34 / 41
第九章 出戻り貴妃は皇帝陛下に溺愛されます
溺愛
しおりを挟む
再び後宮での生活に慣れるのは簡単だった。何もせずとも良かった。全ては侍女と宮女がやってくれる。ただ寝て起きて食べるだけ。自堕落な生活に厭けば、陛下が贈ってくれた書物の叡智が精神を満たしてくれる。
ただ宮にこもってばかりいては、身体が鈍ってしまいそうだった。
夜の帳とともに訪れた奕晨に私は聞いた。
「黒曜はどこにおります?」
その質問をした私は少し驚いたようだった。
「黒曜というのは、龔鴑から雲泪が乗って帰ってきた馬のことか」
「そう、私たちと帰ってきたでしょう?」
私ははやる気持ちを抑えながらも、前のめりになってしまう。陛下は穏やかな笑顔で私に答えた。
「厩舎に入れてある。繁殖させたいけれど既に10月を過ぎて適当な雌馬がみつからない。繁殖は年が明けてからになるだろうね。会いたいなら取りはからおう」
私を抱き寄せて、低い声で続けた。
「ところで、あれは王の馬かな?」
なぜ、そんな質問を陛下がするのか分からない。
「ええ。そうだけど、なぜ?」
「古の時代に、我が国が数十万の兵を差し向けたとも言われている馬だよ。それでも王の馬など手に入らなかった」
奕晨は愉快そうに笑った。
「だからね、手に入れた宝は二つじゃない。黒曜を含めれば三つということになる。そなたはこれまで数十万の兵が成し遂げられなかった偉業をたった1人でやったわけだ」
「そんな…無我夢中だっただけよ…」
上機嫌な陛下とは裏腹に、私は少し困惑していた。私のことを買い被りすぎというか、褒めすぎる陛下に居心地の悪さを覚えたわけではない。そんなことはどうでもいい。
奕世の愛馬だということを突然思い出してしまったのだ。その居場所を聞いた時、私は黒曜に乗りたかっただけだった。だけど、奕晨の言葉を聞いて、仕方なかったとはいえ、私はとんでもない事をしたのではないかと思ってしまった。
果てない悠久の草原で、黒曜を駆る奕世の残像はまだ脳裏に鮮やかだった。黒曜は彼のもので、あそこにいるべきだ。
「雲泪聞いて」
今夜の陛下の声は低くて穏やかで柔らかいのに、まるで真綿で首を絞めてくるような威圧感があった。
「龔鴑との戦争は避けられなさそうだ。そなたを差し出す気も、あの馬を返す気も全くない」
「私を要求されているの?」
陛下の言葉はそう聞こえた。
「そなたと堯舜、そして黒曜が向こうの要求のようだ」
奕世の怒りがどんなものか、今どんな状態か想像しただけで何故か指先が震えた。私が失いたくなかったなら…大事にすれば良かっただけじゃない。恐怖と怒りが入り混じっていた。
「こちらも銀蓮を返してほしいと思っている」
その名を耳にすると、冷水をかけられたかのように心臓がキュッとなる。私の変化に気づいた陛下は優しく抱きしめてくる。
「雲泪身体が冷えて震えてる。寒い?」
言葉を出せずに、震える私に陛下はもう微笑んでなどいない。
「可哀想に、怖がらせてすまない。雲泪をそこまで怯えさせる龔鴑など全て八つ裂きにして皮を剥いで犬の餌にしてやろう」
あまりの言葉に私は思わず奕晨を見る。私の肩を頭を撫でて、落ち着かせようとしている。
「やめて…」
口が渇く。掠れて、うまく声にならない。
「奕世は…あなたのお兄さんだから…平和的に話し合えば…」
「話せばわかるとでもいう?本気で言ってる?」
奕晨の声は部屋に冷たく響いた。私を抱きしめたままなのに、奕晨はすごく遠く感じる。
脳裏に奕世と初めて唇を重ねた時が映る。
「兄弟だもの、一度会って話をすれば…」
「きっと分かり合える?本気で言ってる?」
真っ直ぐ弓で射抜くような視線で、私の心に矢が刺さる。
「雲泪は龔鴑の王を名前で呼ぶんだな」
陛下の手が私の髪を掴む。耳元で囁く。
「もしかして死んでほしくないと思っている?」
私の髪を掴んで押し倒すと、陛下が私に馬乗りになった。
「いや、やめてっ」
「あの男がそなたを愛しただけでなく、あの男に抱かれて情が移っているのか?」
答えない私の唇を奕晨の舌がこじ開ける。
「奕晨、やめ…てっ…」
激情にかられる陛下を見るのは初めてだった。
「安心するがいい。彼の国を必ず滅ぼし、あの男を切り刻み犬の餌にしてくれよう」
奕晨はそう言うと、東の空が白けるまで幾度となく私を抱いたのだった。
ただ宮にこもってばかりいては、身体が鈍ってしまいそうだった。
夜の帳とともに訪れた奕晨に私は聞いた。
「黒曜はどこにおります?」
その質問をした私は少し驚いたようだった。
「黒曜というのは、龔鴑から雲泪が乗って帰ってきた馬のことか」
「そう、私たちと帰ってきたでしょう?」
私ははやる気持ちを抑えながらも、前のめりになってしまう。陛下は穏やかな笑顔で私に答えた。
「厩舎に入れてある。繁殖させたいけれど既に10月を過ぎて適当な雌馬がみつからない。繁殖は年が明けてからになるだろうね。会いたいなら取りはからおう」
私を抱き寄せて、低い声で続けた。
「ところで、あれは王の馬かな?」
なぜ、そんな質問を陛下がするのか分からない。
「ええ。そうだけど、なぜ?」
「古の時代に、我が国が数十万の兵を差し向けたとも言われている馬だよ。それでも王の馬など手に入らなかった」
奕晨は愉快そうに笑った。
「だからね、手に入れた宝は二つじゃない。黒曜を含めれば三つということになる。そなたはこれまで数十万の兵が成し遂げられなかった偉業をたった1人でやったわけだ」
「そんな…無我夢中だっただけよ…」
上機嫌な陛下とは裏腹に、私は少し困惑していた。私のことを買い被りすぎというか、褒めすぎる陛下に居心地の悪さを覚えたわけではない。そんなことはどうでもいい。
奕世の愛馬だということを突然思い出してしまったのだ。その居場所を聞いた時、私は黒曜に乗りたかっただけだった。だけど、奕晨の言葉を聞いて、仕方なかったとはいえ、私はとんでもない事をしたのではないかと思ってしまった。
果てない悠久の草原で、黒曜を駆る奕世の残像はまだ脳裏に鮮やかだった。黒曜は彼のもので、あそこにいるべきだ。
「雲泪聞いて」
今夜の陛下の声は低くて穏やかで柔らかいのに、まるで真綿で首を絞めてくるような威圧感があった。
「龔鴑との戦争は避けられなさそうだ。そなたを差し出す気も、あの馬を返す気も全くない」
「私を要求されているの?」
陛下の言葉はそう聞こえた。
「そなたと堯舜、そして黒曜が向こうの要求のようだ」
奕世の怒りがどんなものか、今どんな状態か想像しただけで何故か指先が震えた。私が失いたくなかったなら…大事にすれば良かっただけじゃない。恐怖と怒りが入り混じっていた。
「こちらも銀蓮を返してほしいと思っている」
その名を耳にすると、冷水をかけられたかのように心臓がキュッとなる。私の変化に気づいた陛下は優しく抱きしめてくる。
「雲泪身体が冷えて震えてる。寒い?」
言葉を出せずに、震える私に陛下はもう微笑んでなどいない。
「可哀想に、怖がらせてすまない。雲泪をそこまで怯えさせる龔鴑など全て八つ裂きにして皮を剥いで犬の餌にしてやろう」
あまりの言葉に私は思わず奕晨を見る。私の肩を頭を撫でて、落ち着かせようとしている。
「やめて…」
口が渇く。掠れて、うまく声にならない。
「奕世は…あなたのお兄さんだから…平和的に話し合えば…」
「話せばわかるとでもいう?本気で言ってる?」
奕晨の声は部屋に冷たく響いた。私を抱きしめたままなのに、奕晨はすごく遠く感じる。
脳裏に奕世と初めて唇を重ねた時が映る。
「兄弟だもの、一度会って話をすれば…」
「きっと分かり合える?本気で言ってる?」
真っ直ぐ弓で射抜くような視線で、私の心に矢が刺さる。
「雲泪は龔鴑の王を名前で呼ぶんだな」
陛下の手が私の髪を掴む。耳元で囁く。
「もしかして死んでほしくないと思っている?」
私の髪を掴んで押し倒すと、陛下が私に馬乗りになった。
「いや、やめてっ」
「あの男がそなたを愛しただけでなく、あの男に抱かれて情が移っているのか?」
答えない私の唇を奕晨の舌がこじ開ける。
「奕晨、やめ…てっ…」
激情にかられる陛下を見るのは初めてだった。
「安心するがいい。彼の国を必ず滅ぼし、あの男を切り刻み犬の餌にしてくれよう」
奕晨はそう言うと、東の空が白けるまで幾度となく私を抱いたのだった。
1
お気に入りに追加
178
あなたにおすすめの小説
紹嘉後宮百花譚 鬼神と天女の花の庭
響 蒼華
キャラ文芸
始まりの皇帝が四人の天仙の助力を得て開いたとされる、その威光は遍く大陸を照らすと言われる紹嘉帝国。
当代の皇帝は血も涙もない、冷酷非情な『鬼神』と畏怖されていた。
ある時、辺境の小国である瑞の王女が後宮に妃嬪として迎えられた。
しかし、麗しき天女と称される王女に突きつけられたのは、寵愛は期待するなという拒絶の言葉。
人々が騒めく中、王女は心の中でこう思っていた――ああ、よかった、と……。
鬼神と恐れられた皇帝と、天女と讃えられた妃嬪が、花の庭で紡ぐ物語。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
戸惑いの神嫁と花舞う約束 呪い子の幸せな嫁入り
響 蒼華
キャラ文芸
四方を海に囲まれた国・花綵。
長らく閉じられていた国は動乱を経て開かれ、新しき時代を迎えていた。
特権を持つ名家はそれぞれに異能を持ち、特に帝に仕える四つの家は『四家』と称され畏怖されていた。
名家の一つ・玖瑶家。
長女でありながら異能を持たない為に、不遇のうちに暮らしていた紗依。
異母妹やその母親に虐げられながらも、自分の為に全てを失った母を守り、必死に耐えていた。
かつて小さな不思議な友と交わした約束を密かな支えと思い暮らしていた紗依の日々を変えたのは、突然の縁談だった。
『神無し』と忌まれる名家・北家の当主から、ご長女を『神嫁』として貰い受けたい、という申し出。
父達の思惑により、表向き長女としていた異母妹の代わりに紗依が嫁ぐこととなる。
一人向かった北家にて、紗依は彼女の運命と『再会』することになる……。
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる