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8話

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 リベルタ号が港を出てから四日。航海の半分を超えたその日の夜、船上はいつもより明るかった。



「あの、どうして今日は遅くまで働いているのですか?」

 大きな木箱を三段重ねて軽々運ぶ船長に話しかける。

「そうか、セレナにはまだ話していなかったか。リベルタ号の乗組員は満月の夜には宴をするって決めてるんだ。ほら、こんな時間でもいつもより明るくって、なんだか縁起がいいだろ?」

 セレナが既に暗くなった空を仰ぐと、小さな無数の星々の中に綺麗な丸が浮かんでいた。

「ほんとだ・・・空がいつもより賑やかに見えますね」

「リュカのやつにはただ飲みたい口実だろって言われるんだけど、日付の感覚もよくわからなくなっちまう海の上での生活だし、少しはこういった催しが必要だと思うんだよな、俺は」



 船の中央部では既に船乗りたちが酒や食料を持ってわらわらと集まっている。



「あぁ、それと。これはちょっと野郎供には恥ずかしくて言えねぇんだけどさ、俺の生まれ故郷では満月の光は隠し事や後ろめたい事を包んでくれるって言われていてよ、言いにくい事は満月の夜に告白するものだったんだ。こんな訳ありだらけの船だろ?普段言えないようなことを隠してるやつだって大勢いると思う。だから満月の夜にこうやって酒でも飲みながら一緒に語り合って絆を深めたい・・・なんて。あぁ、これ他の馬鹿共に言うなよ?こんな大男がセンチメンタルにまじないを頼ってるなんて思われたら恥だからな」

 船長は照れ臭そうにはにかんだ。



「ふふっ、素敵な風習だと思います」

「なんだかそうやって素直に肯定されても照れるんだが」

 赤くなった頬をかきむしりたい気分だろうが、生憎両手は木箱で埋まっている。

「まぁとにかく。満月の夜は本音を語るに丁度良い日ってわけだ。嬢ちゃんも俺達と過ごしてもう一週間くらいが経つだろ?日頃思ってることをぶつけてもいいんだぜ?まぁ、海の男は豪快に見えて意外とナイーブな奴が多いからあんまり毒舌は勘弁な」

 がはは、と豪快に笑いながら船長はみんなの集まる輪の中に入っていった。



「・・・・・・本音ですか」



 人魚について尋ねた後も、リュカとの関係は良好だった。日を重ねるごとに絆は増し、最初は仕方なしに面倒を見ていたリュカもセレナを認め、信頼し始めている。元々不真面目な船員に困っていた事もあり、よく働き純粋なセレナに好感を持ってはいた。少なくとも人としての好意を得ていることだけは確実だ。



 同様に、会話が増えるたびにセレナの中の恋心は段々と大きく、輪郭がはっきりするような確かな感情になった。人魚から人間になったあの日の何百倍もリュカの事を愛していて、一緒になりたい、恋人や夫婦になりたいと想う気持ちは溢れる一歩手前なほどに増していた。



 募る想いに急かされながらも今日まで告白できていなかったのは、自分の正体を隠す後ろめたさと単純な勇気の問題だった。人間の前で歌う事がままならなかった頃と同じで、いざ行動しようと意気込むと邪魔が入ってしまったり、自分自身でストッパーをかけてしまったりと、なかなか決行出来ずにいた。



「もしも今日、リュカさんと二人きりなれたら・・・告白、したいです」

 改めて見る満月は、海の中から見るよりもくっきりと綺麗な丸をしていて、少しだけ近く感じた。






「この航海の無事と、トランス・リベルタ号の栄光を祈って、乾杯!!」

「「乾杯!!!」」

 乾杯の合図と同時に始まる宴・・・というわけではなく、もうこの乾杯の音頭は5回目だった。完全に酔いのまわった船長が話が途切れるたびに乾杯をするものだから周囲の船員の機嫌はどんどん上がっていく。



「ロベルト船長ってさ、セレナちゃんのこと贔屓しすぎじゃねぇ?」

「あー、わかるわかる。なに?まさか惚れてる?ロリコンじゃーん」



 ぎゃはははは、という笑いの中央で気まずそうにちょこんと座るセレナ。アルコールの代わりに渡された砂糖多めのライムジュースを両手で包み、ぐでんぐでんになった酒臭い男たちに囲まれて小さくなっている。

「俺の事はキャプテン・ロベルトと呼べって言ってるだろ!」

 そう怒鳴りながら、安物の干し肉に貪りつく。

「お前らも贔屓されたかったらもっと真面目に働くんだな!出来のいい奴を優遇するのは当たり前だろが!あと俺はロリコンじゃない!どうせ船に乗せるならセクシーなねぇちゃんが良い!」

「おいおい酷いぞ、セレナちゃんが傷つくだろ!」

「そうだそうだ!俺達のセレナちゃんを泣かせる気か!」

「なななっ、今のは言葉の綾というやつで・・・」

「謝れ!セレナちゃんに謝れーっ!」

「うるせーーっ!胸のデカい女が好きで何が悪い!!」

 顔を真っ赤にして暴れだす船長とげらげらと笑い転げながら逃げ回る船員たち。他の輪もみんなこんな感じだ。



 素面の子供にはとてもついていけないノリに困惑しつつ、セレナは騒動に乗じて甲板の方へ避難した。




「あれがお酒ですか。リーネが言っていた人間にとって大事な飲み物。飲むとあんな風になってしまうなんて、きっと危ない効能でもあるのでしょうね。それなら高価なのも納得が出来ますが、わざわざ飲むのは何故でしょうか、もしかして高い依存性が・・・?」



 甲板の方は人気が無く、少しだけ薄暗かった。

 真夜中の海を見るのは久しぶりだ。



「人魚だった頃は姿が明るい時間に外に上がることは少なかったのに・・・なんだか不思議な感じです」



 背後から聞こえる宴の声と穏やかな明かり。眼前に広がるのはそれとは正反対の心細くなる程に暗くて広い海だった。



「海が暗くて怖いと思うなんて、感覚まで人間みたいです」



 人間として、人間と共に過ごすうちに人魚としての感性を忘れて行っていることに気付いていた。尾ひれの動かし方も、水温が低いときの対処の仕方も、家族やリーネの顔や声も、記憶の中でしか反芻できない。人間としての思い出が増えるたび、これから少しずつ人魚としての価値観や本能は消えていくのだろうと思っていた。少し悲しくはあったが、人間になると決めた時からこの程度の代償は覚悟していたし、戻りたいと思った事は一度もなかった。



「でも私は後悔なんてしていませんよ、リーネ。人間を好きになった事、人魚としての生活を捨てたこと・・・今、とても幸せです」



 誰もいない穏やかな海に向かって話しかけると、なんとなくリーネ達に届く気がした。

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