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紹介状を持って星羅は王立図書館に向かった。場所はやはり軍師省と同じ金虎台にある。図書館に入ったことはあるが、張秘書監の管理する禁帯出資料の場所には許可が下りていないので入ったことはない。そこには高祖の兵法書をはじめとする大事な初版と外国から入ってきた書物が保管されている。
図書館は案外人が多くいて、整頓したり、書き写したりと忙しそうだ。
「張秘書監にお目にかかりたいのですが」
星羅は近くの職員に紹介状を見せながら尋ねる。
「おまちください」
見習いだろうか。同じような年頃の若い女が星羅をちらっと見て頬を染め、奥に入っていった。しばらく待っていると音を立てずに小走りで帰ってきた職員は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「ありがとう」
職員はこっそり「あの、軍師さまですか?」と尋ねてきた。
「まだ見習いですが」
「すごいですね」
女は尊敬のまなざしを向ける。大きな活躍がないとはいえ、軍師省に入るということは頭脳明晰ということなのだ。もう少し話したそうだったが、目的の場所についてしまったようで「ではこれで」と残念そうに去っていった。
「失礼します」
声を掛けてはいるとふっくらとした赤ら顔の張秘書監が「うむ。ここへ参れ」と椅子を勧める。腰掛けた星羅を張秘書監はじっと見つめる。
「名は?」
「朱星雷と申します」
「母上によく似ておるの……」
「え? 母をご存じですか?」
「ああ、よく知っておる」
張秘書監は懐かしむような様子を見せる。
「軍師省からじゃなくて、医局長の陸殿から紹介状が来たから何かと思えば。彼は確か晶鈴殿と親しかったな」
しばらく張秘書監から昔話を聞いた。陸慶明とはまた違う胡晶鈴の話は、星羅にとって新鮮でありがたいものだった。
「晶鈴どのは欲のないお人でなあ。今のわしがこうして安穏としてられるのも晶鈴殿のおかげじゃろう」
慶明にも張秘書監にも好かれていたのだと思うと、星羅は自分の母が誇らしい気持ちになる。
「あ、そうじゃそうじゃ、思い出話はこれくらいにしてと、ほらここに浪漫国の資料がある」
棚を見ると何層もの動物のなめされた皮があった。
「これが書物ですか?」
「ああ、浪漫国では羊皮紙といってなこれは山羊の皮を使っておる。これもなかなか便利でな。軽いし遜色がなく、かなり耐久性が高い」
「へえー」
机の上に何枚か広げた羊皮紙を眺める。
「変な形がいっぱい書かれてますね」
「ふふふっ。それがその国の文字なのだ」
「これが文字ですかあ」
「我が国の漢字よりも、覚えると簡単で使いやすいのだよ」
「あの、これが読めるのですか?」
「まあ一応な」
張秘書監は語学に堪能で、浪漫国のラテン語を読み書きすることができた。
「ただ話せないのだ。音がわからないのでなあ。だから手間がかかるが筆談になるの」
「いえ、それだけでも十分です。全く伝わらないよりも」
「で、これがわしが作った中浪辞典じゃ。まさか使われる日が来るとおもわなかったが」
はははっと張秘書監はふっくらした腹をさすって笑った。星羅はそっと中浪辞典に触れる。巻物ではなく蛇腹に紙が交互に折り重ねられていた。
「これは持ちだしても構わん。ただ一冊しかないので丁重に扱ってもらいたい」
「わかりました。書き写したらお返しします」
「それと、これは晶鈴殿にも渡したものだが」
折りたたまれた紙を広げると華夏国と西国、浪漫国と他の諸国などが描かれていた。
「地図は見たことがあるかね?」
「華夏国と周辺までしかありません」
「ほらご覧。華夏国は大きいが、世界はもっと広いのだ。浪漫国はこの砂漠を越えたここにある」
「こんなところに……」
改めて地図を見ると、浪漫国はとても遠く過酷な旅になることが分かった。
「晶鈴殿のことじゃ。元気でちゃんとやっておろう」
慰めのような、それでいてそうだと思わせるような話しぶりを、誰もがする。母の胡晶鈴はきっと誰からも絶望を感じさせることのない人なのだと思う。悲観的にならないようにと、いつもいない母から励まされるような気がした。
いつでも来て良いと言われ星羅は図書館を後にした。地理と言葉を身に着け、軍師見習いから助手になることが今、星羅の目指すところだった。
張秘書監は空色の衣の星羅を、立派な孝行息子だと思い眺めていた。
「しかし彼は陸殿の息子ではないのだなあ」
父親が誰なのか張秘書監は知らない。都を出る理由になった、占術の能力を失った原因がそもそも妊娠であったことも知らないのだ。
突然、現れた朱星雷を見れば、胡晶鈴の面影がありありとみえ、彼女を知るものは誰もが晶鈴の子と思うだろう。
ただ父親の面影がまるで見えない。男装をしているので、父親から受け継いだ美しい漆黒の髪はすっかり隠されている。おかげで、各省のトップたちは、王太子、曹隆明によく会っているにもかかわらず、星羅の父親であるとわかるものは誰もいなかった。
図書館は案外人が多くいて、整頓したり、書き写したりと忙しそうだ。
「張秘書監にお目にかかりたいのですが」
星羅は近くの職員に紹介状を見せながら尋ねる。
「おまちください」
見習いだろうか。同じような年頃の若い女が星羅をちらっと見て頬を染め、奥に入っていった。しばらく待っていると音を立てずに小走りで帰ってきた職員は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「ありがとう」
職員はこっそり「あの、軍師さまですか?」と尋ねてきた。
「まだ見習いですが」
「すごいですね」
女は尊敬のまなざしを向ける。大きな活躍がないとはいえ、軍師省に入るということは頭脳明晰ということなのだ。もう少し話したそうだったが、目的の場所についてしまったようで「ではこれで」と残念そうに去っていった。
「失礼します」
声を掛けてはいるとふっくらとした赤ら顔の張秘書監が「うむ。ここへ参れ」と椅子を勧める。腰掛けた星羅を張秘書監はじっと見つめる。
「名は?」
「朱星雷と申します」
「母上によく似ておるの……」
「え? 母をご存じですか?」
「ああ、よく知っておる」
張秘書監は懐かしむような様子を見せる。
「軍師省からじゃなくて、医局長の陸殿から紹介状が来たから何かと思えば。彼は確か晶鈴殿と親しかったな」
しばらく張秘書監から昔話を聞いた。陸慶明とはまた違う胡晶鈴の話は、星羅にとって新鮮でありがたいものだった。
「晶鈴どのは欲のないお人でなあ。今のわしがこうして安穏としてられるのも晶鈴殿のおかげじゃろう」
慶明にも張秘書監にも好かれていたのだと思うと、星羅は自分の母が誇らしい気持ちになる。
「あ、そうじゃそうじゃ、思い出話はこれくらいにしてと、ほらここに浪漫国の資料がある」
棚を見ると何層もの動物のなめされた皮があった。
「これが書物ですか?」
「ああ、浪漫国では羊皮紙といってなこれは山羊の皮を使っておる。これもなかなか便利でな。軽いし遜色がなく、かなり耐久性が高い」
「へえー」
机の上に何枚か広げた羊皮紙を眺める。
「変な形がいっぱい書かれてますね」
「ふふふっ。それがその国の文字なのだ」
「これが文字ですかあ」
「我が国の漢字よりも、覚えると簡単で使いやすいのだよ」
「あの、これが読めるのですか?」
「まあ一応な」
張秘書監は語学に堪能で、浪漫国のラテン語を読み書きすることができた。
「ただ話せないのだ。音がわからないのでなあ。だから手間がかかるが筆談になるの」
「いえ、それだけでも十分です。全く伝わらないよりも」
「で、これがわしが作った中浪辞典じゃ。まさか使われる日が来るとおもわなかったが」
はははっと張秘書監はふっくらした腹をさすって笑った。星羅はそっと中浪辞典に触れる。巻物ではなく蛇腹に紙が交互に折り重ねられていた。
「これは持ちだしても構わん。ただ一冊しかないので丁重に扱ってもらいたい」
「わかりました。書き写したらお返しします」
「それと、これは晶鈴殿にも渡したものだが」
折りたたまれた紙を広げると華夏国と西国、浪漫国と他の諸国などが描かれていた。
「地図は見たことがあるかね?」
「華夏国と周辺までしかありません」
「ほらご覧。華夏国は大きいが、世界はもっと広いのだ。浪漫国はこの砂漠を越えたここにある」
「こんなところに……」
改めて地図を見ると、浪漫国はとても遠く過酷な旅になることが分かった。
「晶鈴殿のことじゃ。元気でちゃんとやっておろう」
慰めのような、それでいてそうだと思わせるような話しぶりを、誰もがする。母の胡晶鈴はきっと誰からも絶望を感じさせることのない人なのだと思う。悲観的にならないようにと、いつもいない母から励まされるような気がした。
いつでも来て良いと言われ星羅は図書館を後にした。地理と言葉を身に着け、軍師見習いから助手になることが今、星羅の目指すところだった。
張秘書監は空色の衣の星羅を、立派な孝行息子だと思い眺めていた。
「しかし彼は陸殿の息子ではないのだなあ」
父親が誰なのか張秘書監は知らない。都を出る理由になった、占術の能力を失った原因がそもそも妊娠であったことも知らないのだ。
突然、現れた朱星雷を見れば、胡晶鈴の面影がありありとみえ、彼女を知るものは誰もが晶鈴の子と思うだろう。
ただ父親の面影がまるで見えない。男装をしているので、父親から受け継いだ美しい漆黒の髪はすっかり隠されている。おかげで、各省のトップたちは、王太子、曹隆明によく会っているにもかかわらず、星羅の父親であるとわかるものは誰もいなかった。
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