君と生きる今日という奇跡に出会うため、僕らはもう一度あの日をループする

星川さわ菜

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回想電車 終着駅へ

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 プシューと、ドアが閉まる音がした。その音に反応して顔を上げる。死者を運ぶ回想電車はゆっくりと動き始めていた。

 わたしは自分の両手を広げて、目の前にかざしてみせた。
 見える。感じる。わたしの手だ。
 さっきまでどこかにいっていた体の感覚も戻っている。
 
 わたしは今、回想電車の座席に座っている。

 次はどこの記憶に飛ばされるんだろう。
 
「朱音さん」
 
 回想電車の乗務員である死神さんの声掛けで、フッとこちらの世界に意識が戻る。死神さんはずっとわたしの心の旅に付き合ってくれている。
 
「思い出しましたか?」

「うん……。わたし、なんであんなことしちゃったんだろう」
 
 応援してくれている周くんにありがとうも言えなかった。絵を描くのが苦しくなって、自分と向き合うのが怖くなった。 
 わたしは好きなことから逃げ出してしまった。
 
 描いても描いても納得できない。うまくいかない絵を描き続けて、なんの意味があるんだろう。
 そんなの自分でもわかっていた。
 
「わたし、絵を描くのがやっぱり好きなんです……」
 
 ポタポタと暖かい涙がわたしの拳を打つ。
 
「もう一度……、やり直せますか?」

 わたしの声は今にも消え入りそうなくらい小さかった。聞こえないふりをしているのか、死神さんはずっと黙っていた。冷静にじっとわたしを見ている。
 
「もう一度、絵を描けますかね?」
 
 わたしは再び尋ねた。今度は少し大きな声で、死神さんの瞳を見つめて。
 驚いたのか死神さんは一瞬目を丸くした。
 
「残念ながら朱音あかねさんはもう……」
 
 そう言いながら、首を左右に振った。「もうあなたは死んでいる。なにもかもやり直せない」そう言いたいんだろう。
 
「……ですよね」
 
 わたしは肩を落とした。
 そんなのわかっている。でも、この期に及んで、どうしても諦められないのだ。
 
「望むのなら、人生はご自身の選択でいかようにも変えられます。 しかしそれは生きていれば、の話です 」

「わかっています。もう取り戻せないって……。でもなんででしょう。あれだけ打ちのめされて、嫌になったことなのに。自分の目の前から消えたとたんに、後悔してしまうって……どういうことなんでしょう?」

「朱音さん、それが死というものです」

「……そうですか」
 
 理屈ではわかる。
 だけど、いざ自分が死ぬとなったら、自分自身では受け入れられないのだ。

 もし……。

 もし、あのままわたしが絵を描き続けていたら、どんな未来になったのだろう。
 
 その未来は、死によってあっさり奪われた。わたしは抵抗することもできない。死はわたしからすべてを奪っていく。
 
 気持ちの整理がつかない。それでもいつか、最期の瞬間が迫ってくる。わたしがわたしでなくなる最後の瞬間が。

 無慈悲に死神がその時を告げてくる。
 
「朱音さん、そろそろ手放す時です。時が迫ってきています」

「わかってます」
 
 だめだ。ちっともわかっていない。気持ちの整理なんてつかない。
 後悔していたことを死後に思い出しても、何にもならない。後悔の念は積もるばかりた。
 
 電車がさらにスピードを上げた。

 周囲の景色が目まぐるしく流れていく。まるで走馬灯のように、記憶の断片が映像となって巻き戻されていくようだった。
 
「朱音さんが不運にも事故にあったのは偶然かもしれません。しかし、偶然と選択の積み重ねの先に朱音さんの人生があります。もし、何かひとつでも違う選択をしていれば、違う今日になっていたかもしれません。ひとつひとつの出来事は些細なことかもしれませんが、すべてかけがえのない今に繋がっています。様々な出会いがあったから、今日という奇跡に出会えた。それをどうか、お忘れなく」

 わたしは耳を疑った。目の前にいるのは、回想電車の旅を共にしてきた、あの死神さんなのだろうか、と。想像もつかないほど、とても優しい声だった。澄んだ小川のように美しい声。厳かで、死神とは思えなかった。
 唐突におじいちゃんのお葬式で聞いた、お坊さんの説法を思い出した。その雰囲気に近かった。
 
「どうか、次は悔いなき人生を」
 
 死神さんは乗務員の帽子を深く被り直し、優しい瞳で語りかけた。相変わらず口元は歪んでいて不気味だが、優しい瞳が不気味さを中和していた。

 これが最後の挨拶なんだろう。 
 最後だと思うと、無性に後悔する。悔やむ気持ちが泉のように、溢れ出てくる。
 
 もっと絵を描きたかった。

 下手かもしれない。描いても描いても、最高傑作なんて描けないかもしれない。
 また出来映えに納得いかず苦しむかもしれない。
 
 ……でも。それでも。

 楽しい瞬間もあったはずだ。絵を描くすべてが苦しかったなんて。そんなの、嘘だ。わたしの思い込みだ。
 
 なにを描こうか考えている時。
 自分の目に映ったもの、頭に浮かんだものを自分のフィルターを通してキャンバスに浮かび上がらせる過程。

 自分の想像を越えたものが出来上がる瞬間。 
 線を1本1本重ねて描いていく過程は苦しいけど、試行錯誤している時が一番楽しかったはずだ。

 何より、わたしを見守ってくれた周くんに一番に完成した絵を見せたかった。
 
 誰かのために絵を描いているのではない。わたしが描きたいから描いている。

 ……?

 ……ちょっと待って。その考えは正しいだろうか?

 間違ってはいないと思う。でも、大事なことを忘れてはいないか?

 わたしは、これまでひとりでやってきた。わたしだけの力でやってきた。なんて思っていないか?
 
 そんなの、奢りだ。間違っていた。
 わたしだけの力で描いているんじゃない。

 小さい頃、わたしの絵を見て褒めてくれたお父さん、お母さん。わたしを一番近くで応援してくれている周くん。

 些細なことが、今日のわたしを支えてくれていたんだ。
 やさぐれていたわたしが死んでしまったのは、必然だったなんて思いたくない。
 
 これで人生終わり?  

 そうじゃない。これで終わるわけにはいかないんだ……!
 
 わたしの気持ちが奮い立ったその時、隣の車線に並走する電車が現れた。
 
「おや。 珍しいですね」
 
 電車に乗っていると、隣車線に並走する電車に遭遇することがある。容易に想像できる光景だが、回想電車に乗ってからは初めてだ。
 
 並走する電車には誰かが乗っていた。後ろ姿が見える。
 学生服を着た、見慣れた背中。
 
 ……まさか。
 
「周くん!?」
 
 わたしは声を上げ、座席から立ち上がった。
 
「朱音さん、まもなく来世です。しばらく揺れます。危ないのでお座りください」
 
 死神さんはわたしを席に座らせようと必死だ。

 本当に、あれは周くんなのか、確認したい。
 
「やめて。よく見えない」
 
 立ちはだかる死神さんをのけようと、わたしは取っ組み合った。死神さんはものすごい力でわたしを座席に押し返そうとする。
 
「どいてっ!」
 
 やっとの思いで振り切り、並走列車に接した窓に張り付いた。
 その瞬間、向かいの電車は分岐したレールに乗り、離れていく。後ろ姿を認識する前に遠くへ行ってしまった。
 
「なんで……」
 
 まるでわたしのもとから周くんが去ってしまったみたいで悲しくなった。
 でも当然かもしれない。寄り添ってくれていた周くんを突き放したのはわたしだから。

 わかってほしい。

 悔しくてぐちゃぐちゃになっていた自分を受け止めて欲しかった。周くんにはわかって欲しい。そう思う一方で、こんな暗くて醜い自分を周くんには見せたくない。ふたつの感情の間でわたしは揺れていた。
 
「さあ、朱音さん。座席にお座りください。まもなく来世です。すべて忘れましょう。すべてを忘れて、生まれ変わるのです」
 
 死神さんは微笑みながら手を差し伸べ、近づいてくる。片側の口の端が吊り上がった非対称の微笑みはひどく不気味で、恐怖を覚えた。

 そうか。この人は、本当に死神だったんだ。改めて納得した。
 
「嫌だ。座らない。このままわたしの人生が終わるなんて嫌だ」
 
 抵抗するわたしを死神さんは呆れたように鼻で笑う。
 
「何を言っているんですか。あなたは死んだのです。もうあなたの人生は終わりました。さあ、おとなしく……」

「ここで終わるわけにはいかないの!」

 わたしは差し伸べられた冷たい手を振り払った。
 
 絵を描き続けてきたのはきっと、わたしがわたしとして生まれたことと、それまでに出会ってきた人との出会いが生んだ奇跡の積み重ねのおかげだから。

 絶対に諦めたくない!

 最初に周くんに謝りたい。それにありがとうって言いたい。
 それに、もう一度絵を描きたい!
  
 わたしは電車の窓に手を掛けた。びくともしない。

「何をするんですか!?」 

「んっ……。わたし……、降ります。くっ……」
 
 力を込めて取手を押し上げた。窓が徐々に開いていく。
 
「まさか、飛び降りるつもりですか? 朱音さんの身は保証できません。現世と来世の間で永遠に彷徨ってしまうかもしれません」
 
 開かれた車窓から、髪の毛が乱れるくらい強い風が車内に吹き込んでくる。

 外の景色は異空間だった。真っ暗闇に灰色や白の線が弧を描き、渦を巻いていた。外気はひんやりと冷たく、無や死を連想させる黒い空間が広がっている。
 
 わたしはもう死んだんだ。

 何も怖くない。飛び降りても痛くはない。
  このままわたしがわたしでなくなる前に、やれることはなんでもやりたい。
 
「ありがとうございました。さようなら」

「朱音さん!」
 
 わたしは窓から身を乗り出し、車外に広がる異空間に飛び込んだ。
 死神さんの顔を見ることはなかった。わたしは泣いていたからだ。
 
 真っ暗闇に飲まれていく中、「どうかご無事で」と死神さんの声が聞こえた気がした。

 身を投げた空間は無風で、暑くもなく寒くもなく、音もなく、上も下も右も左もなく、ひたすらに真っ黒だった。
 この空間が全ての感覚を吸い取っていくように、わたしも黒に飲まれた。夜、眠りにつく直前の睡魔によく似ていた。
 
 そこから先は無だった。
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