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婚約を破棄した瞬間に地震が起きました
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その日、この国の貴族が一堂に会する王宮広間での夜会は、始まりからどこか剣呑とした空気にざわめいていた。
王太子の婚約者であるはずの公爵令嬢が、エスコートも無く一人で会場に足を踏み入れた時、囁く声の織り成すざわめきは一際大きくなった。
誰もが眉をひそめ、見て見ぬふりをしながらも、内心では同じ事を考えた。
彼女が、神の愛子と呼ばれる少女を酷く害していた事は、もはや社交界で知らぬ者などいない。
ついに今日、その罪は詳らかにされ、その処罰が下されるのだろう。並み居る貴族達は皆それをどこか冷めた表情で静観していた。
最後に入場した王太子は、傍らに可憐な少女をエスコートしていた。
清楚な意匠ながらも静謐な美しさを讃えるドレスに身を包む少女は、昨年平民から伯爵家に養子に迎えられた、神の愛子、聖なる乙女だ。
王太子が本来の婚約者ではなく、その少女を連れている事に異を唱える者は居ない。二人の仲も、少女の価値も、その場の多くの者達が既に認めるものだった。
不貞と諌める声をすら押し留め、むしろその仲を認め後押しするような状況に拍車を掛けてしまったのは、公爵令嬢のあまりに度をすぎた行いが原因だった。
公爵令嬢の身内である公爵夫妻すら、忌々しいと言わんばかりに、一人佇む彼らの娘を睨み付けている。
王族席の設けられた壇上に座る国王夫妻でさえ、息子の行動を諌めるでもなく黙認していた。
それが全ての答えだ。
ただ一人、賓客の席に招かれた司教の男だけが、その空気に首を傾げた。
王太子が少女を連れてホールの中央に進むと、貴族達は静かに道をあけぽっかりと開けた空間が出来上がる。
その先に立つのは、青白い顔色ながら何かを堪えるように唇を引き結び、王太子を真っ直ぐに見据える公爵令嬢だ。
集まる貴族達は皆息を潜め、広間には静寂が降りていた。
「アリシア・フィルハーリス、君の犯した罪はあまりに醜い。今日この場をもって私レオン・ウル・ゴルドとアリシア・フィルハーリスの婚約破棄を宣言する──」
王太子の声が高らかに響いた直後に、異変は起こった。
カタカタとテーブルに並べられていたグラスが揺れ始めたかと思えば、突如地響きのような音と共に地面が大きく震えた。
「な、なんだ!?地震か!?」
「おい、気をつけろ、頭を守れ!」
突然の立っていられない程の揺れに、先程までの静寂とは一変して広間にはあちらこちらで悲鳴があがり、動揺した貴族達の焦りの声が埋めつくした。
揺れはものの数分で収まったが、貴婦人達は床にへたり込み、それを守るように男性達もまたしゃがみこんで不安げに辺りを見回している。
やがて再び広間に静寂が降りると、傍らの少女を守るようにしてかがみ込んでいた王太子は、立ち上がり周囲を見渡した。
そばに居た近衛兵に目配せして状況を確認するが、大きな怪我人の居る様子は無い。
「案ずるな、ただの地震だ」
声を張り上げそう告げれば、広間の貴族達も漸く安堵の息を吐き立ち上がり始める。
しかし、仕切り直しとばかりに前を向いた時、王太子レオン・ウル・ゴルドはその端正な顔を苦く歪めた。
ぽっかりと空いた空間に、未だ膝をつき青ざめた顔をしているのは、先程婚約破棄を告げた相手であるアリシア・フィルハーリス。
彼女の白い頬には、天井のシャンデリアから落ちたガラス細工でも当たったのか、赤く血のにじむ切り傷が走っていた。
守る者も、手を差し伸べる者もなく、ひとり床に座り込む姿に、妙に胸がざわめいた。今ここに来て急に罪悪感のような居心地の悪い感情が湧き上がっている自身に、微かに動揺もしていた。
しかし傍らに立つ少女が不安げに服の裾を握ったことで、本来の目的に立ち返り息を整える。
立ち上がる事を促す事も無く、用意していた言葉を口にした。
「……本来なら国母となる身でありながら、君がここに居るリリア・ウィルハートに行った非道の数々は、既に露見している。国王陛下も、君の父君である公爵閣下もこの件は承知している。アリシア・フィルハーリス、君はこの後ラーヴェ修道院に送られる。罪を悔い改めよ」
「お、お待ち、ください、殿下……!」
未だ床にへたり込んだまま、アリシアは震える声で口を開いたが、レオンはそれに耳を傾ける事無く、近衛兵にアリシアを連れ出すよう指示を出した。
貴族達の蔑むような視線がアリシアに集中している。
ラーヴェ修道院は国境の外、如何なる国にも属さない土地にあり、教皇の管轄下だ。
王太子レオンの告げた処罰は、事実上の国外追放に等しかった。
震える声でレオンに呼び掛けるアリシアを、近衛兵達が強引に広間の外へと連行して行く。
近衛兵が広間の大扉を開けた時、入れ替わるように伝令兵が酷く取り乱した様子で駆け込んで来た。
「ご報告いたします! 先ほど、西の大聖堂が倒壊いたしました!」
王太子の婚約者であるはずの公爵令嬢が、エスコートも無く一人で会場に足を踏み入れた時、囁く声の織り成すざわめきは一際大きくなった。
誰もが眉をひそめ、見て見ぬふりをしながらも、内心では同じ事を考えた。
彼女が、神の愛子と呼ばれる少女を酷く害していた事は、もはや社交界で知らぬ者などいない。
ついに今日、その罪は詳らかにされ、その処罰が下されるのだろう。並み居る貴族達は皆それをどこか冷めた表情で静観していた。
最後に入場した王太子は、傍らに可憐な少女をエスコートしていた。
清楚な意匠ながらも静謐な美しさを讃えるドレスに身を包む少女は、昨年平民から伯爵家に養子に迎えられた、神の愛子、聖なる乙女だ。
王太子が本来の婚約者ではなく、その少女を連れている事に異を唱える者は居ない。二人の仲も、少女の価値も、その場の多くの者達が既に認めるものだった。
不貞と諌める声をすら押し留め、むしろその仲を認め後押しするような状況に拍車を掛けてしまったのは、公爵令嬢のあまりに度をすぎた行いが原因だった。
公爵令嬢の身内である公爵夫妻すら、忌々しいと言わんばかりに、一人佇む彼らの娘を睨み付けている。
王族席の設けられた壇上に座る国王夫妻でさえ、息子の行動を諌めるでもなく黙認していた。
それが全ての答えだ。
ただ一人、賓客の席に招かれた司教の男だけが、その空気に首を傾げた。
王太子が少女を連れてホールの中央に進むと、貴族達は静かに道をあけぽっかりと開けた空間が出来上がる。
その先に立つのは、青白い顔色ながら何かを堪えるように唇を引き結び、王太子を真っ直ぐに見据える公爵令嬢だ。
集まる貴族達は皆息を潜め、広間には静寂が降りていた。
「アリシア・フィルハーリス、君の犯した罪はあまりに醜い。今日この場をもって私レオン・ウル・ゴルドとアリシア・フィルハーリスの婚約破棄を宣言する──」
王太子の声が高らかに響いた直後に、異変は起こった。
カタカタとテーブルに並べられていたグラスが揺れ始めたかと思えば、突如地響きのような音と共に地面が大きく震えた。
「な、なんだ!?地震か!?」
「おい、気をつけろ、頭を守れ!」
突然の立っていられない程の揺れに、先程までの静寂とは一変して広間にはあちらこちらで悲鳴があがり、動揺した貴族達の焦りの声が埋めつくした。
揺れはものの数分で収まったが、貴婦人達は床にへたり込み、それを守るように男性達もまたしゃがみこんで不安げに辺りを見回している。
やがて再び広間に静寂が降りると、傍らの少女を守るようにしてかがみ込んでいた王太子は、立ち上がり周囲を見渡した。
そばに居た近衛兵に目配せして状況を確認するが、大きな怪我人の居る様子は無い。
「案ずるな、ただの地震だ」
声を張り上げそう告げれば、広間の貴族達も漸く安堵の息を吐き立ち上がり始める。
しかし、仕切り直しとばかりに前を向いた時、王太子レオン・ウル・ゴルドはその端正な顔を苦く歪めた。
ぽっかりと空いた空間に、未だ膝をつき青ざめた顔をしているのは、先程婚約破棄を告げた相手であるアリシア・フィルハーリス。
彼女の白い頬には、天井のシャンデリアから落ちたガラス細工でも当たったのか、赤く血のにじむ切り傷が走っていた。
守る者も、手を差し伸べる者もなく、ひとり床に座り込む姿に、妙に胸がざわめいた。今ここに来て急に罪悪感のような居心地の悪い感情が湧き上がっている自身に、微かに動揺もしていた。
しかし傍らに立つ少女が不安げに服の裾を握ったことで、本来の目的に立ち返り息を整える。
立ち上がる事を促す事も無く、用意していた言葉を口にした。
「……本来なら国母となる身でありながら、君がここに居るリリア・ウィルハートに行った非道の数々は、既に露見している。国王陛下も、君の父君である公爵閣下もこの件は承知している。アリシア・フィルハーリス、君はこの後ラーヴェ修道院に送られる。罪を悔い改めよ」
「お、お待ち、ください、殿下……!」
未だ床にへたり込んだまま、アリシアは震える声で口を開いたが、レオンはそれに耳を傾ける事無く、近衛兵にアリシアを連れ出すよう指示を出した。
貴族達の蔑むような視線がアリシアに集中している。
ラーヴェ修道院は国境の外、如何なる国にも属さない土地にあり、教皇の管轄下だ。
王太子レオンの告げた処罰は、事実上の国外追放に等しかった。
震える声でレオンに呼び掛けるアリシアを、近衛兵達が強引に広間の外へと連行して行く。
近衛兵が広間の大扉を開けた時、入れ替わるように伝令兵が酷く取り乱した様子で駆け込んで来た。
「ご報告いたします! 先ほど、西の大聖堂が倒壊いたしました!」
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