五番目の婚約者

シオ

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「……何故です?」

 薄暗い地下室に、女の声が響いた。冷たい石造りの壁に跳ね、その声は俺の耳にも届く。ランプの灯りは不安定に揺れながら、室内を淡く照らしていていた。ゾフィー・フェルカーは、連れて来られた部屋を見て全てを察した。だからこそ、何故、と問うのだろう。

 部屋の中には、十字型の台がある。木で作られたその台座は、凡そゾフィー・フェルカーの体躯と同じ大きさだった。十字の先端全てに黒いベルトが付けられている。彼女には、そこに縛り付けられる自分の姿が想像出来たのだろう。

 十字の台座の上には、液体が入った瓶が吊るされている。瓶は下を向いているが、その細い入口はコルクで栓がされていた。その栓を抜かない限りは、中に入った液体は垂れてこない。愚かではあるが、聡明でもあった彼女はもしかすると、その瓶の中のものまで推察出来たかもしれない。

「ヴィルヘルム様っ! 私を憎んで、憎んで、その手で縊り殺したいのでは!?」

 背後に立つ俺を振り返りながら、女が吠える。彼女を拘束する警備兵たちが、力を込めて暴れる彼女を押さえつけた。この女を俺の手で殺してやりたいという願望は、奇妙なことにこの女自身の願いと一致してしまう。己の手で苦しみを与え、殺してやりたいと。だが、この女の願いを叶えてやる気は、俺には毛頭なかった。

「台に乗せろ」

 命じれば、警備兵たちが女を十字の台に乗せた。両手両足がベルトによって固定され、身動きひとつ取れなくなる。ノウェの毒殺を祝って誂えたという真新しいドレスが、薄汚れていった。

「貴方様の憎悪を刻んで死にたいのです……っ!」

 悲痛な叫びなのだろうが、俺にとっては耳元を飛び回る蠅の羽音と同じだった。憐れな女だと思う。俺ではない別の男を想い、ノウェではない他の誰かを暗殺しようとしたのなら、その悲恋に対して憐憫を抱いたかもしれない。だが、この女は俺が最も許せない愚行を犯した。

「もう一度、もう一度だけ触れてくださいっ、ヴィルヘルム様……!!」
「装具をつけろ」

 煩い口を黙らせるためにも、口を開いたままにする装具をつけさせた。これでもう、一言も話せない。そして、自分の意思では口を閉ざすことも出来なくなった。そして、その開いた口の真上に、吊り下げた瓶の先端が来るよう調整させる。

「リュシャミナを解析し、限りなく近いものを我が国でも作り上げた。実証実験だ」

 ゾフィー・フェルカーも、分かっていたことだろう。自分が、毒殺されることくらい。この瓶の中身が、リュシャミナに類する毒であることくらい。分かっていたからこそ、受け入れられなかった。俺の手で死にたいと願った女の悲願を、打ち砕く行為だからだ。

「お前の下らない欲望のために、我が最愛の皇妃は苦しみ、嘆いた。皇妃の毒見であった者の一人は死に、一人は今も後遺症に苦しんでいる。……三人分の辛苦をお前一つの命で贖う」

 女は泣いていた。まるで、自分が悲劇の主人公であるかのように。さめざめと、悲運を呪って。死ぬことが怖いわけではないのだろう。殺してくれと言い募る狂人なのだから。きっと泣いているのは、俺が二度と女に触れることは無いと悟ったからだ。

「すぐには殺さない。数滴ずつ、口の中へ入れていく。狂うほどの痒みと疼きを何時間も、何十時間も味わってから、苦しんで死ね」

 ノウェが味わった苦しみを、余すところなく味わってから、地獄へ落ちていけ。疼く女を助ける者は誰もいない。触れて欲しいと狂おうとも、誰にも触れてはもらえない。そんな苦痛の果てに、致死量の毒を摂取して死んでいくのだ。俺は、瓶の先端を封じていた細いコルクを引き抜いた。

「この毒の封を解いたのは俺だ。間違いなく、お前は俺の手で死ぬ。本望だろう」

 針の細さ程の穴しか開いていない瓶の先から、ぽたり、ぽたりと小さな雫が落ちていく。いずれその雫は、媚薬としての効能を発し始め、最終的にはこの女の命を奪いとる。女に触れることはしなかったが、だが、この女を殺すのは俺の手だ。

 女は、泣きながら目を閉じた。全てを諦め、そして受け入れた顔をしていた。俺は部屋を出る。これで、この一件は終わり。あとは父親と妹だ。あとのことを警備隊に託し、おれは部屋を出る。出たところで、イーヴが待っていた。

「記録上は、自白後の服毒自殺ということにする」
「分かった」

 歩き続ける俺の横に並んで、共に進む。警備隊の隊舎の地下で、あの女は生涯を終える。ノウェに手を出さなければ、これほど短い人生でなかっただろうに。階段を上り、地下から地上へ。そして隊舎を出て、宮殿へと戻る。

「思ってたより落ち着いていてくれて、安心したよ。あの場で、殴る蹴るの暴行が始まるんじゃないかって少しは思ってたからさ」
「それではあの女の思う壺だろう」
「まあな。……でも、俺には理解できない。愛した相手が、振り向いてくれないのなら、その手で死にたいって。……破滅的過ぎだろ」

 月明りとガス灯の光に照らされながら、俺たちは歩く。ゾフィー・フェルカーを、理解できない化け物と断ずるイーヴの言を聞きながら、俺は夜空を見上げた。ささやかに、星が瞬いている。

「……俺には、分かる」

 不理解の化け物だとは、思わない。ノウェを害したことは、愚かとしか言いようがないが、それを除けば、理解出来るところもあった。息を吐くと、呼吸が僅かに白くなる。今夜は随分と冷え込んでいた。

「ノウェ様の手で死にたいって?」
「あぁ」
「それ、ノウェ様に言ったら殴られそうだな」
「きっと殴られると思う」

 ノウェが俺に死を望むなら、俺はそれで構わない。だが、俺を死へと至らしめる一撃は、ノウェの手によるものが良い。ノウェによってつけられた傷で、畢命を迎えたい。そんな願いを口にすれば、きっとノウェには、馬鹿なことを言うなと殴られることだろう。

「あとは、フェルカー侯爵と妹ルイーゼの身柄だな。一体どこにいるのやら」
「千眼の情報を暫くは待つしかないな」
「あぁ」

 心は落ち着いている。あの女に死を与えたことで、ひとまずの溜飲は下がった。ノウェを害した罪は、これで贖われたのだ。怒りが鎮まり、俺の心は平穏そのものとなっていた。

「昨日、ノウェ様とゆっくり時間を過ごしたことが功を奏したか?」
「まぁな」

 ノウェだけが、俺の心を癒す。ノウェだけが、俺の心を満たす。昨日は、自らの手で俺に触れてくれた。芝生の上に共に寝転がって、ノウェの手が俺の頬を摘まんだのだ。ノウェは俺に向かって笑っていて、至上の楽園がこの世に顕現したのだと思ったほどだった。

「……だが、ノウェがアリウス様と一緒にいて、少し不愉快な気持ちにもなった」
「アリウス様、また庭いじりしてたのか。隠居の身なんだから、少しは控えて……って、あれ?」
「なんだ」

 突然、疑問の声を上げたイーヴァン。足を止めたイーヴの動きに合わせて、俺も足を止めた。だが本音を言えば、今すぐ寝室に戻ってノウェと過ごしたい。こんなところで立ち尽くしている場合ではない。

「アリウス様……、そうだ、アリウス様だ」
「なんなんだ、一体」
「こんな適任がいることをすっかり忘れてた」
「何の話をしている、イーヴ」
「後見人だよ、ノウェ様の後見人! 俺の理想通りの人じゃないか、アリウス様は! 前々から、誰かいるような気がするって思って、引っ掛かってたんだ。そうか、アリウス様か。なるほど」

 勝手に一人で盛り上がって、一人で納得しているイーヴを、俺は冷ややかな目で見てしまう。アリウス様は随分とノウェに馴れ馴れしく接していた。偉大な為政者だとは思うけれど、あまり好かない。それにあの人は、両性愛者だ。どちらでもいける。ノウェを狙っているのではないだろうか。

「後見人なんて必要ない。俺がノウェを守る」
「そう言って、守れてないだろ。皇帝はこの国で一番の権力者だけど、全員がその威光に従っているわけじゃない。強権的な独裁国家じゃないんだから、そうなるのも仕方がないが……、それでもノウェ様に手を出したらこの人が黙ってないぞ、という人がお前以外にもっと欲しい」

 イーヴの意見は正しい。皇帝はこの国の頂に座すが、それでも神ではない。臣民全てが皇帝を信仰するわけではないのだ。俺のことを快く思わない者だっている。ノウェを狙う毒牙がフェルカー家のみとは限らない。それは分かっているのだが、どうにも承服しかねる。

「アリウス様はとてもいい逸材だ」

 滅多に見ることのできないイーヴァンの満足そうな笑み。イーヴが笑みを浮かべながら、そう宣うのであれば、きっとアリウス様がノウェの後見人になるのだろう。だが、どうにも気に食わない。不服な気持ちは解消出来なかった。

 寝室に戻り、手早く入浴を済ませてベッドに戻る。俺が入浴する前まで部屋にいたイェルマの姿は無くなっており、ベッドに入ったノウェが湯気だったカップを持って少しばかりうとうととしていた。

「ノウェはアリウス様のことをどう思う?」

 声を掛けると、はっと意識が覚醒したようで、虚ろだった目がしっかりと俺を見た。ベッドの中で、ノウェの隣に腰掛ける。当たり前のようにベッドに入れることを、今でも、心の底から感謝していた。

「どうって……別に、普通」

 手の内にある温かい茶の入ったカップを口元に運び、ふうふうと息を吹きかけながら飲んでいる。どうやらノウェは熱いものをすぐ飲むことが出来ないようだ。その姿はとても愛らしく、何時間でも眺めていられる。

「でも、昨日色々話を聞いてて、アリウス様も……その、初めての夜、上手くいかなかったって言ってて。なんか、皆そんなものなのかなって、ちょっと思った」

 茶を飲みながら、そんなことを口にしたノウェ。先帝と、その皇妃のことを思い出した。皇妃はミルティアディスで、明晰な頭脳を持つ才媛だった。ただ、性行為を嫌う人で、二人が一度しか肌を重ねていないというのは多くの人が知る事実だ。

「俺たちは上手くいかなかったわけじゃない。俺がノウェを騙して、酷いことをしたんだ。ノウェは、とても良かったよ」
「そっ、そういうことを聞いてるわけじゃない!」

 顔を赤らめて怒るノウェは可愛い。髪と同じ色に染まる肌に触れて、ぬくもりを感じたくなる。だが、ぐっと堪えた。ノウェの許しが無い限りは、触れない。自分にそれを言い聞かせる。

「アリウス様、初夜は監視のもとでしたって言ってたけど……監視なんて、無かったよな?」
「監視、というのは確かに無かった。でも、行為があって、俺が上だったという確認はイーヴがしたよ。ノウェは眠っていて、気付かなかったと思うけど」
「えっ」

 赤い顔がさらに赤くなっていく。イーヴに見られたということが恥ずかしいのだろうか。それとも、あの夜のことを思い出して顔が赤らんでいるのか。どちらにせよノウェは可愛らしく、抱きしめたくなってしまった。

「……なんでそんな悪趣味なことするんだ」
「リオライネンの歴史の中で、ちょっとした事件があってね」
「ちょっとした事件?」
「そう。下らないと鼻で笑ってしまうような話だ。随分昔の国王に、男に抱かれるのが好きな国王がいたんだ。その人自身は優秀で、英邁だった。国王として、相応しい人物だ。けれど、人格に問題ありと糾弾する連中がいた」
「男に抱かれるのが好きだから、問題ありって言ったってことか?」
「その通り」

 まだ帝政になる前の、王国だったリオライネン。国王の血族継承が禁じられた直後だった。当時から同性愛には寛容だったリオライネンだったが、それでもそんな些細なことが問題になった。その国王が、優秀さゆえに周囲から僻まれていたという事実もあったらしい。

「結局、その下らない争いは宮廷を巻き込んでの大騒動になった。国王は退位を迫られて、受け入れる。次の立った国王は、リオライネンの統治者は営みにおいて常に支配側に回ること、という下らなさに下らなさを上塗りするような約定を制定するはめになったんだ」
「……本当に、下らないな。女帝だったらどうするんだよ」
「女性は、男を受け入れながら上に乗るんだ」
「どういうこと?」

 騎乗位というものを知らないのか、知っていてもピンと来ないのか、ノウェは小首をかしげている。誰が誰を愛し、どう交わるかなど些末な問題だ。いずれこんな約定を破却する皇帝が出てくることだろう。俺にその気はないが、いつかきっとそんな日も来るはずだ。

「ノウェ、もう眠ろう」

 ノウェが持っていたカップは空になっていた。それを受け取り、ベッドのそばの机に置く。ベッドの中に身を潜らせたノウェにシーツを被せてから、ランプの火を落とす。暗くなった部屋の中で、俺も横になった。

 愛する人に、愛してもらえる人間はどれほどの数いるのだろう。俺は、ノウェに愛してもらえているのだろうか。そんなことを考えることすら、傲慢だろうか。ゾフィー・フェルカーは、愛した人間に愛されなかった。彼女の姿は、俺によく似ている。


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