上 下
9 / 17

回想電車 第4の停車駅へ(続)

しおりを挟む
 白い視界の先に輝く光を見つけた。

 ものすごい速さでこちらに近づき、わたしを飲み込んでいく。次の瞬間、わたしは光の中にいた。光そのものがわたしになっていた。
 

 父の声がした。

「生まれて来てくれてありがとう」
 
 母の声がする。

「あなたはお母さんの一番の宝物よ」
 
 唐突に声が聞こえてきた。父と母の発語には時間的な繋がりはなく、前後の文脈もわからない。
 
         ・
         ・
         ・

 しばらくするとわたしの頭上に暖かい光が降り注ぐ。
 
「やっと寝たな」

「ええ、やっとね。さっきまでわたしがぐずっていたけど、寝ると天使みたいね」

「ああ、本当だな」
 
 わたしの頭上から聞こえる声は、若い父と母のものだった。顔は見えないが、にこやかにわたしを見守っている姿が浮かぶ。

 これは……。

 きっとわたしが赤ちゃんだった頃の記憶だ。
 ぽかぽかと暖かい。わたしは今、母の腕の中でうとうとと眠っているところなのだ。 
 物心つく前の記憶なんて、何も覚えていなかったけど、わたしの細胞に刻まれたかのように、赤ちゃんだった頃の出来事なんだと確信した。
 
         ・
         ・
         ・

 視界にかかった白いもやが少しずつ晴れた。それでもまだ色褪せた写真のようにボケている。

 目の前には自分が見上げるほど大きな男性と女性の姿が現れた。
 今度ははっきりとわかる。これはわたしが幼稚園児だった頃の父と母なのだと。
 
 母は画用紙いっぱいに描かれた絵を見て、優しく微笑んだ。
 
「これはお母さん? わぁ、上手に描けているわね。 また描いたら見せてね」
 
 たぶん、母の日のことだった。

 幼稚園で母の絵を描いたんだと思う。母の顔だけでなく、洋服にも模様を描き、背景には赤いカーネーションの花をいっぱいに描いた。担任の先生から、カーネーションは母の日の花だと教えてもらったからだ。

 母親の顔を画用紙いっぱいに描く園児がほとんどのところ、背景までびっしり使って描いたのはわたしくらいだったと、母が教えてくれた。
 
 喜ぶ母の隣で絵を覗き込む父もまたうれしそうだった。
 
朱音あかねは絵を描くのが本当に大好きなんだな」
 
 そうだ。

 わたしは絵を描くのが好きだった。
 いや、今でも絵を描くのが好きだ。

 こうやって、わたしが描いた絵で誰かを笑顔にするのがとても嬉しかったし、楽しかった。
 いつしか、それが絵を描く目的になっていたように思う。
 
 わたしは、絵を描くことを諦めたくなかったんだ。
 でも、まだ何か大切なことを忘れている気がする。

         ・
         ・
         ・


 そのうちまた視界がぐにゃりとかわり、さらに鮮明になった。
 
「か、かか、彼氏!?  」
 
 父は飲みかけのビールが入ったグラスをテーブルにダンッと置いた。あまりにも驚いたらしい。
 
「お父さん、そんなに驚くことないでしょ。この子だって高校生なんだから。 彼氏くらい」
 
 これはいつのことだったろう?

 付き合ってから数ヵ月、二人には黙っていたが、日曜日に彼氏と出掛ける時に、秘密のままにできなくなってしまった。
 高校の友達と出掛ける。そう言えばいいのに、誤魔化せず、態度に現れてしまった。それを母が察して、わたしは自分から暴露してしまった。

 母に彼氏のことを明かした日曜日の夜、晩御飯後の会話だったと思う。 
 台所で家事をしながら会話に加わっていた母だったが、皿洗いの手を止め、わたしと父が座っているダイニングテーブルにやってきた。

 そして、皿を片付けながら、ニヤリとわたしに話しかけた。
 
「それで、彼はどんな男の子なの? 」
 
 父がいる前で話せるわけがない。
 そう言おうか言うまいかのところで、父が勢いよく椅子から立ち上がった。
 
「おおおお、お父さんは興味ないから。 あとは勝手に話しててくれ……。風呂、入ってくる!」
 
 足早に退散する父を見た母は呆れ顔で言った。
 
「もうお父さんったら。 あなたのことが可愛くてしょうがないのよ。 彼氏の話題が出せるようになるまで時間かかりそうね」

「それって、いつくらい?」

「そうねぇ……」

 母は宙を見つめ、考える仕草をした後、笑いながら言った。

「もしかしたら、結婚する相手を連れてくるまで彼氏の存在を許せないかも」

「ふーん……」

 これ以上、彼氏のことを詮索されたくない。お母さんでも恥ずかしいと思い、そっけない返事をした。

「……で、どんな子なの?」

 わたしの気も知らず、しつこく聞いてくる母を強い語気ではねのけた。

「教えるわけないでしょ!」

「あらー、残念」
 
 母はいたずらっ子のような顔で残念がっていた。
 まったく、これだからお母さんは……。この時、わたしは呆れていた。

 そんな風に何気ない日常の様子だった。

         ・
         ・
         ・


 再びもやがかかったように視界がぼやけていく。残念そうな母の顔も、家の食卓の景色も次第に白い霧に包まれた。

 太陽からの光を遮るように、霧は周囲の明るさを奪っていく。トンネルの中にいるように真っ暗闇に包まれた。
 
 またひとつ記憶の断片が終わった。 
 また別の記憶が蘇るのだろうか?
 
 わたしは意識体となって、自分の人生を回想している。やっと、回想電車で死神さんに言われたことを理解した。
 
 あと、もうひとつ。
 思い出さなくてはいけない大事なことを思い出した。
 
 しゅうくん。野上のがみ 周大しゅうだい。わたしの彼氏のことだ。
 でも、そこから先が思い出せない。
 周くんのことで、心残りなことがあったのだろう。

 彼のことは忘れてはいけない。もちろん、そうだけど、わたしがしなければいけないことが何かあったような……。
 
 暗闇の中をぼんやり漂っていると、死神さんの声が聞こえた。
 
「思い出しました? 悪いことばかりではなかったでしょう。あなたが誰かに及ぼした影響もこんなにあったと言うことです」
 
 でも、死神さん、肝心なことが思い出せない気がするんだよ。
 
「大丈夫です。朱音さん。終着駅までまだ時間はあります。思い出せますよ」
 
 その言葉にわたしは少し、ほっとしたけど、不安にもなった。
 
 暗闇の中に光が見える。
 それは夜空に輝く1等星のようにキラリと光っていた。徐々にその光りは大きくなっていく。
 以前、似た景色を見たことがある。明るい出口に向かってトンネルを走る列車の様子に似ていた。
 
「次の駅に着くようですね」
 
 遠くに見える光が一段と強くなった。

 列車がトンネルの中を抜けていくように、前方に現れた大きな光がわたしを包み、黒かった視界を真っ白に変えた。 
 その光はまばゆいほどに明るく、暖かかった。
 
 なにかに似ている。春の木漏れ日のように、包み込むような優しさ。いつもわたしを見守ってくれているような……。
 
 誰だろう? お母さん?
 似ているけど、少し違う。
 
 いつもわたしの絵を眺める誰かの暖かい瞳。

 ……そうか。
 これは周くんの瞳だ。
 
 霧が晴れていくように、うっすらと輪郭や色彩が見えてきた。景色には見覚えがある。
 
 ここは学校だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! 夫のカノジョ / 垣谷 美雨 さま(著) を読んで  Another Storyを考えてみました。 むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

そのバンギャ、2度目の推し活を満喫する

碧井ウタ
ライト文芸
40代のおひとり様女性である優花には、青春を捧げた推しがいた。 2001年に解散した、Blue RoseというV系バンドのボーカル、璃桜だ。 そんな彼女は転落事故で死んだはずだったのだが、目を覚ますとなぜか20歳の春に戻っていた。  1998年? Blue Roseは、解散どころかデビュー前だ。 それならば……「追うしかないだろう!」 バンギャ魂に火がついた優花は、過去の後悔もやり直しつつ、2度目の推し活に手を伸ばす。  スマホが無い時代?……な、なんとかなる!  ご当地グルメ……もぐもぐ。  行けなかったライブ……行くしかないでしょ!  これは、過去に戻ったバンギャが、もう一度、自分の推しに命を燃やす物語。 <V系=ヴィジュアル系=派手な髪や化粧や衣装など、ヴィジュアルでも音楽の世界観を表現するバンド> <バンギャ=V系バンドが好きな女性(ギャ、バンギャルともいう) ※男性はギャ男(ぎゃお)> ※R15は念のため設定

処理中です...