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第四章 避暑地の別荘
四
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***
しばらくしてから父母に勧められて、桜子は高志と二人きりでボートに乗ることになった。
オールを手にした高志は、ぐいぐいと力強く漕いでゆく。
湖面に水流が起こり、小さな魚の群れが驚いて逃げてゆくのが見える。
ボートはあっという間に湖の中央に到達した。
そこまで来ると、高志はオールから手を離し、桜子に話しかけてきた。
「始終、浮かぬ顔だな。そんなに嫌か、俺と夫婦になるのが」
「……いいえ、そんなことは」
嫌だと正直に答えたところで、どうなるものでもない。
それをわかっているのに、あえて聞いてくるのだ、高志という人は。
高志は口角を上げ、皮肉めいた笑みを唇にたたえると、じっと桜子に目を据えた。
心の奥まで見透かされそうで、桜子は思わず目をそらす。
すると、高志は長い腕を伸ばし、桜子の顎を掴むと自分のほうに向けた。
「おやめください」
彼女は首を振って、彼の手から逃れた。
「まあいい」
そう一言漏らすと、高志はオールを握り、岸に向けてボートを操りはじめた。
高志は無言だ。
桜子は少しでも早く彼と離れたい。
そればかりを願っていた。
岸につくと先に高志が下り、舟をもやい杭に縛りつけ、それから桜子に向かって手を伸ばした。
「ほら、足元に気をつけろ。揺れるぞ」
それを拒むのはさすがに礼を失すると思い、彼の手を握って立ち上がった。
だが桟橋に足がついた瞬間、強い力で引っ張られ、高志の胸に引き込まれていた。
「おやめください。お戯れがすぎます」
桜子は高志の腕から逃れようと、必死で身体をよじった。
「やはりつれないな。俺は未来の夫だというのに」
高志は背に回していた腕をほどき、今度は彼女の肩を掴み正面から見据えた。
「お前、惚れた男がいるのだろう」
射るような眼差しでそう問われる。
桜子は恐ろしさに身が縮む思いがしたけれど、目はそらさなかった。
「いいえ、そんな者おりません。ねえ、離して」
「ではなぜ、俺をそんなに拒絶する」
言ってどうなるものでもないことは分かっている。
でも、桜子は言わずにいられなかった。
高志の何もかもが嫌だった。
見下すような眼差しも、高圧的な物言いも。
「貴方が……大嫌いだからですわ」
しばらくしてから父母に勧められて、桜子は高志と二人きりでボートに乗ることになった。
オールを手にした高志は、ぐいぐいと力強く漕いでゆく。
湖面に水流が起こり、小さな魚の群れが驚いて逃げてゆくのが見える。
ボートはあっという間に湖の中央に到達した。
そこまで来ると、高志はオールから手を離し、桜子に話しかけてきた。
「始終、浮かぬ顔だな。そんなに嫌か、俺と夫婦になるのが」
「……いいえ、そんなことは」
嫌だと正直に答えたところで、どうなるものでもない。
それをわかっているのに、あえて聞いてくるのだ、高志という人は。
高志は口角を上げ、皮肉めいた笑みを唇にたたえると、じっと桜子に目を据えた。
心の奥まで見透かされそうで、桜子は思わず目をそらす。
すると、高志は長い腕を伸ばし、桜子の顎を掴むと自分のほうに向けた。
「おやめください」
彼女は首を振って、彼の手から逃れた。
「まあいい」
そう一言漏らすと、高志はオールを握り、岸に向けてボートを操りはじめた。
高志は無言だ。
桜子は少しでも早く彼と離れたい。
そればかりを願っていた。
岸につくと先に高志が下り、舟をもやい杭に縛りつけ、それから桜子に向かって手を伸ばした。
「ほら、足元に気をつけろ。揺れるぞ」
それを拒むのはさすがに礼を失すると思い、彼の手を握って立ち上がった。
だが桟橋に足がついた瞬間、強い力で引っ張られ、高志の胸に引き込まれていた。
「おやめください。お戯れがすぎます」
桜子は高志の腕から逃れようと、必死で身体をよじった。
「やはりつれないな。俺は未来の夫だというのに」
高志は背に回していた腕をほどき、今度は彼女の肩を掴み正面から見据えた。
「お前、惚れた男がいるのだろう」
射るような眼差しでそう問われる。
桜子は恐ろしさに身が縮む思いがしたけれど、目はそらさなかった。
「いいえ、そんな者おりません。ねえ、離して」
「ではなぜ、俺をそんなに拒絶する」
言ってどうなるものでもないことは分かっている。
でも、桜子は言わずにいられなかった。
高志の何もかもが嫌だった。
見下すような眼差しも、高圧的な物言いも。
「貴方が……大嫌いだからですわ」
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