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回想電車 第4の停車駅へ(続)
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白い視界の先に輝く光を見つけた。
ものすごい速さでこちらに近づき、わたしを飲み込んでいく。次の瞬間、わたしは光の中にいた。光そのものがわたしになっていた。
父の声がした。
「生まれて来てくれてありがとう」
母の声がする。
「あなたはお母さんの一番の宝物よ」
唐突に声が聞こえてきた。父と母の発語には時間的な繋がりはなく、前後の文脈もわからない。
・
・
・
しばらくするとわたしの頭上に暖かい光が降り注ぐ。
「やっと寝たな」
「ええ、やっとね。さっきまでわたしがぐずっていたけど、寝ると天使みたいね」
「ああ、本当だな」
わたしの頭上から聞こえる声は、若い父と母のものだった。顔は見えないが、にこやかにわたしを見守っている姿が浮かぶ。
これは……。
きっとわたしが赤ちゃんだった頃の記憶だ。
ぽかぽかと暖かい。わたしは今、母の腕の中でうとうとと眠っているところなのだ。
物心つく前の記憶なんて、何も覚えていなかったけど、わたしの細胞に刻まれたかのように、赤ちゃんだった頃の出来事なんだと確信した。
・
・
・
視界にかかった白いもやが少しずつ晴れた。それでもまだ色褪せた写真のようにボケている。
目の前には自分が見上げるほど大きな男性と女性の姿が現れた。
今度ははっきりとわかる。これはわたしが幼稚園児だった頃の父と母なのだと。
母は画用紙いっぱいに描かれた絵を見て、優しく微笑んだ。
「これはお母さん? わぁ、上手に描けているわね。 また描いたら見せてね」
たぶん、母の日のことだった。
幼稚園で母の絵を描いたんだと思う。母の顔だけでなく、洋服にも模様を描き、背景には赤いカーネーションの花をいっぱいに描いた。担任の先生から、カーネーションは母の日の花だと教えてもらったからだ。
母親の顔を画用紙いっぱいに描く園児がほとんどのところ、背景までびっしり使って描いたのはわたしくらいだったと、母が教えてくれた。
喜ぶ母の隣で絵を覗き込む父もまたうれしそうだった。
「朱音は絵を描くのが本当に大好きなんだな」
そうだ。
わたしは絵を描くのが好きだった。
いや、今でも絵を描くのが好きだ。
こうやって、わたしが描いた絵で誰かを笑顔にするのがとても嬉しかったし、楽しかった。
いつしか、それが絵を描く目的になっていたように思う。
わたしは、絵を描くことを諦めたくなかったんだ。
でも、まだ何か大切なことを忘れている気がする。
・
・
・
そのうちまた視界がぐにゃりとかわり、さらに鮮明になった。
「か、かか、彼氏!? 」
父は飲みかけのビールが入ったグラスをテーブルにダンッと置いた。あまりにも驚いたらしい。
「お父さん、そんなに驚くことないでしょ。この子だって高校生なんだから。 彼氏くらい」
これはいつのことだったろう?
付き合ってから数ヵ月、二人には黙っていたが、日曜日に彼氏と出掛ける時に、秘密のままにできなくなってしまった。
高校の友達と出掛ける。そう言えばいいのに、誤魔化せず、態度に現れてしまった。それを母が察して、わたしは自分から暴露してしまった。
母に彼氏のことを明かした日曜日の夜、晩御飯後の会話だったと思う。
台所で家事をしながら会話に加わっていた母だったが、皿洗いの手を止め、わたしと父が座っているダイニングテーブルにやってきた。
そして、皿を片付けながら、ニヤリとわたしに話しかけた。
「それで、彼はどんな男の子なの? 」
父がいる前で話せるわけがない。
そう言おうか言うまいかのところで、父が勢いよく椅子から立ち上がった。
「おおおお、お父さんは興味ないから。 あとは勝手に話しててくれ……。風呂、入ってくる!」
足早に退散する父を見た母は呆れ顔で言った。
「もうお父さんったら。 あなたのことが可愛くてしょうがないのよ。 彼氏の話題が出せるようになるまで時間かかりそうね」
「それって、いつくらい?」
「そうねぇ……」
母は宙を見つめ、考える仕草をした後、笑いながら言った。
「もしかしたら、結婚する相手を連れてくるまで彼氏の存在を許せないかも」
「ふーん……」
これ以上、彼氏のことを詮索されたくない。お母さんでも恥ずかしいと思い、そっけない返事をした。
「……で、どんな子なの?」
わたしの気も知らず、しつこく聞いてくる母を強い語気ではねのけた。
「教えるわけないでしょ!」
「あらー、残念」
母はいたずらっ子のような顔で残念がっていた。
まったく、これだからお母さんは……。この時、わたしは呆れていた。
そんな風に何気ない日常の様子だった。
・
・
・
再びもやがかかったように視界がぼやけていく。残念そうな母の顔も、家の食卓の景色も次第に白い霧に包まれた。
太陽からの光を遮るように、霧は周囲の明るさを奪っていく。トンネルの中にいるように真っ暗闇に包まれた。
またひとつ記憶の断片が終わった。
また別の記憶が蘇るのだろうか?
わたしは意識体となって、自分の人生を回想している。やっと、回想電車で死神さんに言われたことを理解した。
あと、もうひとつ。
思い出さなくてはいけない大事なことを思い出した。
周くん。野上 周大。わたしの彼氏のことだ。
でも、そこから先が思い出せない。
周くんのことで、心残りなことがあったのだろう。
彼のことは忘れてはいけない。もちろん、そうだけど、わたしがしなければいけないことが何かあったような……。
暗闇の中をぼんやり漂っていると、死神さんの声が聞こえた。
「思い出しました? 悪いことばかりではなかったでしょう。あなたが誰かに及ぼした影響もこんなにあったと言うことです」
でも、死神さん、肝心なことが思い出せない気がするんだよ。
「大丈夫です。朱音さん。終着駅までまだ時間はあります。思い出せますよ」
その言葉にわたしは少し、ほっとしたけど、不安にもなった。
暗闇の中に光が見える。
それは夜空に輝く1等星のようにキラリと光っていた。徐々にその光りは大きくなっていく。
以前、似た景色を見たことがある。明るい出口に向かってトンネルを走る列車の様子に似ていた。
「次の駅に着くようですね」
遠くに見える光が一段と強くなった。
列車がトンネルの中を抜けていくように、前方に現れた大きな光がわたしを包み、黒かった視界を真っ白に変えた。
その光はまばゆいほどに明るく、暖かかった。
なにかに似ている。春の木漏れ日のように、包み込むような優しさ。いつもわたしを見守ってくれているような……。
誰だろう? お母さん?
似ているけど、少し違う。
いつもわたしの絵を眺める誰かの暖かい瞳。
……そうか。
これは周くんの瞳だ。
霧が晴れていくように、うっすらと輪郭や色彩が見えてきた。景色には見覚えがある。
ここは学校だ。
ものすごい速さでこちらに近づき、わたしを飲み込んでいく。次の瞬間、わたしは光の中にいた。光そのものがわたしになっていた。
父の声がした。
「生まれて来てくれてありがとう」
母の声がする。
「あなたはお母さんの一番の宝物よ」
唐突に声が聞こえてきた。父と母の発語には時間的な繋がりはなく、前後の文脈もわからない。
・
・
・
しばらくするとわたしの頭上に暖かい光が降り注ぐ。
「やっと寝たな」
「ええ、やっとね。さっきまでわたしがぐずっていたけど、寝ると天使みたいね」
「ああ、本当だな」
わたしの頭上から聞こえる声は、若い父と母のものだった。顔は見えないが、にこやかにわたしを見守っている姿が浮かぶ。
これは……。
きっとわたしが赤ちゃんだった頃の記憶だ。
ぽかぽかと暖かい。わたしは今、母の腕の中でうとうとと眠っているところなのだ。
物心つく前の記憶なんて、何も覚えていなかったけど、わたしの細胞に刻まれたかのように、赤ちゃんだった頃の出来事なんだと確信した。
・
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視界にかかった白いもやが少しずつ晴れた。それでもまだ色褪せた写真のようにボケている。
目の前には自分が見上げるほど大きな男性と女性の姿が現れた。
今度ははっきりとわかる。これはわたしが幼稚園児だった頃の父と母なのだと。
母は画用紙いっぱいに描かれた絵を見て、優しく微笑んだ。
「これはお母さん? わぁ、上手に描けているわね。 また描いたら見せてね」
たぶん、母の日のことだった。
幼稚園で母の絵を描いたんだと思う。母の顔だけでなく、洋服にも模様を描き、背景には赤いカーネーションの花をいっぱいに描いた。担任の先生から、カーネーションは母の日の花だと教えてもらったからだ。
母親の顔を画用紙いっぱいに描く園児がほとんどのところ、背景までびっしり使って描いたのはわたしくらいだったと、母が教えてくれた。
喜ぶ母の隣で絵を覗き込む父もまたうれしそうだった。
「朱音は絵を描くのが本当に大好きなんだな」
そうだ。
わたしは絵を描くのが好きだった。
いや、今でも絵を描くのが好きだ。
こうやって、わたしが描いた絵で誰かを笑顔にするのがとても嬉しかったし、楽しかった。
いつしか、それが絵を描く目的になっていたように思う。
わたしは、絵を描くことを諦めたくなかったんだ。
でも、まだ何か大切なことを忘れている気がする。
・
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そのうちまた視界がぐにゃりとかわり、さらに鮮明になった。
「か、かか、彼氏!? 」
父は飲みかけのビールが入ったグラスをテーブルにダンッと置いた。あまりにも驚いたらしい。
「お父さん、そんなに驚くことないでしょ。この子だって高校生なんだから。 彼氏くらい」
これはいつのことだったろう?
付き合ってから数ヵ月、二人には黙っていたが、日曜日に彼氏と出掛ける時に、秘密のままにできなくなってしまった。
高校の友達と出掛ける。そう言えばいいのに、誤魔化せず、態度に現れてしまった。それを母が察して、わたしは自分から暴露してしまった。
母に彼氏のことを明かした日曜日の夜、晩御飯後の会話だったと思う。
台所で家事をしながら会話に加わっていた母だったが、皿洗いの手を止め、わたしと父が座っているダイニングテーブルにやってきた。
そして、皿を片付けながら、ニヤリとわたしに話しかけた。
「それで、彼はどんな男の子なの? 」
父がいる前で話せるわけがない。
そう言おうか言うまいかのところで、父が勢いよく椅子から立ち上がった。
「おおおお、お父さんは興味ないから。 あとは勝手に話しててくれ……。風呂、入ってくる!」
足早に退散する父を見た母は呆れ顔で言った。
「もうお父さんったら。 あなたのことが可愛くてしょうがないのよ。 彼氏の話題が出せるようになるまで時間かかりそうね」
「それって、いつくらい?」
「そうねぇ……」
母は宙を見つめ、考える仕草をした後、笑いながら言った。
「もしかしたら、結婚する相手を連れてくるまで彼氏の存在を許せないかも」
「ふーん……」
これ以上、彼氏のことを詮索されたくない。お母さんでも恥ずかしいと思い、そっけない返事をした。
「……で、どんな子なの?」
わたしの気も知らず、しつこく聞いてくる母を強い語気ではねのけた。
「教えるわけないでしょ!」
「あらー、残念」
母はいたずらっ子のような顔で残念がっていた。
まったく、これだからお母さんは……。この時、わたしは呆れていた。
そんな風に何気ない日常の様子だった。
・
・
・
再びもやがかかったように視界がぼやけていく。残念そうな母の顔も、家の食卓の景色も次第に白い霧に包まれた。
太陽からの光を遮るように、霧は周囲の明るさを奪っていく。トンネルの中にいるように真っ暗闇に包まれた。
またひとつ記憶の断片が終わった。
また別の記憶が蘇るのだろうか?
わたしは意識体となって、自分の人生を回想している。やっと、回想電車で死神さんに言われたことを理解した。
あと、もうひとつ。
思い出さなくてはいけない大事なことを思い出した。
周くん。野上 周大。わたしの彼氏のことだ。
でも、そこから先が思い出せない。
周くんのことで、心残りなことがあったのだろう。
彼のことは忘れてはいけない。もちろん、そうだけど、わたしがしなければいけないことが何かあったような……。
暗闇の中をぼんやり漂っていると、死神さんの声が聞こえた。
「思い出しました? 悪いことばかりではなかったでしょう。あなたが誰かに及ぼした影響もこんなにあったと言うことです」
でも、死神さん、肝心なことが思い出せない気がするんだよ。
「大丈夫です。朱音さん。終着駅までまだ時間はあります。思い出せますよ」
その言葉にわたしは少し、ほっとしたけど、不安にもなった。
暗闇の中に光が見える。
それは夜空に輝く1等星のようにキラリと光っていた。徐々にその光りは大きくなっていく。
以前、似た景色を見たことがある。明るい出口に向かってトンネルを走る列車の様子に似ていた。
「次の駅に着くようですね」
遠くに見える光が一段と強くなった。
列車がトンネルの中を抜けていくように、前方に現れた大きな光がわたしを包み、黒かった視界を真っ白に変えた。
その光はまばゆいほどに明るく、暖かかった。
なにかに似ている。春の木漏れ日のように、包み込むような優しさ。いつもわたしを見守ってくれているような……。
誰だろう? お母さん?
似ているけど、少し違う。
いつもわたしの絵を眺める誰かの暖かい瞳。
……そうか。
これは周くんの瞳だ。
霧が晴れていくように、うっすらと輪郭や色彩が見えてきた。景色には見覚えがある。
ここは学校だ。
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