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修行7:たくさん折った(2)
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「……っ!」
俺は簡素なベッドの上で目を覚ますと、グッと背伸びをした。カーテンの隙間から差し込む陽の傾き具合から、幾分目覚めるのが遅かった事が分かる。昨日、大量に貰った夏野菜のおかげで、青々とした新鮮な匂いが鼻孔を掠める。
「なんか……スゲェ懐かしい夢を見てた気がする」
ここは、聖王国の首都から東に少しばかり離れた田舎村だ。若者は皆首都へと出稼ぎに出るせいで、村には年寄りしか居ない。
「確か、今日はナザレさん家の屋根の修理をする約束だったな。その後はガリヤさんの畑の手伝いで……」
そのため、村の中で唯一の二十代という俺は、何かにつけ近所の爺さん婆さんから用事を頼まれる事も多かった。まぁ、その代わり色々と食べ物の世話を焼いて貰えるので、持ちつ持たれつというものだ。
「教会に居た頃は……俺が一番年上だったんだけどな」
この村じゃ一番の若造で、誰からも「坊や」扱いだ。
「まぁ、世話を焼いて貰えるってのも悪くないな」
起き上がって自室を見渡すと、そこには机と水回りのみという簡素で質素な部屋が映る。俺の家に来た人間に「モノを飾ったりしてはどうか」と何度も提案されたが、俺は別にコレで良いと思っている。
なにせ、此処にもいつまで居れるかも分からないのだから。
ここに来てどれくらいになるだろうか。
「……一年、くらいか?」
もう、そんなになるのか。俺は、ぼんやりとした頭でテーブルへと向かった。テーブルの上に置かれたポットからコップにお茶を注ぐ。トクトクと液体がコップに注がれる音のみが、妙な存在感をもって部屋の中に響き渡った。
あぁ、静かだ。本当に、自分以外部屋の中には誰の気配も感じない。
「みんな、どうしてるかなぁ」
みんな。俺の言う“みんな”とは、もちろん教会で世話を焼いて来た子供達の事だ。全員、無事に成長出来ているだろうか。
-----ししょー?
「っ!」
二年前のあの日。
最後に唯一会う事の出来たのは、教会の中でも最も幼かったヤコブだった。
闘技場から必死に逃げ出した俺は、HPがギリギリの状態で、ともかく走った。走って走って走り続け、手配書が出回る前に教会まで戻ったのだ。
手にはこれまで地道に貯め続けた全財産。
ついでに、約束通りシモンの新しい武器も買った。本当は聖王国の商店街でしっかり品定めをして買ってやりたかったが、俺にはそんな時間は残されてはいなかった。
そうやって、半分死にかけたようなボロボロの状態で、俺は教会のあるスラム街に戻った。
ただ、こんな状態では誰かに会う事も出来ない。金と荷物、そして手紙だけを教会の入口に置いて、そのまま、姿をくらますつもりだった。
もちろん、シモンにも会えない。
------俺は師匠の弟子の中で、何番目に強い?
シモンに事情を説明し、納得させられる自信は、その時の俺には欠片も無かった。
夜だとシモンに出くわす可能性が高い為、明け方、俺はソッと教会へと立ち寄った。
『……みんな』
じきに追っ手も手配書もこの街に届くだろう。もう、俺は二度とこの教会を見る事も、子供達に会う事も出来ない。そう思うと妙に名残惜しく、身に詰まる想いが込み上げてきて、しばらく教会の前で立ち尽くしてしまった。
鼻の奥が、ツンとする。そう、思った時だ。
ガチャリと、教会の扉が開いた。
『っ!』
突然の事に、派手に心臓が跳ねる。次いで、酷く甘ったれた声が俺を呼んだ。
『ししょう?』
『……ヤコブ』
その瞬間、目を擦りながら教会から出て来た末っ子の姿に、俺は静かに息を吐いた。
ヤコブだ。三年前まで“師匠”が上手く言えず『しよー』と、教会の中で最も小さくて弱かった男の子。
今では子供達の中で一番腕っぷしの立つ、シモンの一番弟子だ。
『どぉしたの?ようじ、もーおわった?』
『……ううん、ちょっと忘れ物があって取りに来ただけ』
『そーなのぉ』
まだ半分夢の中なのだろう。目を擦りながらフラフラと足元のおぼつかない姿に、俺は思わず笑ってしまった。
いや、違うな。俺はヤコブに対して笑ったのではない。どうしようもない自分に対して笑ったのだ。
『あぁ、まったく。俺ときた……ら』
そう、俺は今……心底ガッカリしている。先程扉が開いた瞬間、俺は思ったのだ。
シモンが来てくれたのかも、と。
『卑怯過ぎだろ』
時間が無い、早く此処から立ち去らねば。
なんて表立って焦っているフリをしながら、本当はシモンに見つかってしまいたかったのだ。
HPもギリギリ。金もなく、行く当てもない。
それどころか、これから国中に追われる犯罪者となり、たった一人で走り続けないといけない未来に、俺は誰かに……シモンに助けて欲しいと思ってしまっていた。
だからこそ、こうして扉が開くまで教会の前に立っていた。
きっとシモンなら、こんなボロボロの俺を前に放っておいてはくれないだろう。抱きしめてくれるだろう。一緒に怒ってくれるだろう。
そんな甘えた期待を胸に、俺はずっと教会の前で、シモンを“待って”しまっていた。
でも、出て来たのはシモンではなく、ヤコブだった。
『あぁ。ヤコブで、良かった。ラッキーだわ……』
『ししょー?おれ、おしっこ……いく』
お陰で寄りかかりたい甘えを断ち切る事が出来た。ここに俺が居ると、皆に迷惑がかかる。
『ヤコブ、ちょっとその前にシモンに伝言を頼めるか?』
『なぁにー』
こんな寝ぼけたヤコブに、まともな伝言は無理だろう。俺は今度こそハッキリと笑うと、ヤコブに視線を合わせる為に、地面に膝を付いた。
『あそこにある荷物、金もたくさん入ってるから、ちゃんとシモンに全部渡しといてくれ』
『うんー』
『あと、もう一つ』
『うんー』
コイツ、マジで分かってんのか?
未だにうつらうつらした様子で頷くヤコブに、それでも俺は伝えた。もう、これしか伝える方法が無い。
『パンを焼く時は、素振り七回分で充分だから。それ以上焼くと焦げる』
『パンは、すぶり、ななかい』
『そう。それ以外は、俺の知ってる事は全部シモンには教えたからって言っておいて』
『うんー』
『良く出来ました。はい、おしっこして来い』
『んー』
俺が、ヤコブの背中を軽く叩くと、ヤコブは目を擦りながら静かに頷いた。さぁ、俺もそろそろマジで逃げないと。
そう最後にヤコブに背を向けようとした時だった。
『ししょう、ないてるのー?』
『…………ないてないよ』
それが、スラム街での最後の会話だった。
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「……っ!」
俺は簡素なベッドの上で目を覚ますと、グッと背伸びをした。カーテンの隙間から差し込む陽の傾き具合から、幾分目覚めるのが遅かった事が分かる。昨日、大量に貰った夏野菜のおかげで、青々とした新鮮な匂いが鼻孔を掠める。
「なんか……スゲェ懐かしい夢を見てた気がする」
ここは、聖王国の首都から東に少しばかり離れた田舎村だ。若者は皆首都へと出稼ぎに出るせいで、村には年寄りしか居ない。
「確か、今日はナザレさん家の屋根の修理をする約束だったな。その後はガリヤさんの畑の手伝いで……」
そのため、村の中で唯一の二十代という俺は、何かにつけ近所の爺さん婆さんから用事を頼まれる事も多かった。まぁ、その代わり色々と食べ物の世話を焼いて貰えるので、持ちつ持たれつというものだ。
「教会に居た頃は……俺が一番年上だったんだけどな」
この村じゃ一番の若造で、誰からも「坊や」扱いだ。
「まぁ、世話を焼いて貰えるってのも悪くないな」
起き上がって自室を見渡すと、そこには机と水回りのみという簡素で質素な部屋が映る。俺の家に来た人間に「モノを飾ったりしてはどうか」と何度も提案されたが、俺は別にコレで良いと思っている。
なにせ、此処にもいつまで居れるかも分からないのだから。
ここに来てどれくらいになるだろうか。
「……一年、くらいか?」
もう、そんなになるのか。俺は、ぼんやりとした頭でテーブルへと向かった。テーブルの上に置かれたポットからコップにお茶を注ぐ。トクトクと液体がコップに注がれる音のみが、妙な存在感をもって部屋の中に響き渡った。
あぁ、静かだ。本当に、自分以外部屋の中には誰の気配も感じない。
「みんな、どうしてるかなぁ」
みんな。俺の言う“みんな”とは、もちろん教会で世話を焼いて来た子供達の事だ。全員、無事に成長出来ているだろうか。
-----ししょー?
「っ!」
二年前のあの日。
最後に唯一会う事の出来たのは、教会の中でも最も幼かったヤコブだった。
闘技場から必死に逃げ出した俺は、HPがギリギリの状態で、ともかく走った。走って走って走り続け、手配書が出回る前に教会まで戻ったのだ。
手にはこれまで地道に貯め続けた全財産。
ついでに、約束通りシモンの新しい武器も買った。本当は聖王国の商店街でしっかり品定めをして買ってやりたかったが、俺にはそんな時間は残されてはいなかった。
そうやって、半分死にかけたようなボロボロの状態で、俺は教会のあるスラム街に戻った。
ただ、こんな状態では誰かに会う事も出来ない。金と荷物、そして手紙だけを教会の入口に置いて、そのまま、姿をくらますつもりだった。
もちろん、シモンにも会えない。
------俺は師匠の弟子の中で、何番目に強い?
シモンに事情を説明し、納得させられる自信は、その時の俺には欠片も無かった。
夜だとシモンに出くわす可能性が高い為、明け方、俺はソッと教会へと立ち寄った。
『……みんな』
じきに追っ手も手配書もこの街に届くだろう。もう、俺は二度とこの教会を見る事も、子供達に会う事も出来ない。そう思うと妙に名残惜しく、身に詰まる想いが込み上げてきて、しばらく教会の前で立ち尽くしてしまった。
鼻の奥が、ツンとする。そう、思った時だ。
ガチャリと、教会の扉が開いた。
『っ!』
突然の事に、派手に心臓が跳ねる。次いで、酷く甘ったれた声が俺を呼んだ。
『ししょう?』
『……ヤコブ』
その瞬間、目を擦りながら教会から出て来た末っ子の姿に、俺は静かに息を吐いた。
ヤコブだ。三年前まで“師匠”が上手く言えず『しよー』と、教会の中で最も小さくて弱かった男の子。
今では子供達の中で一番腕っぷしの立つ、シモンの一番弟子だ。
『どぉしたの?ようじ、もーおわった?』
『……ううん、ちょっと忘れ物があって取りに来ただけ』
『そーなのぉ』
まだ半分夢の中なのだろう。目を擦りながらフラフラと足元のおぼつかない姿に、俺は思わず笑ってしまった。
いや、違うな。俺はヤコブに対して笑ったのではない。どうしようもない自分に対して笑ったのだ。
『あぁ、まったく。俺ときた……ら』
そう、俺は今……心底ガッカリしている。先程扉が開いた瞬間、俺は思ったのだ。
シモンが来てくれたのかも、と。
『卑怯過ぎだろ』
時間が無い、早く此処から立ち去らねば。
なんて表立って焦っているフリをしながら、本当はシモンに見つかってしまいたかったのだ。
HPもギリギリ。金もなく、行く当てもない。
それどころか、これから国中に追われる犯罪者となり、たった一人で走り続けないといけない未来に、俺は誰かに……シモンに助けて欲しいと思ってしまっていた。
だからこそ、こうして扉が開くまで教会の前に立っていた。
きっとシモンなら、こんなボロボロの俺を前に放っておいてはくれないだろう。抱きしめてくれるだろう。一緒に怒ってくれるだろう。
そんな甘えた期待を胸に、俺はずっと教会の前で、シモンを“待って”しまっていた。
でも、出て来たのはシモンではなく、ヤコブだった。
『あぁ。ヤコブで、良かった。ラッキーだわ……』
『ししょー?おれ、おしっこ……いく』
お陰で寄りかかりたい甘えを断ち切る事が出来た。ここに俺が居ると、皆に迷惑がかかる。
『ヤコブ、ちょっとその前にシモンに伝言を頼めるか?』
『なぁにー』
こんな寝ぼけたヤコブに、まともな伝言は無理だろう。俺は今度こそハッキリと笑うと、ヤコブに視線を合わせる為に、地面に膝を付いた。
『あそこにある荷物、金もたくさん入ってるから、ちゃんとシモンに全部渡しといてくれ』
『うんー』
『あと、もう一つ』
『うんー』
コイツ、マジで分かってんのか?
未だにうつらうつらした様子で頷くヤコブに、それでも俺は伝えた。もう、これしか伝える方法が無い。
『パンを焼く時は、素振り七回分で充分だから。それ以上焼くと焦げる』
『パンは、すぶり、ななかい』
『そう。それ以外は、俺の知ってる事は全部シモンには教えたからって言っておいて』
『うんー』
『良く出来ました。はい、おしっこして来い』
『んー』
俺が、ヤコブの背中を軽く叩くと、ヤコブは目を擦りながら静かに頷いた。さぁ、俺もそろそろマジで逃げないと。
そう最後にヤコブに背を向けようとした時だった。
『ししょう、ないてるのー?』
『…………ないてないよ』
それが、スラム街での最後の会話だった。
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