下賜される王子

シオ

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◆ 第二章 異邦への旅路

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「……なんか、船の上ってのは落ち着かねぇな」
「ラオセンも船が嫌いなのか?」
「嫌いとまでは言わねぇが、この揺れてる感じがどうにもな。俺たちは、北をアラン河、東を海に囲まれてるが、生きる場所は大地に定めた。物心つく前から馬に乗り草原を駆けてはきたが、船には殆ど乗ったことが無い」

 根っからの大地の民であるラオセンは、船上が肌に合わないらしい。だったら、今すぐ船から飛び降りて泳いで行けよと思ってしまう。俺はとにもかくにも、ラオセンが吉乃のそばにいるということが気に食わなかった。

「あとどれくらいで着くのだろう」
「もうすぐに、翠玉へ到着致しますよ」

 吉乃の疑問に回答したのは、優秀な侍従長殿だった。会議が終わり、侍従や近衛たちが吉乃の周りに集まってくる。ラオセンは葉桜によって追いやられ、吉乃との間に一定の距離を設けられていた。

「黄玄と比べると、景色ががらりと変わったな」
「そうですね。黄玄の長閑で活気のある雰囲気とは異なり、峻厳でどこか荒々しい空気が御座いますね。紺玄県は水の豊かな土地です。ここから流れる水が川を下って黄玄へと入り、あの地を潤しているのです」
「なるほど。紺玄の水が、黄玄の作物を育てているわけか」

 荒々しい川の流れが長い年月をかけて岩山を貫き、削り、そうして広がっていった紺玄の大河たち。その景色は黄玄で見られるような温かさは持っていないが、見る者を圧倒する強さは持っていた。

「宮様。今日の移動はここまでとなり、これから向かう場所で一日滞在となります」
「ずいぶんと今日は短い移動だな」
「このあたりは、河とは言えども海に近く、海の満ち引きに強く影響されるのです。その関係で、このような短い移動となっております。そろそろ接岸となりますので、お気を付け下さい。少々揺れます」
「あぁ、心得た」

 朝に市場を散策して、そこから少し馬車に乗り船着き場へと向かった。そこからは船に乗って、河を下る旅となる。河を下り始めれば、黄玄から紺玄へはあっという間だった。

 吉乃としては、今日の移動距離が随分と短く感じただろうが、馬車で行く距離の倍は移動している。

「こうしていれば、転ぶこともない」

 接岸のゆれに対して、吉乃は俺に抱き着いておくという対処法を編み出した。俺の胴体に腕を回し、ぎゅうっと抱き着いている。その状態で俺を見上げ、にこりと微笑むのだから、あまりの愛らしさに心臓が止まりかける。

 直後、全身を襲う大きな揺れがやってくる。浅瀬に到着したのだ。俺は踏ん張って直立を維持し、吉乃の支えとなった。船から陸地へと橋がかけられ、その安全性を近衛たちが点検していく。そして、侍従長殿から陸地へ降りる許可が出た。

 吉乃の手を握り、導くように船を渡る。王族が使用するこの船の橋には、庶民のものにはついていないような立派な欄干が付き、転落を防止していた。吉乃はその柵に手を置きながら、片方の手で俺の手を握りゆっくり歩を進める。

「足下に気を付けて」
「ありがとう、清玖」

 辿り着いた桟橋の先には、なんとも不思議な光景があった。右と左に河があり、その間に三角形の土地がある。その土地は広大で、立派な屋敷が一軒立っていた。屋敷の底には煉瓦が詰まれており、煉瓦だけで俺の背の高さほどになる。その煉瓦の上に、屋敷が建っていた。

 その煉瓦の高さ分、河が満ちるということなのだろう。おそらく、時間帯によっては左右の川はひとつとなり、この屋敷は川の上に建つような様式になるのだ。

「……凄い、見事な屋敷だ」

 吉乃がぽつりと漏らした独り言に、俺も強く頷く。黒珠宮や黒烈殿などとはまた違った造りとなっているが、その建物は華美な見た目ではないものの豪奢であり、上品な造りの建造物だった。

 屋敷を囲う回廊は、川が満ちた時にその風景を楽しむための物だろう。庭園の類はない。言ってしまえば、この川こそがこの屋敷にとっての愛でるべき庭なのだ。
 
「宮様。ここは、紺玄県にある翠玉という街の一角です。宮様の四代前に当たる国王陛下が、避暑地としてこの地を望まれ、作られた離宮の一つとなります。今でも、侍従によって管理され、清潔にお使い頂けます」

 侍従長殿によると、かつての王族が残したものは、今代の王によって選別され、侍従たちの手に委ねるものもあれば、臣民へ下げ渡すもの、放棄するものがあるのだそうだ。この離宮は、その美しさから王族たちに好まれて今に至るのだという。

 王族の遺産と聞いて、納得する。この豪奢な造り、精緻な細工、不滅を思わせる美しさを持つ屋敷は、王族の力無くしては建てられないものだろう。

「河に囲まれている……不思議な場所だ。中州に離宮を建てたということか」

 吉乃が地面の降り立ち周囲をぐるりと見渡す。空は曇天の空模様から回復し、雲一つない快晴、とまでは言えないが、青い空と白い雲がほどよく浮かぶ良い天候になっていた。

 侍従たちが船から屋敷へと荷物を運びこんでいる。今日の一泊しかしないというのに、凄い量の荷物だ。食材から、衣類から、使う食器だって全て持ち込んでいる。

 彼らには彼らの矜持があり、敬愛する三の宮様が不便を強いられたり、粗末なものを身に纏うなどということは絶対に許せないのだ。

「河を見に行きたい」

 せっせと働く侍従をよそに、吉乃は周囲の河に夢中になっていた。勝手に歩き出す吉乃の背後には常に侍従長殿が控えている。万が一を考えてか、葉桜は普段よりも近い距離に侍っていた。

 確かに、水難事故は一瞬の油断で発生し、瞬きの間に命を落としてしまうため、いつも以上に警戒が必要だ。

 俺も後れを取らぬよう、吉乃を追いかける。吉乃は川べりに座り込んで、水の中を覗き込む。澄んだ河であるため、川底がよく見えた。

「大きな河だ。ここで溺れたら海へ運ばれてしまうのかな」
「吉乃が溺れるようなことになれば、俺や近衛の人たちが絶対に助けるから、海に行くようなことにはならないよ」

 それはそれで大変だ、と吉乃が驚いた顔を見せた。自分が溺れると、周囲の人間が危険を顧みず助けに行くことに驚いているようだった。皆のためにも、溺れないように気を付ける、と神妙な面持ちで吉乃は誓ってくれた。

 吉乃を救出するためなら命など惜しくないとしか思っていない俺たちに、そのような配慮は不要だったのだが、本人が気を付けるという意識を持ってくれたのであれば、それはそれで良いことだ。吉乃は己の手を、恐る恐る河の中に入れて水底に掌をつけた。

「冷たい」
「魚もたくさんいるみたいだな」
「本当だ、小さい魚がたくさんいる。足を入れてみたいな。……淡月、駄目か?」

 吉乃は一度、侍従長殿に伺いを立てた。侍従長殿は、御心のままに、といういつもの言葉でそれを許す。吉乃は、侍従長殿の手で靴を脱がしてもらい、黒い裾をたくし上げ、己の手で裾を持ちながら一歩を踏み出した。俺も素早く己の靴を脱ぎ、裾を捲って吉乃と共に水に入る。

「つ、冷たい……!」
「歩けそうか?」

 冷たさに驚いて足を止めた吉乃の腰を抱いて、その歩行を手助けする。吉乃の腕もしっかりと俺に巻き付いて、不安定な己の体を支えていた。一歩一歩、ゆっくりとした足取りで吉乃が進んでいく。川はひんやりとして、足の間をすり抜けていく冷たさに神経が僅かに遠のく。

 個人的には動じる冷たさではない。北の国境警備任務に就いていたときは、半ば凍りかけた水で顔を洗ったり体を清めたりしていたのだ。それに比べればどうということはない。

 だが、吉乃は俺とは何もかもが違う。普段使う水だって、程よい温度になるように熱せられてから吉乃の前に差し出されているのだ。冷たさに驚いて足が竦むのも当然だった。
 
「なんとなく、冷たさにも慣れてきたような」

 暫くして、吉乃がゆっくりと歩き出した。水の冷たさに順応し、水の感触を堪能しているのだ。水底は、大小様々な石が敷き詰められている。

 侍従長殿は、吉乃が河に入りたいと願うことを予感していたのだろう。水底は徹底的に掃除がなされ、危険な尖った石等は排除されており、廃棄物等も除かれている。

 この規模の河が、これほどまでに綺麗な状態であるということは、人の手が加えられたということを意味していた。侍従長殿の指示により、侍従たちが掃除をしたのは明らかだった。


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