21 / 27
21
しおりを挟む
「ヨルハ様がいらっしゃっていますが」
ウォドスが僕のもとにやって来て、静かに告げた。一人の客の相手を終えて、次の客へ向かう前のほんの少しの休みの時間。ウォドスが、次はヨルハの相手をしてはどうかと提案してくる。
「……断って下さい」
「四日目ですよ」
別れを告げたその次の日から、ヨルハは毎日ロファジメアンに来ていた。僕は毎日彼の来館を拒んでいる。それが、四日目だった。
「あなたに、帰りたい場所はないんですか」
昨日までであればすぐに、そうですか、と言って去っていったウォドスが部屋に留まった。そして、そんなことを口にする。僕には、ウォドスの言わんとすることが分からない。
「……どうしたんですか、突然」
「いえ、ふと昔のことを思い出しまして」
ウォドスは、過去のことを思ってか、思い出し笑いを小さく浮かべて僕を見ていた。こんな風に雑談をすることは、とても珍しいことで僕は戸惑う。
「支配人が貴方を買い上げた時のことを思い出したんです。あれはどこにも帰れないウェテだ、と支配人が貴方を指してそう言っていました」
「……どこにも、帰れない」
「そう」
夜も深く、燭台が淡く部屋を照らす。ウォドスの瞳は、もう僕を見ていなかった。彼の双眸は過去の光景を眺めている。
「借金を完済し、自由の身になってもすぐに娼館に戻ってきてしまうウェテが、少なくない割合で存在します。彼らの大半は幼い頃に娼館に売られている。そのため、外での生活の仕方を知らない、もしくは覚えていない。だからこそ、この苦界の外に馴染めず、娼館に戻ってきてしまう。そういったウェテたちを支配人は、帰れないウェテ、と称していました」
「僕も……そうだと」
「現に、そうでしょう。貴方には返すべき借金もないのに、ずっとこのロファジメアンにいる。そういったウェテだと見抜いたからこそ、支配人は金の生る木だと言って大金を叩いて買い上げたのです」
僕のような帰れないウェテは、娼館としては、おいしい存在だった。ヨルハの好意を断り、二人で生きていく機会を駄目にした僕は、まさしく支配人が見抜いた通りだった。
「貴方は、本気で自由になろうと思えば、そうできるのに、自由にならない。ここを出ても生きていく術がないと思っているからです」
ウォドスの言葉は正しすぎて嫌になる。僕がいかに矮小で意気地のない人間であるかを、白日の下に晒し出す。
「……怖いんです。ここを出て、どうやって生きて行けばいいのか、僕には分からない。臆病であることは理解しています。でも……怖くて、進めない」
「貴方に、帰りたい場所はないかもしれませんが、一緒にいたい相手はいるのでは?」
「……外の世界を怖がり、怯えて歩き出せないような僕が、誰かと手を携えていけると思いますか?」
「二人でなら、あるいは」
「そんな確証のない賭けに、彼の人生を巻き込めない」
失敗したら、どうしよう。ヨルハを不幸のどん底に突き落とすことになってしまったら、どうしよう。二人で生きる未来を考える時、いつもそんな不安に押しつぶされる。不安という泥沼に足を取られ、一歩も踏み出せず沈んでいくのがこの僕だ。
「彼は、巻き込まれる覚悟を決めていると思いますよ」
返す言葉もなかった。ヨルハの覚悟は伝わってくる。覚悟していなければ、ウェザリテを欲しがったりなどしないだろう。僕の汚れた過去も、何もできないこの身も、全て受け入れたうえでヨルハは僕を欲しがってくれている。
「貴方が袖にして四日目。彼は、娼館の前に座り込んで微動だにしません」
「え……?」
「飲まず食わずで」
そんなまさか、と小さな声が自然と口から零れ出ていた。僕に面会を拒まれたあと、兵舎へ帰っているものだとばかり思っていた。娼館の前にいただなんて。いつも引きこもっている僕には、そんな彼の様子に気付くことすら出来なかった。
「いくら屈強な軍人であっても、いずれ限界が訪れるでしょうね。……もしくは、もう訪れているのやも」
敢えて、不安を煽るような言葉を口にしたウォドス。気付いたときには、走り出していた。こんなに必死になって走ったのは、一体いつぶりなのだろうか。
脇目も振らず娼館の中を駆け抜ける。客やウェテたちの戸惑いの目が僕を突き刺すけれど、構っていられない。
「ヨルハ……っ」
娼館の大扉を開け放ち、僕はそこから少しばかり離れた場所でヨルハの姿を見つけた。座り込んで、俯いて塀に体を預けてぐったりとしている。もしかして、と嫌な予感が脳裏を駆けた。その瞬間に、僅かにヨルハの頭が動き、ゆっくりと僕を捉えた。
「ヨルハ!」
駆け寄る。僕はウェザリテの装束のままで、随分と肌寒く感じた。けれど、そんなことはどうでもいい。僕が凍えようが、そのまま死のうが、そんなことはどうでもいいのだ。僕はただ、ヨルハが大切だった。己の命よりも、ヨルハのことが重要だった。
「……ア、サヒ」
ヨルハの体は僕の体など比べものにならないほど、冷え切っていた。ぎゅう、と抱きしめても大きな氷塊を抱いているようだ。
こんなになるまで、僕を待っていてくれたんだ。いつ応じるとも分からない僕を、こんなに冷えるまで、飲まず食わずで待っていてくれたんだ。
喉が震える。名状しがたい感情に襲われた。
「なんでこんなことしてるんだっ、し、死んじゃうかもしれないのに……っ」
「アサヒに……拒否された俺に、価値なんてない。……生きてる意味なんて、ないんだ」
「何言ってるんだよ、馬鹿っ!」
僕に拒否されたヨルハに意味がないなんて、それはどういう理屈なんだ。ヨルハはただ、生きているだけで価値がある。ヨルハがいてくれるだけで、この世界は温かいものになるのに。どこかで、幸せになってくれるだけで、僕はそれだけで幸せなのに。
「良かった……、アサヒが来てくれた」
深い安堵が籠った言葉だった。力の弱い両腕が、ゆっくりと僕を抱きしめる。意味もなく、涙が溢れ出てくる。力いっぱいヨルハを抱きしめて、彼を感じていた。
許されるだろうか。
こんな僕が、彼を想うことは。
許されることなのだろうか。
「とにかく、中に入ろう。何か食べないと」
「……助かる、腹減り過ぎて足に力入らないんだ。喉も、めちゃくちゃ乾いた」
「まずは白湯を飲んで」
それから、と言おうとした時だった。重たいヨルハの体を支えながら立ち上がった僕の足が止まる。踏み出そうとした一歩は、二の足を踏む。僕たちの前に立ちふさがる人物がいたのだ。
「リュシラ……なんなんだよ、そいつ」
僕たちは目立ち過ぎた。娼館の前でウェザリテと、憔悴しきった男が強く抱擁しあう光景は、あまりにも異質で人の目を引いていたのだ。そしてその人物は、血走った目で僕たちを凝視していた。
「……ユガン様」
ウォドスが僕のもとにやって来て、静かに告げた。一人の客の相手を終えて、次の客へ向かう前のほんの少しの休みの時間。ウォドスが、次はヨルハの相手をしてはどうかと提案してくる。
「……断って下さい」
「四日目ですよ」
別れを告げたその次の日から、ヨルハは毎日ロファジメアンに来ていた。僕は毎日彼の来館を拒んでいる。それが、四日目だった。
「あなたに、帰りたい場所はないんですか」
昨日までであればすぐに、そうですか、と言って去っていったウォドスが部屋に留まった。そして、そんなことを口にする。僕には、ウォドスの言わんとすることが分からない。
「……どうしたんですか、突然」
「いえ、ふと昔のことを思い出しまして」
ウォドスは、過去のことを思ってか、思い出し笑いを小さく浮かべて僕を見ていた。こんな風に雑談をすることは、とても珍しいことで僕は戸惑う。
「支配人が貴方を買い上げた時のことを思い出したんです。あれはどこにも帰れないウェテだ、と支配人が貴方を指してそう言っていました」
「……どこにも、帰れない」
「そう」
夜も深く、燭台が淡く部屋を照らす。ウォドスの瞳は、もう僕を見ていなかった。彼の双眸は過去の光景を眺めている。
「借金を完済し、自由の身になってもすぐに娼館に戻ってきてしまうウェテが、少なくない割合で存在します。彼らの大半は幼い頃に娼館に売られている。そのため、外での生活の仕方を知らない、もしくは覚えていない。だからこそ、この苦界の外に馴染めず、娼館に戻ってきてしまう。そういったウェテたちを支配人は、帰れないウェテ、と称していました」
「僕も……そうだと」
「現に、そうでしょう。貴方には返すべき借金もないのに、ずっとこのロファジメアンにいる。そういったウェテだと見抜いたからこそ、支配人は金の生る木だと言って大金を叩いて買い上げたのです」
僕のような帰れないウェテは、娼館としては、おいしい存在だった。ヨルハの好意を断り、二人で生きていく機会を駄目にした僕は、まさしく支配人が見抜いた通りだった。
「貴方は、本気で自由になろうと思えば、そうできるのに、自由にならない。ここを出ても生きていく術がないと思っているからです」
ウォドスの言葉は正しすぎて嫌になる。僕がいかに矮小で意気地のない人間であるかを、白日の下に晒し出す。
「……怖いんです。ここを出て、どうやって生きて行けばいいのか、僕には分からない。臆病であることは理解しています。でも……怖くて、進めない」
「貴方に、帰りたい場所はないかもしれませんが、一緒にいたい相手はいるのでは?」
「……外の世界を怖がり、怯えて歩き出せないような僕が、誰かと手を携えていけると思いますか?」
「二人でなら、あるいは」
「そんな確証のない賭けに、彼の人生を巻き込めない」
失敗したら、どうしよう。ヨルハを不幸のどん底に突き落とすことになってしまったら、どうしよう。二人で生きる未来を考える時、いつもそんな不安に押しつぶされる。不安という泥沼に足を取られ、一歩も踏み出せず沈んでいくのがこの僕だ。
「彼は、巻き込まれる覚悟を決めていると思いますよ」
返す言葉もなかった。ヨルハの覚悟は伝わってくる。覚悟していなければ、ウェザリテを欲しがったりなどしないだろう。僕の汚れた過去も、何もできないこの身も、全て受け入れたうえでヨルハは僕を欲しがってくれている。
「貴方が袖にして四日目。彼は、娼館の前に座り込んで微動だにしません」
「え……?」
「飲まず食わずで」
そんなまさか、と小さな声が自然と口から零れ出ていた。僕に面会を拒まれたあと、兵舎へ帰っているものだとばかり思っていた。娼館の前にいただなんて。いつも引きこもっている僕には、そんな彼の様子に気付くことすら出来なかった。
「いくら屈強な軍人であっても、いずれ限界が訪れるでしょうね。……もしくは、もう訪れているのやも」
敢えて、不安を煽るような言葉を口にしたウォドス。気付いたときには、走り出していた。こんなに必死になって走ったのは、一体いつぶりなのだろうか。
脇目も振らず娼館の中を駆け抜ける。客やウェテたちの戸惑いの目が僕を突き刺すけれど、構っていられない。
「ヨルハ……っ」
娼館の大扉を開け放ち、僕はそこから少しばかり離れた場所でヨルハの姿を見つけた。座り込んで、俯いて塀に体を預けてぐったりとしている。もしかして、と嫌な予感が脳裏を駆けた。その瞬間に、僅かにヨルハの頭が動き、ゆっくりと僕を捉えた。
「ヨルハ!」
駆け寄る。僕はウェザリテの装束のままで、随分と肌寒く感じた。けれど、そんなことはどうでもいい。僕が凍えようが、そのまま死のうが、そんなことはどうでもいいのだ。僕はただ、ヨルハが大切だった。己の命よりも、ヨルハのことが重要だった。
「……ア、サヒ」
ヨルハの体は僕の体など比べものにならないほど、冷え切っていた。ぎゅう、と抱きしめても大きな氷塊を抱いているようだ。
こんなになるまで、僕を待っていてくれたんだ。いつ応じるとも分からない僕を、こんなに冷えるまで、飲まず食わずで待っていてくれたんだ。
喉が震える。名状しがたい感情に襲われた。
「なんでこんなことしてるんだっ、し、死んじゃうかもしれないのに……っ」
「アサヒに……拒否された俺に、価値なんてない。……生きてる意味なんて、ないんだ」
「何言ってるんだよ、馬鹿っ!」
僕に拒否されたヨルハに意味がないなんて、それはどういう理屈なんだ。ヨルハはただ、生きているだけで価値がある。ヨルハがいてくれるだけで、この世界は温かいものになるのに。どこかで、幸せになってくれるだけで、僕はそれだけで幸せなのに。
「良かった……、アサヒが来てくれた」
深い安堵が籠った言葉だった。力の弱い両腕が、ゆっくりと僕を抱きしめる。意味もなく、涙が溢れ出てくる。力いっぱいヨルハを抱きしめて、彼を感じていた。
許されるだろうか。
こんな僕が、彼を想うことは。
許されることなのだろうか。
「とにかく、中に入ろう。何か食べないと」
「……助かる、腹減り過ぎて足に力入らないんだ。喉も、めちゃくちゃ乾いた」
「まずは白湯を飲んで」
それから、と言おうとした時だった。重たいヨルハの体を支えながら立ち上がった僕の足が止まる。踏み出そうとした一歩は、二の足を踏む。僕たちの前に立ちふさがる人物がいたのだ。
「リュシラ……なんなんだよ、そいつ」
僕たちは目立ち過ぎた。娼館の前でウェザリテと、憔悴しきった男が強く抱擁しあう光景は、あまりにも異質で人の目を引いていたのだ。そしてその人物は、血走った目で僕たちを凝視していた。
「……ユガン様」
29
あなたにおすすめの小説
「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」
星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。
ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。
番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。
あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、
平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。
そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。
――何でいまさら。オメガだった、なんて。
オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。
2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。
どうして、いまさら。
すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。
ハピエン確定です。(全10話)
2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる