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第二部
17 ピアニスト
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またゴールデンウィークの慌ただしさが過ぎ去り、ペンションに少しゆっくりとした時間が流れた。
今日はペンションでピアノ演奏をしたいという希望者が現れたので、和夫と一緒に緋紗も面接することになった。
直樹が和奏を保育園から連れて帰ってくる予定で、二人も面接時間に居合わせそうだ。
「どんな人なんですか?」
「うーんとな。作業療法士で働いている人ではあるんだ。小夜子が慰問してたとこの施設の人みたいでなあ。何でここで弾きたいのかわからんな」
「そうなんですか。演奏場所を求めてるんですかね」
「まあ目的はなんでもいいけどピアノ次第だな。小夜子がなかなか厳しかったから決まらなかったけど、そこそこなら俺はいいかな」
「そうですねえ。BGM欲しいですしね」
「直樹にも負担掛け過ぎだしな」
「週一なら平気そうですけど、ちょっと足りませんよね」
二人で話し合っているとフロントに面接希望者がやってきたようだ。
「出てきます」
「こんにちは」
(ああ。男の人なんだ)
二十代前半位の長身でほっそりした繊細そうな男が立っている。
「あ、こんにちは。こちらへどうぞ」
緋紗は食堂の和夫が座るテーブルへ案内した。
「そこへどうぞ」
「あ、はい。沢田雅人です」
「えーっと。小夜子は知ってるんだっけか」
「はい。うちの施設に慰問してもらったときに僕も聴かせてもらってました」
「そうか。仕事帰りにここで弾くのってきつくない?」
「大丈夫です」
「しかしなんでここで弾きたいんだ?うちは助かるけどさ」
「僕はピアノが好きでずっと弾いてきたんですが才能がなくてですね。今の仕事ももちろんやりたくて就いた仕事だったんですが初めて小夜子さんのピアノを聴いたとき、やっぱりピアノが好きだと思ったんです。でもピアニストになりたいわけじゃなくって。なんだかもどかしくなって一回、小夜子さんに聞いたんです。『どうしたらそんなふうに弾けるんですか?』って。今思うと小夜子さんのことを知らずに恥ずかしい質問をしましたが。小夜子さんは『弾きたいように弾いてるだけだけど』と」
和夫と緋紗にはその光景が目に浮かぶようだった。
「それで僕も弾きたいように弾きたいと思ったんです。ここなら小夜子さんを感じられると思って」
雅人は小夜子に感銘を受け信奉しているらしい。話を聞いていると、ちょうど直樹と和奏が帰ってきた。
「ただいま」
「お、おかえり」
「こんにちは」
直樹はちらっと雅人を見た。
和奏も興味津々で見つめている。
「これからピアノ弾いてもらうか」
「はい」
雅人は緊張した面持ちで立ち上がった。
直樹と和奏も席に着き演奏を聴くことにした。
『木枯らしのエチュード』が流れ始める。
直樹がへーっという顔をした。
和奏も真剣に聴いている。
和夫と緋紗には今一つレベルがわからなかったが、直樹に言わせると相当上手いらしい。
「いいんじゃないの。こんなに弾ける人もそうそういないでしょ」
直樹が言うと和夫が「ふむ。直樹がそういうならいいかな」と、頷く。
そこへ和奏が口を挟んだ。
「でももうちょっとゆっくり弾いたほうがいいわよ」
雅人はびっくりして後ろを振り向いた。
「小夜子さんかと思いました」
「ママもそう言うと思うわ」
「和奏の言う通りだよ。あと基本、食事中のBGMだからそういう選曲でね」
直樹は笑いながら和奏の頭を撫でた。
「じゃあ。いつから来れるかな」
和夫の一言に雅人は「え、合格ってことですか?いつからでも来れます」と張り切って答えた。
直樹が「じゃもう俺引退ってことで」というと和奏が「えー。弾いてよー」と文句を言った。
「ああ。お客さんには弾かないってことで和奏には弾くから」
「よかったぁ」
和奏は安心したようだ。
「あの。大友さんのピアノ聴かせてもらえないでしょうか?」
雅人の言葉に和奏はまた口を挟んだ。
「弾いてあげてよ。しょぱんがいい」
(小夜子さんそっくりだな。信者も熱心そうだし)
直樹は苦笑して「はいはい。女王さま」と立ち上がりピアノのほうへ向かった。
もう少しすれば和奏と直樹は、かつての小夜子と直樹のような喧嘩仲間になるかもしれない、と思いながら和夫と緋紗は目を細めて二人のやり取りを見守った。
直樹がノクターン第二番を弾く。
甘く切ない調べが和夫に小夜子を思い出させていた。
緋紗もうっとりとして聴き入る。
和奏は強い目で直樹を見つめており雅人はため息交じりに鑑賞している。
演奏を終えると皆が大きな拍手をした。
「大げさだな」
和夫が神妙な表情をする。
「なんか上手くなったな。あんまり音楽のことよくわからないけど」
「どうですかね。でも前より弾くのが楽しいかな」
と直樹は言いながら緋紗に笑いかけた。
緋紗は初めてここで直樹のピアノを聴き、その時の少女のように焦がれる気持ちを思い出していた。
「さすが小夜子さんがほめるだけありますね。僕ももっと頑張ります」
「沢田さん、だっけ。俺なんかよりずっといい演奏ができますよ。じゃ緋紗帰ろう」
「ありがとな。緋紗ちゃんゆっくり休んでくれ」
「はい。また来週に。失礼します」
「またねー」
緋紗と直樹はペンションを後にして自宅に戻った。
今日はペンションでピアノ演奏をしたいという希望者が現れたので、和夫と一緒に緋紗も面接することになった。
直樹が和奏を保育園から連れて帰ってくる予定で、二人も面接時間に居合わせそうだ。
「どんな人なんですか?」
「うーんとな。作業療法士で働いている人ではあるんだ。小夜子が慰問してたとこの施設の人みたいでなあ。何でここで弾きたいのかわからんな」
「そうなんですか。演奏場所を求めてるんですかね」
「まあ目的はなんでもいいけどピアノ次第だな。小夜子がなかなか厳しかったから決まらなかったけど、そこそこなら俺はいいかな」
「そうですねえ。BGM欲しいですしね」
「直樹にも負担掛け過ぎだしな」
「週一なら平気そうですけど、ちょっと足りませんよね」
二人で話し合っているとフロントに面接希望者がやってきたようだ。
「出てきます」
「こんにちは」
(ああ。男の人なんだ)
二十代前半位の長身でほっそりした繊細そうな男が立っている。
「あ、こんにちは。こちらへどうぞ」
緋紗は食堂の和夫が座るテーブルへ案内した。
「そこへどうぞ」
「あ、はい。沢田雅人です」
「えーっと。小夜子は知ってるんだっけか」
「はい。うちの施設に慰問してもらったときに僕も聴かせてもらってました」
「そうか。仕事帰りにここで弾くのってきつくない?」
「大丈夫です」
「しかしなんでここで弾きたいんだ?うちは助かるけどさ」
「僕はピアノが好きでずっと弾いてきたんですが才能がなくてですね。今の仕事ももちろんやりたくて就いた仕事だったんですが初めて小夜子さんのピアノを聴いたとき、やっぱりピアノが好きだと思ったんです。でもピアニストになりたいわけじゃなくって。なんだかもどかしくなって一回、小夜子さんに聞いたんです。『どうしたらそんなふうに弾けるんですか?』って。今思うと小夜子さんのことを知らずに恥ずかしい質問をしましたが。小夜子さんは『弾きたいように弾いてるだけだけど』と」
和夫と緋紗にはその光景が目に浮かぶようだった。
「それで僕も弾きたいように弾きたいと思ったんです。ここなら小夜子さんを感じられると思って」
雅人は小夜子に感銘を受け信奉しているらしい。話を聞いていると、ちょうど直樹と和奏が帰ってきた。
「ただいま」
「お、おかえり」
「こんにちは」
直樹はちらっと雅人を見た。
和奏も興味津々で見つめている。
「これからピアノ弾いてもらうか」
「はい」
雅人は緊張した面持ちで立ち上がった。
直樹と和奏も席に着き演奏を聴くことにした。
『木枯らしのエチュード』が流れ始める。
直樹がへーっという顔をした。
和奏も真剣に聴いている。
和夫と緋紗には今一つレベルがわからなかったが、直樹に言わせると相当上手いらしい。
「いいんじゃないの。こんなに弾ける人もそうそういないでしょ」
直樹が言うと和夫が「ふむ。直樹がそういうならいいかな」と、頷く。
そこへ和奏が口を挟んだ。
「でももうちょっとゆっくり弾いたほうがいいわよ」
雅人はびっくりして後ろを振り向いた。
「小夜子さんかと思いました」
「ママもそう言うと思うわ」
「和奏の言う通りだよ。あと基本、食事中のBGMだからそういう選曲でね」
直樹は笑いながら和奏の頭を撫でた。
「じゃあ。いつから来れるかな」
和夫の一言に雅人は「え、合格ってことですか?いつからでも来れます」と張り切って答えた。
直樹が「じゃもう俺引退ってことで」というと和奏が「えー。弾いてよー」と文句を言った。
「ああ。お客さんには弾かないってことで和奏には弾くから」
「よかったぁ」
和奏は安心したようだ。
「あの。大友さんのピアノ聴かせてもらえないでしょうか?」
雅人の言葉に和奏はまた口を挟んだ。
「弾いてあげてよ。しょぱんがいい」
(小夜子さんそっくりだな。信者も熱心そうだし)
直樹は苦笑して「はいはい。女王さま」と立ち上がりピアノのほうへ向かった。
もう少しすれば和奏と直樹は、かつての小夜子と直樹のような喧嘩仲間になるかもしれない、と思いながら和夫と緋紗は目を細めて二人のやり取りを見守った。
直樹がノクターン第二番を弾く。
甘く切ない調べが和夫に小夜子を思い出させていた。
緋紗もうっとりとして聴き入る。
和奏は強い目で直樹を見つめており雅人はため息交じりに鑑賞している。
演奏を終えると皆が大きな拍手をした。
「大げさだな」
和夫が神妙な表情をする。
「なんか上手くなったな。あんまり音楽のことよくわからないけど」
「どうですかね。でも前より弾くのが楽しいかな」
と直樹は言いながら緋紗に笑いかけた。
緋紗は初めてここで直樹のピアノを聴き、その時の少女のように焦がれる気持ちを思い出していた。
「さすが小夜子さんがほめるだけありますね。僕ももっと頑張ります」
「沢田さん、だっけ。俺なんかよりずっといい演奏ができますよ。じゃ緋紗帰ろう」
「ありがとな。緋紗ちゃんゆっくり休んでくれ」
「はい。また来週に。失礼します」
「またねー」
緋紗と直樹はペンションを後にして自宅に戻った。
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