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2.学園編

第21章 はじめての兄弟喧嘩

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「拳闘部実技披露会……? 何だこれ?」



「勧誘のためのデモ試合だよ。僕は出ないけど」



 男子棟の掲示板に一枚のポスターが貼られた。拳闘部実技披露会。拳闘部は実質軍への登竜門となっているので、将来の軍人を勧誘するため定期的にこのような催しが行われる。マクシミリアンは裏方として参加することになっていた。



「おっ、マール王国はこうやって軍人を勧誘するのか。マックスも出るの?」



 ふと気付くと、隣にロジャーが立っていた。公務をこなしながらなので毎日出席するとは限らないが、もうこの頃になると学園の一員として普通になじんでいた。



「いや、僕は出ないよ。新入りだし弱いし。飛び入り参加もOKだからロジャー出てみなよ。きっといいところまで行くよ」



 服の上からでもロジャーの身体は大分鍛えられているのが分かった。本当に何でもできるんだろうな。ロジャーの隣に立つとそんなことばかり考えてしまうので、マクシミリアンはその場を離れることにした。「そんなの経験を積めば誰でもできるようになりますわ!」彼の中のクラウディアがそう叫ぶ。クラウディアの言いそうなことが簡単に想像できてしまうのが少しおかしかった。



 あれからクラウディアは元気を取り戻した。それでもまだ何か隔たりがあるような気がしてならない。でもこれ以上彼女の心の中に踏み込むのはためらわれた。クラウディアから話してくれるまで辛抱強く待っていようと思った。



 表面上は変わりなく日常が過ぎていく。学園の勉強に付いて行くのは難しくなかった。学問だけは遅れが出ぬよう、父が超一流の家庭教師を派遣してくれていたことを今になって知った。お昼はクラウディアたちと一緒にランチを摂る。そこへ時々ロジャーがちょっかいをかけに来た。目的はどうやらクラウディアのようだった。部活はロベルトが組んでくれたメニューに従ってトレーニングをする。徐々にではあるが、体の動かし方が分かって来たような気がした。友人になりたいと思ったサミュエルは、今でもアッシャー帝国史の授業で姿を見かけるが、あからさまに無視され取りつく島もなかった。



 やがて拳闘部実技披露会当日になった。放課後、屋外にリングを組んで会場を設営する。マクシミリアンは一番下っ端なのでせわしく動いていた。



「殿下お疲れっす。一応見に来ました」



 グランとドンが冷やかしにやって来た。



「来てくれるのは嬉しいけど僕は出ないって言ったじゃん」



「でも最近身体つき変わってきましたよ。身長も伸びてませんか?」



「そうかな? 最近測ってないけど」



 確かに少しずつ変わっている感触はある。ロジャーやアレックスのような逞しさには追い付けなくてもひどく見劣りしないくらいにはなったかな? そんな気がした。



 準備が完了し、本番が始まった。マクシミリアンは出場者のサポートに回ったり、手が空いた時は模擬試合を見学したりしていた。そのうち、ロジャーが観客席にやって来た。やはりどこにいても目を引く。常に注目されて疲れないのかなとマクシミリアンは思ったが、ロジャーはそれすら楽しんでいるようだった。



「ロジャー殿下、もしよければお手合わせ願えますか。両国の親善試合ということで」



 リング上にいたロベルトが声をかけた。観客席は大盛り上がり。ロジャーもまんざらではないらしく快諾して、上衣を脱いでリングに上がった。



 やはりロジャーは均整の取れた立派な体つきをしていた。同性から見ても惚れ惚れする。部活で一番強いロベルトとどこまで張り合えるのかマクシミリアンも興味があった。開始のゴングが鳴ると、模擬試合だというのにロジャーは素早く動いてすぐに攻めの姿勢に入った。虚を突かれて一瞬ロベルトが態勢を崩す。慌てて立て直したが、終始ロジャーが押し気味だった。いや、これでもまだ本気ではないのかもしれない。一体どこまで彼は強いのか。会場にいた誰もがロジャーの実力を認めざるを得なかった。



「いやー想像以上でした。うちの軍にスカウトしたいくらいだ」



 模擬試合が終わると、ロベルトは握手を求めて素直に称賛した。



「俺も久しぶりに身体を動かして楽しかった。こちらこそありがとう」



 リング上ではお互いの健闘を称えあっていたが、ギャラリーは一番強いロベルトさえも凌駕するアッシャー帝国の皇太子の実力に恐れおののいていた。それだけならまだしも、マール王国と先輩のメンツを潰されたと逆恨みした血気盛んな何人かが名乗りを上げて対決を挑もうとしていた。これはまずいと思ったマクシミリアンは勝手に体が動いていた。



「今はまずいですよ、先輩。何とか抑えてください。友好ムードが壊れてしまいます」



「何言ってんだよ。お前はアッシャー帝国の味方をするのか。腐ってもマール王国の王子だろ」



 彼らはそう言うとマクシミリアンを突き飛ばした。しかし、リング上にいたロジャーはその言葉を聞き逃さなかった。



「今のは聞き捨てならないね。マックスは腐るどころか押しも押されぬれっきとした第一王子だ。どうもこの国は王家に対する礼儀がなってないらしい」



「ロジャー、ありがとう。でも僕のことはいいから」



「しかしアレックスには絶対そんな態度には出ないだろう? なぜか? マックスは半分我が帝国の血を引いているからだ。マックスへの態度はそのまま俺に繋がるということを忘れてもらっては困る」



 ロジャーの目は笑ってはいなかった。まずい。何とかこの場を治めなければ。



「ロジャー、そうじゃない。帝国というより僕自身の問題だ。この学園には僕が原因で不利益を被った者もいる。彼らにしてみれば僕は敵扱いされてもおかしくない。それは時間をかけて誤解を解いていきたいと思ってる。だから——」



「なんだ、シンシア妃が亡くなって反帝国派が粛清された件のことか。まだ話してなかったのか。ミランダ夫人の薬を誤って飲んだって——」



「ロジャー!」



 マクシミリアンはついかっとなって、生まれて初めてかもしれない大声を上げた。



「何を恐れているんだ? ああ、アレックスが知ったら傷つくと思ったのか。それで今まで憎まれ役を引き受けていたと。優しい王子様だな」



「これ以上やめろ……さもないと……」



 うすら笑いを浮かべるロジャーを見て、怒りがふつふつと湧いてくるのをマクシミリアンは抑えられなかった。これ程の怒りの感情が自分の中に存在することさえ今まで知らなかった。しかし、一度噴き出した憤怒はもう後戻りできない。



「これは一体どういうことだ?」



 声がした方に目を向けると、アレックスが呆然と立っていた。一番聞かれてはまずい人に聞かれてしまった。マクシミリアンは言葉が出なかった。



「どうもこうも、マックスの母親の死は反帝国派の陰謀でも何でもなかったってことさ。君の母親の薬を誤って飲んで運悪く副作用が強く出て死んでしまった。つまり事故だった。ついでに言うと、サイモン殿下は友好の象徴だったシンシア妃を死なせた責任を感じて自害した。それさえなければ、予定通りマックスが王太子になっていたのさ」



 アレックスは雷に打たれたように衝撃を受けていた。それを見たマクシミリアンはうつむいて何も言えなくなった。



「マクシミリアンは知っていたのか……? もちろん陛下は知っていたよな。俺だけ仲間外れってわけか」



「もちろん。マックスは真相を解明した張本人だからね。アレックスのためを思って黙ってたんだよ」



 ロジャーがそう言った次の瞬間、アレックスはマクシミリアンに掴みかかった。



「憐れんでもらって恐縮だが、お前に情けをかけられるほど落ちぶれちゃいない。それで優しいお兄様のつもりか?」



 歯ぎしりしながらそう言うとマクシミリアンの頬を拳で勢いよく殴った。マクシミリアンは身体ごと吹っ飛ばされて観客席の椅子をガラガラと倒した。慌てて観衆が止めに入ろうとしたが、なぜかロベルトが制止した。



 マクシミリアンは鼻血をぽたぽた垂らしながらよろよろと立ち上がって、アレックスを睨みつけた。



「そうじゃない! でもアレックスだって運命を狂わされた被害者だろう! あの事故がなければ両親を失わずに済んだ。ミランダ夫人だってもっと長生きしたかもしれない!」



「もう終わった話だ! そんなことを言ったってもう元には戻れないんだよ! お前はそうやって罪悪感を抱いているつもりだろうが、辛いこと苦しいことは全て俺に押し付けて、自分は勝手に好きなことをしてるじゃないか! この偽善者め!」



 またアレックスが殴りかかろうとしたが、今度は防御の構えを取って攻撃を防いだ。そして助走をつけてから体当たりしてアレックスを地面に押し倒してその上に乗っかった。



「僕だってこの17年間幸せだったわけじゃない! 息が詰まりそうな閉塞感の中でもがいていたんだ。やっと自分の人生を生きようとすることの何が悪い? 今から王太子になれと言われたらやってやるよ、でもアレックスはそれでいいのか? 今までの努力が水の泡になってもいいのか?」



「知った風な口を聞くな、腰抜けめ!」



 アレックスはマクシミリアンを押しのけ、体勢が崩れたところを再び殴り掛かり、強いパンチを二つ三つ入れた。マクシミリアンは口の中を切って血の味を覚えた。血に鉄が含まれているのは本当だったんだなとぼんやりした頭で考えた。



「そこまでだ! 二人ともやめ!」



 ロベルトが割って入って二人を強引に引き離した。マクシミリアンは肩で息をしながら立っているのもやっとだった。圧倒的にマクシミリアンの方が被害が大きいが、アレックスもどこか痛めた様子だった。



「これは模擬試合中に起こった場外乱闘ということで部長の俺が責任を取る。二人とも下がって怪我の手当てをするように。実技披露会はこれで終了だ。部員は撤収の準備を。観客の皆は帰ってくれ」



 ロベルトはてきぱきと指示を出した。すかさずグランとドンがマクシミリアンの元に駆けつける。ドンはマクシミリアンの肩に手を入れて身体を支えてやり、グランは真っ赤になった顔をきれいな布で拭いてやった。



「大丈夫ですか、殿下。どこかおかしなところは」



「あちこち痛いけど平気だよ。ごめん、心配かけて」



「とりあえず医務室に行きましょう。俺とドン先輩に捕まって」



「ロジャー皇太子はどこいった。姿が見えないが」



 ドンが辺りを見回しながら言うと、マクシミリアンは苦々しげに答えた。



「もうとっくにどこかに行ったよ。逃げ足が速い奴だ」



 マクシミリアンらしからぬ毒が交じった声色に、グランもドンも微かに驚いた。そうして、二人に抱えられ医務室に向かったが、途中で一つの人影が駆け寄ってきた。



「殿下! お怪我は大丈夫ですか! 俺も手伝います」



 それはアッシャー帝国史の授業で口論になったサミュエル・アンダーソンだった。意外な人物の登場にマクシミリアンは驚いた。



「先日のことは本当にすいません。殿下の言葉を信じられなくて。でも本当のことが分かりました。殿下が板挟みになって苦しんでいたことも。それなのに冷たい態度を取って申し訳なく思ってます。どうか許してください」



 そう言うと、サミュエルは勢いよく頭を下げた。マクシミリアンは信じられない思いだった。



「許すも何も、何とも思ってないよ。それより僕のご学友になってくれる?」



「はい! もちろんです! 一生着いて行きます!」



 余りの急展開にグランとドンは顔を見合わせた。



「そうと決まったなら一緒に殿下を支えてくれ。満身創痍でボロボロなんだ」



 グランに言われて、サミュエルもマクシミリアンを後ろから支えた。



「クラウディアが知ったらどんな顔をするかな」



「まあ知られるのは時間の問題だろうな。この場にいたら大変だったかも。お嬢様が代わりにアレックス殿下を殴ってたりして」



「そうじゃなくてサミュエルのことだよ。反帝国派の友達ができたと知ったら驚くだろうな」



 そう言うと、マクシミリアンは血まみれの顔のままふふっと笑った。身体のダメージは大きいが、心に引っかかっていたものを吐き出してすっきりした気持ちにもなったのもまた事実だった。夕方の爽やかな風がさあっと駆け抜けて漆黒の髪を揺らしていった。

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