【完結】【R18】結婚相手を間違えました

鷹槻れん

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33.久々の我が家

振り返れない

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***

 抱えた紙袋のせいで前がよく見えないけれど、やはり自分はここの住人だったんだなぁと思いながら、結葉ゆいはは淀みのない足取りでかつて偉央いおと住んでいた最奥の一室を目指した。

 オートロックで、扉が閉まれば勝手に鍵が掛かってしまうホテル仕様のようなその玄関扉に、最初のうちは慣れなくて戸惑ったのを思い出す。

 生体認証キーでなかったら、鍵を部屋に置き去りで締め出しに、なんてこともしょっちゅうあったかも知れない。

 そのシステムのせいで、偉央いおと微妙な空気のまま家に帰宅したときなんかは、偉央いおに押し込まれるように部屋に入って、彼の背後で扉が閉まって施錠音が鳴り響いた途端〝閉じ込められた〟という息苦しさを感じさせられたのを思い出す。


 惣菜というのはそれなりに水分を含んでいるからか結構重く感じられて、部屋前で一旦紙袋を持ち上げ直すと、結葉ゆいはは今度は左手人差し指をドア付近のセンサーに付ける。

 ピッと耳馴染みのある音に続いてガチャっという解錠音がして、結葉ゆいはは恐る恐る扉を開けた。

 結葉ゆいはの動きを感知したのか、玄関ホールのセンサーライトが反応して明かりが灯る。

 それにドキッとさせられてしまった結葉ゆいはだ。

(大丈夫、いつも通り……。いつも通り)

 別に偉央いおが中にいて、電気をつけたわけではない。

 そう自分に言い聞かせてそっと内側に入ると、ふと昔の記憶を思い出して無意識、密室になるのを避けるみたいに玄関扉の下部に、手近にあった靴べらを挟んでオートロックが掛からないようにした。

 いつもなら理路整然とした状態のはずの玄関の土間に、結葉ゆいはの靴と偉央いおの靴が数足ずつ散らばっていて、偉央いおの精神状態の乱れを感じて切なくなる。

 結葉ゆいはが一緒に暮らしていた頃は、玄関先には一足の靴も出ていなくて、履くものをすぐ横のシューズクロークから取り出しては履いていた。

 なのに――。

 帰りにここに散らばっている靴と、シューズクロークに仕舞われたままの靴を数足持ち帰ったらいいかも。

 今、結葉ゆいはは逃げるときに履いていたスニーカー一足で生活している。

 そうは靴も買おうと言ってくれたけれど、差し当たって困るわけではないから、と買わずにいたのだ。

(これ、持って帰ったら買わずに済むよね)

 そんなことを思いながら、上がりかまちに惣菜入りの袋をそっと置いて、散らばった靴をいつもの習慣でシューズクロークに仕舞う。
 そうしながらそんなことを考えていた結葉ゆいはだ。


 床に置いていた紙袋をもう一度抱え上げてから、振り返った玄関先は、いま結葉ゆいはが脱いだスニーカーだけがある状態に片付いていた。

「よし……」

(やっぱりここには靴、散らばってない方がいい)

 部屋が荒れると、そこに住む人間の心もどんどんすさんでしまう気がして片付けずにはいられなかった。

 実際は逆なんだろうけれども、結葉ゆいははここを綺麗にすることで、少しでも偉央いおのゴチャゴチャした心が整えばいいな、と思った。


***


 リビングに入ると、カーテンが閉ざされたままの室内は薄暗くて。

 何だか暗い、というだけで家の中の空気もどんよりと重苦しく感じられてしまう。

 実際には二四時間換気システムのおかげで、窓を開けていなくても空気が澱むということはないのだけれど、明るさの与えるイメージというのは大きいらしい。

偉央いおさん、もしかして長いことカーテン、開けたりしてないのかな)

 空気がずっと滞留しているような息苦しさを感じた結葉ゆいはは、カーテンを開けて部屋に灯りを取り入れる。

 そのままキッチンに行くと、カウンターの上に持ってきた荷物を一旦置いてから、換気扇のスイッチも押した。
 ついでに切タイマーもオンにしておいたので、もし切り忘れてここを出ることになったとしても数分経ったら自然にファンが止まるはずだ。

 高層階に位置するこの部屋は、窓を開けると風が強過ぎて部屋の中のものが散乱してしまうから、基本的には換気のために窓を開けることは出来ない。

 自分がここに滞在する時間はごくわずかだけれど、せめてその間くらいは、と思ってしまった結葉ゆいはだ。

「よしっ」

 小さく気合いを入れるようにつぶやくと、結葉ゆいはは紙袋の中から持ってきたタッパーを一つずつ取り出していく。
 ひとまず全部を袋から出して台上に並べた後で、冷蔵庫を開けてみてどこに入れるか思案しようと思って。

 久しぶりに対面する、長らく慣れ親しんできた愛用の冷蔵庫に、何だか感慨深い気持ちになる。

 真ん中のところに切り込みがあって、両側に向けて扉が観音開きになる冷蔵庫は、二人ぐらしには十分すぎるほどの大きさの六〇〇リッターで、いつも中にはそこそこにゆとりがあったのだけれど。

(嘘……。何にも入ってない……)

 開けてみると、びっくりするぐらい物が入っていなくて。

 肉や野菜はおろか、牛乳や卵すら貯蔵されていなかった。

 確かに冷たい飲み物が欲しければ、最悪ウォーターサーバーの水を飲めばよい。

 だけど……それにしたって。

 逆に結葉ゆいはが作って飲んでいた麦茶がそのまま入っていたのにもゾクッとして……絶対傷んでるよね、と思った結葉ゆいはは、それを冷蔵庫から取り出して中身を流しにぶちまけた。

 何だかよくわからないモヤモヤとしたものが浮いていた、「お茶〝だったもの〟」に、思わず眉根が寄ってしまったのは仕方がないだろう。

 水を出して流しから気持ちの悪い液体を洗い流してから、空になった容器を洗おうとスポンジを手にして、ふと止まってしまった結葉ゆいはだ。

(着たままだと袖口が濡れちゃう?)

 いま上に羽織っているのは、そうと一緒にショッピングモールで買ったコートだ。
 朝、そうが暖かくして行けと言ってくれたから着てきたのだけれど。
 濡らしてしまうのは忍びなくて、いそいそと脱いでカウンター横のスツールに掛けると、容器を丁寧に手洗いして、流し横の網棚に伏せる。

「よしっ」

 そこまでしてから結葉ゆいははタオルで手を拭いて惣菜入りのタッパーに向き直った。

 何も入っていない冷蔵庫の中は、難なく持ってきた六つの容器が収納出来そうでホッとする。

 冷蔵庫の扉を開けて中に一個ずつタッパーを収めていきながら、なるべく全部がパッと見渡せるように全てを手前に来るよう配置し直して。

「うーん」

 でも、ラップやアルミホイルなどで仕切りを作った結果、半透明な容器の中はぱっと見、何が入っているのか分からなくて悩ましかった。

(中身が分かるように見出しシール、つけとけばよかった)

 そんなことを思いながらゴソゴソしていたら、背後でガタッと音がして、「……結葉ゆいは?」と声を掛けられて。

 予期せぬ呼び掛けに、結葉ゆいははビクッと肩を跳ねさせる。

 この家の中で自分の名前を呼ばわる人物なんて一人しかいない。
 それに、このゾクリとくるような低音ボイスは偉央いお以外の何者でもないのは分かりきっていた。

 だけど。

 それが信じたくなくて、結葉ゆいははなかなか振り返ることが出来なかった――。
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