿でアホでなーんも知らねで、あれきりおめさ会えねぐなるなんで微塵も思っでながった。東京行ぐってごとがどんなごどか、どれほど遠いが、俺は知らねがった。本当にアホだべ」
晴嵐はあの日確かに、春鹿に引かれる後ろ髪など一本もないかのように笑っていた。その日を境に離れ離れになる遠距離恋愛カップルの悲壮感はなかった。そもそも「別れよう」という言葉がなかった。「付き合おう」がなかったから当然だと思っていた。
晴嵐はどちらかといえば嬉しそうに、「楽しんで来いよ」と言い、春鹿はそれと同じには笑えなかったことをよく覚えている。
「春鹿があのままもう帰っでごねぐなるなんて、俺は想像もしてながった」
「……今日は帰ってくるよ。そりゃもう明日には早速」
突然のこの雰囲気に春鹿はどうしていいかわからず、おどけた口調で答えた。
のぼった朝日がホームの庇を超えて降り注ぐ。それを正面から受けて、晴嵐がすがめた目で春鹿を見上げる。
そのとき電車が入ってきて、巻きあがる風とともに日差しは遮られた。
「今回は間違えたぐねぇがら」
「え?」
「もうちょっと、送る」
晴嵐はそう言うと立ち上がり春鹿のスーツケースを持った。
Tシャツと短パンの格好で、同じ電車に乗った。
乗り継ぎ駅の『市内』まで行き、また折り返しの電車で帰っていった。
結局、春鹿は黙って晴嵐にまたついて歩く。
「ランさーん……」
千世が寝言のように呟き、晴嵐は背負いなおして体勢をなおす。
「ハルは強ぇな」
「え?」
「酒。全然酔わねのか?」
「そうだね、いつもいい気分くらいで酔いつぶれることはまずないな。特に今日は初対面だから、いつもより飲む量控えたし。晴嵐もウチで飲んでも全然酔わないよね。っていうか考えてみれば白銀の人ってみんなお酒強いよね? お土地柄?」
「吾郎さにしでも、マタギはザルが多いべ。千世と戸田は毎回ごんな感じ。ま、酒飲んで羽目外すぐらいかわいいもんだ。普段窮屈な思いさせでるがらな」
「……兄貴分は大変だ。いつもあんたが運転手なの?」
「いんや、カラオケに移動さしで朝まで寝だり、代行で帰るごともある。ま、今日はおめが来たしな、それこそこいづらとは初めてだし、ちゃんと俺が送り届げねどいけねだろと思ったはんで」
「そんなところで紳士ぶられても」
「おめが寝ぢまっだ時は前抱きしてやるがら」
そう言った晴嵐の声には笑いが混じっていた。
「前抱きってお姫様抱っこ? やめてね、恥ずかしいし! それに、そんなの、あんた腰やられるよ……! 私、千世ちゃんと違ってデカいし、重いし……。おんぶだってできないよ」
「昔、おめが捻挫した時、おぶってやったろ。軽がったべ」
「いつの話してんのよ。あの頃と今は違うの、体重が全然違う!」
駐車場には、つる子の軽自動車が停まっていた。
「やったぁ、ついたぁー」
いつの間にか、戸田がすぐ後ろまで追いついて来ていた。
後部座席に酔っ払い二人を押し込み、晴嵐の運転で白銀に帰る。
「あ、そうだ。私、明後日の月曜日からいないから。一泊で東京にご出勤。田町の始発で行くわ」
「月曜? 始発?」
「うん。出勤するの昼前になるけど、会社の許しは得た」
帰り道、それから特に話はせず、春鹿は眠りもせず、流れる深夜のAMラジオを聞いていた。
*
月曜日のまだ夜も明けきらぬ早朝、春鹿が玄関の引き戸を開けると、そこに軽トラを背に煙草を吸っている晴嵐がいた。
「……え、おはよ……。何、どうしたの?」
「送る」
「は? どこまで」
「田町までだけんど」
「いやいや、自分で行けるよ。車、駅に置いて行くから」
帰って来た時とは違う小ぶりのスーツケースを、めりめりと砂を噛ませて転がす。今までコンクリートでしか引いたことがないそれは、初めての土の上で、その走行には妙な安定感があった。
しかし、途中でひょいと取り上げられ、軽トラの荷台に乗せられる。
「送ってもらったら、また帰りのアシがなくて困るから。そもそもそのために車買ったんだけど」
「自分で勝手に買い物行ったりしてるべ」
「勝手に買い物って、勝手に行ってなんか悪い?」
「俺が連れでいぐって言ってんのに」
「あのね、それは運転できない人の場合でしょ。親切が行き過ぎてる。そこまで厚かましくないの」
「まあまあ。帰りも迎えにいっでやるがら」
春鹿はため息をついて、簡素な助手席に乗り込んだ。
言い合う労力が無駄だと判断した。
「明日、あんたも仕事でしょ?」
「帰りは夜だべ? 仕事さ終わっでるよ」
「場合によっちゃ東京でもう一泊ってことになるかもしれないの。そうなると帰るのが明後日の朝になって午前中は仕事でしょ。バスで帰らなきゃじゃん」
「平気平気。俺が無理なら母ちゃんに行ってもらう」
「それ、迷惑極まりない最悪の展開なんだけど。あ、ちょっと。タバコの臭いつくの嫌だからこれ以降は車内禁煙ね」
晴嵐がエンジンをかけ、春鹿を一瞥して言った。
「スーツか」
「馬子にも衣裳とかそういうのはいいから」
「いんやぁ、東京っで感じだべー」
「語彙力」
春鹿は窓を開けた。
早朝の空気は澄んでいる。
今日は十分にオフィスカジュアルだけれど、それでもここでは異質な服装だ。この土地にパンプスとストッキングの違和感はあまりある。
「昨日は?」
晴嵐がAMラジオをつけながら言う。
「んー? 昼まで寝て、それから家の用事したり。父ちゃんの今日の分のごはんとか」
「あいつらは夕方まで寝でたべ」
「若いねー。最近は寝たくてもそんなに寝られない」
晴嵐が大きなあくびをする。
「……あんたも無理しなくていいのに」
ほぼ徹夜明けの昨日、晴嵐はどこかの草刈りを手伝っていたらしい。「せいちゃん畑におったべ」と吾郎から聞いている。
もともと空いた道だが、それでも駅まで向かうのに三つ信号がある。そのどれもがまだ点滅信号で、ノンストップで走ってこられたせいか、いつもより早く着いた。
晴嵐が車を停めて、入場券を買う。
「いやいや、いいよ、そんな見送りなんて……てか、切符をお金で買ってる人久しぶりに見た」
「俺、ピッどするやづ持ってねがら」
電車の到着まではまだ時間があった。
誰もいないホームのベンチに座る。山の端の空が白く、もうすぐ陽が昇る。
晴嵐は自販機で缶コーヒーを買った。加糖のカフェオレだ。春鹿には甘くて飲む気もしないそれ。
「嬉しいが? 東京帰るの」
「……三週間ぶりかー。さあ、どうなんだろ。でも言われてみればそこまで楽しみでもないんだよね。こっちでも想像してたような東京中毒にはならなかったし。そこは晴嵐のおかげかも。ありがとね」
にこりとした春鹿に、晴嵐は何も言わなかった。
調子が狂う。
沈黙のついでに、帰って来てからの生活を振り返ってみた。
楽しくはないが退屈ではない。
毛嫌いしていた田舎で、それなりに暮らせている。
「……意外にも昔ほど田舎だなんだって思わないのよね。大人になったのか、年を取ったのか。年齢とともに多様な価値観が知らない間に身についてたんだろうね」
「よぐわがんねけど」
時刻が近づいてくると、ホームにちらほら人の姿が現れた。
「……一泊っで、旦那さとご泊まっだりすんのか」
「いやいや、しないよ」
ホームにアナウンスが流れ始める。
春鹿はスマホで時間を見た。
もうすぐ時間だ。立ち上がる。
「じゃ、行ってくるね。って、見送り付きで上京する人みたいで笑えるよ。まるで名残雪じゃん。東京に出勤するだけなんだけど」
晴嵐は笑わず、立ち上がらず、
「……あん時も、ここでおめを見送っだな」
「あの時って、高校卒業したときのこと言ってんの?」
十六年前。季節は違う、まだ寒い雪の残る春の日。
父や知り合いに見送られたのは改札口までで、晴嵐だけがホームまで送ってくれた。
「あん時の俺は馬鹿でアホでなーんも知らねで、あれきりおめさ会えねぐなるなんで微塵も思っでながった。東京行ぐってごとがどんなごどか、どれほど遠いが、俺は知らねがった。本当にアホだべ」
晴嵐はあの日確かに、春鹿に引かれる後ろ髪など一本もないかのように笑っていた。その日を境に離れ離れになる遠距離恋愛カップルの悲壮感はなかった。そもそも「別れよう」という言葉がなかった。「付き合おう」がなかったから当然だと思っていた。
晴嵐はどちらかといえば嬉しそうに、「楽しんで来いよ」と言い、春鹿はそれと同じには笑えなかったことをよく覚えている。
「春鹿があのままもう帰っでごねぐなるなんて、俺は想像もしてながった」
「……今日は帰ってくるよ。そりゃもう明日には早速」
突然のこの雰囲気に春鹿はどうしていいかわからず、おどけた口調で答えた。
のぼった朝日がホームの庇を超えて降り注ぐ。それを正面から受けて、晴嵐がすがめた目で春鹿を見上げる。
そのとき電車が入ってきて、巻きあがる風とともに日差しは遮られた。
「今回は間違えたぐねぇがら」
「え?」
「もうちょっと、送る」
晴嵐はそう言うと立ち上がり春鹿のスーツケースを持った。
Tシャツと短パンの格好で、同じ電車に乗った。
乗り継ぎ駅の『市内』まで行き、また折り返しの電車で帰っていった。
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