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第二部
六十三話 二人の舞姫の物語 中①
しおりを挟む昔の夢を見た。
ライラに人から言われた受け売りなんだ、なんて話したせいかもしれない。
子供の頃、庭の奥の樹木の暗がりが怖かった。今でさえベルと一緒に寝転んで夜を明かすことすらあるのに、その当時は屋敷の中の賑やかさとは違う人気の無い湿った感じのする木陰は近寄り難くて、一人でいる時は怖くて絶対に近寄らなかった。
夢に出てきたあの人は、当たり前だが昔のままだった。
父さんを訪ねて来て、庭に一人でいる俺を見つけた公爵は隠れんぼをしようと誘ってくれた。広い庭で、二人で代わりばんこに鬼をやった。
夢だったから、本当にそんなところに隠れたのか? というような木の上とか、落ち葉の山の中とか、色んなところに隠れては彼に見つかり、逆に公爵は驚くほど隠れるのが上手かった。
そのうち、どうしても俺は彼を見つけられず、暗い木陰をうろうろしていたが、誰もいない暗がりが怖くて根を上げた。
「おじさん、どこ?」
泣きそうな声で呼んだら、すぐに後ろで草を踏む音がして振り返ると公爵が立っていた。
「ここだよ。この辺りは暗くて怖かったかな」
「……怖いわけじゃないけど」
暗いところが怖いなんて言うのは恥ずかしくて、俺が言い訳を探していると、彼は笑うようなことはせず優しい顔で俺を見ていた。
「怖いという感覚は人それぞれだから悪いことじゃないだろう。むしろ、私は怖いものがあるのは良いことだと思っているよ」
「良いこと?」
意外な言葉に俺が首を傾げると、公爵は俺に歩み寄ってきて俺の頭を軽く撫でた。
「怖ければ、そこで立ち止まるだろう。それが何であれ、本能的に嫌だと感じることから逃げるのは、自分を守るためには必要なことだよ。暗いところを怖いと感じるのも、見えない敵から身を守ろうとしているのかもね。怖いと思うから、危険を回避できるんだ。だからレイ君のそれは正しい反応なんだよ」
そう真面目な調子で言われたことに俺は素直に頷いた。子供相手にもちゃんとわかるように説明してくれた公爵の気遣いが嬉しかった。
「おじさんは怖いものある?」
夢では、二人で屋敷の方へ戻りながら俺はそう聞いた。本当にそんな話の流れだったかは自信がないが、確かに俺はその質問を彼にした気がする。
俺を見て瞬きした公爵は、少し時間がかかってからその問いに返事をした。
「私の怖いものか……そうだなぁ。強いて言うなら、幸せな記憶を忘れてしまうこと、かな」
「忘れること?」
「……もう年だからね。おじさんは忘れっぽいんだ。家族のことはちゃんと覚えてるけど、子供の頃の友達の名前なんかはもう忘れてしまうからね」
「大人はそうなの?」
「そうそう。エリス公爵だって同じだよ、なんて言うと怒られるかな。あとはそうだな、この家に出入り禁止になって庭の花壇を見られなくなるのも怖いなぁ」
腕を組んで笑いながらそう言ったバレンダール公爵を、俺は不思議な気持ちで見上げていた。
俺とは怖いもののジャンルが全然違ったから戸惑ったんだと思う。
そんな俺を見下ろして、公爵は軽くウインクした。
「だから私がレイ君を忘れないように、これからもおじさんと遊んでもらえると嬉しいな」
「うん。いいよ。おじさん隠れんぼ上手だから、楽しいよ」
また遊んでくれると遠回しに言われたことがわかって、俺は嬉しくて頷いた。
「本当かい? そうなんだよ。私は隠れんぼが得意なんだ。昔兄とやった時はね、兄は絶対に私を見つけられなかったんだよ。コツがあるんだ。それはね……」
得意そうな顔をしていたあの人は、それから何て言ったんだったか。夢はそこで終わってしまった。
瞼にふわふわしたものが当たって目を開くと、横を向いた顔のすぐ目の前に金色の羽毛の塊がある。またメルが俺の上に乗っていたのか、ずり落ちたように片方の翼が俺の鼻に引っかかっていて、そのままスピスピ寝ていた。
可愛いな、と微笑んでから俺は今見ていた夢を思い返した。
どうしてこんなに鮮明に、まだあの人のことを思い出してしまうのか。
もう一度バレンダール公爵に会えたら、言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。
幼い俺に怖いものがあってもいいと言ってくれた彼自身が、その時どんな気持ちでいたのかなんて、俺は一度も考えたことがなかった。
あの優しい、穏やかな見た目のとおりにその内面も穏やかな善良さで満たされていると思っていた。それは違ったんだろうか。俺は、彼の本当の姿を知らないだけだったのか。
多分、ゲームのとおりのレイナルドだったなら、俺はもう少し彼の内面に触れることができたのかもしれない。前世を思い出してから、俺は自分のコンプレックスにいちいち悩んでいるのがバカらしくなって振り切れてしまったから、その頃から公爵とは疎遠になってしまった。もしそのまま公爵との交流が続いていたら、彼はもう少し俺に心の内を話してくれたんだろうか。
後悔なのか、これは。
俺を陥れようとした相手に対する感情としては、この気持ちはあまりに複雑で、考えても考えてもわからない。
だから、もう一度会いたいと思ってしまう。
会って話をして、このやるせ無い感情をもう全部手放してしまいたい。
「ぷぃ……」
鼻に何か詰まったのか、嘴をふごふごさせて寝ているメルを眺めてその背中を指で撫でながら、俺は気がついたらまた寝落ちてしまった。
*
試験二日目の朝は、朝早くから鐘の音に起こされた。
昨日の夜、俺はライラとアルフ殿下としばらく子猿を一緒に探したが見つからなかった。
殿下は責任を感じたのか顔が青白くなってしまい、夜も更けてかなり遅い時間になってしまったので捜索はそこで打ち切りにした。一人になってからこっそり下層に降りて探してみたが、結局あの宝物庫への道も見つけられなかったし、ついでにマスルールも探してみたが彼も一体何をしているのか、どこにいるのかも分からなかった。
俺も色々あって疲れていたこともあり、一度時計を探すのは諦めて鈴園に戻った。
グウェンやウィルには会えずに終わってしまったが、仕方がない。アルフ殿下に頼めばもしかしたら地上に降りられたのかもしれないが、案内がなければ地上に着いてからどこに行ったらグウェン達に会えるのか分からない。それに勝手をしたと殿下が後で怒られたら可哀想だなと思って無理を通すのはやめた。
寝室に戻って寝ようと思ったら窓ガラスがバリバリに割れているのを思い出して、昨日は一階にある侍女の部屋を使わせてもらうことにした。俺の鈴宮の侍女の寝室は、使う予定がないにも関わらず綺麗だったので助かった。身体はへとへとなのに、頭の中は妙に落ち着かなくて寝付けなかった。早々に寝てしまったメルの頭を指で撫でながらグウェンの時計をどうしようと考えていたら、そのうち俺もうとうと寝てしまったらしい。
眠い目を擦りながら広場に集合すると、マスルールが待っていて、彼も昨日の夜は結局何をしていたのか知らないが、目の下には濃いくまが出来ていた。
ライラと一緒に来たライルが、俺と目が合って深々とお辞儀をした。しっかり歩いているところを見ると、本当にもう身体は大丈夫なようで安心した。
「皆さん、本日は第三の試験なので、地上の宮殿に降ります。そこで各自用意があれば支度してください。着替えの部屋は準備があります」
そう言われて早々に地上に降ろされた。
「昨日はすみませんでした。陛下があなたの鈴宮に押しかけたと聞きました」
道中、マスルールが俺に話しかけてきた。朝集合した時にサラが広場にいたから、昨夜ルシアの方は無事にマスルールと会えていたらしい。
多分ルシアから何があったか聞いたんだろう。
「鈴を鳴らしたんですけど、聞こえてました?」
「昨夜は部屋に戻っておらず鈴を手元に持っていませんでした。申し訳ありません」
「ルシアが来てくれたので、結果として大丈夫だったんで、いいんですけど」
マスルールが俺の首元に視線を送ってくる。
「……怪我は大丈夫でしたか」
「まぁ、なんとか。跡は残りましたけど」
そう言いながら、俺はスカーフのように首に巻いているターバンの布を少しだけ下ろして跡を見せた。
残念ながら、指の跡は完全には消えず、まだ少し残っている。隠すために今日は首に布を巻くことにして、メルは俺の首に寄り添うように上手くその中に隠れている。不死鳥が産まれたことが皇帝にバレてしまったから、見つからないように気をつけないといけない。
思い返せば、ルシアが駆けつけてくれた時、あそこでアシュラフ皇帝が逃げてくれて助かった。闘いになってたら俺たちじゃ勝てなかったし。
昨夜のことを回想していると、マスルールがもう一度「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝ってきた。何か考えるような難しい顔になった彼が再び俺を見てくる。
「陛下は何が目的であなたの鈴宮に?」
「……俺にもよく分からないんですけど、何か鍵がどうとか言ってましたよ」
「鍵?」
その単語を出した途端、マスルールの目が鋭くなった。
「鍵を探していると言ったのですか」
「いや、俺に鍵をよこせって、そう言ってたかな。何か勘違いしてるみたいだったけど」
そういえばアシュラフ皇帝の行動も意味不明だったんだよな。
扉の鍵ってなんのことだったんだろう。
「そうですか。わかりました」
何か知っているような雰囲気のマスルールにちゃんと説明しろと食い下がろうとした時、イラムのエレベーターに着いてしまい、一旦会話が途切れた。
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