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出立
しおりを挟むジョアンのいるレオパーファ領邸の敷地内で火の手が上がる。
場所は既に取り壊しが決まった廃倉庫。
中も片付けが終わっており、ほぼ空っぽの状態だった。
時刻は既に夕刻をとうに過ぎ、辺りは真っ暗になっていた。
それもあって、小さな火にも関わらずその火事は直ぐに人目を引き、大きな騒ぎとなる。
なぜ無人の廃倉庫でとか、そもそも火の気がない場所だとか、そんな事に気が回る様になったのは鎮火してから。
火消しの指揮に当たっていた領邸の執事ロータスがハッと我に返った。
人が入り乱れた状態の今、指揮系統は乱れ、監視の目も行き届かない。
嫌な予感が頭を過ぎり、ロータスはすぐ後ろにいた小間使いたちへと顔を向けた。
「・・・ジョアンは、ジョアンはどこにいる・・・っ?」
ロータスの問いにすぐに答えられる者はいなかった。
邸の敷地内ではあるものの、外れに位置していた廃倉庫の周囲には延焼するようなものは何一つなく。
そもそもが然程でもない規模の火。
しかも、ご丁寧に建物周りには、広くはないがぐるりと深く溝まで掘ってある。
燃え落ちたとしてもせいぜい周辺の草が焦げる程度の被害しかなかったであろうそれは疑いなく人為的なもので。
青ざめるロータスのもとに、ゼストハ男爵家から人質の脱走を知らせる使者が来たのは、火事が起きてから一時間後。
領地の端にある孤児院からは、それから更に半刻後となった。
まさか王都にある本邸でも騒ぎが起きているとは露ほども知らないロータスは、これらの件を主人にどう報告すればいいかと頭を抱えた。
一方、その頃のジョアンは。
クルトの操る馬に乗せられ、皆が待つ落ち合い場所に既に到着していた。
「・・・父さん・・・っ!」
クルトの補助で馬から降りるなり、ジョアンは入り口から走り出た父の胸に飛び込んだ。
ダビドもまた、固く娘を抱きしめる。
「・・・ジョアン・・・ッ、ああ、やっと・・・」
「父さん・・・父さん・・・っ」
ダビドの眼から涙が零れ落ちる。
一度はもう会う事も叶わないと諦めた娘。それが今日、自分の腕の中に帰ってきたのだ。
腕の中の娘の顔を覗きこみ、目の下の酷い隈と肉の落ちた頬を見て、父の目が悲しげに揺れる。
「ジョアン、こんなに痩せて・・・」
「父さんこそ・・・」
どちらも監視者から酷使され続け、疲弊しきっていた。見た目だけで言ってもボロボロだ。けれど、嗚咽で途切れがちではあるが、会話をする父娘の表情は決して暗いものではない。
三年、三年だ。
突然に引き離され、互いの命と主人の命を盾に取られ、知らない環境に放り込まれて三年。
やっと会えた。
やっと逃げる事が出来て、こうして父と娘は会えたのだ。
本当ならばすぐにでもこの場所から離れたいであろうバームガウラス家の者たちは、それでも親子の対面の時間をきちんと取り分けた。
ジョアンとダビドは互いに抱き合い、ひとしきり泣いた。
その後、ようやく落ち着きを見せたジョアンが「ロージーは?」と問う。
やっと平静さを取り戻した彼女は、妹が父と一緒にいないことに気づいたのだ。
だが父は穏やかに微笑む。
そして、家の少し手前に停めてある馬車を指さした。
ロージーは姉よりも先に到着していたが、泣き疲れて移動中に眠ってしまっていた。
今は家紋の入った豪奢な馬車の中で、同じく眠ってしまった幼いミルドレッドと一緒に、柔らかい毛布に包まれ眠っている。もちろん側にはラシェルが付き添っている。
未だ夢の中のロージーは、父や姉との対面を果たせていない。だが孤児院を離れられた事で既に安堵したのか、寝顔は非常に穏やかだ。
既にその寝顔を確認済みであるダビドは、様子を見て来いとジョアンの背をそっと押す。寝顔だけ、だがそれでもロージーの無事な姿を見れば安心するだろうと、そう思ったから。
大きな馬車とはいえ、既に子ども二人が横になっており、しかもその側にはラシェルが付き添っている。
ジョアンはもう一台の馬車でダビドと一緒に移動することになっていた。単純に休むスペースの問題だ。
「・・・あの子も・・・ロージーも随分と大きくなっていたよ」
そう呟く父の声はどこか悲しげである。
それもそうだろう。生きて再会できた事は幸運だが、本来ならそもそも引き離される事などなかった親子。ダビドとヨランダは、ずっと娘たちの成長を見守って行ける筈だった。
だがそれは、ジョアンにとっての父も同じ。ジョアンにとっての妹もまた同じだろう。
ずっと、一緒に居られる筈だった。ずっと、笑いながら時を過ごせる筈だった。
家族同士で失われた時が存在する方が異常なのだ。
ジョアンは、そっと馬車の窓から眠るロージーの顔を覗き込む。
六歳から九歳。
子どもから少女に成長しつつある妹は、ジョアンやダビドよりも外見の変化が激しい。
・・・ずいぶん大きくなったんだね
安堵と、懐かしさと、焦燥と、悲しみと、戸惑いとが、ごちゃ混ぜになってジョアンの胸を去来する。
思わず滲んだ涙を指でそっと拭い、顔を上げた。
「では、そろそろ出立しよう」
それまで親子の対面を静かに見守っていたキンバリーが口を開いた。
「・・・大丈夫でしょうか」
小さな声で呟いたのはダビドだ。
誰が、何が、大丈夫と問いたいのか。
彼らに対する恐怖心を嫌というほど植え付けられてるダビドが、これ以上を口にすることはない。
「大丈夫だ」
なのに、分かっているとキンバリーは頷いた。
ジョアンとダビドの二人をもう一台の馬車に乗せ、中には更にもう一人護衛騎士を置く。
そして、キンバリー自身は二台の馬車の間を、シャルマンは殿として最後尾を馬で走る事になった。
「ダビド、心配する必要はない」
護衛たちで固めた馬車二台が出発する直前、キンバリーはダビドに繰り返し告げる。
「本邸には、お前のもとの主人であるハロルドと、私の自慢の息子が向かっている。どうやら証拠も見つけた様だしな」
目を見開くダビドたちの前で、キンバリーは出立を宣言した。
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