半人半馬の子供

シオ

文字の大きさ
上 下
16 / 20

16

しおりを挟む
「……幸せすぎて苦しい」

 大きな溜息と共に、俺は言葉を吐き出した。太い木の幹に寄りかかって空を見上げる。最愛の人、ハルフィニアの双眸は、空の色に少し似ていた。

「そりゃ良かったじゃねぇか。そんな幸せなお前が、なんで俺のところに来るんだよ」
「家にいたんじゃ、またいつ襲いかかるか分からねぇんだよ。……もう二度とあんなことはしたくないんだ」
「ふーん。養い親に恋慕するなんて、奇妙な奴だな」
「五月蠅い」

 俺と同じ半人半馬のヘジルは、俺とハルが築き上げてきた尊い愛情を鼻で笑った。

 そもそも、賢人の道を進むヘジルに愛情などという情緒深いものが理解できるわけがない。ヘジルとは、奴がこの森に来たばかりの頃、偶然通りがかった俺が森の案内をしたことで、なんやかんやと付き合いが生まれた間柄だった。

 普通に、ヘジルだと名乗られて、自分の名をさらっと口にすることに驚いたのは懐かしい思い出だ。

 名乗りに戸惑うほどには、俺はハルフィニアと同じ森の隣人の倫理観に染まっていた。ヘジルと出会った時には、俺はまだ俺の名を持っていなかったので、名前は無いと俺は返していた。そんな俺にヘジルは興味を抱き、異種族に育てられた同胞として研究対象にされている。

 森の隣人の倫理観に染まることに抵抗感はない。それは、俺があの人に育てられたことの証だから。悪戦苦闘しながら、必死に俺を育ててくれたハルを俺は心の底から愛している。

「あの人は本当に綺麗で、優しくて、太陽みたいにあったかくて、この世界で一番美しい人なんだ。惚れない方がどうかしてる」
「森の隣人かぁ。ちらっと遠目で見たことしかないなぁ。お前の養い親に会わせてくれよ」
「絶対嫌だ」

 摘み取った草花の枯れ行く過程と、その過程それぞれで煎じた場合の薬効の差、なんてのを比較しているらしく、座り込んだヘジルの周囲にはたくさんの籠と、煎じた湯が入った乳白色の器が置いてあった。俺はそれらには興味がない。賢人の道、とやらにも関心が無い。

 ただ、ハルと共にいたい。ハルが奏でる竪琴の意味や、ハルの好きな花の名前、ハルと同じように泳ぐ方法、そういったことは知りたいが、それ以外で特に学びたいことはない。

「でも、お前と養い親はこの森に住んでるんだろ? もしかしたら、ばったり遭遇なんてこともあるんじゃないか?」
「俺たちの家はここから遠いし、あの人の脚じゃここまで駆けてくるのに数日はかかる。お前の根城付近でばったりってことは絶対にない」
「ふーん」

 ヘジルとハルを会わせるなんて絶対に嫌だ。万が一、ハルがこいつに興味を持ったら、俺はこいつを許せなくなる。ヘジルは、この森で唯一気楽に話せる半人半馬だ。険悪な関係にはなりたくない。

 そういえば、この森にはあと一人、俺以外の半人半馬がいるが、昔から俺はあいつが気に食わなかった。ことあるごとにハルにちょっかいを出し、頼れる存在であるというような雰囲気を出す。あんな老いぼれにこそ、俺はハルを会わせたくない。

「でも、あれってさ。外見的に言って、お前の養い親じゃないのか?」
「は?」

 そう言ってヘジルが指差す方角を見た。そこには信じられない光景が広がっていたのだ。

「……なっ!」

 ヘジルの言う通り、向こうからこちらにやって来ているのは、俺の養い親であり最愛の人でもあるハルフィニアだった。

 ハルがひとりでここに来ているのであれば、まだ驚くだけで済んだことだろう。だが、俺は今、驚きと共に怒りを感じている。こともあろうに、あの老いぼれの背中にハルが乗っているのだ。慌てて駆け寄る。

「ハっ……!」

 ハルフィニア、と叫ぼうとして慌てて口を閉じた。

 恐ろしい話を聞いたのだ。森の隣人たちにとって名はとても重要なもので、名を呼び合うのは親密な関係のみ。逆に言って、名を呼ばれてしまえば、どのような相手でも親しい関係性を築かねばならないという。ある種の呪いに近い。

 つまり、万が一にも、うっかり他人に名が知られてしまえば、番や家族のような関係にならなければならないのだ。だからこそ、ハルフィニア、という名は特に外で口にしてはいけない。そのための短い愛称、ハル、というものが存在する。

 名を知った他人が体の関係を迫ってきたらどうするのか、と極端な例として尋ねたことがある。ハルは、抵抗出来ないかもしれない、と心細そうに言っていた。それほどまでに、森の隣人にとって名というのは重要で、深い意味と、強い命令権を持つものだった。

 だから俺は、ハルの名を外で口にしない。ハルフィニア、という名を他者に知られるのは恐ろしいが、ハルという愛称を知られるのも不愉快だった。

「どうして貴方がここに」
「いや……あの、えっと……」
「お前の養い親は、家を出て行ったお前を案じてこっそり後をつけていたそうだ。だが道に迷い、崖から落ちて足を挫いていた」
「崖!? だ、大丈夫ですか!?」

 なんでアンタが答えるんだ、と老いぼれに対して怒りを覚えるが、今はそれどころではなかった。

 確かに、ハルの足には滑り落ちたような擦過傷があり、血もうっすらと滲んでいる。美しい白い足にこんな傷がついてしまった。しかもその原因は俺にあるのだ。不甲斐なくて情けなくて、己自身に怒りが湧く。

「崖なんて大袈裟な。ちょっとした斜面で転んだ程度だよ」

 老いぼれの背に跨って、俺に微笑みかけるハル。微笑むのであれば、そんな場所ではなく俺の傍からにして欲しい。

「そこじゃなくて、俺の上に乗って下さい」
「怪我をしているんだ。今は動かさない方が良いだろう。自分の不愉快を解消するために、養い親に痛みを与えるのか?」
「……くそっ」

 いちいち人を不快にさせる物言いをする。この老いぼれは昔からそうだ。ハルが見てないところで蹴り飛ばしてやりたい。

「森の隣人、どうやら貴方の養い子は同性の知人と語らいに来ていたようだ。貴方の心配は杞憂だったということだな」
「そ、そのようだ……しかし、何も今言わなくても良いのでは?」

 ばつがわるそうに、ハルが小声で老いぼれを詰っている。俺はその言葉に首をかしげるばかりだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

【完結】マジで滅びるんで、俺の為に怒らないで下さい

白井のわ
BL
人外✕人間(人外攻め)体格差有り、人外溺愛もの、基本受け視点です。 村長一家に奴隷扱いされていた受けが、村の為に生贄に捧げられたのをきっかけに、双子の龍の神様に見初められ結婚するお話です。 攻めの二人はひたすら受けを可愛がり、受けは二人の為に立派なお嫁さんになろうと奮闘します。全編全年齢、少し受けが可哀想な描写がありますが基本的にはほのぼのイチャイチャしています。

その男、有能につき……

大和撫子
BL
 俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか? 「君、どうかしたのかい?」  その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。  黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。  彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。  だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。  大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?  更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!

捨てられ子供は愛される

やらぎはら響
BL
奴隷のリッカはある日富豪のセルフィルトに出会い買われた。 リッカの愛され生活が始まる。 タイトルを【奴隷の子供は愛される】から改題しました。

勇者の股間触ったらエライことになった

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。 町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。 オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。

くっころ勇者は魔王の子供を産むことになりました

あさきりゆうた
BL
BLで「最終決戦に負けた勇者」「くっころ」、「俺、この闘いが終わったら彼女と結婚するんだ」をやってみたかった。 一話でやりたいことをやりつくした感がありますが、時間があれば続きも書きたいと考えています。 21.03.10 ついHな気分になったので、加筆修正と新作を書きました。大体R18です。 21.05.06 なぜか性欲が唐突にたぎり久々に書きました。ちなみに作者人生初の触手プレイを書きました。そして小説タイトルも変更。 21.05.19 最終話を書きました。産卵プレイ、出産表現等、初めて表現しました。色々とマニアックなR18プレイになって読者ついていけねえよな(^_^;)と思いました。  最終回になりますが、補足エピソードネタ思いつけば番外編でまた書くかもしれません。  最後に魔王と勇者の幸せを祈ってもらえたらと思います。 23.08.16 適当な表紙をつけました

処理中です...