60 / 127
60 面影
しおりを挟む
紹介状を持って星羅は王立図書館に向かった。場所はやはり軍師省と同じ金虎台にある。図書館に入ったことはあるが、張秘書監の管理する禁帯出資料の場所には許可が下りていないので入ったことはない。そこには高祖の兵法書をはじめとする大事な初版と外国から入ってきた書物が保管されている。
図書館は案外人が多くいて、整頓したり、書き写したりと忙しそうだ。
「張秘書監にお目にかかりたいのですが」
星羅は近くの職員に紹介状を見せながら尋ねる。
「おまちください」
見習いだろうか。同じような年頃の若い女が星羅をちらっと見て頬を染め、奥に入っていった。しばらく待っていると音を立てずに小走りで帰ってきた職員は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「ありがとう」
職員はこっそり「あの、軍師さまですか?」と尋ねてきた。
「まだ見習いですが」
「すごいですね」
女は尊敬のまなざしを向ける。大きな活躍がないとはいえ、軍師省に入るということは頭脳明晰ということなのだ。もう少し話したそうだったが、目的の場所についてしまったようで「ではこれで」と残念そうに去っていった。
「失礼します」
声を掛けてはいるとふっくらとした赤ら顔の張秘書監が「うむ。ここへ参れ」と椅子を勧める。腰掛けた星羅を張秘書監はじっと見つめる。
「名は?」
「朱星雷と申します」
「母上によく似ておるの……」
「え? 母をご存じですか?」
「ああ、よく知っておる」
張秘書監は懐かしむような様子を見せる。
「軍師省からじゃなくて、医局長の陸殿から紹介状が来たから何かと思えば。彼は確か晶鈴殿と親しかったな」
しばらく張秘書監から昔話を聞いた。陸慶明とはまた違う胡晶鈴の話は、星羅にとって新鮮でありがたいものだった。
「晶鈴どのは欲のないお人でなあ。今のわしがこうして安穏としてられるのも晶鈴殿のおかげじゃろう」
慶明にも張秘書監にも好かれていたのだと思うと、星羅は自分の母が誇らしい気持ちになる。
「あ、そうじゃそうじゃ、思い出話はこれくらいにしてと、ほらここに浪漫国の資料がある」
棚を見ると何層もの動物のなめされた皮があった。
「これが書物ですか?」
「ああ、浪漫国では羊皮紙といってなこれは山羊の皮を使っておる。これもなかなか便利でな。軽いし遜色がなく、かなり耐久性が高い」
「へえー」
机の上に何枚か広げた羊皮紙を眺める。
「変な形がいっぱい書かれてますね」
「ふふふっ。それがその国の文字なのだ」
「これが文字ですかあ」
「我が国の漢字よりも、覚えると簡単で使いやすいのだよ」
「あの、これが読めるのですか?」
「まあ一応な」
張秘書監は語学に堪能で、浪漫国のラテン語を読み書きすることができた。
「ただ話せないのだ。音がわからないのでなあ。だから手間がかかるが筆談になるの」
「いえ、それだけでも十分です。全く伝わらないよりも」
「で、これがわしが作った中浪辞典じゃ。まさか使われる日が来るとおもわなかったが」
はははっと張秘書監はふっくらした腹をさすって笑った。星羅はそっと中浪辞典に触れる。巻物ではなく蛇腹に紙が交互に折り重ねられていた。
「これは持ちだしても構わん。ただ一冊しかないので丁重に扱ってもらいたい」
「わかりました。書き写したらお返しします」
「それと、これは晶鈴殿にも渡したものだが」
折りたたまれた紙を広げると華夏国と西国、浪漫国と他の諸国などが描かれていた。
「地図は見たことがあるかね?」
「華夏国と周辺までしかありません」
「ほらご覧。華夏国は大きいが、世界はもっと広いのだ。浪漫国はこの砂漠を越えたここにある」
「こんなところに……」
改めて地図を見ると、浪漫国はとても遠く過酷な旅になることが分かった。
「晶鈴殿のことじゃ。元気でちゃんとやっておろう」
慰めのような、それでいてそうだと思わせるような話しぶりを、誰もがする。母の胡晶鈴はきっと誰からも絶望を感じさせることのない人なのだと思う。悲観的にならないようにと、いつもいない母から励まされるような気がした。
いつでも来て良いと言われ星羅は図書館を後にした。地理と言葉を身に着け、軍師見習いから助手になることが今、星羅の目指すところだった。
張秘書監は空色の衣の星羅を、立派な孝行息子だと思い眺めていた。
「しかし彼は陸殿の息子ではないのだなあ」
父親が誰なのか張秘書監は知らない。都を出る理由になった、占術の能力を失った原因がそもそも妊娠であったことも知らないのだ。
突然、現れた朱星雷を見れば、胡晶鈴の面影がありありとみえ、彼女を知るものは誰もが晶鈴の子と思うだろう。
ただ父親の面影がまるで見えない。男装をしているので、父親から受け継いだ美しい漆黒の髪はすっかり隠されている。おかげで、各省のトップたちは、王太子、曹隆明によく会っているにもかかわらず、星羅の父親であるとわかるものは誰もいなかった。
図書館は案外人が多くいて、整頓したり、書き写したりと忙しそうだ。
「張秘書監にお目にかかりたいのですが」
星羅は近くの職員に紹介状を見せながら尋ねる。
「おまちください」
見習いだろうか。同じような年頃の若い女が星羅をちらっと見て頬を染め、奥に入っていった。しばらく待っていると音を立てずに小走りで帰ってきた職員は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「ありがとう」
職員はこっそり「あの、軍師さまですか?」と尋ねてきた。
「まだ見習いですが」
「すごいですね」
女は尊敬のまなざしを向ける。大きな活躍がないとはいえ、軍師省に入るということは頭脳明晰ということなのだ。もう少し話したそうだったが、目的の場所についてしまったようで「ではこれで」と残念そうに去っていった。
「失礼します」
声を掛けてはいるとふっくらとした赤ら顔の張秘書監が「うむ。ここへ参れ」と椅子を勧める。腰掛けた星羅を張秘書監はじっと見つめる。
「名は?」
「朱星雷と申します」
「母上によく似ておるの……」
「え? 母をご存じですか?」
「ああ、よく知っておる」
張秘書監は懐かしむような様子を見せる。
「軍師省からじゃなくて、医局長の陸殿から紹介状が来たから何かと思えば。彼は確か晶鈴殿と親しかったな」
しばらく張秘書監から昔話を聞いた。陸慶明とはまた違う胡晶鈴の話は、星羅にとって新鮮でありがたいものだった。
「晶鈴どのは欲のないお人でなあ。今のわしがこうして安穏としてられるのも晶鈴殿のおかげじゃろう」
慶明にも張秘書監にも好かれていたのだと思うと、星羅は自分の母が誇らしい気持ちになる。
「あ、そうじゃそうじゃ、思い出話はこれくらいにしてと、ほらここに浪漫国の資料がある」
棚を見ると何層もの動物のなめされた皮があった。
「これが書物ですか?」
「ああ、浪漫国では羊皮紙といってなこれは山羊の皮を使っておる。これもなかなか便利でな。軽いし遜色がなく、かなり耐久性が高い」
「へえー」
机の上に何枚か広げた羊皮紙を眺める。
「変な形がいっぱい書かれてますね」
「ふふふっ。それがその国の文字なのだ」
「これが文字ですかあ」
「我が国の漢字よりも、覚えると簡単で使いやすいのだよ」
「あの、これが読めるのですか?」
「まあ一応な」
張秘書監は語学に堪能で、浪漫国のラテン語を読み書きすることができた。
「ただ話せないのだ。音がわからないのでなあ。だから手間がかかるが筆談になるの」
「いえ、それだけでも十分です。全く伝わらないよりも」
「で、これがわしが作った中浪辞典じゃ。まさか使われる日が来るとおもわなかったが」
はははっと張秘書監はふっくらした腹をさすって笑った。星羅はそっと中浪辞典に触れる。巻物ではなく蛇腹に紙が交互に折り重ねられていた。
「これは持ちだしても構わん。ただ一冊しかないので丁重に扱ってもらいたい」
「わかりました。書き写したらお返しします」
「それと、これは晶鈴殿にも渡したものだが」
折りたたまれた紙を広げると華夏国と西国、浪漫国と他の諸国などが描かれていた。
「地図は見たことがあるかね?」
「華夏国と周辺までしかありません」
「ほらご覧。華夏国は大きいが、世界はもっと広いのだ。浪漫国はこの砂漠を越えたここにある」
「こんなところに……」
改めて地図を見ると、浪漫国はとても遠く過酷な旅になることが分かった。
「晶鈴殿のことじゃ。元気でちゃんとやっておろう」
慰めのような、それでいてそうだと思わせるような話しぶりを、誰もがする。母の胡晶鈴はきっと誰からも絶望を感じさせることのない人なのだと思う。悲観的にならないようにと、いつもいない母から励まされるような気がした。
いつでも来て良いと言われ星羅は図書館を後にした。地理と言葉を身に着け、軍師見習いから助手になることが今、星羅の目指すところだった。
張秘書監は空色の衣の星羅を、立派な孝行息子だと思い眺めていた。
「しかし彼は陸殿の息子ではないのだなあ」
父親が誰なのか張秘書監は知らない。都を出る理由になった、占術の能力を失った原因がそもそも妊娠であったことも知らないのだ。
突然、現れた朱星雷を見れば、胡晶鈴の面影がありありとみえ、彼女を知るものは誰もが晶鈴の子と思うだろう。
ただ父親の面影がまるで見えない。男装をしているので、父親から受け継いだ美しい漆黒の髪はすっかり隠されている。おかげで、各省のトップたちは、王太子、曹隆明によく会っているにもかかわらず、星羅の父親であるとわかるものは誰もいなかった。
0
お気に入りに追加
95
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる