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第47話
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後ろ手に捕縛されたまま暴れすぎた霧島は左肩の関節まで外してしまっていた。武道に長けた霧島は京哉の手を借り何とか嵌め込んだが、痛みにまるで力が入らない。
満身創痍の上に再び究極のオモチャに身を堕とされてしまっただけでなく、今度は京哉という証人までいる状況だ。つまり『合意の上』という言い訳が利かない。そんな霧島と京哉を富樫が生かして手放すなどあり得なかった。
治療を終えて富樫は寝室から姿を消していた。今は二人共に手錠を外されている。だが取り付けられた外鍵で寝室の頑丈なドアは叩こうが蹴ろうが、びくともしない。
綺麗になったシーツの上で霧島は仰臥し枕元に京哉が腰掛けていた。
「京哉、大丈夫か?」
「僕なんかより忍さんの方が顔色、真っ白ですよ」
「そうか? 大したことはない、心配するな」
しかしあれだけのことを見せつけられて心配するなという方が無理な注文である。
気を失った後遺症か貧血か、京哉は鈍く痺れたようにふらつく頭を宥めながら立ち上がると部屋に付属した洗面所に向かい、積んであった清潔そうなタオルを濡らして絞った。
部屋に戻ると濡れタオルを霧島の額に載せる。体温計などないが霧島が過去にない高熱を出しているのは分かった。
ずたずたになった霧島の衣服は廃棄し今はバスローブを着せつけられている。その合わせから覗く切創は縫うほどではなさそうだったが赤く腫れて却って痛々しい。
気を利かせたつもりか霧島の新しい衣服がクローゼットの扉に掛かっていた。富樫が自らの手で掛けたそれはダークグレイのスーツと黒いドレスシャツ、タイは地模様のあるブラウンというチョイスで、霧島に似合いそうなのが京哉はまた悔しい。
そんなものを与えられた霧島はさておき、京哉をいつまで生かしておくつもりなのか。今晩中にでもクルーザーに乗せられ沖に沈める予定なのかも知れなかった。
三十分ほども互いに喋らず霧島も眠ってしまったのかと思って覗き込むと、真っ白な顔をした霧島は熱で少し赤い切れ長の目を見開いて宣言した。
「よし、まずは戦略的撤退だ」
起き上がって身を傾がせた霧島に京哉は手を貸して歩かせる。足も大怪我で本当は歩かせたくなかったが、このデッドエンドで京哉は意見する気力も失っていた。
どう考えても自力脱出は無理、着替え始めた霧島を茫洋と見つめるしかない。
それでも脱臼したばかりの左腕を袖に通す時は手伝ってやる。
「窓もドアも防弾ですよ、どうするんですか? 携帯もないし」
「勝機というのは準備をしている者に降ってくるものだぞ」
霧島にも具体案はないらしい。やはり県警組対が踏み込んでくるのを待つしかないようだ。果たして自分が消されるまでに間に合うのだろうかと京哉は肩を落とす。
一方で霧島はサイドボードやクローゼットの中を片端から検めてゆく。だがやはりメスの一本どころかハサミ一丁見つからなかった。
勢い景気づけにサイドボードに並んだ酒瓶から一番高そうな品を一本取り出すと栓を開けて直接呷った。そんな霧島を京哉はずっと哀しい想いを抱えて目で追う。今更貧血に悪いなどと文句も垂れない。
結果として霧島がかき集めたのは、万年筆一本と絨毯の下を這っていた旧い電話の配線が一本だった。いかにもシケていたが霧島は反撃する気も満々らしい。
「もう三時、富樫は何処に行ったんでしょうね?」
「さあな。他の部屋で寝ているのかも知れん」
「で、忍さんはいったい何をしているんですか?」
テーブルの上に椅子を置いて霧島はよじ登ろうとしている。だが左腕に力が入らず上手く登れないようだ。京哉がぼんやり天井を仰ぐと火災報知器のセンサがあった。
「やってみる価値はあるだろう?」
「僕が登ります。忍さんは椅子を支えていて下さい」
諦めない霧島に力を貰った京哉はテーブルに登った。更に椅子に乗ってオイルライターを出す。富樫も煙草を吸うので煙くらいでは感知しない筈、火を点けたライターを直接センサに近づけて炙った。
やがてライターが熱くなり、無駄だったかと思った途端に耳を聾する警報音が鳴り響き始める。高級な警報機はアナウンスまで始めた。
《二階で火災を感知しました。二階で火災を感知しました――》
椅子から床に飛び降りた京哉は霧島と頷き合う。
あとは変化を待つだけだ。
「もしこれで何も起こらなかったら本当に部屋に火を点けてやるのも手ですよね」
「火炙りの刑はご免だからな、最後の手段にしてくれ」
だが天は味方したようだ。外鍵の開く音がして手下が顔を出す。間髪入れず霧島はチンピラの首筋にキャップを外した万年筆のペン先を突きつけた。
しかしチンピラは霧島を見上げて笑う。敵意のないその男は霧島が咲夜をつれて脱出した際に案内役兼ドライバーを務めたチンピラだった。
「霧島兄貴! 急いで、こっちっスよ!」
意外にも二人を避難誘導しにきたのはこのチンピラ一人らしい。
「鳴海兄貴も早く早く、こっちにきて!」
どさくさに紛れて廊下を駆け抜けたチンピラは非常時にセオリー違反のエレベーターに乗り込んだ。訝しく思いながらも人目につきたくない二人はチンピラに従う。チンピラは更なるセオリー違反で最上階のボタンを押した。
降り立った四階はもうがらんとしていた。そんな中で大部屋のドアを開けたチンピラは中に飛び込んでゆく。二人も続いた。
大部屋ではずらりと並んだシングルベッド上にゲームのカードが散っていて、徹マンならぬ徹カード大会の最中だったのが窺える。そのカードの傍には霧島と京哉のホルスタに入った銃だけでなく携帯まで置かれていた。
「上から貰った銃をカードで賭けてたんスよ。あ、俺はトシユキっス。組長は腹の傷が痛んで病院に行ってるっスから今がチャンスっスよ」
「本当にいいのか、トシユキ。バレたら殺されるだけじゃ済まんぞ」
「俺、幹部の話を聞いて大体のこと知ったんス。そんで霧島兄貴の鳴海兄貴への愛に胸を打たれたっス。だからいいんスよ」
じつはトシユキも怖いのだろう、鼻の下を指で擦りながら笑った声は震えていた。
満身創痍の上に再び究極のオモチャに身を堕とされてしまっただけでなく、今度は京哉という証人までいる状況だ。つまり『合意の上』という言い訳が利かない。そんな霧島と京哉を富樫が生かして手放すなどあり得なかった。
治療を終えて富樫は寝室から姿を消していた。今は二人共に手錠を外されている。だが取り付けられた外鍵で寝室の頑丈なドアは叩こうが蹴ろうが、びくともしない。
綺麗になったシーツの上で霧島は仰臥し枕元に京哉が腰掛けていた。
「京哉、大丈夫か?」
「僕なんかより忍さんの方が顔色、真っ白ですよ」
「そうか? 大したことはない、心配するな」
しかしあれだけのことを見せつけられて心配するなという方が無理な注文である。
気を失った後遺症か貧血か、京哉は鈍く痺れたようにふらつく頭を宥めながら立ち上がると部屋に付属した洗面所に向かい、積んであった清潔そうなタオルを濡らして絞った。
部屋に戻ると濡れタオルを霧島の額に載せる。体温計などないが霧島が過去にない高熱を出しているのは分かった。
ずたずたになった霧島の衣服は廃棄し今はバスローブを着せつけられている。その合わせから覗く切創は縫うほどではなさそうだったが赤く腫れて却って痛々しい。
気を利かせたつもりか霧島の新しい衣服がクローゼットの扉に掛かっていた。富樫が自らの手で掛けたそれはダークグレイのスーツと黒いドレスシャツ、タイは地模様のあるブラウンというチョイスで、霧島に似合いそうなのが京哉はまた悔しい。
そんなものを与えられた霧島はさておき、京哉をいつまで生かしておくつもりなのか。今晩中にでもクルーザーに乗せられ沖に沈める予定なのかも知れなかった。
三十分ほども互いに喋らず霧島も眠ってしまったのかと思って覗き込むと、真っ白な顔をした霧島は熱で少し赤い切れ長の目を見開いて宣言した。
「よし、まずは戦略的撤退だ」
起き上がって身を傾がせた霧島に京哉は手を貸して歩かせる。足も大怪我で本当は歩かせたくなかったが、このデッドエンドで京哉は意見する気力も失っていた。
どう考えても自力脱出は無理、着替え始めた霧島を茫洋と見つめるしかない。
それでも脱臼したばかりの左腕を袖に通す時は手伝ってやる。
「窓もドアも防弾ですよ、どうするんですか? 携帯もないし」
「勝機というのは準備をしている者に降ってくるものだぞ」
霧島にも具体案はないらしい。やはり県警組対が踏み込んでくるのを待つしかないようだ。果たして自分が消されるまでに間に合うのだろうかと京哉は肩を落とす。
一方で霧島はサイドボードやクローゼットの中を片端から検めてゆく。だがやはりメスの一本どころかハサミ一丁見つからなかった。
勢い景気づけにサイドボードに並んだ酒瓶から一番高そうな品を一本取り出すと栓を開けて直接呷った。そんな霧島を京哉はずっと哀しい想いを抱えて目で追う。今更貧血に悪いなどと文句も垂れない。
結果として霧島がかき集めたのは、万年筆一本と絨毯の下を這っていた旧い電話の配線が一本だった。いかにもシケていたが霧島は反撃する気も満々らしい。
「もう三時、富樫は何処に行ったんでしょうね?」
「さあな。他の部屋で寝ているのかも知れん」
「で、忍さんはいったい何をしているんですか?」
テーブルの上に椅子を置いて霧島はよじ登ろうとしている。だが左腕に力が入らず上手く登れないようだ。京哉がぼんやり天井を仰ぐと火災報知器のセンサがあった。
「やってみる価値はあるだろう?」
「僕が登ります。忍さんは椅子を支えていて下さい」
諦めない霧島に力を貰った京哉はテーブルに登った。更に椅子に乗ってオイルライターを出す。富樫も煙草を吸うので煙くらいでは感知しない筈、火を点けたライターを直接センサに近づけて炙った。
やがてライターが熱くなり、無駄だったかと思った途端に耳を聾する警報音が鳴り響き始める。高級な警報機はアナウンスまで始めた。
《二階で火災を感知しました。二階で火災を感知しました――》
椅子から床に飛び降りた京哉は霧島と頷き合う。
あとは変化を待つだけだ。
「もしこれで何も起こらなかったら本当に部屋に火を点けてやるのも手ですよね」
「火炙りの刑はご免だからな、最後の手段にしてくれ」
だが天は味方したようだ。外鍵の開く音がして手下が顔を出す。間髪入れず霧島はチンピラの首筋にキャップを外した万年筆のペン先を突きつけた。
しかしチンピラは霧島を見上げて笑う。敵意のないその男は霧島が咲夜をつれて脱出した際に案内役兼ドライバーを務めたチンピラだった。
「霧島兄貴! 急いで、こっちっスよ!」
意外にも二人を避難誘導しにきたのはこのチンピラ一人らしい。
「鳴海兄貴も早く早く、こっちにきて!」
どさくさに紛れて廊下を駆け抜けたチンピラは非常時にセオリー違反のエレベーターに乗り込んだ。訝しく思いながらも人目につきたくない二人はチンピラに従う。チンピラは更なるセオリー違反で最上階のボタンを押した。
降り立った四階はもうがらんとしていた。そんな中で大部屋のドアを開けたチンピラは中に飛び込んでゆく。二人も続いた。
大部屋ではずらりと並んだシングルベッド上にゲームのカードが散っていて、徹マンならぬ徹カード大会の最中だったのが窺える。そのカードの傍には霧島と京哉のホルスタに入った銃だけでなく携帯まで置かれていた。
「上から貰った銃をカードで賭けてたんスよ。あ、俺はトシユキっス。組長は腹の傷が痛んで病院に行ってるっスから今がチャンスっスよ」
「本当にいいのか、トシユキ。バレたら殺されるだけじゃ済まんぞ」
「俺、幹部の話を聞いて大体のこと知ったんス。そんで霧島兄貴の鳴海兄貴への愛に胸を打たれたっス。だからいいんスよ」
じつはトシユキも怖いのだろう、鼻の下を指で擦りながら笑った声は震えていた。
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