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■泣き虫な娘と、ワガママな息子/完結祝の短編

背中スイッチ

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「社長、一葉いちはちゃん、後ろで首がグデングデンなっちょりますよ?」

 野田に指摘されて、実篤さねあつは慌てて事務所の片隅に置いたベビーベッドに駆け寄ると、抱っこ紐の結び目を解いてそっと娘をベッドの上へ下ろした。

 と同時。
 パッと目を開けた一葉いちはが、顔をくしゃくしゃにして泣き始めるから。
 実篤は慌てて彼女を抱き上げた。

「赤子の〝背中スイッチ〟ホンマ凄いぶっ高性能じゃわ」

 授乳や抱っこで寝かしつけに成功した赤ん坊が、そっと布団の上に下ろした途端、起きて泣き出してしまう。
 まるで背中に起動ボタンが付いているかのようなこの現象を、「背中スイッチ」と呼ぶのだとくるみから聞かされた時は、なるほどのぅと思った実篤だ。

 幼な子を育てているパパ・ママの間では有名な、この「背中スイッチ」。

 実篤とくるみの一人娘の一葉いちはも、ご多分に漏れず高性能な背中スイッチを持った赤ちゃんで。

 ふぎゃふぎゃと顔を歪めていた一葉いちはが、実篤の無骨な腕に抱き上げられた途端ぴたりと泣くのをやめて、すぅすぅと寝息を立て始める。

 今は閉ざされていて分からないが、一葉いちはは目を開けたらクリクリとしたくるみ譲りの大きな瞳が、くっきりとした二重まぶたの中に収まっている愛らしい顔つきをしたお嬢ちゃんだ。
 目の色こそ実篤に似て濃いブラウンだが、実篤はこの子の目元が三白眼の自分に似なくて良かったと心の底から思っている。

一葉いちはちゃん、抱っこ虫さんですね」

 田岡がくすくす笑いながら実篤の腕の中を覗き見て。

 実篤は小さく吐息を落とした。

 この調子なので。
 一葉いちはを産んでからずっと、くるみはほぼ二十四時間体制で彼女を抱いている。
 実篤が家に戻ればもちろんくるみの負担を減らすべく一葉いちはの抱っこを交代するのだが、一葉いちはは生まれて六ヶ月。

 夜もずっとこんな感じなのだ。

 くるみは夜、一葉いちはにおっぱいをくわえさせたまま寝落ちしていることも結構あって。
 まぁ、とにかくくるみがとても疲れているのが分かるから。

 実篤は(俺だってじゃってくるみちゃんのおっぱいに触りたいのにんに)という邪念をグッとこらえて、日々悶々とした夜を過ごしつつ、自分も出来得る限り一葉いちはを引き受けて、くるみが身体を休められるよう協力している。


 特に今日、実篤がこんな風に昼間も一葉いちはを連れて仕事をこなしているのには理由わけがあるから。


***


「あ、社長。一葉いちはちゃんのよだれが背中にベッタリついちょりますよ」

「マジか。さっきまで一葉いちはおんぶしてたおぶっちょったけんじゃろぉーな」

 言われて、実篤は一葉いちはを片腕に抱いたまま器用にベージュのジャケットを脱いだ。

 赤子の握りこぶし大ぐらいまぁるくジャケットが濡れているのを見て、思わず笑みが漏れた実篤だ。

 娘が生まれてからこっち、実篤は黒っぽいスーツは着ないようにしている。
 何故なら濃い色合いのスーツは、こんなふうに一葉いちはを抱いている時、彼女が垂らす涎や鼻水がつくと、テカテカ光って目立つからだ。

 だが、今日みたいに薄い色の上着なら乾けばまぁ問題はないだろう。
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