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大聖堂は倒壊し、神の寵愛は、
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大聖堂は王宮の西側に位置し、古くから主神ヴァースを祀る荘厳な建物だ。
王族の祭祀や結婚式を執り行う歴史ある建物は、石造りとはいえ、そう簡単に倒壊するような代物では無いはずだった。
伝令兵の言葉に、広間は先ほどとは異なる不安を乗せたざわめきで包まれた。
「鎮まれ。……伝令よ、そちらに怪我人は出ておるのか?」
国王が立ち上がり一喝と共に伝令兵に問うた。
「い、いえ! 倒壊に巻き込まれた者は居りません!……しかし、建物は跡形もなく崩れ──」
「よい。怪我人や死人が居らぬなら、委細は明日、日が登ってからで構わぬ。大方先ほどの地震が原因であろう。あれも古い建物だ……」
国王の言葉に、貴族達も頷き、空気を染めていた不安の色は薄まった。
「今宵の夜会は披露目の場だ。本題に移れ」
先ほどの地震も、婚約破棄も、公爵令嬢の断罪も、今しがたの伝令兵の報告も、全て些事とでも言わんばかりに告げると、国王は再び玉座に腰を下ろした。
広間の空気が落ち着くのを見計らって、それまで国王の傍らで静かに控えていた宰相が歩みでる。
「本日は我が国の吉事の披露も兼ねた夜会、予期せぬ地震にも拘わらず死人も怪我人も出ていないのは、もはや吉兆とも言えるでしょうな」
水を差した出来事を払拭するかのように、宰相はにこやかに語り出す。
地震はともかく、未来の王妃になるはずだった公爵令嬢の断罪劇などまるで無かったかのような、妙に明るい声が響く。
「まずは本日の吉事の証人として、主神ヴァースを信仰する大教会よりお招きしております、神の代弁者として名高い司教、ユージーン・クロヌス猊下をご紹介いたします」
名を呼ばれて、賓客席に座っていた司教服の男が立ち上がる。
司教の位を賜るには随分と若い、20代半ばの怜悧な美貌を持つ長身の男だった。
貴婦人や令嬢から見惚れるような溜息が零れた。
だが、当のユージーンはどこか訝しむような、僅かに険しい顔をして国王夫妻と宰相の前へと進む。
「ユージーン・クロヌス、召喚に応じ馳せ参じました」
感情の籠らない無機質な声で挨拶をすると、ユージーン・クロヌスは宰相のそばに歩み出てきた若い男女をちらりと一瞥した。
王太子レオンと、彼にエスコートされながらも、どこか緊張した面持ちの笑みを浮かべ可憐な少女が立っている。
一瞬、迷うような、どこか釈然としないような顔をした後で、ユージーンはゴルド国王へと向き直る。
「教皇聖下より神の代弁者という二つ名を賜っており、皆様も既にご承知置きかと思われますが、私は神のご意識を聴く耳と、その技を見る眼を授かっております」
ゴルド国王は無言で頷いた。
今目の前に立つ男の噂と功績は、ヴァースを主神として信仰する数多の国では知らぬ者など居ない。
そんな彼を招いたのも、息子であり王太子たるレオンが正妃に迎えようとする少女の価値を、正式に大教会から承認を得た磐石なものにするためだ。
「……恐れながら、ゴルド国王陛下。私めは斯様な力を持つが故に、教皇聖下より、偽りを禁じる術を掛けられております」
唐突に、ユージーンは両腕の袖を捲りあげ、そこに顕れる戒めの術式陣を国王と、それから王妃、宰相、王太子へと晒して見せた。
彼は神の声を聴き技を見る現在無二の存在ゆえに、真偽を証明する手段が無い。それを偽りを禁じる──端的にいえば一切の嘘を口に出来なくなる事で信に足る保証を補っている。それは彼の名と共に周知の事でもあった。
ゴルド国王も宰相も、それをこれから述べる言葉が全て真実である事を示すパフォーマンスだと捉え、頷いてみせた。
ユージーンは一度ゆっくりと息を吐き、それから王太子の隣に佇む少女へと視線を投げた。
「──神の愛子がこの国に御座す、その事実を大教会の名のもとに認める、それが私に賜った依頼でしたが……」
表情を消すと国王へと面を向ける。
「今、この場に、神の寵愛を受ける者は居りません」
ユージーンが発した言葉に、皆一様に眼を見開き、沈黙が降りる。その後、幾人もが息を飲む音が微かに広間の空気を揺らした。
「クロヌス猊下、な、何を仰るのです……! 昼間に顔を合わせた際は確かに──」
始めに沈黙を破ったのは宰相だった。どこか甲高い声が動揺と困惑を顕にしている。
渦中の少女は、大きな瞳をさらに丸く見開いて、困惑したように国王と王太子に視線をさ迷わせ震えていた。
王太子レオンは傍らで少女の肩を抱き、物言いたげにユージーンを睨み付けている。
ユージーンは溜息のように深く息を吐いた。
「仰せの通り、先んじて昼間に顔を合わせた際は、確かに、そこに立つ少女──リリア・ウィルハート嬢、でしたか、彼女に主神の寵愛の兆しを、この目で確かに拝見しました」
「ならば、何故……!」
焦りの色を濃くする宰相の声に、ユージーンは首を振って答えた。
「先ほど申し上げた通り、私は偽りを口にする事が出来ません。過去に見えていたものであれ、今現在見えないものを偽る事は出来ません」
動揺を顔に出すことなく黙していた国王がそれに問うた。
「司教よ、不敬を承知で尋ねるが、先の大聖堂の倒壊により、神気が乱れ、お主の目や耳に一時の障りを齎している可能性はあるか?」
落ち着いた口振りに、ユージーンは是と答えた。
「……それは否定できません。長く信仰の集まる場が倒壊したのですから」
「ならば、日を改めねばなるまい。予期せぬ天災が齎したものだ、この場で是非を問うたところで答えは出まい」
国王の言葉により、その日の夜会は中断される事となった。
王族の祭祀や結婚式を執り行う歴史ある建物は、石造りとはいえ、そう簡単に倒壊するような代物では無いはずだった。
伝令兵の言葉に、広間は先ほどとは異なる不安を乗せたざわめきで包まれた。
「鎮まれ。……伝令よ、そちらに怪我人は出ておるのか?」
国王が立ち上がり一喝と共に伝令兵に問うた。
「い、いえ! 倒壊に巻き込まれた者は居りません!……しかし、建物は跡形もなく崩れ──」
「よい。怪我人や死人が居らぬなら、委細は明日、日が登ってからで構わぬ。大方先ほどの地震が原因であろう。あれも古い建物だ……」
国王の言葉に、貴族達も頷き、空気を染めていた不安の色は薄まった。
「今宵の夜会は披露目の場だ。本題に移れ」
先ほどの地震も、婚約破棄も、公爵令嬢の断罪も、今しがたの伝令兵の報告も、全て些事とでも言わんばかりに告げると、国王は再び玉座に腰を下ろした。
広間の空気が落ち着くのを見計らって、それまで国王の傍らで静かに控えていた宰相が歩みでる。
「本日は我が国の吉事の披露も兼ねた夜会、予期せぬ地震にも拘わらず死人も怪我人も出ていないのは、もはや吉兆とも言えるでしょうな」
水を差した出来事を払拭するかのように、宰相はにこやかに語り出す。
地震はともかく、未来の王妃になるはずだった公爵令嬢の断罪劇などまるで無かったかのような、妙に明るい声が響く。
「まずは本日の吉事の証人として、主神ヴァースを信仰する大教会よりお招きしております、神の代弁者として名高い司教、ユージーン・クロヌス猊下をご紹介いたします」
名を呼ばれて、賓客席に座っていた司教服の男が立ち上がる。
司教の位を賜るには随分と若い、20代半ばの怜悧な美貌を持つ長身の男だった。
貴婦人や令嬢から見惚れるような溜息が零れた。
だが、当のユージーンはどこか訝しむような、僅かに険しい顔をして国王夫妻と宰相の前へと進む。
「ユージーン・クロヌス、召喚に応じ馳せ参じました」
感情の籠らない無機質な声で挨拶をすると、ユージーン・クロヌスは宰相のそばに歩み出てきた若い男女をちらりと一瞥した。
王太子レオンと、彼にエスコートされながらも、どこか緊張した面持ちの笑みを浮かべ可憐な少女が立っている。
一瞬、迷うような、どこか釈然としないような顔をした後で、ユージーンはゴルド国王へと向き直る。
「教皇聖下より神の代弁者という二つ名を賜っており、皆様も既にご承知置きかと思われますが、私は神のご意識を聴く耳と、その技を見る眼を授かっております」
ゴルド国王は無言で頷いた。
今目の前に立つ男の噂と功績は、ヴァースを主神として信仰する数多の国では知らぬ者など居ない。
そんな彼を招いたのも、息子であり王太子たるレオンが正妃に迎えようとする少女の価値を、正式に大教会から承認を得た磐石なものにするためだ。
「……恐れながら、ゴルド国王陛下。私めは斯様な力を持つが故に、教皇聖下より、偽りを禁じる術を掛けられております」
唐突に、ユージーンは両腕の袖を捲りあげ、そこに顕れる戒めの術式陣を国王と、それから王妃、宰相、王太子へと晒して見せた。
彼は神の声を聴き技を見る現在無二の存在ゆえに、真偽を証明する手段が無い。それを偽りを禁じる──端的にいえば一切の嘘を口に出来なくなる事で信に足る保証を補っている。それは彼の名と共に周知の事でもあった。
ゴルド国王も宰相も、それをこれから述べる言葉が全て真実である事を示すパフォーマンスだと捉え、頷いてみせた。
ユージーンは一度ゆっくりと息を吐き、それから王太子の隣に佇む少女へと視線を投げた。
「──神の愛子がこの国に御座す、その事実を大教会の名のもとに認める、それが私に賜った依頼でしたが……」
表情を消すと国王へと面を向ける。
「今、この場に、神の寵愛を受ける者は居りません」
ユージーンが発した言葉に、皆一様に眼を見開き、沈黙が降りる。その後、幾人もが息を飲む音が微かに広間の空気を揺らした。
「クロヌス猊下、な、何を仰るのです……! 昼間に顔を合わせた際は確かに──」
始めに沈黙を破ったのは宰相だった。どこか甲高い声が動揺と困惑を顕にしている。
渦中の少女は、大きな瞳をさらに丸く見開いて、困惑したように国王と王太子に視線をさ迷わせ震えていた。
王太子レオンは傍らで少女の肩を抱き、物言いたげにユージーンを睨み付けている。
ユージーンは溜息のように深く息を吐いた。
「仰せの通り、先んじて昼間に顔を合わせた際は、確かに、そこに立つ少女──リリア・ウィルハート嬢、でしたか、彼女に主神の寵愛の兆しを、この目で確かに拝見しました」
「ならば、何故……!」
焦りの色を濃くする宰相の声に、ユージーンは首を振って答えた。
「先ほど申し上げた通り、私は偽りを口にする事が出来ません。過去に見えていたものであれ、今現在見えないものを偽る事は出来ません」
動揺を顔に出すことなく黙していた国王がそれに問うた。
「司教よ、不敬を承知で尋ねるが、先の大聖堂の倒壊により、神気が乱れ、お主の目や耳に一時の障りを齎している可能性はあるか?」
落ち着いた口振りに、ユージーンは是と答えた。
「……それは否定できません。長く信仰の集まる場が倒壊したのですから」
「ならば、日を改めねばなるまい。予期せぬ天災が齎したものだ、この場で是非を問うたところで答えは出まい」
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