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忘れられない男(ひと)

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弟が退院した週の土曜日。
サヤカは ダブルデートを計画した。

 「ミチルっ、この前の飲み会の失態は  今度のデートで 挽回してよっ」

 厳しく命令された。サヤカには口が裂けても…弟の主治医の餌食となり果て 身も心も絡め捕られているとは 言えない。
感の鋭い彼女の事、私の情緒が不安定なのは、恋愛絡みだと 感ずいているハズ。
 
(けど…)
 
まさか、 妻子ある中年とセフレ関係とは 思いもよらないはず。
決してこの事は誰にも知られてはいけない。
黒崎先生の ‘汚点’を公に出来ない。

先生は 難病で苦しむ人を一人でも多く助けるために必要な人…
あの性格と性癖が 、あの人の出世の妨げにならない事も 私の望み。
悔しいけど ‘手切れ金’とともに 私の体を通りすぎていかれちゃった。
体だけなら…何とか修復も可能なのに心を掴んで持っていっちゃった…これから先、先生以上の男を見つけないかぎり先生の名前が出る度に、私はせつなく 苦しまないといけない…。


サヤカの計画は、エッチ絡みの…一泊旅行。
山中湖畔に香川君の祖父母が所有している別荘があるとかで、そこで週末を過ごそうとの計画。

香川君の父親は外交官で、今は南米の大使館勤務だという。
香川クンも幼い頃は、世界数か国で暮らしていた。
同時多発テロ以降香川君だけ日本の祖父母に預けられたという。
K大学付属中学に編入してから、母方の祖父母宅で暮らしていたが…今は大学の寮住まいだとか…寮とは…良家のお坊ちゃまにしては、変わってる…。彼の母方の祖父は、今も現役の開業医で香川君が医師を志した時は手放しで喜んだそうだ。
一人娘の香川君のお母さん。
医学部時代当時の外交官試験(現在は国家公務員総合職試験)に挑戦している貧乏学生だったお父さんと駆け落ちしたらしい。

跡取り娘が医大も退学し、先のわからない男と駆け落ちした事で、一時は絶縁状態だった。
お父さんは試験に合格し晴れて外交官として大使館勤務が決まると 世間体は保たれたと、結婚を許して貰えたらしい。


香川クンは赴任地で生まれたそうだ。
香川クンが医師になるまで祖父母は惜しみない援助を続けている。
香川クンの生い立ちを…サヤカは私の転校話と重ね、似ている からお互いの気持ちがわかりあえると…熱弁をふるう。


そして、私をエッチ絡みの一泊旅行に誘った。


 相手は世界をまたに賭ける恋の結晶だが、うちはやさぐれた父親の転勤に付き合わされている間にできた娘…しかも日本国内ローカル線…似て非なるは 明らか。

堺クンの車で湖畔の別荘まで四人でドライブする。

(君達…別荘だの高級国産車だの究極のお坊ちゃまなんだ)

親のナナヒカリ、親も馬鹿なら…子はもっとバカ
かもしれない。香川君を初めてまじかで観察する。
私の記憶の香川君たしかもっとひ弱な…イメージ
人間の記憶ほど曖昧なものは無い。
目の前の香川君は私の記憶の中の人とはまるで別人だった。

顔は小さく涼しげな目元。長身ながら、体躯はしっかりしている。
眉目秀麗な人っているもんだ。

(なかなか凛々しいじゃん、口元が…)

唇が赤みを帯びて綺麗な素肌映える。引き締まった口角が凛々しく感じる。ジロジロ見られている事に気がついた香川君が私に向かい小首を傾げる。


「あのぉ、この前は多分…数々の失礼と迷惑をかけたはずで…ごめんなさい」    ―まず謝った。

「ああ―はい」 

   (爽やかすぎだよ その笑顔)

「気にしないで、結構楽しませてもらったし…」

香川君は平然とそんなきわどい事を話す。

  (私、何したんだろ、気になる!)

「あのぅ~楽しませたってぇ…私、何かやらかしましたかねぇ」

 (不安が募る―)


   「覚えてないですか?」

 香川君と目が合う。恥ずかしいから目をそらしてごまかすのが精一杯だった。

  「そっかぁ 君ぃ覚えてないんだぁ…」

いたずらっぽく微笑む香川君、何気に意地が悪い。
上品なお家柄のお坊ちゃまらしくない。

(危険な事を口走ったかも…)
  心の声が忠告する

「何 ―をやらかしたのか、すごく不安です、知りたいで…す」

お願い口調で精一杯伝えてみた。

「何も…していませんよ 安心してっ―あぁ ただぁ…」

香川君は顔を私の方に向け 私の瞳の中に隠れている真実を探りだす。

「たっ、ただ、なっ、何ですかっ 勿体振らずに教えて下さい…」

焦る私に 香川君の口角がニッと上がる。そして、運転席と助手席でいちゃつく前の二人に聞こえないように私の耳元に寄ってきた。

  (ヤバッ …嫌な予感   きっと 先生の事だ。)

「僕の 事を ‘くろさき’と呼び 君に抱きしめられました―」

ぐわゎゎゎ~ん!!!私は頭を抱え悶絶する。
   (やってしまった…)

前の二人は手を重ね指を絡ませ 後部席の二人のやり取りには気がついていない。


 「心配しないで 誰にも言ってないから…だから、別荘に着いたら‘くろさき’が誰なのか教えて欲しいな 」


(くぅ~なんだぁ‼︎ 爽やかにぃ 私を脅迫してるじゃん!香川君 それ やってはいけないことなんですけどぉ…)


教えられる訳ない。不倫になってしまうかもしれない年配のセフレだとは 。

相手は、エロ准教授
  



都内から2時間ほどのドライブ…の間、私は景色を眺める余裕もなく全く楽しむ事ができなかった。香川君に先生の事は言うわけには かない。
(昔 こっぴどく フラれた 相手としようか…いや 駄目… )

サヤカは黒崎先生が弟の主治医だって知っているはず。 もし香川君が話したら …ぞっとする。
あれこれと私の頭は対策を巡らしては消去を繰り返していた。
景色を楽しむどころでは、無かった。

(来なけりゃ 良かった…)


湖畔の別荘では サヤカと堺クンがやりたい放題の独壇場と化していた。
私と香川君はお互いの家族の事や 大学の事、果ては すきな作家 スポーツなど 嗜好にいたるまで語り尽くした。
幸い 黒崎先生の事は、香川君の口から一切出なかった。
弟の病気にしても 病名を告げると、難病中の難病であることはすぐにわかったのか、それ以上聞かれなかった。

(優しくて、思いやりある人…きっと、いいお医者さんになると思うよ、香川君は…)


山中湖周辺の白樺の森…サヤカ達は別荘から出て来ないので、私と香川君はいっときお互いに日常の喧騒からのがれられた。 森を散策し、自然を満喫する。並んで歩く隣が先生であれば…
香川君には失礼な妄想が私の頭の中を独占する。
私達はそれぞれに満足した週末を過ごした。


日曜日の夕方、帰りの車中で

 「おいっ またアメリカがヤバいみたい!」

堺クンがカーナビのモニターをテレビ画面に切り替え、音量を上げる。アメリカ籍の旅客機が墜落した…
どうやらテロの可能性が高いとのテロップが流れ数分後には、臨時ニュースに切り替わった。

   ホワイトハウス前から 特派員の報告…


墜落した飛行機には 乗員乗客あわせて350人ほどが搭乗していたらしい。乗客乗員の全員が死亡…との情報が テロップで流れる…

 「サービスエリアに入るよ…」
運転している香川君が言う。

堺君は助手席でより詳しく報道しているチャンネルがないかリモコンで画面を変える。

 「何処で墜落したの?」」
サヤカが聞く。

 「カリフォルニア沖らしい」



サービスエリアで軽く夕食を摂りながら、スマホでテロの特番を四人でみるって…三人は、スマホだけど私はガラケーのまま。

「綾野さん、 僕ので一緒に見よう」

(香川君…優しいじやん)

香川君のスマホに顔を近づける。

 「ねえ、知り合いだれもアメリカ行ってないよね?」
サヤカが聞く。

 「俺んとこは 無いと思う―しかし、日本人乗客も居そうだな、この人数だと…」

堺君は香川君をチラ見する。

 「香川君、お父さん達大丈夫?」
私が 小声聞くと、

  「大丈夫だよ たださ…これから 帰国の人達は 墜落の原因がわかるまで 帰ってこれないよ」

香川君が考え込む。


 (どうしたの?香川君… 険しい表情)

 「 9.11の時も 海外滞在中の人の帰国が大幅に遅れてさ…大混乱だったんだ」
    

     9.11
     アメリカ同時多発テロ事件


香川君は話しを続けた。


「12年前、僕はナイロビで家族と住んでいたんだ…父の任期が終わるので、一足先に母と帰国の飛行機の中でテロが起こって…
アブダビで中継するはずだったんだけど 、急遽 インドのムンバイへ変更になって、そのままインドで一週間足止め…」


当時13才の香川君にとっては衝撃的な映像だったそうだ。
香川君だけじゃない、私だって貿易センタービルの倒壊はまるでパニック映画を見てるみたいだった。
親が大使館員だから帰国まではそれほど苦労はなかったそうだ。
この事件がきっかけで香川君は社会貢献できる仕事に就きたいと考えるようになった―と 、熱く私達に話してくれる。

 (熱い 男!だったんだね…香川君は、素敵ね…)

香川君にしても、先生にしても…父だって、目的を持って脇目もふらずに行動する男の人に、どうしても惹かれる…

大学も昨日の飛行機墜落事故の影響が出はじめた。
大学職員も出張先から帰国できず 、国内線も離着陸便に影響が出てきているらしい。
香川君の予想どおり中東方面オセアニア方面は全便が運行停止とニュースが報じている。現地で足止め状態の日本人も相当数いるらしい。

休講が 相次いでいる。
なかには事故に巻き込まれた可能性のある 大学関係者もいると、
 まことしやかな噂まで出始め、何処に行っても その話題でもちきりだった。私の受ける講義も 全て休講。


講義の休講が相次ぎ、キャンパス内の学生もまばらになっている。

(大変な事になってきた…)

黒崎先生達学会参加者も先週からヨーロッパ。

   (帰国できたかな?)


事故に関係する方面では無いけれど…気にかかる。
もう関係ないと思いながら、 なにか あるたびに 意識が先生に向かう。ザワザワと心が騒がしく息ぐるしい。

管理棟学生課へ…

中は、問い合わせの電話が鳴り止まず応対に右往左往
する職員。教務課はもっとひどい。
ホールの大型モニターで報道特番を見入る教職員や学生 
皆が成り行きを見守るしかない。

理学部の教員が墜落した飛行機に乗り合わせたかもしれないとか
学生の家族が亡くなったとか 、まことしやかに噂が耳に入ってくる。

      (死んだって … )
 私の血の気が引いていく…


同じ大学に通う学生の家族の訃報は、母が亡くなった時の記憶を蘇らせる。頭の中で 画像が 映し出される。吐き気をもよおし私はその場に倒れ込んだ。

「ちょっとっ、大丈夫? 」

職員が私を抱え上げ医務室まで連れて行ってくれる。
 
「先生っすみません」
職員が声をかけ中に入ると 、

「あらっ 綾野さん!」
その声に聞き覚えが…

「先生っ…」
あの時の女医さん。


「あなたぁ また貧血でしょっ   たくぅ」
女医さんは職員に 
「すみません そこに座らせて下さいますか」
職員は私を寝台に座らせ、

「笠原先生 彼女…知り合いなんですか?」

その男性職員に
「ええ まあぁ 知らなくもないけどぉ…親しくはないわ」

と、言いながら職員に退室を促し、向き直ると 私の側にきて
「あなたぁ 黒崎くんが知ったら 発狂するわよ! 」

笠原先生は私を睨む。

「黒崎ったら 本当っ、趣味悪いったら!あんたみたいな 小娘のどこが 気にいったのかしら…ねぇ」


笠原先生は ささぁとカルテに何やら書き込むと
再び 向き直り 私の貧相な顔をしげしげと眺める。


「…ちょっと横になってくれる?」



「鉄剤出すから、今日はさっさと帰りなさいっ!
授業ないでしょ?」

私は何故先生がここにいるのか聞いた。
輪番で 、大学の医務室勤務が あるとのこと。

「ここは、楽でいいわ」
笠原先生は私の血圧を測り 
「血圧低いわねぇ…黒崎に うるさく言われてるんじゃ…」

黒崎先生の名前を耳にするたび 胸が締め付けられ
息ぐるしくなる。
 (先生…)
涙を堪える。……!

「あなたっ  泣いてないよね?」
笠原先生は 、私の顔を不審そうに見つめる。
袖で涙を拭い

「私と 先生は、笠原先生が思っているような 関係では無いと思います。」  私は 笠原先生を恨めしく見上げる。


「あらっ あら…そうかしら?私には恋人以外の何者にも 見えなかったけど…」

笠原先生は いっそう意地悪な言いかをする。

「恋人な訳ないです!黒崎先生には 奥さんや子供さんも いるのに!」
     (言っちゃった…後悔)

笠原先生は 別段驚くわけでもなく

「ふ~ん そうなんだ  恋人関係じゃないのねぇ~♪」
先生の顔は、パーッと華やいだ  そしてポケットからカロリー補助バーを取り出し、食べろと 顎で合図する。

私はゆっくり起き上がり 貰ったバーを一口かじった。

帰宅すると すぐに自室のベッドに横になる。
明日の弟の診察が気になる。
笠原先生は、海外滞在中の黒崎先生の心配は全くしていなかった。
きっと大丈夫だ。安否情報は笠原先生には逐一入っているはずだと
確信している。

(先生帰って来てるかな…)


心配する関係  では無いにしても、子供っぽい態度は辞めようと決めた。
    (心配かけないようにしなくっちゃ…)

今は元気な私を見せて、好きとかじゃなく、ただ無事に帰国してほしかった。只々 逢いたかった。

       (早くいつもの俺様先生に会いたいな)










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