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第二部
三十五話 円盤のイラム 前①
しおりを挟むイラムの宮殿は中も壮麗だった。
天井が高く、大理石の白い廊下が入り口のホールから奥まで続いている。人の気配はほとんどないが、それでも使用人らしき人の姿がちらほら見えた。皇族が住んでいるという場所だが、それらしき人の気配はない。そういえば、六女典礼の儀式にも皇族らしき人は出席している様子がなかったな。
「マスルール様、先ほど陛下が」
「わかっている。今から私たちも鈴園に入る」
マスルールは声をかけてきた白い民族衣装を着た年配の女性にそう答えると、迷わずに廊下を進み俺たちを連れて宮殿の奥へと歩いて行く。
誰も話さないから、口を開くのは躊躇われて俺も黙って卵を抱えて歩き続けた。やっぱりちょっとスカーフが肩に食い込んできていて肩が痛い。
もうここまで来たら、逃げる算段が整うまでこの厄介な案件に付き合う他ないのか。
それならそれで、俺は計画を変更する。悠長に助けを待ってないで、一刻も早くデルトフィアに帰れるようになんとか外に出る方法を探ろう。
何度か角を曲がったところで目の前に金色の扉が現れた。その重たそうな扉を押し開けて中に入る。
扉を押さえてくれたマスルールに続いて俺たちがその部屋の中に入ると、そのだだっ広い部屋の中には何も無かった。
正確にいうと何もないということはなく、正しくは廊下と同じ大理石の床の真ん中に細くて小さな円柱があった。先ほど俺たちが乗ってきた白い円柱のミニサイズみたいなものが部屋の真ん中に立っていて、それは腰の高さくらいまでしかない。その円柱の上に、先ほど候補者の全員が触れた透明な馬の置物が据えられていた。馬の脚が接している部分が微かに光っているように見える。
その円柱を囲うようにして床に魔法陣が描かれていた。デルトフィアで見るような魔法陣とは少し雰囲気が違う。俺は興味を惹かれてそれをじっと目を凝らして見つめた。
「皆さんこの魔法陣の上に乗ってください」
円柱の近くに歩いて行ったマスルールが振り返って俺たちを見る。促されて六人でその円の上に乗った。
全員が乗ったことを確認してから、彼は馬の背に触れた。
その瞬間、部屋全体が発光したように急に視界が白くなった。
思わず目をすがめると、次に周りを見た時にはもうさっきの部屋の中ではなかった。
「わぁ」
隣にいたルシアが感嘆の声を上げる。
目の前に、巨大な銀色の鐘があった。
さっきまで部屋の中にいたはずなのに、陽の光が燦々と降り注ぐ芝の上に立っている。上を見上げるとかなり高いところに水晶で出来た天井があって、空の青さと陽の照り返しが眩しい。
おそらく、さっき広間で聞いたのはこの鐘の音なんだろう。三メートルくらいはゆうにありそうな巨大な鐘は支えもなしに台座の上に浮いている。台座には下の部屋にあったような魔法陣が描かれていた。
多分転移魔法がかかっている。空が見えるということは、ここがイラムの二層目だな。
マスルールが周りを見回した。
釣られて俺も視線を巡らせると、鐘のある場所は円形の広場のようになっていて、緑の芝が青々と繁っている。
広場の周りには同じ形の建物が周りを囲むように全部で六棟建っていた。それぞれが壁を真珠色に塗られた円柱形の建物だ。高さは二階建てくらいだろうか。細長い長方形の窓が二階にあたるだろう部分に等間隔でついている。
「こちらが、典礼の期間過ごしていただく鈴園です。一人ずつあの鈴宮に滞在してもらいます。早速ですが、どの鈴宮に誰が入るか決めたいと思います」
マスルールが淡々とした口調で俺たちを見回した。
ロレンナ以外が皆困惑した顔でお互いの顔を見合わせる。
決めたいと思います、と言われてもな。
こっちはこの状況について行ってるだけで褒められたい気持ちなんだ。
急にあそこに泊まれと言われても、わーい素敵なおうち! みたいにはならないだろう。ここが妃選びの舞台だと思うと積極的な気持ちは微塵も湧かないしな。
見たところ鈴宮という建物は全部同じ形に見えるし、どこがいいとかあるのか。
誰も何も言わないので、マスルールは軽く息をついてまた辺りを見回した。
彼は一つの鈴宮の方を指差す。
「あの向こうに、緑色の尖塔が見えるのがわかりますか。あれが陛下の正殿と、奥に宝物庫や妃に選ばれた方が入る鈴女の寝殿があります。その手前に水路があり、果樹園と四阿があるはずです。あの尖塔に最も近い鈴宮が一の宮です。一の宮から時計回りに二の宮、三の宮と続きます」
言われるがまま円柱の建物の向こうに目を凝らすと、確かに緑色の尖塔が見える。奥にまだ建物があって、そっちは皇帝が泊まるところらしい。
しかし、マスルールはよく鈴園の中に何があるのかわかるな。さっきは六女典礼の時しか鈴園の扉は開かないって聞いた気がするんだけど。
「マスルールさんってここに来るの初めてじゃないんですか」
不思議に思ってそう聞くと、彼は少し黙ってから頷いた。
「実際に訪れるのは今回が初めてです」
「でもよく建物とかあっちに何があるとかご存知ですね」
「鈴園に関する情報は、以前資料を読みました」
「覚えたんですか?」
「一度読めば覚えます」
相変わらずすごいな。
何か昨日の夜もデルトフィアの公爵家の家紋を本で覚えたとか言ってたよな。この人の頭の中どうなってるんだろう。
俺が黙ったことを確認してから、彼はもう一度さっき指差した鈴宮を手で示した。
「それでは、あの一の宮にはロレンナが入り、その隣の二の宮にはリリアン王女殿下が……殿下、貴方の名前は、これからリリーということでよろしいのでしょうか」
言葉の途中でマスルールがふと気がついたようにリリアンの顔を見た。
「あ、はい。私は大丈夫です。でも、それだとリリーさんと同じになってしまいますけど」
頷きかけたリリアンが困ったような顔になった。
ルシアがそれを聞いて軽く手を上げる。
「あの、でしたら、私はルシアと呼んでください。そっちの名前も馴染みがあるので、私はリリーでなくても大丈夫です」
マスルールはその言葉を聞いて微妙に眉を寄せたが、首肯した。
「それでは、そのようにいたしましょう」
彼はそのあと俺の方にも顔を向けた。
「貴方は、名前を変えておいた方がいいですか」
「……確かに」
候補者の名前が記録に残るなら、マズいよな。
明らかに男の名前だし、家名までは書かなかったとしても俺も良い気分じゃない。グウェンは多分その資料を見たら焚書するだろうし。
少し考えて、俺はマスルールを見上げた。
「じゃあ、俺はレイという名前にしておいてください」
それなら多分女性名とも捉えられるし、俺も家族とルウェインに呼ばれ慣れてるからわかりやすい。
俺達の名前の問題が片付いたところで、マスルールは仕切り直して次に三つ目の鈴宮を指さした。
「それでは、三の宮はルシア殿、四の宮にはレイ殿、五の宮にはライラ殿、六の宮にはライル殿が入ることとします」
そう言って順番に指で指し示した鈴宮を俺たちも目で追った。
俺は四の宮に入れということなので、一の宮とは反対側の円柱だな。みんな同じ形の建物だから間違えそうで怖い。皇帝の泊まってる場所からは一番遠いところを充てがわれたのはマスルールなりの配慮なのか。リリアンは正殿に近い方の鈴宮になって少し嫌そうだった。
「滞在に必要なものは鈴宮の中にあります。……男性の服はないかもしれないので、他にいるものと一緒に後で持ってきます」
「そうしてください」
すかさずお願いしておいた。
確かに男が泊まることなんて想定してないよな。
そもそもここってラムルの後宮みたいな扱いなんじゃないのか。そこに男が入ってていいのかよ。
今更そんなことを考えたが、歴史上には男が候補者になったこともあると聞いてしまったしな。それを理由に滞在を拒否するのはどうせ無理なんだろう。
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