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第二章

第28話「ビッグポイズンスライム」

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 魔法を感知したノエルに先導され、街道から大きく逸れて再びリナート草原の方まで戻ってくる。

 今回は実質、複数のパーティが同じ地域でスライム討伐の依頼を受けている。リナートの冒険者ギルドは無用なトラブルを避けるために、依頼の受注時に各々のパーティが分担するエリアを大まかに割り振っていた。

 ノエルが案内した先は、他のパーティの取り分となっている狩り場だった。恐らくは白豚お坊ちゃんのパーティに任されたエリアである。

 その辺りは外観こそ俺達がスライム狩りをしていた場所と同じ湿原と化した草原の一部だが、踏み入ると異様な光景が広がっていた。

 他ではうっとおしいくらい大発生しているスライムの姿が全然見当たらない。

 消えているというわけではなく、雨で流されかけているが千切れたスライムゼリーや散乱したスライムオイルが散らばっている。まだ真新しいので、どのスライムも倒されて間もない。

 冒険者が倒したのならば、いくら何でも素材を捨て過ぎている。価値がない物だったら魔石だけ回収していくのは俺達もゴブリンしか出てこないダンジョンでやったことはあるが、スライム相手なら話は別。

 辺りに散乱するスライムの死骸の数々に魔石は一つも残されていない。さながら熊が冬眠前の栄養を蓄えるのに、乱獲した鮭を腹だけ食って捨てているような感じだ。

 もしくは実を割って種だけ抜き取るような、どのスライムもそんな殺され方をしている。

「(……ここで何があったんだ?)」

 そもそも村々の刃を使っても一刀両断で真っ二つにするのが難しいスライムを、千切って投げるように倒すのは並大抵の人間には真似できない。

 一体どんな相手がこの惨状を引き起こしたのか―――答えはすぐに見つかった。

「うわっ、何あのスライム!? 凄く大きい!」

 通常のスライムも水を限界まで吸っていれば、大型トラックやダンプカーのタイヤみたいなデカさをしているが、驚くライラが指差す先にいるイレギュラーは更に大きかった。

 ちょっとした家と同じくらいのサイズがある。色はスライムらしい水色ではなく、先ほど倒したポイズンスライムと同じ紫色。

「ビッグポイズンスライムです!」

 トリシアがそいつの名前を教えてくれた。見たまんまの、巨大なポイズンスライムである。

 質量が大きい分、相応に魔力も多いのか、通常のポイズンスライムよりはスライムらしい形状を保っており、更にはスライム以上にその不定形の体を扱いこなせている。

 せいぜいゴムボールのように弾む動きが精一杯な通常のスライムに対し、ビッグポイズンスライムは自身の体の一部を触手の如く伸ばせるらしい。

 現に目の前では絡め取られたスライム達がパンのように千切られ、核の目玉を魔石ごと捕食されていた。

 たった一匹で草木を食い尽くす蝗害みたいにスライムを貪り食っている。モンスター同士で共食いをしているのには、二つの理由があった。

 一つ目はビッグポイズンスライムが自身の巨体を維持する魔力と水分エネルギーを補給するため。ただの水よりはスポーツドリンクの方が栄養も吸収もいいように、同類のスライムを捕食するのが最も効率的だからだ。

 そして二つ目。それは中身を吸い尽くしたスライムの魔石を、子孫繁栄の“種子”として再利用するためだ。

 “目玉たまご”になるまで体内で育ったモノをビッグポイズンスライムが三つほど吐き出す。自身の体組織液と一緒に排出されたそれは、三匹のポイズンスライムとなって活動を始める。

 これで白豚お坊ちゃんを殺したポイズンスライムはどこからやってきたのかという謎が明らかになった。ただし、今度は生み落としたビッグポイズンスライムが「一体どこから現れたのか?」という新しい謎が生じてしまったが。

 しかし、今は考えている時間などない。白豚お坊ちゃんのパーティで唯一の生き残りらしい満身創痍なエルフの男奴隷が、単身でビッグポイズンスライムとその子供達と対峙していた。

 さっきの雷魔法は彼が唱えた魔法だったらしい。恐らく攻撃目的ではなく、助けを呼ぶ狼煙であると同時にスライムを倒して魔石を回収するために。

 スライムの魔石さえなければ、ビッグポイズンスライムもポイズンスライムを生み落とせない。いや、もしかしたら時間をかけることで子を生成すること自体は可能なのかもしれないが。

 近くのスライムが魔石ごと捕食される前に倒して回収すれば、これ以上ポイズンスライムが増えるのを防ぐことができるので正しい判断だと言える。

 ただし、既にビッグポイズンスライムはここまで来るのに周辺のスライムを相当数捕食済みで、弾となるスライムの魔石が既に相当な数の貯蓄が体内にされているという事実の前には手遅れだが。

 エルフの男奴隷は貧血のようにフラフラとしながら、長い樫の杖を支えに立っているのもやっとの状態なようだ。

 魔力が切れかかっているのに加え、俺達がくる前にポイズンスライムから毒を食らっていたらしい。

「ノエル、悪いが少しだけ連中を引きつけてくれ―――トリシア、毒消しは?」

「用意しているのはご主人様に言われてた通り、この5つだけです」

 薬にだって使用期限がある。ポーションのような飲みやすくて効き目の早い水薬は腐りやすいがゆえに薬効期限が特に短く、本来は服用前に薬師が調合して処方するような代物だ。

 携帯して持ち運ぶにも限りはある。だが必要な時にいざ足りないというのも困るので、トリシアにはパーティの人数分+予備という最低限の数の解毒薬を常に用意してもらっている。

 試験管のような瓶に入れてある解毒薬をトリシアから二つ受け取ってノエルに手渡す。

「俺の分も持っていけ」

「えっ? ですが、それではご主人様の分が―――」

「君が一番危険なポジションに立つんだから当然だ。議論してる暇はない、早く」

 戦闘中に入れ物の瓶が割れて薬液が零れてしまうリスクを考慮し、ノエルは二つの解毒薬をそれぞれ別のポーチとポケットの中に突っ込む。

「ありがとうございます、ご主人様」

 矢筒から残り僅かな矢を抜き、ノエルはショートボウを手に駆け出す。

「マギア・ニグルム、イグニス―――」

 自身と敵の位置を的確に判断した彼女は、駆けながら一本の矢で三匹同時にポイズンスライムの目玉コアを射るという芸当を遣って退ける。しかもビッグポイズンスライムの注意を逸らすために、攻撃魔法の詠唱を始めて魔法陣を展開しながら。

「―――スパエラ―――ヤクタ―――ファイアボール!」

 言い放つと同時に、黒魔法で生み出されたバレーボール大の火球は砲弾のように発射される。

 雨という天気に加えて湿原というフィールドは非常に水の魔力が濃く、本来なら水の魔力と相性の悪い炎属性の魔法は攻撃目的で使うのには相応しくない。

 だが魔力探知のみで獲物を探すスライム系のようなモンスターの注意を簡単に引ける。相反する属性をぶつけて干渉させることで、その場の魔力に掻き乱すのは大声を上げてアピールするようなもの。

 元々スライムよりも魔法攻撃への耐性が強いビッグポイズンスライムに〈ファイアボール〉では、揚げ物の最中に油がはねるようなダメージしか与えられなかったが、ノエルは目論見通りに相手の敵意を自身へ向けさせることに成功した。

 その様子を最後まで見届けず、ノエルなら役割を果たすだろうと信じて俺とライラも行動を開始する。

 駆けつけた俺達の姿に安堵したのか、膝をついてしまったエルフの男奴隷まで駆け寄る。俺はライラと一緒に彼の肩を左右から抱き支えながら、まずはトリシアのいる後方まで連れていく。

「(この人……何だかやけに軽いな?)」

 背の高く筋肉質なエルフの成人男性にしては体重が妙に軽い。自力での歩行が困難な脱力状態なので、最悪ライラと力を合わせて引き摺っていく覚悟だったのだが、拍子抜けしてしまうほど重さを感じなかった。

 予想していたよりも簡単に、ビッグポイズンスライムとの戦闘に巻き込まれない距離までは引き離すことができた。

 会話はできそうにないが、まだ意識はあるようだ。コルク栓の封を外し、すぐさま予備の分の解毒薬を飲ませていく。

 残り二つの解毒薬は、この場で待機させるライラとトリシアに一つずつ持たせた。場合によっては一つ飲ませただけでは解毒し切れないかもしれないので、彼の容体を任せる彼女達の判断でそれを追加投与させる。

「ライラ、いつも手順で頼む」

「うん、任せて」

 普段のモンスターとの戦闘と同じように、まずはライラに〈プロテクト・スケイル〉の白魔法で不可視の魔法鎧を纏う。

「だけど……どうやって倒すの?」

 ビッグポイズンスライムと戦闘中のノエルは、攻撃魔法を織り交ぜることで矢筒に残った僅かな矢を節約しつつ、次々と生まれてくるポイズンスライムを処理しているものの、最も得意な剣を鞘から抜くことができずに攻め手を欠いたまま時間稼ぎをしている。

 迂闊に剣で斬れば噴き出る毒液のカウンターを食らってしまう。せめて間合いを取りやすい槍でもあればいいのだが、この場には代用できそうな枝の一本すらない。

「毒液さえ浴びなければ、直接斬りかかれる」

 傍にあったスライムの皮膜スライムゼリーの中から状態のいい物を選び、うち一枚の中心部分を村々の刃でくり抜く。

 開けた穴から頭を入れて被れば即席の防護服だ。床屋で散髪中のような見た目になってしまうが、背に腹は代えられない。

「……後はこいつに頼ろう」

 自分の荷物の中から取り出したのは、元の世界から持ち込んだ私物である携帯用折り畳み傘。

 正直、小さくて雨もロクに防げないお守りのような代物だが、今はこれを防盾にするしか他に選択肢がない。

 飛ばしてくる毒液の対策を徹底し、俺も村々と開いた傘を手にしてノエルの援護に向かう。

 多勢に無勢。流石のノエルも、鞭のように振り下ろされる触手の攻撃を避けながら取り巻きのポイズンスライムの毒液攻撃を回避するのは無理があったようだ。

 何匹ものポイズンスライムが、弧を描く痰のように毒粘液を吐く。不幸なことにそのうちの一つの放物線は、ノエルが回避行動を取った先と重なっていた。

 俺と同じでノエルは利き手が左手。なので盾を右手に装備しており、彼女は樫の盾で自分の頭を守る。

「っ!?」

 頭部への直撃こそ免れたが、飛び散った粘液の飛沫や盾の表面から滴り落ちる紫液にノエルは顔を歪める。

 既に何度も攻撃を防いで亀裂が走っていたせいか、そこから侵入した毒液に右腕を侵されてしまったのだ。彼女はすぐさま使い物にならなくなった盾を放棄したものの、毒を浴びてしまう。

「ノエル! 一旦下がれ!」

「くっ……すいません、すぐに戻ります!」

 職業軍人な経験のある元騎士らしく、応急手当も手際が早く冷静に処置している。

 すぐには解毒薬を使わず、腰のベルトからナイフを抜くと毒で汚染された服の右袖を切って破り捨て、肌に残った毒液もナイフの背を使って拭いながら雨で洗い流す。

 渡しておいた二つの解毒薬のうち、一つ目の解毒薬を取り出してノエルは半分だけ口に含み、残りは毒液がかかってしまった右腕にかけていく。

 市場で売買されている一般的な解毒薬や解毒剤には毒消しの効能しかないのだが、薬師のバーサさんにみっちりと鍛え上げられたトリシアの作った薬は、絶妙な匙加減の調合によって自然治癒力を高める回復効果も付与してある。

 加えて薬品の知識や調合技術に長けた錬金術師が錬成するポーションの類は、飲み薬にも塗り薬にもなるらしい。うちのパーティに錬金術専門のトリシアがいて本当に良かったと思う。

 とはいえ、これ以上は誰も毒を受けないのに越したことはない。

 スライムゼリーの即席防護服と折り畳み傘の防盾が機能することを祈りつつ、まずは邪魔なポイズンスライムを片っ端から駆逐していく。

 逆手に握った村々の刃を突き立て、可能な限り露出した目玉コアだけを狙う。

 飛んでくる毒液や、うっかり体を割いてしまって噴き出てきた毒液は、常に移動して回避し続けるか、傘を突き出してガードする。

 毒液の粘性が高いので、攻撃はどれもひと塊で飛んでくるのは逆に助かる。スプレーのように霧状に散布されたり、もっと水に近い液体だったら避けるのは非常に困難だった。

 ポイズンスライムの毒は毒虫や毒キノコのようなモノではないし、ヘビ毒の神経毒や出血毒とも違う。

 ジワジワと体力を削っていく、ゲームに登場するような毒だ。魔法によって毒化した魔力の塊そのもので、むしろ呪いや祟りに近い。

「(解毒手段がない状況で喰らったら最後、真綿で首を締めるように殺されちまう!)」

 ポイズンスライムの毒だけでも厄介なのに、そいつらを延々と生み出す母体のビッグポイズンスライムは更にその数倍は厄介極まりない。

 手下のポイズンスライムが吐く毒液の十字砲火と一緒に攻撃を加えてくる。自身の体を伸ばし、電柱のような太さの触手が何本も振り回していて、接近することさえ困難。

 〈プロテクト・スケイル〉の加護があっても、クリーンヒットしたら致命傷は免れない巨体そのものを武器にした攻撃。それが止んだと思えば、せっかく数を減らしたポイズンスライムを生み落としてくる。

「ノエル、矢は何本残ってる?」

「あと一本だけです!」

 俺のやり方を真似たらしいノエルは、近くに転がっているスライムの亡骸から分捕ってきたスライムゼリーをバスタードソードを握る左手にグルグル巻きにして、ラップを巻いて作ったような防水籠手にしている。

 その状態なら剣身だけ露出させたバスタードソードでポイズンスライムを斬っても、毒の返り血を腕に浴びる心配はない。

 毒を消して完治した右手には、別の個体から剥ぎ取ったらしいスライムゼリーを半分畳んだマントのように持っていて、いざという時はそれを被れば毒液を防ぎ切れるだろう。

 ポイズンスライムの毒は驚異的な一方、体外に排出されて本体からの魔力供給が止まるとあっという間に不活性化し、触っても平気なくらいには無毒になるようなので、直撃さえ防げれば何とかなる。

 毒が毒として機能するには、生命力と密接な関係にある魔力が循環している他生物にうつった時だけ。ある意味、細菌やウイルスのような病毒のそれともよく似ていた。

「雑魚の面倒は俺に任せろ! ノエルはあのデカブツをやれ!」

「承知しましたわ!」

 我ながら酷い無茶ぶりだが、俺の村々ではどう頑張っても弱点の目玉コアまで刃が届かない。

 体が溶けているポイズンスライムの目玉は露出しているが、ビッグポイズンスライムはその体積ゆえに普通のスライムと同じく目玉が中に引っ込んでいる。

 であれば、取り巻きのポイズンスライムは俺が一挙に引き受け、攻撃魔法が使えるノエルが対峙するというのが現状では唯一の手。

 ノエルが魔法を使えば使うほど、魔力探知で敵を探すポイズンスライム達の敵意ヘイトは彼女に向いてしまう。なので、俺は死ぬ気で村々を振ってポイズンスライムを片っ端から斬り潰す。

 ムラムラ・・・・してしまう呪いのデメリットがある村々を使うのには不都合な持久戦になる。勿論、毒を浴びたらそこで試合終了どころかゲームオーバー。

「(後先考えてる暇はない! とにかく倒して、倒して、倒すしかないぞ!)」

 ビッグポイズンスライムが自分の子を生み出すのに必要なスライムの魔石をどれほど溜め込んでいるか定かではない。紫色の体は濁っていて中まで見えず、辛うじて本体の目玉らしいシルエットが分かるだけ。

 だがポイズンスライムの生成にも数に限りがあるはずだ。いくら大量に生み出せるとはいえ、いつかは底をつく。

 問題は俺の体力や理性の鎖がそこまで持つかどうかなのだが。

 倒したポイズンスライムの数が両手両足の指では数えられず、もう何体倒したかも分からなくなってきた頃、とうとう盾代わりの折り畳み傘が壊れて使い物にならなくなってしまう。

 本来の使い方ではないし、ずっしりと重い毒の粘液を受け止めまくったせいで骨組みは修復不可能なまでに折れてしまい、安っぽいプラスチックの持ち手部分も外れてしまった。

 傘を捨てて空いた左手は、いつものように村々の柄を握り込む。できるだけ肌の露出を抑えるように、スライムゼリーの防護服の下にあるポンチョのフードは視界を塞がない程度に深く被る。

 そうして更にポイズンスライムを斬って捨てるのを数え切れないほど繰り返す。油断できない状況なのに村々は容赦なく性欲を煽っていき、下半身に血が滾り過ぎて別な意味で貧血になりそうだった。

 ビッグポイズンスライムと相対するノエルが〈サンダーボルト〉や〈ファイアボール〉で攻め立てている戦闘音も途切れることがない。魔力のスタミナ的なタフさには自信があると言っていた彼女も、魔法攻撃にいくらか耐性持ちな強敵が相手で流石にバテてきている。

 生み出されるポイズンスライムの数や生成頻度は目に見えて減ってきている。少なくとも撤退はできるが、はたしてビッグポイズンスライムこんなヤツを野放しにしてもいいのだろうか。

 このまま戦闘を継続するか、それとも逃げるか―――そんな二択で迷っていた隙を狙われ、ビッグポイズンスライムの触手が不意に伸びてきた。

「しまっ―――」

 単なる気まぐれによる標的変更か、それとも自分の子供を殺されまくった怒りか。

 理由はどうあれ、レベルの高いダンジョンで初めてお目にかかるようなボスモンスタークラスに捕縛されてしまい、紫ゼリーの触手に締め上げられた俺はそのまま振り回されてしまう。

 今にも壊れそうな、廃墟となった遊園地の空中ブランコに無理やり乗せられている気分。

「ご主人様っ!」

 慌ててノエルが助けてくれようとするが、遮るように残り少ないポイズンスライムに囲まれてしまい、まずはそちらの処理を余儀なくされる。

 ライラやトリシアが俺の名前を叫ぶのも聞こえた。だが答えるどころか、ブンブンとオモチャのように振り回されているせいで言葉を聞き取ることすら困難だった。

 即席防護服のおかげで、毒素の塊みたいな触手に巻き付かれても運よく毒には侵されずにいるものの、このままでは空中で体が千切れ飛んでしまいそうだった。

 ビッグポイズンスライムが俺を痛め付けるのに飽きて地に叩きつけられでもしたら、いくら下が湿原の柔らかい地面であっても、ライラが付けてくれた〈プロテクト・スケイル〉の防御力があっても意味を成さないだろう。

 最悪なことに愛刀の村々は掴まれて持ち上げられる際に手放してしまった。解体用のナイフを抜いて抵抗しようにも、ガッチリ掴まれていて身動きどころか呼吸すら儘ならない。

 万事休すとは、まさにこのことだった。

「マギア・ニグルム、グラキエス―――」

 不思議と耳に届く静かな呟き。

 だがそれは、魔力の流れや作用に干渉するほどの力強い言葉だった。

「―――ファキオ、ラーミナ―――クレスクント―――サジッタ―――」

 魔法を発動させるために唱える呪文。黒魔法を操るために、習得は必須とされるルーン言語である。

 しかし、聞こえてくるのはノエルの詠唱ではない。聞き覚えのある彼女の声ではない、別の誰かだ。

「―――ラディウス! アイスアロー!!」 

 矢尻だけの、魔法で作り出された大きな氷の矢。さながら断頭台のギロチンみたいに分厚く、しかし剃刀のような鋭さ。

 真っ直ぐ放たれた魔法の氷の矢は、俺を掴み上げていた触手を根元から両断した。本体も触手の方も断面は一瞬で凍り付いて毒液は溢れ出てこない。

 重力に引かれ、千切れた触手と一緒に落ちながらも俺は何とか受け身を取ることに成功し、酸素を求める肺のために必死で息を吸って吐くのを繰り返す。

「大丈夫かい?」

「あ、ああっ……ありがとう、助かった……。」

 突然現れて窮地を救ってくれたのは、声からして女性の魔術師のようだ。

 素早く息を整え、項垂れていた頭を上げ、俺は相手の顔を見る。

 目の前に立ってたのは可愛らしいエルフの美少女だった。160cmに満たない背丈から察するに恐らくハーフエルフで、同じく混血のノエルよりもいくらか年下の子だ。

 ふわっとした白灰の長い銀髪は綺麗で艶やか。

 パッチリとしたアメジストパープルの瞳は、同じ紫色でもポイズンスライムの汚らしい色とは雲泥の差で、陶器のように滑らかな白い肌は降り積もったばかりの新雪のようにシミ一つない。

 鼻筋がすうっと抜けるように通った中性的な顔立ちは人形のように整っているが、容姿端麗すぎる美人にありがちな近寄り難い雰囲気や無機質な感じはなく、屈託のない笑顔が接しやすい愛嬌がある。

 神秘に映るエルフの幻想的な魅力と、どこかヒューマンらしいリアルな美貌に歳相応な可憐さとが融合し、いいとこ取りして昇華させたような、ノエルに勝るとも劣らぬハーフエルフの美少女らしい容姿の良さだ。

「ふふっ、僕は君の奴隷と同じハーフエルフじゃないよ?」

 顔や目に思考が出てしまっていたのか、彼女はまるで俺の心を読んだように言う。

「僕は四分の一クォーターエルフだからね―――さ、お互いの自己紹介よりも先に敵を倒そうじゃないか」

 今が戦闘中だったのを思い出し、目の前の美少女に見惚れていた俺は慌てて近くに落ちていた村々を手にし、その切っ先を今現在ノエルが単身で抑えてくれているビッグポイズンスライムの方へ向ける。

「倒すのを手伝ってくれるのか?」

「ああ、いいとも。君には是非お礼を返したかったからね」

「……礼?」

 初めて会うはずの相手なのに、彼女の方はまるでどこかで会った事のあるような口振りだった。
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