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ありがとう
しおりを挟む夜でもコートを着る必要がなくなり、ようやく暖かくなってきた事を実感する。
花粉症でなければ、四季の中で最も過ごしやすい季節、春。
この後毎度お馴染みのじめじめした天気が続き、直ぐにくそ暑い季節がやって来る。
そんな中……近所の目を気にしながら高校の制服を着ている29才の俺……しかも隣には制服姿の現役女子高生の妹……その怪しいカップルの俺と妹は現在手を繋いで住宅街を歩いていた。
暑くも寒くもない丁度いい気温にも関わらず、俺の手の平は汗が滲んでいる。
妹と手を繋いでいるのでこの汗の主がどっちの手だかわからない……いや、繋いでいない方の手もほんのりと汗が滲んでいるので、少なくとも俺じゃないって事はなかった。
俺たちは二人で手を繋いだまま、近所の公園の中に入る。
昔妹が夜泣きした時に来た公園ではない。住宅街の中にある小さな公園、よくわからない猫のオブジェがいくつか置いてあるので、通称猫公園と呼ばれている。
妹が夜泣きした時は、少し遠い、川沿いにある大きな公園に行っていた。ここにワンワンと泣く妹を連れて来たら、近所迷惑だけでなく怪しい少年が赤ん坊を連れているなんて通報され、妹もろとも補導、保護されてしまっただろう。
「賢くん……ここに座ろっか」
「あ、はい……」
賢君と言われ違和感しかない……俺と妹は手を繋いだまま公園のベンチに腰かける。
誰もいない静まりかえった公園……目の前には、もうすっかり花が散ってしまった桜の木がある。
一ヶ月早く来ていれば花見が出来たなあなんて事を思いつつ、俺は何も言わずに木を眺めていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……………………なんか喋ってよ」
「えええ? 俺から?」
「だって……私……こういうの初めてだし……」
「それを言うなら俺だってそうだよ!」
そもそも誘ったのは妹の方からで、俺にはなんのネタも用意もない。
「うーーん、じゃあ、とりあえず何か私に聞きたい事とか無いの?」
「聞きたい事ねえ……あ、そうだ!」
「何々?」
妹は嬉しそうに俺の方を向く。
「学校はどうだ? 楽しいか?」
「……父親か!」
「えーー、じゃあ……勉強は出来てるか?」
「……父親か!!」
「うーーん、部活とか入らないのか?」
「だから父親か!! 違う、違うよお兄ちゃん、私たち今は恋人なんだよ? こう、恋人どうしの語らいって言うの? そういう事を聞けって言ってるの!」
「いや……そんな事言われても……」
恋人同士ってどんな話してるの? って言うか俺は妹と一緒に住んでるんだし、親代わりなんだし、知らない事なんて学校の事以外に無いだろ?
お前の身体の隅々から、生活態度、病気、俺は今まで全部見て来たんだから……いや、いやらしい意味じゃないぞ。
「うーーーーん、じゃあ……」
「うん! 何々?」
「ご趣味は?」
「見合いか!」
「だからわかんねーってば」
恋人同士で話すネタって趣味とかじゃないのか? もうマジでわからん!
「あーーーーもう!」
妹はそう言ったきり黙ってしまった。いや、だってさ……なんかこれって昔妹とやったおままごとの延長みたいで……そう言えば昔もこんな事あったなあ……「おにいたん、演技下手」って言われたなあ……。
小さな小さな頃から知っている……今でも毎日会話をしている。
当たり前の様にそこにいる。
なくてはならない空気の様な存在……妹がいなければ俺は生きていけない……。
「……でも……ありがとな……」
「別に……全然恋人らしい事してないけど」
「違うよ……生まれて来てくれて、俺の元に来てくれて……育ってくれて……近くにいてくれて……一緒にいてくれて……こうやって気を使ってくれて……全部ありがとうって……感謝してる」
本当に本当に心の底から感謝している……ありがとうって……心の底から思っている。
「……ううん……私はその何倍も何倍も感謝してる……」
「そか……じゃあ……それも含めて、ありがとうだな」
「私も……ありがとう……お兄ちゃん」
そう言って妹は俺の手をギュっと握った。
俺も妹の手を強く握り返した。
あの小さかった手が、俺の指を握るのが精一杯だったあの小さな小さな手が、ここまで大きくなったって思うと、また感謝の気持ちが込み上げてくる。
俺の側にいてくれてありがとう。
「てか、なんか終わらそうとしてない?」
「え?」
「なんかいい話にして、もう終わらして帰ろうとしてない?」
「いや、だって」
出来ないだろ? 俺と雪は兄妹なんだから、恋人ごっこなんて、出来ないって今わかったのでは?
「駄目! これじゃお兄ちゃんの青春を取り戻せ作戦が」
「なんだそのベタなタイトルの作戦は?」
ってか、作戦とか古くね? 女子高生が言うセリフか?
「う~~~~~、そうだ! お兄ちゃん! キスしよう!」
「……は?」
「こう言うシチュエーションってやっぱり、キスじゃない?!」
「アホか!」
何を言い出すんだこのアホ妹は!
「何よ! それが恋人に言うセリフ?」
「いや、さっきからもうお兄ちゃんって言ってるから!」
「しよう、ね? ホレホレ」
妹は目をつむり唇を尖らせる。
「しねーーよ! 帰るぞ、終わり! おままごとは終わり!」
「お! おままごとって何よ!」
「子供とのお遊びは終わり!」
俺は妹から手を離して立ち上がる。
「ふん! 恵さんとはお医者さんごっこ楽しんでしてた癖に」
ベンチに座ったまま俺をジトっとした目で見つめる。
「たたた、楽しんでねえ! いや、やってねえ!」
「そっかそっか、お兄ちゃんはロリコンなんだ、大きくなった私の事なんてもう好きじゃないんだそうなんだ」
「バカ言うんじゃねえ!」
俺はそう言うと、妹の顔に自らの顔を近づけ……そのまま妹のほっぺにキスをした。
「!!」
「大好きに決まってるだろうが!」
「……そ、そう……っていうか……お、お兄ちゃん……キスした……」
「……何言ってる、昔から「にいたんチュッチュ」って俺にキスしてきただろ? 何を今さら」
妹と思えば、あの小さかった時の妹と思えば、キスくらいどうって事ない。
「わわわわ、私そんな事……言ってない! 言ってないぞ!」
公園の外灯に照らされた妹の顔がみるみる赤くなっていく。
「言ったって……、ああ、もういいほら、キスしたんだから帰るぞ」
「…………でも……えへ、えへへ、そう、そうかあ、お兄ちゃんは、私が大好きか~~」
「……くっ」
「じゃあお兄ちゃんは、ロリコンじゃなくて、シスコンだねえ」
妹は立ち上がると俺の手を取り、歩き出す。
「じゃあ帰りは兄妹で帰ろっか」
満面の笑みでそう言う妹……。
今度は手汗もかかない、ドキドキもしない。
だって俺たちは……ずっと手を繋いで歩いて来たのだから、今もこれからも……。
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