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31話、熱々で柔らかな料理

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「私、メリーさん……。今、アゴがとても疲れているの……」

『まさか、あの大きなスルメイカを完食しちゃうとはね。私も驚いちゃったよ』

「なるべく、アゴに負担が掛からない料理を所望するわ……」

『ちょうど、要望通りの料理を作ってるよ。もうちょっとだけ待っててねー』

 正直、私も驚いている。いつの間にか、あの大きなスルメイカを完食していた事実に。テレビを観ている間も、タブレットで料理について検索している時も。
 ほぼ無意識にスルメイカを一口大に割き、当たり前のように噛み続けていたんだからね。三時間以上も食べていたせいか、口に物を含んでいないと物寂しさを覚えている。
 けど、固い食べ物は、もういい。アゴを酷使し過ぎちゃったから、本当に疲れているのよ。なんなら痛みすら感じる。たぶんこの痛みは、筋肉痛ってやつね。今日はアゴを休めておかないと。

「アゴに優しい料理、お待ちどおさまー」

 アゴを摩りながらテレビを観ていると、すぐ近くでハルの声が聞こえたので、テーブルに顔を移してみる。変わった視界の先には、テーブルに皿を並べているハルが居た。
 皿が、いつもと違う形をしているわね。底が深いし、見た目的に厚そうな印象がある。とりあえず、皿の中身を確認してみよう。

「あ、グラタンだ」

 黄色がかった白い表面の所々に、おいしそうな焦げ目が付いたグラタン。そうか。ハルが言っていたチーズをふんだんに使った料理って、グラタンだったのね。
 供え物は、お店で売っている四角い食パン。もう、触らなくても分かる。どこからどう見ても、ふわふわな食パンだ。

「柔らかい物ばかりだから、これならアゴが疲れてても食べられるでしょ?」

「そうね、助かったわ」

 チーズが全てを覆い隠しているから、グラタンに使用されている食材は、まだ分からないけども。主に使わている食材に、そこまで固い物はなかったはず。
 気を付けるとするならば、弾力がある鶏肉ぐらいかしら。……鶏肉の弾力すら危ういなんて。相当弱っていそうね、私のアゴ。

「それじゃあ、いただきまーす」

「いただきます」

 アゴに負担を掛けないよう小声で食事の挨拶をし、スプーンを手に取る。
 グラタンをスプーンですくってみれば、太いチーズの糸が、すくった部分を逃がさまいと、細くなりつつ伸びていく。
 なんだか、チーズの伸び方がピザと似ているわね。そうだ。確かグラタンって、ピザ用のチーズが使われていたっけ。なら、この既視感は、あながち間違いじゃないわね。

「アチチッ、はふはふはふ……」

 熱々なホワイトソースから広がる、濃厚でコク深いクリーミーな風味。とてもまろやかで柔らかい舌触りだ。ほのかに感じる、牛乳の引き締まった甘さに。後を引く、バターの控えめな塩味。
 しかし、焼かれた事によって増した、チーズの香ばしさも負けていない。カリッとしていて、香ばしさが特に強く、ホワイトソースの甘さを引き立てるほろ苦さも感じるけど。これは焦げ目の部分かしら?

「あら? チーズとはまた違う、ぷにっとした食感が……」

 鶏肉の弾力じゃない。舌と上顎で挟めば簡単に形が変わるけど、離せば潰れずに戻っていく。形自体は、細長くて丸っこそう……。
 いや。何をやっているのよ、私は。わざわざ口の中で正体を探らなくてもいいじゃない。実際に、この目で確かめればいいのよ。

「ああ、マカロニね」

 該当しそうな食材が他にないので、先のぷにっとした食感は間違いなくこれだ。後は、小さめにカットされた鶏肉に、飴色をしたタマネギ。
 鶏肉は、ちょうどいい小ささね。あまり力を入れずとも、簡単に噛み切れる。身の方は、相変わらず何色にも染まらない淡泊さがあるけど。そのお陰で、皮から滲み出てくる甘さが際立つ。
 タマネギは言わずもがな。ホワイトソースがたっぷり染み込んでいるから、互いの異なる甘さが上手く絡み合い、良い部分だけを底上げしてくれている。

「さてと、パンに付けて食べてみようかしら」

 この食パン、やはりふわっふわね。真ん中から割いてみたけど、力なんてまったくいらないほど柔らかい。持ってみた感触もそう。あまりにもふわふわ過ぎて、弾力が皆無だ。
 押した箇所だけ、へこんだまま戻ってきてくれずに固くなってしまうから、気を付けて持たないと。グラタンの付け方は、どうしようかしら?
 スプーンで直接すくって、上にかけるのもありだけど。スプーンだけじゃ、どうしてもすくい切れない箇所があるのよ。
 ちょっとはしたないけど、グラタンを綺麗に完食したいし、食パンで皿の底をなぞって付けちゃおっと。

「う~ん。食パンとグラタン、合うじゃないっ」

 柔らかくて口溶けが良い食パンを噛む度に湧いてくる、芳醇で上品な甘味。食パン単体でも、十分に楽しめるぐらいおいしい。
 そして、食パンの香り高い甘さと上手く同居している、ホワイトソースのコク深い濃厚な甘さ。
 喧嘩するどころか、手を組んで更なる違う甘さを生み出し、私をとことん楽しませてくれる。食パンは今日初めて食べたけど、悪くない。食パンも、色んな料理に合いそうだ。

「ふうっ、おいしい」

「グラタンは初めて作ったけど、どうやら口に合ってくれたみたいだね。よかったよかった」

「え? とてもおいしかったけど……。初めて作ったの? このグラタン」

「うん。流石に作り方も分からなかったし、レシピを参考にして作ってみたんだ。なんとか形にはなったけど、少し塩コショウが足りなかったかな?」

 嘘? 十分おいしかったのに、自分が作った料理に対してダメ出しまでするの? ハルの向上心って、なかなか凄まじいわね。

「それはそうとさ、メリーさん。全部食べてくれたけど、スルメイカは美味しかった?」

「完食したんだから、聞くまででもないでしょ? けど、次用意する時は、もっと小さいのにして欲しいわ」

「ああ、ごめんごめん。実はあれ、兄貴の差し入れでね。産地直送物で、この辺では売ってない特大サイズのスルメイカなんだ。すごく美味しかったから、メリーさんにも食べて欲しくて出してみたんだ」

「あっ、そうなのね」

 だから、あんなにおいしかったんだ。……待って、産地直送物? つまり、あれ以上においしいスルメイカって、この辺じゃ売っていないって事?

「……ねえ、ハル? あのスルメイカ、もう食べられないの?」

「そうだなぁ。ネットで注文すれば、来週には食べられると思うよ」

「ね、ネット注文……? そう、分かったわ」

 ネット注文という言葉が出てきたという事は、やはりこの辺じゃ売ってない代物のようね。全部食べないで、半分ぐらい残しておけばよかったわ。勿体ない事をしたかも。

「そうそう、メリーさん。ちょっと、お願いがあるんだけどさ。聞いてくれない?」

 口調を改めたハルが、何かを企んでいそうな緩い笑みを浮かべた。この時のハルって、どうもつかみどころがないのよね。
 けど、どうせ断っても話を強引に進めてきそうだし。内容も内容で、いつも私にとって悪い話じゃない。まあ、とりあえず聞いておこう。

「なに?」

「また奢ってあげるからさ。今度の土曜日にでも、寿司屋に行かない?」

「寿司屋?」

「そう! 回転寿司だけど、メリーさんが食べたい寿司を自由に食べてくれていいよ。だからさ、一緒に行こ」

 回転寿司。CMでも、観ない日はないぐらいに出てくる料理だ。確か、握った酢飯にマグロやエビが乗っているのよね。
 そういえば、海鮮類はまだ生で食べた事がない食材だ。一体どんな味がするんだろう? ハルに誘われたせいで、だんだん気になってきちゃった。
 でも、私だってリクエストしたい料理がある。これを条件に出しつつ、ハルの誘いを受ければいいか。

「いいけど、一つ条件があるわ」

「条件?」

「辛くて本格的な麻婆豆腐丼が食べてみたいの。それを先に食べさせてくれたら、寿司屋に行ってあげるわ」

「辛くて本格的な麻婆豆腐丼? ああ~、調味料って何が必要だったっけ……?」

 条件を出した途端。ハルが難しい顔になり、スマホを手に持って操作し出した。困惑しているようにも見えるけど。あのハルでさえ、作るのが難しい料理なのかしら?

豆板醬トウバンジャン豆鼓醤トウチジャン……、山椒。ははっ、全部無いや」

 ヒクついたハルの口から出るは、なんとも乾いたから笑い。あの諦めがついた反応よ。もしかして、ハルでも作れないっていうの?

「こりゃ~、寿司屋へ行く前に、中華料理屋に行くしかないか」

「え? 中華料理屋?」

 思わずオウム返しをすると、ハルは右肘をテーブルに突き、握った拳に頬を置いて肩を落とした。

「そっ。店に行った方が、より美味しくてメリーさんが求めてる麻婆豆腐丼を食べられるしね。なんだか私も、久々にエビチリが食べたくなってきちゃったや」

「エビチリっ」

 エビチリって、真っ赤なチリソースがたんまりと掛かった、プリプリのエビがおいしそうな料理だったわよね? あれも、ご飯ととても合いそうなのよねぇ。
 どうしよう。ハルのせいで、食欲が浮気してしまいそうだわ。けど、ハルがエビチリを頼むであれば……。

「ね、ねえ、ハル?」

「んっ? どうしたの?」

「ハルのエビチリ、少しだけ分けてくれないかしら?」

「エビチリ? ああ、全然いいよ。どうせだし、一品料理でホイコーローも頼んじゃおうかなー」

「ホイコーローっ」

 ハル、なんて事を考えているの? それ以上頼んだら、いくらご飯があっても足らなくなっちゃうじゃない。麻婆豆腐丼とは別に、ライスも頼まないと───。

「あ、そうだ。明日の夕食は唐揚げにする予定だけど、明日中華料理屋に行っちゃう?」

「唐揚げっ! いや、行くのは明後日にしましょう。だから、明日は唐揚げにしてちょうだい」

「おおう、判断が早いね。分かった、明日は唐揚げね」

 やった! ハルが作った唐揚げを食べられるっ! なんだ、明日の夕食は唐揚げだったのね。もっと早く言って欲しかったわ。
 どれだけ凄まじくて強力な食欲の誘惑が来ようとも、ハルが作った唐揚げに勝るものは無い。それにしても、すごいラインナップになっちゃったわね。
 明日は、ハルが作った唐揚げ。明後日は、本格的な料理を求めて中華料理屋へ。そして土曜日に、回転寿司屋。
 これは、心してかかった方が良さそうだ。特に問題なのが、中華料理屋。当日までに、食べたい物が変わっていなければいいんだけども。
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