299 / 378
82話-7、残っている有給は二千日以上(閑話)
しおりを挟む
妖狐の雅に遊びのなんたるかを学び、秋国に帰ってから永秋へ行き、酒に酔い潰れた花梨のケアを終えた、その日の夜中。
茨木童子の酒天は、閉店した『居酒屋浴び呑み』の三階にある、自室のベッドで寝っ転がりながらニヤニヤしていた。
抱き枕を目一杯抱き締め、奇声染みた笑い声を発している酒天に、一緒に居る酒呑童子の酒羅凶が耐えかねたようで。
日記を書いていた鉛筆をテーブルに置き、物が吹き飛びかねないため息を鼻から漏らすと、酒天の方へ顔をやった。
「気持ち悪いほど嬉しがってんな。なんかあったのか?」
「んふふっ。聞いて下さいよ、親分!」
鶯色の長いサイドテールを解いた酒天は、ニヤケ面を保ったまま体を起こし、抱き枕を抱きつつベッドの縁に腰を下ろす。
「今日、花梨さんや雅さん達と遊んできたんスけど、嬉しい事ばかりあったんスよ!」
「ああ、そういや今日か。よかったじゃねえか。生涯初めての遊びで、そんな事があって。で、何があったんだ?」
「えっとっスね。花梨さん達が、お昼ご飯を沢山奢ってくれたりとか。また遊ぶ約束をしてくれたり。あと、一緒に永秋の風呂に入る約束もしたっス! それに……」
『花梨さんが、あたしに甘えてきてくれた』だなんて、口が裂けても言えるはずがなく。正気を取り戻した酒天は、滑りかけた口をヒクつかせ、苦笑いしながら後頭部へ手を回した。
「と、とにかく、いっぱい嬉しい事があったっス」
「ほーん。また遊ぶ約束をしたって事は、これから仕事をちゃんと休むんだな?」
「はい、休むっス! 休むっスけど……、親分。それについて、ちょっとご相談がありまして」
急に態度を改めた酒天に、酒羅凶は「相談?」と片目を不機嫌そうに細めた。
「その、遊びについてっス。たぶん、二日前か前日に誘われると思うんスが……。もし、もしっスよ? 当日に誘われた場合、その日に休んでも、大丈夫っスかね?」
「当日? 別に、お前なら仕事中でも構わねえよ」
「はえ? 仕事中でもいいんスか?」
鉄拳制裁を覚悟して言ってみるも、理想を遥かに超えた即答のせいで、金色の瞳をぱちくりとさせる酒天。
「当たり前だろ。お前の有給、何日残ってると思ってんだ?」
「あたしの有給? ほとんど消化した事ないっスけど、何日あるんスか?」
「お前が休まなかった日を付け加えてあっから、二千日以上あんぞ」
「はあっ!? にっ、ににに、二千日以上っ!?」
おおよそ五年以上の有給があると知るや否や。驚愕して、窓が割れんばかりに絶叫した酒天が、酒羅凶の元へ駆けていった。
「二千日以上って、五年以上あるじゃないっスか! そんな有給の付け加え方アリなんスか!?」
「普通はねえけど、ここでは俺がルールだ。もし消化し切らねえまま死んでみろ? どんな手を使ってでもお前を生き返らせて、思いっ切りぶん殴ってやっからな」
「怖っ! 安心して死ねないじゃないっスか! ちょっと親分~、そりゃないっスよぉ~……」
ここぞとばかりに店長権限を使われ、八方塞がりとなった酒天が泣きを入れ、酒羅凶の太い足にしがみつく。
そんな、自分が作ったとも言える窮地に立たされた酒天に、酒羅凶は呆れた様子でため息をつき、酒天の後頭部に手を回した。
「まっ、今まで俺の言う事を聞かなかったお前が悪い。とっとと諦めて、指定された日はちゃんと休むんだな」
「それはそうっスけど……、週に二回も休んだら死んじゃうっスよぉ……」
「まるでマグロみてえな奴だな。止まると死ぬのか?」
「はいっス、死んじゃうっス……」
「そうか。そん時は俺が生き返らせてやるから、安心して死ね」
「あ゙あ゙~、そうだったぁ~……」
おちょくるのが、だんだん楽しくなってきたのか。はたまた、別の感情が芽生えてきたのか。涙で瞳を潤わせている酒天を見て、酒羅凶は硬そうな口角を緩く上げた。
「しっかし。そんなお前が、自発的に有給を使ってくれるようになるだなんてな。誘ってきたのは、確か楓とよくここに来てる、雅だったか?」
「そうっス。それとこれから、花梨さんも遊びに誘ってくれるっス。だからあたしも、その内誘ってみようかなあ~って思ってるんスよ」
話題が戻った途端。泣いていた酒天が微笑み、今後の予定について嬉々と語り出す。
今まで言う事をまったく聞かず、仕事に取り組んでいたのに対し。たった半日でここまで変わった酒天に、岩盤を彷彿とさせるゴツゴツとした酒羅凶の顔が、僅かにほころんだ。
「そうか。ならその誘い、ぜってえ断るんじゃねえぞ? 必ず受けて、バテるまで楽しんでこい」
「はいっス! 絶対に断りません、快く受けるっス! えへへっ、今から楽しみでしょうがないっス」
「それとだ。帰って来たら、俺に遊んだ内容を教えてくれ」
「んえっ? 遊んだ内容っスか?」
よもやの返しに、酒天が抜けた返事をすると、酒羅凶は巨大な顔を頷かせた。
「お前がどんだけ楽しんできたのか、かなり気になるからな。酒のツマミとして聞きてえから、美味い酒を用意して待ってんぜ」
「おおっ、本当っスか? それなら任せて下さい! 最高の話を聞かせてあげるっス。楽しみにしてて下さいね、親分っ」
嬉しくなった酒天がニッと笑うと、酒羅凶は酒天の後頭部に回していた手を不器用に動かし、慣れない手つきで撫で始めた。
新しい楽しみが増えると、酒羅凶は、可愛いこいつが、やっと遊ぶ事を覚えてくれたか。あの二人には、感謝してもし切れねえなあ。と心の中で呟き、半身だけをテーブルに向ける。
そして鉛筆を持ち、日記に『追伸。今日は、俺にとっても酒天にとっても、記念すべき日となった』と付け加えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あれから最高級の酒を用意し、酒天の遊んだ内容を聞き明かした、次の日の朝七時前。
観光客がまだ少ない大通りで、酒ケースを大量に積んだ荷車を引いている酒羅凶が、大口を開けてあくびをする。
目に滲んできた涙を拭うと、晴れた視界の先に、永秋の前を箒で掃き掃除している、三人の女天狗が映り込んだ。
その中の一人はクロであり、四階まで上る手間が省けたと思った酒羅凶は、他の女天狗と談笑を始めたクロの元へ歩んでいった。
「朝から元気そうだな、てめえは」
「んっ? ああ、酒羅凶か。おはよう。珍しいな、お前が配達をするだなんて」
振り向きざまに、酒羅凶と荷車の二つの情報を認めたクロが、物珍しそうにしている顔を酒羅凶に合わせる。
「ちょっとな。秋風は居るか?」
「花梨? 十時に仕事があるから、まだ寝てると思うけど……。用があるなら起こしてこようか?」
「いや、寝てるならいい。すまねえが、これを秋風に渡しといてくれ」
そう断った酒羅凶は、一升瓶が六本入っている酒ケースを、片手で荷車から黙々と降ろしていく。おおよそ二十ケース分降ろすと、酒羅凶の作業を目で追っていたクロが、黒い瞳を丸くさせた。
「かなりの量だな。花梨が頼んだのか?」
「んな訳ねえだろ、俺からのお礼だ。それとこれ」
続け様に酒羅凶は、腰に巻いていた布袋を漁り、二十枚の紙を取り出してクロに差し出す。
流れるがままに受け取り、紙に書かれている内容を確認してみると、『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』と記されており。
五枚ずつ『秋風様専用』『ゴーニャ様専用』『クロ様専用』『ぬらりひょん様専用』と名前分けされていた。
「食べ放題券? なんで私の分まであるんだ?」
「いいからとっとけ。それに、秋風やゴーニャに問い詰めても無駄だぞ。あいつらも身に覚えがねえからな」
「はあ……。なんだ? 何かいい事でもあったのか?」
突然現れ、大量のお礼の酒を渡され。更に食べ放題券までくれた一連の流れが理解出来ず、ただ呆然とする事しか出来ないクロが、理由を知りたそうに質問をする。
しかし酒羅凶は、既に荷車を引いて立ち去ろうとしており、クロに赤い甲冑の背中を見せていた。
「あった。俺にとって、これ以上に無い事がな」
話を続けさせまいと一言だけ残した酒羅凶は、クロの返答を聞かぬまま、次の目的地である『妖狐神社』に足を運ぶ。
秋国の入口がある方面ともあってか。永秋を目指す客足が増えてきていて、歩みを進める度に、静かだった大通りが活気に溢れていった。
そして、眠気を忘れる喧騒が響き渡り始めた頃。多くの参拝客が行き交う『妖狐神社』に到着。人の流れを崩さぬよう、辺りを目を配りつつ赤い鳥居をくぐっていく。
境内に入ると、この時間帯なら、楓は本殿近くに居るな。と目星をつけ、参拝客の邪魔にならぬ道を選び、威風堂々と佇む本殿へ向かっていった。
「お、いたいた」
酒羅凶の予想は見事に当たり。本殿へ続く中央階段の左脇に、別の妖狐と会話をしている楓を見つけると、そこから最短距離で詰めていく。
「お前、いつもここに居んな」
「む? お主……、秋国に雪を降らせるつもりか?」
「おい、俺の配達がそんなに珍しいのか?」
出会い頭に楓の糸目が見開き、信じられない物を見たような言い草に、酒羅凶の目が相反して細まっていった。
「珍しいも何も、少なくともワシは初めて見たぞ」
「だろうな、俺だってここでは初めてやったわ」
「そ、そうか……。で、御神酒を持ってきたんかえ?」
「いや、それは別の奴が後で持ってくる。雅は居るか?」
まさかの人物の名に、狐の耳をピクンと反応させる楓。
「雅? 今は本殿の奥で掃除をしとる。用があるなら呼んでくるぞ?」
「仕事中なら無理に呼ばなくていい。悪ぃけど、これを雅に渡しといてくれ」
直接会って渡すのも恥ずかしいので、無難に断った酒羅凶は、楓の前に酒ケースを素早く並べていく。
普段、御神酒を百本頼んでいるものの。雅宛だけでそれを上回る数の一升瓶の酒に、楓は呆気に取られ、眉間に浅いシワを寄せていった。
「これは、雅が好んで飲んでる酒ではないか。雅から発注が入ったのか?」
「いや、俺からのお礼だ。あと、ほら」
雅の仕業ではなく、自分の好意である事を自白した酒羅凶は、クロにもあげた『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』を楓に渡す。
「食べ放題券? しかも、ワシと雅専用……。お主、何を企んどるんじゃ?」
「何も企んじゃいねえし、裏もねえ。いつでも好きな時に使ってくれ。んじゃあな」
特に理由も言わず、謎を残したまま立ち去ろうとした酒羅凶に、楓は「待て、酒羅凶」と呼び止めようとする。が、酒羅凶は歩みを止めず、楓との距離を少しずつ離していった。
「そことなく嬉しそうにしているが、一体何があったんじゃ?」
「言いたくねえ。が、雅にこれだけ伝えといてくれ。『ありがとよ』ってな」
あえて『酒天と遊んでくれて』を言わず、短いお礼の言葉を楓に伝え、妖狐神社を後にする酒羅凶。
大通りに出ると、酒羅凶の鬼を宿す仏頂面が柔らかくほころび、上機嫌に鼻歌を歌いながら帰路に就いた。
―――雅達と遊び、酔いが覚めてから書いた花梨の日記
今日は、雅とまた秘湯巡りをしてきた! 前回から結構空いちゃったから、楽しみにしていたんだよね。
本当はもう一人来るはずだったんだけど、何かトラブルがあったらしく。仕方ないから先に『定食屋付喪』で、雅達とお昼ご飯を食べたんだ。
その間ずっと、誰が来るんだろう? って考えながら食べてたよね。雅の部屋に泊まった時から焦らされてたし、相当考えてたよ。
それで、食べ始めて三十分ぐらいしてからかな? ようやくもう一人の人が到着したんだけど、なんと酒天さんだったんだ!
まったく予想してなかったから、あの時は本当に驚いたや。けどすぐに、すごく嬉しくなっちゃった。
だって、酒天さんって毎日忙しそうに働いていたから、一緒に遊べるだなんて思ってもみなかったんだもん。
その後、雅と私で酒天さんにお昼ご飯を奢って、みんなでたっぷり食べた後。楽しく会話をしながら秘湯に行ったんだ。
なんでも雅曰く、今回の秘湯は前に行った場所よりも更に山深い所にあるようで、当然のように熊と遭遇するらしくてね……。
まあ案の定、バッタリと鉢合わせちゃったよね……。いやぁ、流石にあの時は久々に死ぬかと思ったよ……。
いや、久々と言っても、そんなに前じゃないか。その前は、ホオジロザメに襲われた時だしね。(割と定期的に死ぬ思いをしているなぁ、私……)
一応、熊と目が合っちゃったんだけども、気がついたら居なくなっていたんだ。(気がついたらというか、気が遠のいていたというか……)
で、助かったのが分かったら、腰が抜けて立てなくなっちゃったんだよね。海とはまた一味違う、身の毛がよだつような恐怖体験だったなぁ……。
雅や酒天さんは、よく平然としていられたなぁ。もしかして、私が驚きすぎていただけ? 本当に? 嘘でしょ……?
とりあえず、熊と鉢合わせたのは一回だけだった。そして、肝心の露天風呂はというと。また、お酒に酔っちゃって、ね?
後半部分から永秋に帰って来た間の記憶が、全部すっ飛んでてね……。こっちも気が付いたら、私の部屋に居ました……。
うーん、とっくり一本でも駄目なのか。ギリギリ記憶が残っているのは、おちょこ五杯目ぐらいかな? となると、私のお酒の許容量は、おちょこ二杯ぐらいか。そんなにお酒が弱いの、私……?
飲んでいく内に強くなるらしいけど、私には無理だろうなぁ。大人しく、おちょこ二杯で我慢しておこう。
これ以上、記憶が無いまま楽しい時間を過ごすのは嫌だからね。これからは、もっと自分に厳しくしていかねば!
さてと、次にお酒を飲む機会があるとすれば、永秋で酒天さんと一緒にお風呂に入る時かな?
それまでは、お酒を一切飲まないでおこっと。酒天さんと一緒に飲む時が、一番美味しく感じるからね。
茨木童子の酒天は、閉店した『居酒屋浴び呑み』の三階にある、自室のベッドで寝っ転がりながらニヤニヤしていた。
抱き枕を目一杯抱き締め、奇声染みた笑い声を発している酒天に、一緒に居る酒呑童子の酒羅凶が耐えかねたようで。
日記を書いていた鉛筆をテーブルに置き、物が吹き飛びかねないため息を鼻から漏らすと、酒天の方へ顔をやった。
「気持ち悪いほど嬉しがってんな。なんかあったのか?」
「んふふっ。聞いて下さいよ、親分!」
鶯色の長いサイドテールを解いた酒天は、ニヤケ面を保ったまま体を起こし、抱き枕を抱きつつベッドの縁に腰を下ろす。
「今日、花梨さんや雅さん達と遊んできたんスけど、嬉しい事ばかりあったんスよ!」
「ああ、そういや今日か。よかったじゃねえか。生涯初めての遊びで、そんな事があって。で、何があったんだ?」
「えっとっスね。花梨さん達が、お昼ご飯を沢山奢ってくれたりとか。また遊ぶ約束をしてくれたり。あと、一緒に永秋の風呂に入る約束もしたっス! それに……」
『花梨さんが、あたしに甘えてきてくれた』だなんて、口が裂けても言えるはずがなく。正気を取り戻した酒天は、滑りかけた口をヒクつかせ、苦笑いしながら後頭部へ手を回した。
「と、とにかく、いっぱい嬉しい事があったっス」
「ほーん。また遊ぶ約束をしたって事は、これから仕事をちゃんと休むんだな?」
「はい、休むっス! 休むっスけど……、親分。それについて、ちょっとご相談がありまして」
急に態度を改めた酒天に、酒羅凶は「相談?」と片目を不機嫌そうに細めた。
「その、遊びについてっス。たぶん、二日前か前日に誘われると思うんスが……。もし、もしっスよ? 当日に誘われた場合、その日に休んでも、大丈夫っスかね?」
「当日? 別に、お前なら仕事中でも構わねえよ」
「はえ? 仕事中でもいいんスか?」
鉄拳制裁を覚悟して言ってみるも、理想を遥かに超えた即答のせいで、金色の瞳をぱちくりとさせる酒天。
「当たり前だろ。お前の有給、何日残ってると思ってんだ?」
「あたしの有給? ほとんど消化した事ないっスけど、何日あるんスか?」
「お前が休まなかった日を付け加えてあっから、二千日以上あんぞ」
「はあっ!? にっ、ににに、二千日以上っ!?」
おおよそ五年以上の有給があると知るや否や。驚愕して、窓が割れんばかりに絶叫した酒天が、酒羅凶の元へ駆けていった。
「二千日以上って、五年以上あるじゃないっスか! そんな有給の付け加え方アリなんスか!?」
「普通はねえけど、ここでは俺がルールだ。もし消化し切らねえまま死んでみろ? どんな手を使ってでもお前を生き返らせて、思いっ切りぶん殴ってやっからな」
「怖っ! 安心して死ねないじゃないっスか! ちょっと親分~、そりゃないっスよぉ~……」
ここぞとばかりに店長権限を使われ、八方塞がりとなった酒天が泣きを入れ、酒羅凶の太い足にしがみつく。
そんな、自分が作ったとも言える窮地に立たされた酒天に、酒羅凶は呆れた様子でため息をつき、酒天の後頭部に手を回した。
「まっ、今まで俺の言う事を聞かなかったお前が悪い。とっとと諦めて、指定された日はちゃんと休むんだな」
「それはそうっスけど……、週に二回も休んだら死んじゃうっスよぉ……」
「まるでマグロみてえな奴だな。止まると死ぬのか?」
「はいっス、死んじゃうっス……」
「そうか。そん時は俺が生き返らせてやるから、安心して死ね」
「あ゙あ゙~、そうだったぁ~……」
おちょくるのが、だんだん楽しくなってきたのか。はたまた、別の感情が芽生えてきたのか。涙で瞳を潤わせている酒天を見て、酒羅凶は硬そうな口角を緩く上げた。
「しっかし。そんなお前が、自発的に有給を使ってくれるようになるだなんてな。誘ってきたのは、確か楓とよくここに来てる、雅だったか?」
「そうっス。それとこれから、花梨さんも遊びに誘ってくれるっス。だからあたしも、その内誘ってみようかなあ~って思ってるんスよ」
話題が戻った途端。泣いていた酒天が微笑み、今後の予定について嬉々と語り出す。
今まで言う事をまったく聞かず、仕事に取り組んでいたのに対し。たった半日でここまで変わった酒天に、岩盤を彷彿とさせるゴツゴツとした酒羅凶の顔が、僅かにほころんだ。
「そうか。ならその誘い、ぜってえ断るんじゃねえぞ? 必ず受けて、バテるまで楽しんでこい」
「はいっス! 絶対に断りません、快く受けるっス! えへへっ、今から楽しみでしょうがないっス」
「それとだ。帰って来たら、俺に遊んだ内容を教えてくれ」
「んえっ? 遊んだ内容っスか?」
よもやの返しに、酒天が抜けた返事をすると、酒羅凶は巨大な顔を頷かせた。
「お前がどんだけ楽しんできたのか、かなり気になるからな。酒のツマミとして聞きてえから、美味い酒を用意して待ってんぜ」
「おおっ、本当っスか? それなら任せて下さい! 最高の話を聞かせてあげるっス。楽しみにしてて下さいね、親分っ」
嬉しくなった酒天がニッと笑うと、酒羅凶は酒天の後頭部に回していた手を不器用に動かし、慣れない手つきで撫で始めた。
新しい楽しみが増えると、酒羅凶は、可愛いこいつが、やっと遊ぶ事を覚えてくれたか。あの二人には、感謝してもし切れねえなあ。と心の中で呟き、半身だけをテーブルに向ける。
そして鉛筆を持ち、日記に『追伸。今日は、俺にとっても酒天にとっても、記念すべき日となった』と付け加えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あれから最高級の酒を用意し、酒天の遊んだ内容を聞き明かした、次の日の朝七時前。
観光客がまだ少ない大通りで、酒ケースを大量に積んだ荷車を引いている酒羅凶が、大口を開けてあくびをする。
目に滲んできた涙を拭うと、晴れた視界の先に、永秋の前を箒で掃き掃除している、三人の女天狗が映り込んだ。
その中の一人はクロであり、四階まで上る手間が省けたと思った酒羅凶は、他の女天狗と談笑を始めたクロの元へ歩んでいった。
「朝から元気そうだな、てめえは」
「んっ? ああ、酒羅凶か。おはよう。珍しいな、お前が配達をするだなんて」
振り向きざまに、酒羅凶と荷車の二つの情報を認めたクロが、物珍しそうにしている顔を酒羅凶に合わせる。
「ちょっとな。秋風は居るか?」
「花梨? 十時に仕事があるから、まだ寝てると思うけど……。用があるなら起こしてこようか?」
「いや、寝てるならいい。すまねえが、これを秋風に渡しといてくれ」
そう断った酒羅凶は、一升瓶が六本入っている酒ケースを、片手で荷車から黙々と降ろしていく。おおよそ二十ケース分降ろすと、酒羅凶の作業を目で追っていたクロが、黒い瞳を丸くさせた。
「かなりの量だな。花梨が頼んだのか?」
「んな訳ねえだろ、俺からのお礼だ。それとこれ」
続け様に酒羅凶は、腰に巻いていた布袋を漁り、二十枚の紙を取り出してクロに差し出す。
流れるがままに受け取り、紙に書かれている内容を確認してみると、『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』と記されており。
五枚ずつ『秋風様専用』『ゴーニャ様専用』『クロ様専用』『ぬらりひょん様専用』と名前分けされていた。
「食べ放題券? なんで私の分まであるんだ?」
「いいからとっとけ。それに、秋風やゴーニャに問い詰めても無駄だぞ。あいつらも身に覚えがねえからな」
「はあ……。なんだ? 何かいい事でもあったのか?」
突然現れ、大量のお礼の酒を渡され。更に食べ放題券までくれた一連の流れが理解出来ず、ただ呆然とする事しか出来ないクロが、理由を知りたそうに質問をする。
しかし酒羅凶は、既に荷車を引いて立ち去ろうとしており、クロに赤い甲冑の背中を見せていた。
「あった。俺にとって、これ以上に無い事がな」
話を続けさせまいと一言だけ残した酒羅凶は、クロの返答を聞かぬまま、次の目的地である『妖狐神社』に足を運ぶ。
秋国の入口がある方面ともあってか。永秋を目指す客足が増えてきていて、歩みを進める度に、静かだった大通りが活気に溢れていった。
そして、眠気を忘れる喧騒が響き渡り始めた頃。多くの参拝客が行き交う『妖狐神社』に到着。人の流れを崩さぬよう、辺りを目を配りつつ赤い鳥居をくぐっていく。
境内に入ると、この時間帯なら、楓は本殿近くに居るな。と目星をつけ、参拝客の邪魔にならぬ道を選び、威風堂々と佇む本殿へ向かっていった。
「お、いたいた」
酒羅凶の予想は見事に当たり。本殿へ続く中央階段の左脇に、別の妖狐と会話をしている楓を見つけると、そこから最短距離で詰めていく。
「お前、いつもここに居んな」
「む? お主……、秋国に雪を降らせるつもりか?」
「おい、俺の配達がそんなに珍しいのか?」
出会い頭に楓の糸目が見開き、信じられない物を見たような言い草に、酒羅凶の目が相反して細まっていった。
「珍しいも何も、少なくともワシは初めて見たぞ」
「だろうな、俺だってここでは初めてやったわ」
「そ、そうか……。で、御神酒を持ってきたんかえ?」
「いや、それは別の奴が後で持ってくる。雅は居るか?」
まさかの人物の名に、狐の耳をピクンと反応させる楓。
「雅? 今は本殿の奥で掃除をしとる。用があるなら呼んでくるぞ?」
「仕事中なら無理に呼ばなくていい。悪ぃけど、これを雅に渡しといてくれ」
直接会って渡すのも恥ずかしいので、無難に断った酒羅凶は、楓の前に酒ケースを素早く並べていく。
普段、御神酒を百本頼んでいるものの。雅宛だけでそれを上回る数の一升瓶の酒に、楓は呆気に取られ、眉間に浅いシワを寄せていった。
「これは、雅が好んで飲んでる酒ではないか。雅から発注が入ったのか?」
「いや、俺からのお礼だ。あと、ほら」
雅の仕業ではなく、自分の好意である事を自白した酒羅凶は、クロにもあげた『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』を楓に渡す。
「食べ放題券? しかも、ワシと雅専用……。お主、何を企んどるんじゃ?」
「何も企んじゃいねえし、裏もねえ。いつでも好きな時に使ってくれ。んじゃあな」
特に理由も言わず、謎を残したまま立ち去ろうとした酒羅凶に、楓は「待て、酒羅凶」と呼び止めようとする。が、酒羅凶は歩みを止めず、楓との距離を少しずつ離していった。
「そことなく嬉しそうにしているが、一体何があったんじゃ?」
「言いたくねえ。が、雅にこれだけ伝えといてくれ。『ありがとよ』ってな」
あえて『酒天と遊んでくれて』を言わず、短いお礼の言葉を楓に伝え、妖狐神社を後にする酒羅凶。
大通りに出ると、酒羅凶の鬼を宿す仏頂面が柔らかくほころび、上機嫌に鼻歌を歌いながら帰路に就いた。
―――雅達と遊び、酔いが覚めてから書いた花梨の日記
今日は、雅とまた秘湯巡りをしてきた! 前回から結構空いちゃったから、楽しみにしていたんだよね。
本当はもう一人来るはずだったんだけど、何かトラブルがあったらしく。仕方ないから先に『定食屋付喪』で、雅達とお昼ご飯を食べたんだ。
その間ずっと、誰が来るんだろう? って考えながら食べてたよね。雅の部屋に泊まった時から焦らされてたし、相当考えてたよ。
それで、食べ始めて三十分ぐらいしてからかな? ようやくもう一人の人が到着したんだけど、なんと酒天さんだったんだ!
まったく予想してなかったから、あの時は本当に驚いたや。けどすぐに、すごく嬉しくなっちゃった。
だって、酒天さんって毎日忙しそうに働いていたから、一緒に遊べるだなんて思ってもみなかったんだもん。
その後、雅と私で酒天さんにお昼ご飯を奢って、みんなでたっぷり食べた後。楽しく会話をしながら秘湯に行ったんだ。
なんでも雅曰く、今回の秘湯は前に行った場所よりも更に山深い所にあるようで、当然のように熊と遭遇するらしくてね……。
まあ案の定、バッタリと鉢合わせちゃったよね……。いやぁ、流石にあの時は久々に死ぬかと思ったよ……。
いや、久々と言っても、そんなに前じゃないか。その前は、ホオジロザメに襲われた時だしね。(割と定期的に死ぬ思いをしているなぁ、私……)
一応、熊と目が合っちゃったんだけども、気がついたら居なくなっていたんだ。(気がついたらというか、気が遠のいていたというか……)
で、助かったのが分かったら、腰が抜けて立てなくなっちゃったんだよね。海とはまた一味違う、身の毛がよだつような恐怖体験だったなぁ……。
雅や酒天さんは、よく平然としていられたなぁ。もしかして、私が驚きすぎていただけ? 本当に? 嘘でしょ……?
とりあえず、熊と鉢合わせたのは一回だけだった。そして、肝心の露天風呂はというと。また、お酒に酔っちゃって、ね?
後半部分から永秋に帰って来た間の記憶が、全部すっ飛んでてね……。こっちも気が付いたら、私の部屋に居ました……。
うーん、とっくり一本でも駄目なのか。ギリギリ記憶が残っているのは、おちょこ五杯目ぐらいかな? となると、私のお酒の許容量は、おちょこ二杯ぐらいか。そんなにお酒が弱いの、私……?
飲んでいく内に強くなるらしいけど、私には無理だろうなぁ。大人しく、おちょこ二杯で我慢しておこう。
これ以上、記憶が無いまま楽しい時間を過ごすのは嫌だからね。これからは、もっと自分に厳しくしていかねば!
さてと、次にお酒を飲む機会があるとすれば、永秋で酒天さんと一緒にお風呂に入る時かな?
それまでは、お酒を一切飲まないでおこっと。酒天さんと一緒に飲む時が、一番美味しく感じるからね。
0
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
ニンジャマスター・ダイヤ
竹井ゴールド
キャラ文芸
沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。
大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。
沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる