切なさよりも愛情を

槇村焔

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切ないってこういうこと

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かちり、と脳内で何かのピースが埋まるような音がした。
その音とともに、菜月の脳内に古い記憶が再生された。


『許さないんだよ…、許せないんだよ…』

悲しく落とされた言葉は、悲痛に濡れていた。
普段は気丈な態度の彼が、泣いていた。
フルフルと小刻みに震えながら、嗚咽を交えて。


『かっちゃん…』
『菜月、俺は、オマエガ…-嫌いだよ…。
お前なんて、ほんとは、嫌いなんだよ。

だって、お前は…オマエハ…、

おまえは…ーーーーおまえは…』

止まっていた記憶が、動き出す。
途切れ途切れだった言葉が、脳内ではっきりと聞こえる。

今まで光が当たらずに見えなかった場面が、鮮明と露になる。

『ーーー俺が復讐しないといけないやつだから。
俺はお前が、嫌いなんだよ。
のうのうと生きている、俺のすべてを奪ったお前が嫌いなんだ。
お前にわかるか?
生まれた瞬間に捨てられた気持ちが。
母さんに首を絞められ、恐ろしいものをみるような目で見られた俺の気持ちが。


いらないと、反乱狂になって、拒否された気持ちが。
存在してはいけない、人間の気持ちが。
お前にはわからないだろう?
なにも知らず、のうのうと生きてきたお前にはわからないんだ。
すべてが否定され続けて、愛情もわからなくなった、こんな俺の気持ちなんて、お前には、わかるはずないんだ。

せめて、息子として…。そう思って自分を捨てた父親のもとにあいにいって、すでに俺の代わりにお前がいて俺は息子としても生きていけなくなった。
お前がいたから、俺は最後の居場所までなくしたんだよ。

生まれてはいけない人間の気持ちなんて、お前にはわからないんだ』


「…あ…」
進むことのなかった場面が、動き出した。
色あせていたセピア色していた記憶が、彩りだす。
忘れかけていた記憶が、ゆっくりと脳内を支配した。

「菜月君…?」
蘇った記憶の断片に、菜月の身体は痙攣する。
菜月の脳裏に蘇った記憶の香月は、恨めしい瞳で見つめていた。
利弥と同じ。
いや、それ以上に、憎しみを込めた憎悪の瞳で菜月を見ていたのだった。


「大丈夫か?」
「ダイジョブ…です」
「ほんと?顔色悪いけど」

心配する小牧に、菜月は話の続きを促す。
蘇った記憶の一部。
あの日、香月は泣いていた。
あの日はクリスマスが過ぎ去った12月26日のことだ。
やってきた香月は泣きながら、菜月に言ったのだ。
俺は、お前に復讐するために、やってきたんだ、と。


「かっちゃんが利弥さんの弟というのは嘘じゃないんですか?」
「ああ、腹違いの弟ってのは、香月がついた嘘だったんだよ。
弟ってのは本当だったけどね。
香月の父親は…、中川喜一。
君のお父さんでもある、中川喜一なんだ。
そして、母親は…7年間、行方不明だった利弥のお母さん。
香月は幼い頃に、中川喜一の愛人に育てられたらしい。そこで、本妻である君の母親の悪口や、君への中川喜一の態度などあることないこと喋って、幼い香月に憎しみを植え付けたんだよ。
本妻の子供は裕福に暮らしている、お前は愛人の子供だから惨めに暮らしているんだ、ってね」
「憎しみを…。…それを利弥さんは…」

「あいつが知らないはずはないと思う。君に対しても興信所で調べたくらいなんだから、当然、香月のことも調べているはずだよ。

調べて、自分の母親が苦しんでいる“元凶”でもあった香月を恨みもしたみたい。
香月の弟って言葉を一番否定していたのは、利弥だったからね。
利弥ってさ、ああいう性格だから、一度プッツンしちゃうと、あとは後悔するってわかっているのに、自滅するように最悪の選択肢ばっかり選ぶんだよ。


恋とは、罪悪である。
利弥にとっても恋はただ、楽しいものなんかじゃなかった。
ただ、好きになっただけなのに、まるで呪いのように苦しいものだった」


『…苦しい…、なあ、苦しいか?なぁ…』
『復讐だよ…これは、お前の…』
『お前に近づいたのは、復讐だ…。なぁ、菜月。
俺は一度だって、お前をすきになったことはなかったんだ。
お前は俺の復讐相手で、だから、これは、こうすることは俺の存在意義なんだ。俺が俺であるための』


香月の言葉を聞きながら、脳裏に浮かんでくるのはいつぞやの悪夢だった。いや、悪夢じゃない。
あれは、本当にあったことなのだ。


 12月26日。外は雨がしとしと降っていたときだった。
泣きじゃくった香月は、あの日、菜月の首を絞めていた。
ずっと嫌いだったと告げて。
だから、雨の音をきくと、首が痛んで、あの日を思い出し悪夢を見るのだ。

(本当に俺は、かっちゃんに疎まれて…憎まれていた。
だから、雨が怖いんだ。だから、眠ることができなかった)

「これが、俺が知る真実。
この書類は、香月の出征を興信所で調べたの。
きっと、君への利弥の復讐は、香月への償いの意味もあるんじゃないかな?
弟である香月に何もできなかった兄としての、最後の償いというか…。
死んだ香月の存在に縛られて、あいつは君にも優しくできないのかもね」


小牧はそういうと、机に書類を投げた。
書類には、香月の写真がクリップで止めてあった。
子供の頃の記憶で今は朧気だった香月の顔。

(かっちゃんはこんな顔、してたんだ。
もうぼんやりとしか覚えてなかった。
かっちゃんが12月26日、俺に対してしたことも、なにも覚えてなかったんだ。
俺が覚えていたことは、本当は全部自分が想像した偽りなのかも知れない。だって、俺はずっとかっちゃんに恨まれていたことを忘れてた。
俺のなかのかっちゃんは、本当は俺が作った幻だったのかも…)

写真の香月を一瞥しただけで、菜月は俯いてしまった。
写真を直視できるほど、心に余裕はなかった。


「利弥、君と過ごしていくうちに、夢に香月が出るようになったらしい。君と香月は似ているからね。
夢の中の香月は利弥に助けを求めるんだけど、いつも救えなかったって無念そうに話してた。

もういない香月へ償うには、香月が願っていたことをするしかない。利弥はそう思ったはずだよ。
香月が願っていたのは、君への復讐だから。だから、愛の証明であり償いが、君への復讐なんだよ。
もちろん、家族を滅茶苦茶にした中川喜一の血をひく子供ってだけで、復讐心を燃やした可能性もないともいえないけど」
「愛の証明が復讐…」
「ああ。
あいつは香月が死んでから、復讐に囚われすぎた。
いや、違うな。香月の意志を継ぎ、香月に償うことで、自分が幸せにならないことで、あいつはあいつなりに香月に復讐させてあげているんだと思うんだ。」

「自分が幸せにならないって…」
「それが、死んでしまった香月への贖罪だと思っているんだよ。
あいつは、誰よりも幸せになりたがってないんだ。いつだって自分を傷つけて不幸である自分に安堵している。幸せになる資格なんかないと思ってるんだ。バカなやつだよね。

こんなこときっと香月は望んでないのにさ。
菜月君への復讐も、利弥の復讐も、香月はそんなこと、望んでないのに。
誰かを不幸にしたい、なんて香月が考えるはずないのに勝手に思い込んで、全部壊していく。失って一人悲しんでいるんだ」


あいつもほんと、不器用だよね。仕事もバリバリできるし、あの容姿なのに、性格が破綻しているんだから。
そういって、小牧は微笑した。
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