15 / 41
第五章 市井
初夜
しおりを挟む
陛下は宿の部屋に入るなり、私を易々と抱き上げ、寝具へ放り投げた。
「どうやって私をみつけたのですか」
「臥虎蔵龍。宝石は輝くから、石に紛れていても見つけるのは容易い」
陛下は服のまま、私に覆い被さる。陛下の髪から白檀の香りがする。陛下は私が息も出来ないほどきつく抱きしめた。顔は笑っていなかった。
「影をつけておいて本当に良かった」
私の唇を陛下の舌がこじ開けて、私は受け入れる他ない。衣擦れと絡み合う舌の湿った音だけが部屋に響く。長い口づけをした。牡丹坊を発つ陛下を見送ってから1週間も過ぎていないが、それより遥かに長い時を経たように感じる。久しぶりの口づけだった。
「後宮は毒蛇ばかりだ。そなたが安心して巣作りできるまではと思っていたのだが…」
私の髪をほどき、陛下は私の首筋に口づけをしながら、深く息を吸う。
「母は私を狙った毒で死んだ。心を狂わせる恐ろしい毒で長く療養したが、結局助からなかった」
陛下の長い指が私の男装を解いてゆく。
「倒錯した気持ちになるね、雲泪は宮女に扮するだけでなく、男装もするとはね。衛兵の青い襟も似合いそうだ」
露わになった胸元の白い肌を、陛下は口づけで赤く染めてゆく。
「雲泪、今夜は我慢ができそうにない」
そういうと、陛下は絹で出来た市井の上着を脱いだ。
「陛下…」
「姚奕晨だ。奕晨でいい」
潤んだ瞳が私を見つめた。本来、皇帝陛下は名を持たない。本式の名前ですら庶民は知らない。万々歳、陛下、皇上とだけ呼ばれ、本式の長い名前も呼ばれることはない。そして天子となる前の幼名であろう奕晨を呼べるのは限られた人間だけだろう。
「奕晨」
美しく永遠なる夜明け。私はその名を口にする。
「雲泪」
吐息がかかる距離で、彼は私の名を呼ぶ。皇帝でも貴妃でもなく。市井の宿に於いて私は雲泪、彼は奕晨だった。
明くる日、陛下と私は手配された馬車にのる。宮女の格好は売り払ったあとなので、私は男装をしている。
「そういえば、雲泪。そなたは銀貴妃なのだから、私にとってそなたが特別であるということを自覚しなさい。影はお前が後宮を放りだれたあと、後宮を振り返りもせずスタスタと市井の方へ向かったと言っていたぞ」
呆れたように苦言を呈する奕晨に、私は答える。
「銀貴妃なのは銀蓮ですわ。私、そんな勘違いは出来ません」
奕晨は少し考えこみ、自分の中で何か納得したようで「それもそうだな」と言った。
「寵妃にはそれにふさわしい扱いがされるべきだ。考えておこう。そういえば、昨日の女の子はお前の侍女に配置しようか」
昨晩のうちに影が動き、小梅とその両親を説得したらしい。明るい市井の子が増えれば後宮も気が紛れるだろうとの配慮だった。
馬車はまた後宮への橋へ差し掛かる。衛兵と御者が宦官に置き換わる。後宮の検査場から奕晨は平伏す宦官の1人に耳打ちをすると、護衛とともに紫琴宮へ進んだ。私は男装のまま、宦官に囲まれて後宮内部へと進む。
見知った牡丹坊の方向ではない。頭を下げて進む宦官たちの中に、私を牢にいれた宦官もいる。
「あら、あなた…」
声をかけると飛び上がりひれ伏した。
「申し訳ございません。申し訳ございません」
会話にもならない。そのまま放っておいて進むと邸が見えた。邸の入り口を開けると、宦官がひれ伏している。
「新しく邸を用意するよう、陛下に拝命いただきました。急なことでございますので、まだ準備ができておりません。必要なものは後ほどお届けに参ります」
「私、今まで通り牡丹坊で良いのだけれど…」
私の言葉に、全員が飛び上がり、またひれ伏す。
「申し訳ございません。申し訳ございません。牡丹坊は銀貴妃のお部屋でございますゆえ、ご容赦ください。申し訳ございません」
まだ状況は飲み込めないが、この邸は私の邸らしかった。
「こちらの邸は歴代の皇貴妃がお使いになる月華宮でございます。牡丹坊をはじめとする4つの花の邸は全て埋まっておりますゆえ…陛下が月華宮を開くようにおっしゃいました。紫琴宮から直接陛下がお通りになれる唯一の宮です」
そして全員でひれ伏しながら、こう続けたのだった。
「雲貴妃に相応しい場所はこちらしかございません」
銀蓮も雲泪も貴妃にしちゃったら、もう自由に動けないじゃないの!密偵として何も役に立つわけでなく、好きに出歩いて騒ぎを起こして追放までされた立場では、宮女の服をもう一度ねだるのは難しそうだった。
そんなわけで私は銀貴妃と雲貴妃という2人の貴妃を兼ねるはめになってしまったのである。
「どうやって私をみつけたのですか」
「臥虎蔵龍。宝石は輝くから、石に紛れていても見つけるのは容易い」
陛下は服のまま、私に覆い被さる。陛下の髪から白檀の香りがする。陛下は私が息も出来ないほどきつく抱きしめた。顔は笑っていなかった。
「影をつけておいて本当に良かった」
私の唇を陛下の舌がこじ開けて、私は受け入れる他ない。衣擦れと絡み合う舌の湿った音だけが部屋に響く。長い口づけをした。牡丹坊を発つ陛下を見送ってから1週間も過ぎていないが、それより遥かに長い時を経たように感じる。久しぶりの口づけだった。
「後宮は毒蛇ばかりだ。そなたが安心して巣作りできるまではと思っていたのだが…」
私の髪をほどき、陛下は私の首筋に口づけをしながら、深く息を吸う。
「母は私を狙った毒で死んだ。心を狂わせる恐ろしい毒で長く療養したが、結局助からなかった」
陛下の長い指が私の男装を解いてゆく。
「倒錯した気持ちになるね、雲泪は宮女に扮するだけでなく、男装もするとはね。衛兵の青い襟も似合いそうだ」
露わになった胸元の白い肌を、陛下は口づけで赤く染めてゆく。
「雲泪、今夜は我慢ができそうにない」
そういうと、陛下は絹で出来た市井の上着を脱いだ。
「陛下…」
「姚奕晨だ。奕晨でいい」
潤んだ瞳が私を見つめた。本来、皇帝陛下は名を持たない。本式の名前ですら庶民は知らない。万々歳、陛下、皇上とだけ呼ばれ、本式の長い名前も呼ばれることはない。そして天子となる前の幼名であろう奕晨を呼べるのは限られた人間だけだろう。
「奕晨」
美しく永遠なる夜明け。私はその名を口にする。
「雲泪」
吐息がかかる距離で、彼は私の名を呼ぶ。皇帝でも貴妃でもなく。市井の宿に於いて私は雲泪、彼は奕晨だった。
明くる日、陛下と私は手配された馬車にのる。宮女の格好は売り払ったあとなので、私は男装をしている。
「そういえば、雲泪。そなたは銀貴妃なのだから、私にとってそなたが特別であるということを自覚しなさい。影はお前が後宮を放りだれたあと、後宮を振り返りもせずスタスタと市井の方へ向かったと言っていたぞ」
呆れたように苦言を呈する奕晨に、私は答える。
「銀貴妃なのは銀蓮ですわ。私、そんな勘違いは出来ません」
奕晨は少し考えこみ、自分の中で何か納得したようで「それもそうだな」と言った。
「寵妃にはそれにふさわしい扱いがされるべきだ。考えておこう。そういえば、昨日の女の子はお前の侍女に配置しようか」
昨晩のうちに影が動き、小梅とその両親を説得したらしい。明るい市井の子が増えれば後宮も気が紛れるだろうとの配慮だった。
馬車はまた後宮への橋へ差し掛かる。衛兵と御者が宦官に置き換わる。後宮の検査場から奕晨は平伏す宦官の1人に耳打ちをすると、護衛とともに紫琴宮へ進んだ。私は男装のまま、宦官に囲まれて後宮内部へと進む。
見知った牡丹坊の方向ではない。頭を下げて進む宦官たちの中に、私を牢にいれた宦官もいる。
「あら、あなた…」
声をかけると飛び上がりひれ伏した。
「申し訳ございません。申し訳ございません」
会話にもならない。そのまま放っておいて進むと邸が見えた。邸の入り口を開けると、宦官がひれ伏している。
「新しく邸を用意するよう、陛下に拝命いただきました。急なことでございますので、まだ準備ができておりません。必要なものは後ほどお届けに参ります」
「私、今まで通り牡丹坊で良いのだけれど…」
私の言葉に、全員が飛び上がり、またひれ伏す。
「申し訳ございません。申し訳ございません。牡丹坊は銀貴妃のお部屋でございますゆえ、ご容赦ください。申し訳ございません」
まだ状況は飲み込めないが、この邸は私の邸らしかった。
「こちらの邸は歴代の皇貴妃がお使いになる月華宮でございます。牡丹坊をはじめとする4つの花の邸は全て埋まっておりますゆえ…陛下が月華宮を開くようにおっしゃいました。紫琴宮から直接陛下がお通りになれる唯一の宮です」
そして全員でひれ伏しながら、こう続けたのだった。
「雲貴妃に相応しい場所はこちらしかございません」
銀蓮も雲泪も貴妃にしちゃったら、もう自由に動けないじゃないの!密偵として何も役に立つわけでなく、好きに出歩いて騒ぎを起こして追放までされた立場では、宮女の服をもう一度ねだるのは難しそうだった。
そんなわけで私は銀貴妃と雲貴妃という2人の貴妃を兼ねるはめになってしまったのである。
15
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
後宮の偽物~冷遇妃は皇宮の秘密を暴く~
山咲黒
キャラ文芸
偽物妃×偽物皇帝
大切な人のため、最強の二人が後宮で華麗に暗躍する!
「娘娘(でんか)! どうかお許しください!」
今日もまた、苑祺宮(えんきぐう)で女官の懇願の声が響いた。
苑祺宮の主人の名は、貴妃・高良嫣。皇帝の寵愛を失いながらも皇宮から畏れられる彼女には、何に代えても守りたい存在と一つの秘密があった。
守りたい存在は、息子である第二皇子啓轅だ。
そして秘密とは、本物の貴妃は既に亡くなっている、ということ。
ある時彼女は、忘れ去られた宮で一人の男に遭遇する。目を見張るほど美しい顔立ちを持ったその男は、傲慢なまでの強引さで、後宮に渦巻く陰謀の中に貴妃を引き摺り込もうとする——。
「この二年間、私は啓轅を守る盾でした」
「お前という剣を、俺が、折れて砕けて鉄屑になるまで使い倒してやろう」
3月4日まで随時に3章まで更新、それ以降は毎日8時と18時に更新します。
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
【10月中旬】5巻発売です!どうぞよろしくー!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる