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side マルティナ① 過去の亡霊
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「お姉様、生きていたんですね……」
夢に出てきたり、日常生活の折にふっと頭の中に浮かんだ姉がそこにはいた。イメージの中の姉はきらびやかで美しく、いつも見下すような冷たい目でマルティナを見ていた。体が勝手に小さく震えてくる。
もう、過去のことでしょう? 大したことはされていないでしょう? 私はお姉様から解放されて、隣国に渡って、ブラッドリーと結婚して、娘だって生まれている。仕事も順調だ。もう、お姉様のことは乗り越えたんでしょう? 大丈夫、大丈夫……隣にはブラッドリーもいる。そう、自分に言い聞かせるのに、続く言葉が出てこない。マルティナは浅い呼吸を繰り返した。鼓動がやけに体に響く。
「大丈夫、マルティナ? ゆっくり呼吸して」
大きくて温かい手が背中をなでる。右隣りの斜め上を見上げると、夫であるブラッドリーの心配そうな目と目が合う。ブラッドリーの存在にふわっと心が軽くなる。いつもブラッドリーは頼りになって温かい。頷いて、ゆっくり呼吸をする。
「マルティナ、別に取って食べたりしないから、そんなに怯えないでよ。この通りピンピン生きいてるわよ。クリストファーも。私に会いに来るためにこの国に来たわけじゃないかもしれないけど、長旅お疲れ様。なにもない所だけど、ゆっくりしていって」
相変わらず尊大な物言いをする姉のアイリーンに目を向けた。アイリーンは昔と違って、簡素なワンピース姿で、化粧っ気もなくアクセサリーもつけていない。でも、年を重ねても周囲の人を虜にした美しさは健在のようだ。アイリーンも娘を一人、生んだと聞いている。そして、今もお腹の辺りがふくらんでいる。母親になったせいか、表情が柔らかくなった気がする。それでも、また姉の言葉に傷つけられるかと怯える気持ちが拭えなかった。私だって母親になったのに情けない。マルティナは自分の震えを誤魔化すように、左手を右手でぎゅっと握りしめる。
「そりゃ、亡くなったって聞いてたし。マルティナちゃんとリリアンが伯爵家から除籍されて十年経ったから、母親と姉の墓参りでもするかってこの国に来たら、生きてますよー、会いますか?って言われて。来てみたら本当に生きているし、びっくりもするわよ」
固まって何も言えないマルティナに代わって、妹のリリアンの夫で、ブラッドリーの従弟で親友でもあるエリックが答えてくれた。
「だって、本当にあなたって悪の女王様みたいだったじゃない。マルティナちゃんに悪魔の所業をしたのよ。マルティナちゃんがどれだけ苦しめられたかわかってる?」
なかなか言葉の出ないマルティナの代わりにエリックが援護してくれた。マルティナは伴侶だけじゃなくいい友人にも恵まれているようだ。思い出したくもないのに、この国に十年ぶりに帰って来てから、繰り返し昔の出来事が鮮明にぐるぐると頭に蘇っていた。マルティナはこの国の伯爵家の令嬢として生まれた。美しくて優秀な姉のアイリーンと可愛くて愛嬌のある妹のリリアンの間に挟まれた地味でなんの取柄もない次女として。母親の愚痴を聞き、姉の学業を手伝い、課題を代わりに行い、逆らっても口では勝てない。悪夢のような日々。あの頃の息苦しさまで、鮮明に蘇る。
「マルティナはわたくしの出来損ないで醜い妹よ」
「使い道のないあなたを便利に使ってあげているんだから、感謝してほしいくらいだわ」
「あなたは一生、わたくしの引き立て役でいたらいいのよ」
「この出来損ないが!!! 」
姉に投げつけられた数々の言葉が頭に響く。
「せっかく遠くからここまで来てくれたんだ。立ちっぱなしというのも疲れるだろう。お茶を用意したからそちらに移ろう」
横から、アイリーンの夫で元公爵家当主のクリストファーが声をかける。クリストファーも昔の鋭利で人を寄せ付けない雰囲気はなく、その美貌は変わらないが雰囲気がずいぶん柔らかくなったようだ。表情を強張らせて立ちすくむマルティナを見て、困ったように笑う。
「ほらほら、せっかくの再会なんだから、お言葉に甘えよう。この国の紅茶、マルティナ好きだっただろう?」
今ではマルティナの生家のスコールズ伯爵家の当主となった従弟のマシューがいつもの軽い調子で言う。マシューはいつの間にか、ブラッドリーやブラッドリーの兄やエリックと親しくなり、伯爵家の運営の傍ら商会を立ち上げて、忙しくしているようだ。いつもはこの国との取引がある時は、エリックやブラッドリーが単身で来ていた。両親や姉のその後について教えてくれたのもマシューだ。母と姉は亡くなったと聞いていた。今回は、子どもも長旅できるぐらい大きくなったし、祖国でのことにけじめをつけるいい機会だということで、母と姉の墓参りをしようとリリアン一家と共にこの国にやってきた。姉はまだ生きていると教えられたのは先ほどのことで、母の墓参りをしている時だった。姉の現在についてはなにも聞いていない。マシューに押し切られるようにして、連れてこられた。母の墓のある伯爵領の片隅から数時間で着いてしまい、自分の想いはぐちゃぐちゃで、一体どんな気持ちで挑むのか定まらないままここに来た。昔の恨みをぶつけたいのか? それとも、姉のことなんて乗り越えたんだと証明したいのか? それでも、姉に会ってみて、自分は何一つ変わっていない気がした。姉の表情を伺い、一言一言が気になる、あの頃の自分に引き戻された気がする。
「ママ、行こう! お花もいっぱい咲いているし、素敵なところね!」
無邪気に笑う娘のローレンに手を引かれて、マルティナも皆の後に続く。なぜこんな辺鄙な場所に住んでいるのか? なぜ死亡したことになっている夫で元公爵家当主のクリストファーと一緒にいるのか? と気になることはたくさんある。だが、まともに姉と話すことなんてできるのだろうか? アイリーンとクリストファー夫婦と親し気に話すマシューの後ろに着いて行きながら、マルティナはため息をついた。
夢に出てきたり、日常生活の折にふっと頭の中に浮かんだ姉がそこにはいた。イメージの中の姉はきらびやかで美しく、いつも見下すような冷たい目でマルティナを見ていた。体が勝手に小さく震えてくる。
もう、過去のことでしょう? 大したことはされていないでしょう? 私はお姉様から解放されて、隣国に渡って、ブラッドリーと結婚して、娘だって生まれている。仕事も順調だ。もう、お姉様のことは乗り越えたんでしょう? 大丈夫、大丈夫……隣にはブラッドリーもいる。そう、自分に言い聞かせるのに、続く言葉が出てこない。マルティナは浅い呼吸を繰り返した。鼓動がやけに体に響く。
「大丈夫、マルティナ? ゆっくり呼吸して」
大きくて温かい手が背中をなでる。右隣りの斜め上を見上げると、夫であるブラッドリーの心配そうな目と目が合う。ブラッドリーの存在にふわっと心が軽くなる。いつもブラッドリーは頼りになって温かい。頷いて、ゆっくり呼吸をする。
「マルティナ、別に取って食べたりしないから、そんなに怯えないでよ。この通りピンピン生きいてるわよ。クリストファーも。私に会いに来るためにこの国に来たわけじゃないかもしれないけど、長旅お疲れ様。なにもない所だけど、ゆっくりしていって」
相変わらず尊大な物言いをする姉のアイリーンに目を向けた。アイリーンは昔と違って、簡素なワンピース姿で、化粧っ気もなくアクセサリーもつけていない。でも、年を重ねても周囲の人を虜にした美しさは健在のようだ。アイリーンも娘を一人、生んだと聞いている。そして、今もお腹の辺りがふくらんでいる。母親になったせいか、表情が柔らかくなった気がする。それでも、また姉の言葉に傷つけられるかと怯える気持ちが拭えなかった。私だって母親になったのに情けない。マルティナは自分の震えを誤魔化すように、左手を右手でぎゅっと握りしめる。
「そりゃ、亡くなったって聞いてたし。マルティナちゃんとリリアンが伯爵家から除籍されて十年経ったから、母親と姉の墓参りでもするかってこの国に来たら、生きてますよー、会いますか?って言われて。来てみたら本当に生きているし、びっくりもするわよ」
固まって何も言えないマルティナに代わって、妹のリリアンの夫で、ブラッドリーの従弟で親友でもあるエリックが答えてくれた。
「だって、本当にあなたって悪の女王様みたいだったじゃない。マルティナちゃんに悪魔の所業をしたのよ。マルティナちゃんがどれだけ苦しめられたかわかってる?」
なかなか言葉の出ないマルティナの代わりにエリックが援護してくれた。マルティナは伴侶だけじゃなくいい友人にも恵まれているようだ。思い出したくもないのに、この国に十年ぶりに帰って来てから、繰り返し昔の出来事が鮮明にぐるぐると頭に蘇っていた。マルティナはこの国の伯爵家の令嬢として生まれた。美しくて優秀な姉のアイリーンと可愛くて愛嬌のある妹のリリアンの間に挟まれた地味でなんの取柄もない次女として。母親の愚痴を聞き、姉の学業を手伝い、課題を代わりに行い、逆らっても口では勝てない。悪夢のような日々。あの頃の息苦しさまで、鮮明に蘇る。
「マルティナはわたくしの出来損ないで醜い妹よ」
「使い道のないあなたを便利に使ってあげているんだから、感謝してほしいくらいだわ」
「あなたは一生、わたくしの引き立て役でいたらいいのよ」
「この出来損ないが!!! 」
姉に投げつけられた数々の言葉が頭に響く。
「せっかく遠くからここまで来てくれたんだ。立ちっぱなしというのも疲れるだろう。お茶を用意したからそちらに移ろう」
横から、アイリーンの夫で元公爵家当主のクリストファーが声をかける。クリストファーも昔の鋭利で人を寄せ付けない雰囲気はなく、その美貌は変わらないが雰囲気がずいぶん柔らかくなったようだ。表情を強張らせて立ちすくむマルティナを見て、困ったように笑う。
「ほらほら、せっかくの再会なんだから、お言葉に甘えよう。この国の紅茶、マルティナ好きだっただろう?」
今ではマルティナの生家のスコールズ伯爵家の当主となった従弟のマシューがいつもの軽い調子で言う。マシューはいつの間にか、ブラッドリーやブラッドリーの兄やエリックと親しくなり、伯爵家の運営の傍ら商会を立ち上げて、忙しくしているようだ。いつもはこの国との取引がある時は、エリックやブラッドリーが単身で来ていた。両親や姉のその後について教えてくれたのもマシューだ。母と姉は亡くなったと聞いていた。今回は、子どもも長旅できるぐらい大きくなったし、祖国でのことにけじめをつけるいい機会だということで、母と姉の墓参りをしようとリリアン一家と共にこの国にやってきた。姉はまだ生きていると教えられたのは先ほどのことで、母の墓参りをしている時だった。姉の現在についてはなにも聞いていない。マシューに押し切られるようにして、連れてこられた。母の墓のある伯爵領の片隅から数時間で着いてしまい、自分の想いはぐちゃぐちゃで、一体どんな気持ちで挑むのか定まらないままここに来た。昔の恨みをぶつけたいのか? それとも、姉のことなんて乗り越えたんだと証明したいのか? それでも、姉に会ってみて、自分は何一つ変わっていない気がした。姉の表情を伺い、一言一言が気になる、あの頃の自分に引き戻された気がする。
「ママ、行こう! お花もいっぱい咲いているし、素敵なところね!」
無邪気に笑う娘のローレンに手を引かれて、マルティナも皆の後に続く。なぜこんな辺鄙な場所に住んでいるのか? なぜ死亡したことになっている夫で元公爵家当主のクリストファーと一緒にいるのか? と気になることはたくさんある。だが、まともに姉と話すことなんてできるのだろうか? アイリーンとクリストファー夫婦と親し気に話すマシューの後ろに着いて行きながら、マルティナはため息をついた。
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