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 お見合い当日、約束の時間に待ち合わせ場所のホテルのロビーに着くと、それらしき男性が既にいた。
 男性は繭子の姿を認めると爽やかな笑みを浮かべた。
 「坂井繭子さんですね。初めまして、広岡智久と申します。この度はお時間を頂きまして誠にありまがとうございます」
 「初めまして、坂井繭子と申します。こちらこそ本日はお忙しいところありがとうございます。よろしくお願いいたします」
 互いに挨拶をすると、予約済みのレストランに向かった。 
 
 ああ、確かにお母さんの言う通り、背が高くスラッとしていて整った顔立ちをしていて年齢よりも落ち着いて見える。社名を聞けば誰もが知っている一流商社のエリートで、話し方や身のこなしも洗練されている。私が着ている淡いピンクのシフォンのワンピースを、とてもよくお似合いですね、と褒めてくれ、女性の扱いにもそつがない。さぞかし社内の女性たちの熱い視線を一身に浴びていることだろうな…。
 話題も豊富で、こういう場に慣れていない繭子の緊張をほぐそうと楽しい話を色々としてくれた。そのおかげで徐々にリラックスし会話が弾み、食事も和やかに進んでいった。
 
 繭子は智久に好感を持った。だから尚更不思議で仕方がなかった。こんな人がどうしてわざわざ自分なんかと会う気になったのか。どうせ今日限りだし、思い切って聞いてしまおうと思った。
 
 食後のコーヒーの後、繭子は尋ねた。
 「あの…お聞きしてもよろしいですか。どうして私とお見合いしようと思ったのですか? 広岡さんのような方なら、他にいくらでも相応しい女性がいらっしゃるのに…」
 智久が僅かに動揺したように見えた。
 「それは…」
 「おそらく、どうしてもと頼まれて断り切れずに仕方がなくお会いしてくださったんですよね。でも、ご安心ください」
 「え?」
 「すみません、実は私もそうなんです。母に1度だけでいいからと頼まれまして今日お会いいたしましたが、最初からお断りするつもりでした。無駄なお時間を取らせてしまいまして本当に申し訳ございませんでした」
 繭子は頭を深々と下げて謝罪した。
 「坂井さん、頭を上げてください」
 そう言われて頭を上げると、智久の真剣な眼差しとぶつかった。それから何かを考え込むような表情で黙り込んでしまった。
 「広岡さん?」
 繭子が呼びかけると、智久が口を開いた。
 「正直にお話していただいてありがとうございます……あの、僕も聞いてもいいですか、どうして最初から断ろうと?」
 繭子は迷ったが、この際だから正直に話そうと決めた。
 「実は私…勤めていた会社で酷いパワハラを受けて辞めたんです。そのせいで適応障害を発症してしまいまして…」
 「えっ、パワハラを受けて適応障害を……。それはお気の毒に…大変お辛い経験をされたのですね……。今は大丈夫なんですか」
 智久は驚いた後、心配そうに繭子を気遣った。
 「ありがとうございます。今はだいぶ良くなってきました」
 「そうですか、それはよかった…」
 「そんな時、私の行きつけのお店があるんですけど、そこのマスターが私を気にかけてくれまして、苦しんでいる私の力になりたいと言ってくれ、私を励ましてくれたのです。その人のおかげで今は気持ちが前向きになれて、彼に元気な姿を見せて安心してもらえるように少しずつ頑張っているところです」
 「そんなことがあったのですね…。ズバリ聞きますが、坂井さんはそのマスターのことが好きなんですね」 
 智久に指摘されて少し赤くなって俯いたがすぐに顔を上げた。
 「……はい。でも、完全な片思いです。それに、彼に想いを伝えるつもりはありません」 
 「…? どうして?」
 「……その人の心の中にずっと愛している女性がいるからです。私なんかが入る隙はありません」
 「実際に彼がそう言ったのですか?」
 「いいえ…でも、分かったんです、彼からその人の話を聞いた時に。それに、彼は私のことをただの常連客の1人としか見ていないと思います。でも、それでもいいのです」
 繭子は智久をまっすぐ見つめた。
 「今は自分の気持ちはどうでもいいんです。詳しくは言えないのですが、実はマスターは私なんかよりももっと辛い経験をしています。それなのに、いつも明るくて優しくて温かくて…。毎日、美味しいお茶や料理でお客さん達に幸せなひと時を提供してくれます。本当は内に悲しみを抱えているに違いないのに……。だから、何ができるか分かりませんが、まずは彼に恩返しがしたい、今度は私が彼の力になりたいと思っています。いつか彼の悲しみが完全に癒えて再び彼に幸せが訪れるのを見届けるまで、それまでは私は誰とも結婚する気はありません」
 
 黙って繭子の話を聞いていた智久が、伝票を取りながら静かに立ち上がった。 
 「……坂井さん、場所を変えて話しませんか」

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