初戀

槙野 シオ

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第二十一話 気の利いた化け物さえ引っ込む時分

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母屋で話し込んでいる大人たちのせいで食事会が始まらない。始まらないということは終わらないということで、必然と溜息の数も増える。東屋でぼんやり庭を眺めていると、同じように時間を持て余した従兄が現れ、オレに気付いた途端何やら気まずそうに立ち止まった。

「あ、ごめん……いてると思わへんかった……」
「ぼくがおったら、なんや都合悪いん?」

笑顔でベンチをポンと叩くと、燠嗣おきつぐは申し訳なさそうに端のほうで腰をおろした。

「け、賢颯くん…東京の学校、どう?」
「うん、まあ、なんとか」
「…そっ、そうなんや……そっか…」
「……さっき、見てたやろ」

顔を真っ赤にして燠嗣はうつむいた。高校三年にもなればある程度免疫は付いていそうなものだけど……さすがに伽耶さんのあんな姿は想像すらしてなかっただろうしな。

「興奮した?」
「なっ……なんにも…見てへん……」
「ええやん、別に……伽耶さん、歳食ってるけど美人やし」
「そ、そんな目で見たことないから……」

俯いたままの燠嗣を見て誰かに似てると思ったら……少し雰囲気が湊に似てるんだな……そばに寄って、身じろぎもせず目だけを泳がせる燠嗣の股間をひとなですると、燠嗣は何かに弾かれたようにオレを見上げた。

「そんな目で見たことないって?」
「こっ……これは……」
「ガチガチやないですか……抜いてやろうか?」
「……えっ…」
「冗談やって、本気で怯えんといて」


燠嗣は父の弟、秋尚あきなお叔父さんの息子で……オレの代わりに久御山の家を継ぐ "次期当主" だ。本来であれば長男の息子であるオレが跡を継ぐはずのところ、まあ、不義の子とか物の怪とかに家を乗っ取られるくらいなら、次男の息子に継がせてしまえ、という浅ましい血族の犠牲になったに過ぎない。


──


「……え?」
「ほんまごめんやけど……ゆうて聞くようなひとやないから…」

肝試し食事会が終わり帰り支度をしていると、申し訳なさそうに母が言葉を詰まらせた。

「あ、うん、大丈夫……帰りしな渡して来るわ」

笑って小さな風呂敷包みを受け取ると、母はほっとしたような顔でオレを見上げた。


置き忘れた腕時計なんて、誰が届けても手元に戻れば同じだろ。着付けオツトメは済んだはずなのに、まだ他に用事があるのか……とにかくお使いを済ませて帰りたい。わざわざ指名された理由を考えるより、一秒でも早く湊に逢える方法を考えたほうがよっぽど建設的だった。


叔母の住むマンションのエントランスでオートロックパネルを操作する。エレベーターで六階まで上がり部屋のインターホンを鳴らすと、見慣れた光景が目の前に広がる。小さな包みを手渡し、それでは、と頭をさげたオレを、叔母は溜息を吐きながらやんわりたしなめた。

「慌ただしい……なんやの、その態度」
「すみません、新幹線の時間があるので」
「そんな急いで逢いたいひとでもいてんの?」
「いえ……学校が」
「そんなん、どうとでもなるやろ……あがりなさい」
「あの、本当に今日は」
「聞こえへんかったん? 同しことゆわさんとって」




……はあ…一時間か、二時間か……とりあえず穏便にこの場はやり過ごさないと、伽耶さんは何をしでかすかわからない。

ダイニングテーブルに置かれたウェッジウッドのティーカップに手を伸ばすと、叔母はその手を押さえ「なんや、もう忘れたん?」と呆れたような声で言った。


このひとは、オレに羞恥心なんて上等なものは備わってないとでも思ってるのか、よくよくオレを裸体にすることがお好きなようで、その趣味の悪さにはむしろ頭がさがる。全裸の男が紅茶飲んでる姿がそんなに面白いのか、叔母はいつものように顔をしかめることもなく、薄っすらと微笑んでティーカップを覗き込んだ。

「ミルクティーにしたん、なんでかわかる?」
「いえ……何かあるんですか?」
「そのまんまやったら……さすがに色でわかるやろ?」

色でわかるって……どういう…

「あんたは慣れてるやろうから……ねえ」
「……!」




── やられた……!




……頭が痛い。あれ、そういえばどうやって家に帰って来たんだっけ……寝る間際のことをまったく憶えてないな……頭より腕が痛い…腕が…………腕が?


「なんや、もう目ぇ覚めたん?」

叔母の声で、まだ東京に戻ってないことを確信する。ああ……そういえば、紅茶に一服盛られて寝落ちたんだったな……眠剤の類は相当慣れてると思うけど、一体何錠溶かしてあったんだよ……もっと早く気付いていれば…

「まあ、帰られへんけどね」

……なるほど、腕が痛いのはこの悪趣味な手枷のせいか。いまやインターネットでなんでも手に入るご時世だもんな。わざわざオレのために用意しておいてくれたのかと思うと、ありがたくて反吐が出るな。




造り付けのダイニングテーブルにつながれ、成す術がなかった。叔母はオレを眺めながら、底意地の悪い笑顔を見せた。


***


メールを送っても返信はない。電話にも出ない。休んでいる理由を担任に訊いても「家庭の事情」というだけで詳細がわからない。久御山に何が起こってるんだろう。いまどうしてるんだろう。行きたくなかった理由は別のところにあったんじゃないか。あれから一週間経つというのにまったく状況が掴めない。


「あの、突然ごめん、藤城です……いまちょっと大丈夫かな」
「湊くん、どうしたの!? 薫に逢いたくなったとか!?」
「あ、いや、その、ちょっと訊きたいことがあって」
「何なに? なんでも訊いて! 湊くんになら何だって教えちゃう!」
「…久御山のことなんだけど」
「ケンソー? なに、喧嘩でもしたの? 別れの危機?」
「ちが……久御山の家って…何かいま大変だったりする?」
「どうだろう? わかんないけど、どうして?」
「久御山が……実家に戻ったまま連絡付かなくて」
「え、ケンソーこっち戻ってるの?」
「うん、法事があるとかで……」
「法事?」
「お祖母ちゃんの祥月命日とか……」
「……戻ったの、いつ?」
「土曜日……もう一週間経つんだよね」
「湊くん、こっち来ることって可能?」
「え、こっちって……京都?」
「うん」
「行けるけど……行って何するの?」

金曜の夜、もうひとりでは抱え切れなくなって都築さんに連絡をした。

都築さんに言われ、僕は急いで時刻表を調べ新幹線のチケットを買った。


──


祭時計広場で待っていると走って来る都築さんが見え……これは避けちゃ駄目なやつなんだろうか。でも、ちょっと待って、僕は久御山みたいに上手に受け止めることはできな……

見事にタックルを食らってふたり一緒に倒れた。

「ごっ、ごめん! 大丈夫!? どこも痛くない!?」
「うん、薫は大丈夫……湊くんの身体の上だったから…」
「あ、あの、都築さん…ひとが…見てるから放してもらっても……いいかな…」
「また逢えて嬉しくて……ひとが見てないところでならいい?」

そういう問題じゃ…ない……




「ケンソーのお家ね、ちょっと複雑っていうか、おかしいの」

久御山の家へと向かいながら、都築さんはいきなり正面から久御山家の事情に斬り付けた。

「あの、おかしいって……どういう意味か訊いてもいい?」
「常識が通用しないっていうか……あとで直接訊けばいいと思う」

都築さんも大概常識から外れてるような気がするけど……あっ、悪い意味じゃなくて、いい意味で! 心の中で言い訳をしながら都築さんに着いて行くと、目の前に仰々しい門構えが立ちはだかった。訪問者を拒絶すように固く閉ざされた入口を見て、僕は不安でいっぱいになる。

「あの、久御山の家って」
「……ここ、だけど」
「こっ…こんな映画に出て来るような家だとは思ってなかった…」

いきなり挙動不審になる僕を見て「あん、湊くん可愛い…触ってもいい?」と都築さんは息を弾ませた。いや、もちろん駄目だ。

「い、いまは久御山のことが心配だから」
「……じゃあ、ケンソー奪還したら触らせてくれる?」
「えっ…!?」
「薫にご褒美ちょうだい?」
「や、あの…えっと…」
「約束、ね?」

た、確かに都築さんがいなければここには来られなかったし、都築さんのおかげで怪しまれることもなく敷地の中に入れてもらえたわけだけど……それより。

これは果たして個人の持ち家なんだろうか……門から家までの距離もおかしければ、敷地の中にある庭の規模もおかしい。庭に東屋がある個人宅を見るのは初めてだし、敷地にいくつも建物があるってどうなってるんだ。もしかして久御山……ものすごいお坊ちゃまだったのか……


そして目の前には、都築さんにも引けを取らない可愛い女の子が座っていた。

「ケンソーの妹の、華ちゃん」
「は、はじめまして……藤城と申します…」
「久御山 華です。遠いところを兄のためにわざわざすみません」

三つ下の妹がいるって聞いてたけど、中学一年生の女の子ってこんなにしっかりしてるものなのか……? ああ、でもどことなく久御山に似て……きっと将来美人になるだろうな……目力あるなあ…

「……湊くん、聞いてる?」
「…っはい!?」
「華ちゃんに見惚みとれてたって、ケンソーに言っちゃおうかなあ…」
「ちっ……違うから!!」
「湊くん、これで薫にもうひとつ貸しね」

都築さんの笑顔が、どんどん邪悪になって行く気がするのは僕の気のせいだろうか……

「最後に立ち寄った場所とか、知らない?」
「駅に行く途中で、叔母の家に忘れ物を届けに行ったって…」
「叔母さんの家?」
「うん、祥月命日にね、うちに時計を忘れて行ったから」
「じゃあ、そこにいる可能性が高いのね」
「……やとしたらヤバいねん」
「…ヤバい?」
「叔母さんな……ちょっと普通やないっていうか…」


一気に話が事件っぽくなった。


***


「こんにちは、賢颯くん」


話し掛けても返事は返って来なかった。

まるで目が見えていないかのように、その美しい蒼い瞳は何にも反応しなかった。




「ほんま、胸糞悪なる話やわ」

織田先生が資料を机に投げ付けて溜息を吐く。

「財閥やなんや知らんけど、やってええことと悪いことがあるやろ」
「特別室にいる男の子ですか?」




江戸時代から続く商人の家……落ちぶれることもなく家督を継いだという矜持もあるだろう。それだけに跡継ぎへの期待感は相当に高く、跡継ぎが背負うものも大きかった。

その久御山家に待望の長男が誕生した。しかし産まれた子は一族に認めてもらえなかった。当主の母親である佐和さわは、息子の嫁である蜜の不貞を疑った。


息子との間に金髪碧眼の赤子が産まれるわけがない、と。


蜜は否定したが佐和は聞く耳すら持たず、産まれた子に不義の子の烙印を押し、殺してしまえと吐き捨てた。

さすがに平成の世の中で江戸時代の習わしがまかり通るわけもなく、その子は「死んだもの」として本家にある座敷牢に監禁されることとなった。その後行われたDNA鑑定で当主との親子関係が証明されたが、こどもはその容姿から人目に触れることを固く禁じられ、牢での暮らしを回避できなかった。

余計な情報を耳に入れてはいけない、と佐和にきつく言われた乳母は、その子が二歳になるまでの二年間、牢で身の回りの世話をしながらひと言も話し掛けなかった。部屋にはテレビはおろかラジオも本もなく、およそ言葉を覚えるための手段は何ひとつ用意されなかった。

母親である蜜は、牢に近寄ることすら禁じられたそうだ。

二歳になると乳母の出入りもなくなり、いよいよその子は「死んだもの」のていで生きなければならなくなった。一日に一度、眠っている間に運ばれる食事を頼りに、六畳の牢の中でその子はただ息をしていた。

佐和が亡くなりこどもは牢から解放されることとなったが、その男の子は話すことができなかった。




「それでセンターに預けられたんですか?」
「一日でも早う喋れるようにしてくれ、やて。あほか」
「発声障害は……喉頭病変はなかったんですよね?」
「一切あらへん」
「なぜ母親は……その子を連れて逃げなかったんでしょう」
「ええとこの、世間知らずのお嬢さんやで。生活能力なんかあらへんやろ」
「児相にでもタレ込めばよかったんですよ……」
「児相に強権はあらへん……けど佐伯さん、案外とえげつない性格してるんやな……」
「そうでしょうか」


地元の科学技術大学院大学の付属機関であるメディカルゲノムセンターは、さまざまな疾患におけるヒトゲノムの解析、研究を行っている公立の研究所だ。しかしこの研究所の主な役割は遺伝子の研究ではなく、遺伝子の研究・実験を行っている上部組織の尻拭いだった。

平たく言えばここは、研究対象である疾患を持つ患者のケアを、時間がないからといいように上部組織に押し付けられた、まるで専属のリハビリステーションだ。一般的な外来を受け付けているわけではないため、送られて来る患者は大抵ワケありだった。当然、裏で莫大なお金が動いていた。


理学療法士、言語聴覚士、作業療法士がそれぞれ治療計画を立て、臨床心理士がカウンセリングを行う。週に一度、精神科医の診察があり、隔週で脳波の測定をする。言葉を知らない四歳の男の子は、三か月で声を発するようになり、半年で笑うことを覚え、一年で同じ歳のこどもと遜色ないくらい話せるようになった。

これにはセンターのスタッフ一同驚き、そして大いに喜んだ。ただ、織田先生だけはあまりいい顔をしなかった。


「素晴らしい成果じゃないですか?」
「そやな……普通の人間やとは思えへんくらい、ようできた子やわ」
「潜在能力の高い人間はいくらでもいます」
「それを研究結果として発表するのが嫌やねん」
「とはいえ、ある意味あの子は被験者ですし……」
「ぼくらも、胸糞悪い連中と変わらへん…」
「医学の発展に貢献することが、わたしたちの務めですから」
「佐伯さん、どう思う?」
「何がですか?」
「あの子な……話もするし笑いもするけど……まだいっぺんも泣いてへん」
「それは……」
「上辺だけ取り繕って喋れるようにしたところで……あの子、しあわせなんかな」


あの子、しあわせなんかな ──


織田先生の寂しそうな横顔に、掛ける言葉が見つからなかった。
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