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第一章

第20話「黄昏時」

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「―――お婆ちゃんの遺品整理を手伝って頂き、ありがとうございます」

 まだ落ち込んではいるが、幾分か元気を取り戻しつつあるトリシアは、そう言ってペコリと頭を下げる。

 バーサさんの急死を知ってから丸二日ほど経った。

 俺達はトアールの町から旅立つ準備を一端中断し、遺品整理の手伝い―――もとい、店仕舞いの作業を手伝っている。

 以前までは所狭しと薬壺や薬瓶が並び、すれ違うのも一苦労だった薬屋の店内は商品棚も全て無くなり、綺麗に片付き過ぎて逆に落ち着かないほど広々としていた。

「私みたいなハーフリング一人じゃ、ここまで片付けるのに何日かかっていたことか……。」

「いいのいいの、気にしないで。ちゃんと依頼として受けたんだから」

 特にトリシアと一番親しいライラからの要望もあり、俺とノエルも手を貸してこの店舗兼住居な貸家を空にする作業を二日かけて行っていた。

 何だかんだでライラの購入資金のツケを支払うのにバーサさんには色々と世話になったので、俺としてはその恩返しも兼ねているのだが、実際のところは新たに仲間に加わった三人目の奴隷のため。

 三人目の奴隷―――それはつまり、所有権が亡くなったバーサさんから俺へと移ったばかりの、錬金術師のトリシアのことである。

 トリシアの隷属の首輪にある所有者名には既に俺の名前が刻まれており、奴隷用の冒険認識票アドベンチャータグも作成して俺のパーティへ登録済み。

 彼女の身請けがスムーズに進んだのは、バーサさんが遺言状を残していたからである。

 遺言状の内容は「死後、自分の遺産は奴隷のトリシアを除き全て売却し、資金は全て自分の葬儀代と教会への寄付金、そしてトリシアの所有権を譲渡する際に奴隷商へかかる所有者変更の手数料にあてる」というもの。

 その遺言状を元に、バーサさんは事前に冒険者ギルドで「自分の死後に遺品を整理して欲しい」という依頼を出していたのだ。

 報酬金とは別に、追加報酬としてトリシアという奴隷も用意されていて、何よりトリシア自身が依頼する相手を選ぶ―――つまり、自分の次の主人を探すという特殊な依頼。

 彼女は俺にその依頼を託し、自分の身を預けてくれたというわけだ。

「(……バーサさんがトリシアを奴隷身分から解放しなかったってことは、それだけ奴隷の解放税が高額だから何だろうな)」

 簡単に奴隷から開放してやれるなら、バーサさんはとっくにトリシアのことを解放し、自分の店を任せていたはずである。

 そうしなかったというよりも、そう出来なかったと言いべきだ。

 奴隷解放税というのを納税することで、所有者は自分の奴隷をその身分から解放させて自由民にすることができるものの、これはある意味“馬の鼻先にぶら下げたニンジン”のようなものだった。

 そもそもの話、奴隷の所有者からすれば金を払って自らの財産を手放すに等しい行為である。よほどの手柄を立てなければ、普通は一度でも奴隷になると死ぬまで奴隷という身分からは解放されない。

 どうして奴隷の解放税が高額なのかと言えば、奴隷には年貢を納めたり、納税する義務が無いからである。

 解放税というのがないと、人頭税などを逃れるのに支払いの時期だけ一時的に奴隷身分に落ちて脱税したり、兵役逃れしたりという真似がまかり通ってしまう。

 奴隷制度は犯罪に対する刑罰としても機能しているので、凶悪な犯罪者という過去を持つ奴隷の再犯を防ぎ、野放しにしないという意味もあるのだろう。

 ちなみに労働年数によって奴隷の解放税は多少上下するらしい。

 トリシアは勿論のこと、ライラやノエルのような奴隷身分になったばかりの若い奴隷は高額な税金となるようだ。

 奴隷の物は主人の物。それは例え主人が死んだとしても同じことで、基本的に奴隷は自分の財産を持てない。

 そのため、奴隷は与えられた家に一人で住むことはできても、家主として住居を所有することは禁じられている。 

 なので不動産屋の大家も、いくら以前の持ち主が本当の孫のように可愛がっていた奴隷で支払い能力があるとはいえ、トリシアがこの貸家を相続することは認められない。

 所有者が死んで主人を失なった奴隷は、一定期間中に次の所有者となる相続人が現れなかった場合、その地域の役人などに保護されたり、販売元の奴隷商人へ行くこともあるが、それは故人に家族や友人に知り合いなど、形見分けをする相手すらいない時のレアケースな話である。

 奴隷に限らず、財産を受け継ぐ者がいないと持ち主不在となった財産は国庫行き。そういうところは日本と同じらしい。

 バーサさんのように天涯孤独で老い先短い人間は、今回のように自分の死後に発動する依頼を冒険者ギルドに出していることが多い。

 遺品整理と言っても早い話、大掃除の代行と大差ない。

 バーサさんとトリシアの店舗兼住居だったこの家は貸家なので、建物を借りる前の綺麗な空き家の状態にすればいいだけ。

 私物―――バーサさんが使っていた薬品調合用の器材や錬金術用の道具なども遺言状に沿って売り払い、店にある商品の薬や倉庫にあった薬の材料も買い手がついた物以外は処分した。

 作り置きでの販売もしていたが、基本は受注生産で薬を処方していたようなので、種類こそ多かったが数は意外と少なかった。

 後は大家に立ち会って貰えばいい。それもついさっき終わり、後は玄関を施錠して鍵を返すだけ。

 大家である初老の男性は「外で一服してるから、その間に戸締りを確認してくれ……バーサが可愛がってたそこのハーフリングに忘れ物がないか、よく隅々まで確認させてやれよ」とぶっきら棒にそう言い、煙草を吹かしに出ている。

 手ぶらでやってきた大家は、ヘビースモーカー特有の煙草の独特なニオイを纏っていたのに、この異世界において喫煙者御用達の煙管キセルを持っていなかった。火種は携帯していたのに。

 ということは、近所にある自分の家まで煙管を取りに行ったらしい。やけに戻ってくるのが遅いのは、不器用な男なりの気遣いというか粋な計らいなのだろう。

「あの、リンタローさん……いえ、ご主人様」

「ん?」

「お婆ちゃんの使っていた錬金道具なんですけど、本当に私が頂いていいんですか?」

 そう言ってトリシアは、足元にある大容量の背嚢リュックに目を向ける。

 限界寸前までパンパンに膨らんだそれの中身は、小型の錬金釜など錬金術に使う道具がみっしりと詰まっている。

「バーサさんの遺言状には、私物は全部売りに出して残りも処分してくれってあったが……それは一度売りに出したのを俺が買い戻したんだから、別に大丈夫だろう」

 ネコババなんてせず、遺言通りに一度売却したのだから問題ない。雑貨屋の店主は売りにきた客が自分で売った物を買って帰って行ったので首を傾げていたが。

 バーサさんの書き記した錬金術のレシピ本など、遺言では「処分してくれ」とある物も、形式上は一度捨ててから回収させて貰い、トリシアに渡してある。もちろん、うちのパーティで回復薬ヒールポーションと同じくらい生命線な避妊薬になるピィル草も。

「ご主人様、ライラさん、ノエルさん……手伝ってもらって本当にありがとうございました。最後の戸締りの確認は私が全部やっておきますから、外で待っていてください」

「あの、でしたら私もお手伝い致しますので―――」

 そう言って親切心から申し出たノエルを、俺とライラは一緒になって制した。

 二人揃って「今は一人にさせてあげよう」とノエルに伝えると、彼女は空気が読めなかったのを申し訳なさそうしながら小さく頷いて了解し、先に外へ出て行った。ライラもその後に続く。

「すいません、すぐ終わらせますから」

「いや、ゆっくりでいいぞ」

「……ありがとうございます」

 そう言ってトリシアは店の奥から順に裏口や窓の施錠を確かめに行く。

 俺も外に出てライラとノエルの二人と合流すると、丁度大家の男も煙管を片手にやってきた。

 彼はこの場にトリシアが、バーサさんが可愛がっていたハーフリングの奴隷がいないのを見ると、何も言わずに煙管を吹かし始めた。

 時刻は既に夕方で、太陽も地平線の彼方に沈もうという時間帯。

「……夕暮れ時ってのは、どことなく寂しくならねーか?」

 夕日に目を向け、しかし別の何かを瞳に映しながら、ふと思い出したように大家の男は呟く。

「それはだな……昼と夜の境目であるこの僅かな黄昏時だけ、この世とあの世が一瞬だけ交わり……生きてる人間も死んだ人間も、どちらも向こう側の世界に未練を持つ連中の想いが、そうさせるんだそうだ」

 顔に似合わず随分と詩的な言い回しだった。

「終わんねー昼はないが、明けぬ夜もない……いくら自分が立ち止まりたくても、残酷な世界は変わらず回り続けてそれを許しちゃくれねーんだ……だから故人の冥福を祈るなんてのは、この黄昏時に済ませちまうくらいで丁度いい」

 男は紫煙を吐き出す。そしてまた喫煙を始め、黙ってしまった。

 暫くして、また彼は思い出したように口を開く。

「かれこれ10年くらい前になるな……この町に流れてきたバーサが、ずっと空き家だったここを借りて薬屋を始めたのは」

「バーサさんは、一人でこの店を?」

「いや、女の子の孫と二人でやってきた。一人息子の忘れ形見だったそうだぜ」

 別の町からやってきたバーサさんには息子がいた。その人は奇しくも俺と同じ剣士の冒険者だったらしく、嫁さんはライラと同じ白魔導士だったとか。

 夫には先立たれ、息子夫妻も冒険者にはありがちなダンジョンの糧となって遺骨も残らずに死に別れてしまい、後には孫娘が一人だけ残った。

「……そのお孫さんは?」

 聞かなくても大よその見当はついているのに、俺は黙って耳を傾けているライラとノエルに代わって訊ねてしまった。

「……五年前に死んだよ。いや、行方不明になったと言うべきか」

 足が不自由になってきた祖母のため、お孫さんはいつものように一人で薬草の採取に出かけたが、ある日に忽然と姿を消してしまったらしい。

「孫娘がいなくなっちまって、バーサの奴は見てるこっちが辛くなるくらい落ち込んじまってな……でもある日、あの奴隷を買ってきて少しずつ元気を取り戻してきたんだ」

 それがトリシアだったようだ。

 バーサさんは居なくなったお孫さんの姿を、彼女に重ねていたのかもしれない。

「心残りはあるかもしれないが……まっ、最後の最後まで自分流の錬金術とやらを教えられて、一人寂しく孤独に死ぬなんてこともなかったんだから、バーサの奴もきっと満足だろうさ」

 故人の冥福を祈っていると、この間までは薬屋を営業していた建物から大きな背嚢を背負ったトリシアが出てくる。

 その目尻に浮かんでいた涙と、赤くなった目元に関しては誰も触れずに見て見ぬ振りをしている。

 師のようなバーサさんとの付き合いは一年と半年程度の短いモノだったのかもしれないが、だからと言ってそう簡単に割り切れるものでもない。

 トリシアにとって、この店舗兼自宅もさぞ深い思い入れがあるに違いない。最後にもう少しだけ、気持ちの整理をする時間をくれてやってもバチは当たらないだろう。

 やがてトリシアは玄関のドアの鍵を閉めると、その鍵を大家の男に差し出す。

「……達者でな、ハーフリングの嬢ちゃん」

「はい。今までお世話になりました」

 短く別れを告げて、大家の男は薬屋の看板が無くなって空き家となった建物を一瞥した後、どこか哀愁を漂わせながら煙管を吹かして帰っていく。

「それでは皆さん……改めてまして、よろしくお願いします。ハーフリングの錬金術師のトリシアです」

 新たに加わった三人目の仲間を、トリシアをパーティに迎え入れた俺達もまたその場を後にし、宿へと戻るのだった。
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