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94.敗北感

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 アデルジェスは広場でネリーと話しながら、露店で買ったものを食べつつ過ごしていた。
 するとだんだんと周囲の視線を感じるようになってきた。
 いったい何だろうと思っていると、今度は声をかけられるようになってきたのだ。最初はただ挨拶されたので、不思議に思いつつ普通に挨拶を返していた。

「これから少々、お時間ありませんか?」

 ところが、だんだんとこのような誘いを持ちかけられるようになってきた。
 戸惑いながら断りつつ、ネリーに助けを求めてみる。

「あなたが凄腕の色事師だっていうから、興味を持っているんじゃないかしら。誘ってきたのって、色好みで知られている連中よ」

 ネリーから返ってきた答えにアデルジェスは愕然とする。そんな目で見られていることに寒気すらしてきた。

「さすがにミゼアスと一緒だったら声なんてかけられないでしょうけれどね。あたしじゃダメだわ。逃げたほうがいいかもしれないわね。ミゼアスの部屋が一番安全だと思うわ。あの館内だと他の白花だって、ミゼアスが怖くて何もできないでしょうし」

「うん……そうする……」

 アデルジェスはため息を漏らした。
 仕方がない。ミゼアスの部屋に戻ることにしよう。ネリーと別れ、素早く露店でいくつか食べ物を買って、アデルジェスは足早に広場を去った。

 途中の道でも視線を感じはしたが、声まではかけられなかった。無事、ミゼアスの部屋まで戻ってきたときは脱力感でぐったりしてしまった。
 一息ついたところで、露店で買ってきたパンを食べる。まだ温かいパンは中にチーズが入っていて、とろとろと溶け出してきた。香ばしくて美味しい。
 甘い焼き菓子も買ってきてある。いくつか食べたところで、扉を叩く音がした。
 ミゼアスだろうかと期待したが、入ってきたのはやはり違う人物だった。

「こんにちは、ジェスさん。戻ってきたって聞いたんで、ちょっとお願いがあって来ました。ウインシェルド侯爵がジェスさんに会いたがっているんで、来てもらえませんか?」

 現れたヴァレンは聞き覚えのない名前を口にする。

「え……? ウインシェルド侯爵って……?」

 侯爵というくらいだから、貴族だろう。しかも爵位からいえば上級貴族ではないだろうか。当然、アデルジェスにそのような偉い知り合いはいない。

「ミゼアス兄さんの一番の馴染み客ですよ。ミゼアス兄さんが見習いの頃から目をかけていて、もう十年くらい付き合いがあるみたいですね。あの特殊な花月琴、『雪月花』をミゼアス兄さんに贈ったのもウインシェルド侯爵ですよ」

「え……」

「それと昔ミゼアス兄さんが大病を患ったとき、この島の医者全員に見放されたんですけれど、知っています?」

「え……? い、いや、病気のことは少し聞いたけれど、そこまでは……」

「もう手の施しようがないと言われたミゼアス兄さんのために、魔術医を連れてきたのがウインシェルド侯爵でした。王族でもなければ手が届かないと言われる魔術医を、です。それでミゼアス兄さんは一命を取り留めたんですよ」

 アデルジェスは目の前が暗くなるようだった。
 長い間ミゼアスのことを知っている、身分の高い存在。しかもミゼアスの命の恩人とすら言える相手だ。到底、敵うわけがない。
 いったいどのような男なのだろう。しかし想像するまでもなく、アデルジェスは敗北感に包まれていた。嫉妬するのすらおこがましい。
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