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91 帰国

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 西国から京湖に豪華な衣装が贈られてきた。京湖は今まで着ていた漢服を脱ぎ、鮮やかな桃色の衣装を身に着ける。生地は透けるほど薄いのに、金糸銀糸で刺繍がなされておりずっしりと重い。足枷を付けられるような思いで着替えた。鏡を見るとすっかり西国人だ。艶のある褐色の肌に、極彩色が良く映える。

 軍師である郭嘉益が、外交の役割を果たすべく朱京湖を連れ、門を抜ける。国境の外、すでに西国にはずらりと並んだ兵士と、象軍が待ち構えていた。ここで何かあれば、すかさず西国は攻め入る準備があるということだ。華夏国と西国間に外交上の問題は今まで起こっていない。大人しく朱京湖を引き渡すことで、確執は何も生まれず今まで通りの国交になるだろう。

 郭嘉益が良く通る声で、交換を願い出る。西国軍の将軍であろうか、煌びやかな鎧と槍を持ち、波打つ髪をたなびかせながら、二人の目の前にやってくる。
 将軍は跪き手を胸にやり、京湖に敬意を払う。

「ラージハニ様おかえりなさいませ」

 久しぶりに本当の名を呼ばれたが、京湖は嬉しくも懐かしくもなかった。

「二人は無事なのね」
「もちろんです。傷一つつけておりません。お会いになりますか?」
「いいえ。相手からもわたくしに気付かないように華夏国に返してちょうだい」
「かしこまりました。少し窮屈ですが箱に入っていただきます」
「そうして」

 星羅と会うのが辛すぎて、京湖は別れを告げることをせず西国に戻ることにした。

「いいのですか。お会いしなくて」

 郭嘉益は永遠の別れになるだろうと慮って尋ねる。京湖は笑んで首を振る。

「西国に戻るわたくしに会えば、星羅はどうなるかわかりません。辛いことを目の当たりにさせたくはないのです」

 慈愛に満ちた母である京湖の瞳は、黒曜石のように美しく潤み光っていた。普段から感情を抑えてきている、軍師の郭嘉益でさえ胸を打たれる。
 将軍の合図で大きな木箱が二つ運ばれてきた。

「この中です。今は薬で眠ってもらっています。それと目隠しと耳栓をしてますから」

 そっと覗くと、星羅と陸明樹が並んで横たわっている。明樹はやつれているが、星羅に異常は見られなかった。

「星羅……。婿殿、ごめんなさい」

 最後にそっと星羅の髪に触れた。しっとりと艶のある美しい髪を記憶に閉じ込めるように両手で包む。

「さあ、これでいいでしょう」

 将軍は郭嘉益に「これからも我が国と貴国が親しくありますように」と敬礼した。郭嘉益も拱手して頭を下げる。

「お元気で」
「星羅をよろしくお願いいたします」

 京湖は将軍に連れられ、砂塵の中、西国に帰っていった。それに続いて、兵士たちや象軍も引き上げていく。郭嘉益は、華夏国の兵士に星羅と明樹の入った箱を運ぶように命令し、華夏国に戻った。
 兵士たちもこの一連の人質の交換を見ていた。目を覚ました星羅がどんなに嘆き悲しむかと思うと同情せずにいられない。誰もが眠りから覚めないほうが良いだろうと思うくらいだった。


 目を覚ました星羅は、身体も頭も重くここがどこか分からず、目だけで周囲を見る。見慣れた建築様式と落ち着いた色合いにここが『美麻那』でないと気づく。

「ここは?」

 どこだろうと思っていると、部屋に入ってきた許仲典が声をあげる。

「起きただか!」
「仲典さん?」

 起き上がろうとする星羅を許仲典はそっと押し戻し「まだ寝てるだよ」と寝具を掛ける。

「みんなを呼んでくるだ」

 許仲典が部屋を出てから、すぐに数人部屋になだれ込んできた。陸慶明と妻の絹枝と朱彰浩と兄の京樹だった。

「とうさまに兄さま。お義父たち……。かあさまは?」

 一番いるであろう朱京湖がいない。

「何がどうなって? 夫は? 明兄さまはどこ?」

『美麻那』で監禁されている間、もう薬は必要にないと麻薬の使用は止められていたが、暴れられては困るということで、食事を拒む星羅に身体を弛緩させる香を焚かれていた。力が入らず、明樹を救って逃げ出すことも叶わず、星羅は時間だけが過ぎていくことを感じていた。

 どこからどう説明すればよいのか分からず、皆口をつぐんでいた。特に朱彰浩と京樹は、立っているだけで精一杯というやつれぶりだ。
 許仲典がもう一人部屋に連れてきた。郭蒼樹だった。最初にいた4人は静かに外に出て入れ替わる。

「星雷、無事でよかった」
「蒼樹、なにがどうなってるんだ」
「順を追って説明しよう」

 冷静な落ち着いた声で郭蒼樹は話始める。まず『美麻那』は現在、西国の王位についているバダサンプ王が華夏国に隣接している関所近くに立てた店だ。『美麻那』は一軒ではなく、華夏国を取り囲むように、やはり国境沿いの関所付近に何軒もある。そこにやってくる華夏国民から、西国人である朱京湖の情報を得るためだ。
 華夏国民で西国の料理に詳しいものや、慣れているものがいれば知り合いや身内に西国人がいるかどうか聞き出す。麻薬と自白剤で情報はいくらでも引き出せる。
 陸明樹は、妻の星羅の両親が西国人であり、さらにはその西国人がバダサンプが求めるラージハニその人だと知られてしまう。明樹は兵士であり、妻は軍師であるため、華夏国の飢饉状況も西国に筒抜けだった。砂の中で金の粒を探し出すように、バダサンプは20年以上かけて京湖を見つけ出したのだ。

「で、かあさまは?」
「お前たち夫婦と交換で西国に帰った」
「そんな!?」
「明樹殿は、医局長が解毒を始めている。命に別状はないからすぐ回復するだろう」
「かあさま……」

 一目も会えずに西国に帰った、いや奪われた京湖のことを思うと胸が張り裂けそうだ。

「かあさまを、取り返す」

 2人も母を奪った西国が憎くてしょうがない。起きだそうとする星羅を、郭蒼樹はなだめ力を籠め寝かしつける。

「だめだ。軍師として軽装な行動をとってはいけない。西国は京湖殿を引き渡さねば、象軍をけしかけるつもりだったのだぞ」
「そんな!」

 華夏国の北部ではもう飢饉で飢えている人が出ている。今の国難の状況で、西国から戦を仕掛けられたら国の存続が危うくなるかもしれない。

「父が言うには京湖殿は立派だったそうだ。一言も嫌だと言わずに帰国する決断をしたそうだ」
「かあさま、かあさま」

 自分を救うために、京湖は帰ったのだと星羅は泣くことしかできなかった。

「とにかく今は身体を厭え。泣いている暇も恋しがっている暇もない」
「ううっ……」
「京湖殿は生きているんだから」
「かあさま……」

 放心状態で泣き明かしている星羅をみて、郭蒼樹は抱きしめたい衝動が湧いたが、ぐっと抑えて外に出た。郭蒼樹は星羅と一緒にこの国難を乗り越えなければと軍師としての決意を固めていた。
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