五番目の婚約者

シオ

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 ノウェが穏やかに眠っている。

 以前は、ベッドの端の方で小さく丸まって眠っていたノウェが、俺に身を寄せて眠っている。少し抱き寄せても、全く起きる気配はない。ノウェの頭に鼻先をつけて、香りを堪能する。侍従が夜、ノウェの髪に塗り込む油の匂いがした。

 この時間帯が、一番幸せだった。ノウェの穏やかな眠りを見守って、その温もりを感じるのだ。永遠にここにいたいとさえ思う。

 今まででの俺は、仕事に追われ朝早くから執務室に籠っていた。ノウェが目覚めるよりも早く起きて身支度を整え、執務室で朝食を摂っていたのだ。だが、あの事件でその生活が一変する。

 ノウェが目を覚ますまで俺はベッドの上にいて、ノウェと共に朝食を摂り、ノウェの健康状態を確認してから執務へ向かう。少しばかり執務の時間が減ってしまうが、その分、集中して仕事にあたっているので問題は無い。

 胸が痒いと苦しんでいたが、それも随分と収まった。一応、念には念を重ねて、今でもしっかりと薬湯を飲み、塗り薬を塗っているが、以前のような狂うほどの疼きは起きていない。毒が完全に体外へ出たと医者たちは言うが、それでも俺は警戒を怠る気は無い。

 ノウェが服毒してからの三日が、一番苦しかった時期だった。痒みと疼きに苦しむノウェは、所構わず、助けてくれと俺に救いを求めた。どこであっても、俺はノウェが望むことをしたが、そのあとに自己嫌悪に陥るノウェを見るのが辛かった。

 俺が体に触れることなど、本来のノウェであれば絶対に望まないことだ。体が落ち着いたあとのノウェは、泣いて悲しみ、肩を震わせて恥じた。そのまま舌を噛み切ってしまいそうで、俺は片時も目が離せなかったのだ。多くの意味でノウェを苦しめる毒が憎かった。

 不幸中の幸いというべきは、ノウェが俺以外に救いを求めなかったことだろう。所構わず、は問題ないが、誰彼構わず、では困る。特に、あの侍従にノウェが触れてくれと懇願したら、俺はきっと冷静ではいられないだろう。

 だが、ノウェはあの侍従には願わなかった。なんとか理性を奮い立たせて、体に触れるのは夫である俺だけだと思っていてくれたのかもしれない。もしそうであったら、なんと嬉しいことだろう。

 イェルマ=ヴィラ・ロア。この男よりも強い信頼を得たいと願うのは、驕りだろうか。きっと、驕りなのだろう。長い年月をかけて構築された信頼関係に、俺が割り込む隙など無いことくらいは分かる。だが、それでも願ってしまうのだ。イェルマよりも、ノウェに頼りにされたいと。

 大きな皿に盛られたポリッジの匂いが、部屋に入ってくる。朝食の時間なので、皿を携えたイェルマが扉をノックして入室したのだ。その皿のポリッジはすでに、イェルマが毒見を済ませている。

 奴は、自分が毒見をしていないものをノウェ様の口に入れることは出来ない、と言って毒見役を務め始めた。今まではある程度、リオライネンの料理人と毒見役を信じていたのだろうが、その信頼は崩れた。イェルマの主張は理解できる。俺も、イェルマが毒見をすることに反対はしなかった。だが、ノウェはこのことを知らない。

「ノウェ、起きてるか」
「……おきてる」

 そう言いつつも、ノウェの目は閉じられたままだった。ベッドの上に流れているノウェの赤い髪を踏みつけないように気を付けながら起き上がり、ベッドのふちに腰をかける。ポリッジの大皿は、ベッドのそばの小さな机に置かれた。

「ノウェ様、おはようございます」

 いつも通り、俺への挨拶はない。挨拶して欲しいなどとも思っていないが、それでも徹底して俺を排除しようとする姿には僅かに苛立ちが湧く。俺への鋭い一瞥の後に、優しい眦でノウェを見た。

「おはよう、イェルマ」

 もそもそとした動きで起き上がったノウェは、まだ眠たいのか目を擦りながらぼうっとしている。肌に赤味は見られず、痒がる素振りもない。今日も体に異変はないようだ。ノウェの乱れた髪に触れ、手櫛で整えたイェルマが、髪を緩く一つに結ぶ。

 朝食を食べるときに、邪魔にならないようにするためだ。それは分かっているのだけれど、どうしてもこの男がノウェに触れているのを見ると、憎しみが湧いて来てしまう。考えないように一度瞑目し、皿を膝の上に置いた。

「ノウェ、朝食にしよう」

 ベッドの上を四つん這いで進みながら、ノウェが俺の隣にやってくる。同じようにベッドのふちに腰掛けて、足を床へ下ろした。スプーンでよそったポリッジをノウェに近づければ、小さな口が空いてスプーンを受け入れた。

 最初は嫌がっていたこの行為も、何日か続けると慣れたようで、俺の手から食べることへの抵抗もなくなったようだ。今ではこれが当たり前と言わんばかりの迷いの無さで口を開くので、そのたびに俺は多幸感に包まれる。

「俺ばっかり食べてる。ヴィルも食べろよ」
「あぁ、そうだな」

 ノウェの食べる姿が可愛らしくて、自分の口へ運ぶことを忘れていた。一応俺はポリッジが苦手、という体を装っていたのだけれど、何故かそれが虚偽であることを見抜かれているようで、今では俺も普通に食べていた。そもそも、好きでも嫌いでもない。朝食に適した味と量だな、と思う程度だ。

「ノウェ。今日、俺は執務室にいない時間が多いかもしれないから、何か用があったら侍従に俺の居場所を尋ねてくれ」
「ふーん、どこか行くのか?」
「あぁ、ちょっとね」
「いいなぁ。俺も外に出たい」
「俺は別に、楽しい外出をするわけじゃないよ。……でも、今度は二人でどこかへ出掛けようか」

 ノウェはずっと、この部屋にいる。最近は開発局に行くことも控えるように伝えてあった。体調が急変することを恐れて、俺がこの部屋から出ることを許さなかったのだ。さぞ、退屈な思いをさせていることだろう。

 体調面での不安が無くなったとしても、暗殺の手がいつノウェに伸びるか分からず、俺の目の無いところでの外出をずっと許せずに来た。だが、もう少し事態が落ち着いたら、一緒にどこかへ出掛けよう。そう思って誘いながらも、ノウェは俺となんて出かけたくはないかもしれない、と少し落ち込んだ。

「……うん」

 落ち込んでいた心が、一気に浮上する。ノウェは嬉しそうにはにかんで、小さく頷いたのだ。一生額づいて許しを乞い続けなければならないような罪を犯した俺に、そんな風に微笑みかけてくれるノウェは、世界で一番寛大で、清らかな心を持っているのだろう。

「じゃあ、そろそろ行ってくるよ」

 食事を終え、身支度を整えたあとに、ノウェにそう告げる。ノウェは薬湯を飲み干して、苦さに顔を歪めているところだった。薬湯には、眠気を誘う成分が入っているらしく、これを飲んだあとのノウェは随分と長い間眠ってしまうらしい。

「いってらっしゃい」

 ノウェに見送られるという僥倖を噛みしめながら、部屋を出た。ぐっすりと眠っていて欲しい。ノウェが眠っている間に全てが終わっているように、俺が務めよう。部屋を出た直後の緩んだ頬が、次第に険しい表情に変わっていくのが自分でも分かる。

 歩く俺の背後を侍従たちがついてくる。そのうちに、別方向から歩いてきたイーヴと合流した。情報収集やスラヴィアに送り込んだ密偵との調整など、俺以上の激務に追われているイーヴの顔色は随分と悪い。まともに寝ていないのだろう。

「あの女は警備隊の隊舎だな?」
「あぁ。隊舎の取調室だ」

 昨日のことだった。イーヴァンのもとに、信じられない一報が届く。それは、ゾフィー・フェルカーが宮殿にやって来た、という耳を疑うような報せだった。俺がノウェを皇妃にしたことで、不要になった二番目の婚約者。そんな女が、一体何をしに来たというのか。俺には、女の真意が分からなかった。

「自白したんだな」
「そうだ。自分がノウェ様に毒を差し向けたと」

 女は、イーヴァンと対面した時に己の罪を告白した。ノウェの命を狙ったのは自分だと、世間話をするような軽い口調で言ったのだという。それからイーヴは、警備兵たちに彼女を拘束させ、警備隊の隊舎に留め置いた。

 昨日の段階で俺も女に会おうとしたのだが、冷静でいられる気がせず、面会を一日延期したのだ。昨日の間に会っていれば、怒りのままにその場で殺していた可能性もある。それでは多くの謎が闇に葬られてしまう。それではいけない。

 一日置いて、朝はノウェと穏やかな時間を過ごした。自分に冷静になれと何度言い聞かせたことだろう。今だって言い聞かせている。言い聞かせながら、俺は執務室とは遠く離れた警備隊の隊舎へ向かった。

「陛下」

 取調室の外、扉についた小窓から中を伺っていた一人の警備兵が俺に気付き、敬礼をする。警備兵のおもてには、戸惑いがあった。自分たちが今捕えている人物が、フェルカー侯爵家の令嬢だという理解があるのだろう。

「様子はどうだ」
「とても……落ち着いています。大罪を犯した者とは思えないほどに」
「なるほど」

 俺も小窓から中を覗いた。白銀の長い髪と、色素の薄い双眸が見える。泰然として、怯えや戸惑いは一切見受けられない。ノウェを苦しめておきながら、よくも堂々としていられるものだ。憎悪と呆れが俺の中が噴出する。扉を開けて、中に入った。

「ヴィルヘルム様」

 女の目はすぐに俺を捉え、嬉しそうに目元を緩める。きっとそれは、ノウェを見つめる俺の姿に似ていることだろう。嫌悪感しか抱けない相手、そんな眼差しで見つめられることの苛立ちを学んだ。ノウェはかつて、この苛立ちを抱えていた。今はそれが無くなっていてくれると嬉しい。

 椅子に座る女の両手は、背後でひとつに結ばれている。足も、荒縄で縛られまとめられていた。侯爵家の令嬢であろうと、手心加えることなくしっかり縛り上げた警備兵たちを俺は褒めなければならない。俺の方を一心に見上げてくる女を、俺は冷めた目で見下ろす。

「何故、我が皇妃を害そうと思った」
「嗚呼、ヴィルヘルム様。もう一度お会いしたいと思っておりました」
「毒はどこから入手した。スラヴィアか?」
「あのような土臭い男を皇妃などにしたなど、御冗談ですよね? あんな者にヴィルヘルム様のお相手が務まるはずがありません」

 噛み合わない会話に苛立つよりも前に、湧き出た憎悪が俺の体を動かした。女の首を掴み、そのまま持ち上げる。椅子に座っていた体が浮いている。女の体を浮かせることくらい、片手でも十分だった。

「……っ!」

 無駄口しか叩かぬのであれば、その喉は不要だ。潰してやろうと思い、手に力を籠める。当然、呼吸が出来ないために女は苦し気な顔をし、口の端に泡を浮かべた。このまま一思いに殺せたら、どれだけ胸がすくだろう。

「俺の問いにのみ答えろ。皇妃を侮辱したことは聞かなかったことにしてやる」

 喉を掴んだ手を横へ振り、女の体を手放す。俺の動きに従わざるを得ない女の体は、放り投げられ、石造りの冷たい壁に打ち付けられた。そのままの勢いで床に落ちる。突然の衝撃と、喉を押しつぶされた苦しさに咳き込みながら、女は床に伏したまま俺を見上げた。

「ヴィルヘルム様がっ、ふ、触れて、下さった……っ!」

 その顔は、歓喜に打ち震えていた。痛みも、苦しみも、感じていないかのようだ。俺が女の細い喉を掴み上げたという事実にしか、目がいっていない。消え入りそうな声と、酸素を取り戻すための荒い呼吸。その果てに、彼女は絹を裂くような絶叫を上げる。

「なんという僥倖……っ!」


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