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ユガンは以前も、こうしてヨルハと共にいるところに現れてきた。なんと間が悪いのだろう。娼館通いの結果、破産したという人物だ。
随分と僕に拘っていたけれど、それは今も変わっていないらしい。詰め寄ってくるユガンから、僕は逃げることが出来なった。ヨルハを支えていた腕の一本を掴まれ、強い力で手首を握られる。
「なんで、そんなっ、そんな、特別扱いみたいなことっ、お、おれだって、おれだってそんなこと、されたことないのに! なんなんだよそいつは!!」
「やめ……っ、やめてください……っ!」
その乱暴な手は、僕を引っ張り、ヨルハから離そうとしているらしかった。けれど、一人で立ち上がることすら困難なヨルハから今、手を離せば、彼は崩れ落ちてしまう。
僕は必死でユガンの手を振り払おうとした。僕が抵抗すればするほど、ユガンは憎悪の目をヨルハに向ける。
「リュシラは俺のものだ! 勝手に触るな! お前なんて、お前なんてなぁっ、こ、殺してやる!」
唾と共に大きな声を吐き出すユガンは、懐から刃物を取り出した。刃渡りの短い小刀ではあるが、人を殺すことは容易いだろう。騒動を遠巻きに見ていた野次馬たちが、悲鳴を上げた。
突然の出来事にもヨルハは冷静に判断し、彼は僕の肩を引いて後方へ下げ、僕を守ろうとしてくれている。けれど、その手はあまりにも弱弱しくて、僕の体を引き下げるに至らない。こんなに彼が弱っているのは僕のせいだ。僕が、彼を拒んだから。
本当は、拒みたくなどなかった。
ただ、僕が弱虫で、怖がりだったから。
僕がもっと強くいられたら、きっとヨルハをこんなに弱らせることはなかっただろう。何があっても、二人で生きていくと強く思えていたら、こんなことにはなっていなかった。
まだ遅くはない。
強くなるのだ。
今、ここで。
「やめて!」
耳に届いたのは、大きな悲鳴に似た僕の声。僕は、ユガンからもヨルハからも手を離した。そして、両手を開く。盾になるように、ヨルハを守れるように。ヨルハを守る強い僕になるために。
「え……っ、え? ……あ、あ、うわあああぁっ、お、おれ、こんなつもりじゃ……っ」
情けないユガンの悲鳴。
周囲の喧騒。
取り押さえろ、と叫ぶウォドスの声。
それらすべてが遠かった。ただただ、体が熱い。体に力が籠められず、僕は膝を折る。地面にぶつかるその直前に、優しい両腕に抱きとめられた。ヨルハの腕だ。
「アサヒ!!」
仰向けに倒れこむ僕を、ヨルハが上から見つめている。闇夜を背にしたヨルハの姿はとても美しくて、僕の愛したすべてがそこにはあった。そんな心配そうな顔をしないで、いつものように自信に満ちた格好いい顔を見せて。
「アサヒっ、おい、嘘だろ……っ!!」
ユガンの刃は、容赦なく僕を切り裂いた。ウェザリテの装束はひどく薄く、あってないようなものだ。僕は、肌を直に切り付けられたに近い。溢れ出る血流を感じる。血が止まらない傷口を、ヨルハの手が強い力で抑えていた。
「おい! 医者どこだ、医者ァ!!」
泣き出しそうな声で、ヨルハが医者を探している。不謹慎だとは思うけれど、僕のために必死になってくれることが、嬉しくて堪らなかった。これが最後でいい。最愛の人を守って死ぬなんて、なんて誇らしい終わりだろう。
「……ヨ、ルハ……怪我……ない?」
「ねぇよ! お前が俺を守ってくれたんだろうが!」
「……よかった、ちゃんと……ヨルハを、まもれた」
「俺はお前に守ってもらってばかりだっ、なんでこうなる! 俺は、お前を守るために強くなりたかった……それなのにっ」
ぽた、ぽた。静かに落ちる雫が、ヨルハの涙だと気付くのに少しばかり時間を要した。目が霞み、彼の表情を見て取ることが出来なくなったからだ。
手を伸ばす。彼の涙を拭いたかった。けれど、腕に力が入らなくて彼に届かない。そんな僕の手をヨルハが握ってくれる。温かい手だ。さっきは、あんなに冷たかったのに。不思議だな。
「な……か、ない、で」
褒めてよ。ヨルハを守りたくて、僕は強くなったんだ。ヨルハがいる世界を、僕はずっと守りたかった。遠く離れても、ヨルハが生きていてくれるなら僕はどうなっても良かったんだ。そうやって生きてきたんだよ、ねぇ。頑張ったって、褒めて。よくやったって。
「駄目だアサヒっ! 目を閉じるな!!」
体から力が抜けて、目を開けていることすら出来なくなる。でも、ちゃんとヨルハの声は聞こえていた。そんな悲しい声を出さないでよ。僕まで悲しくなってしまう。
「俺を置いて行かないでくれっ、お前のいない世界にいたくないっ、お前が死んだら、俺はすぐに追いかけるからな!!」
「……そ、れは……だめ、だ、よ」
「だったら生きろ! 俺と一緒に生きてくれ!!」
そう出来たら、良かった。
今になって思うのだ。誰になんと言われようとも、後ろ指さされようと、ヨルハと共に生きる道を選べば良かったと。ヨルハを不幸にすることになったとしても、一緒にいる未来を願えばよかったと。
僕は、愚かなほどに怖がりだった。馬鹿馬鹿しいほどに、意気地なしだった。それに今、気付いたのだ。
「……あい、してる」
僕の中の感情なんて、最初からそれしかなかった。ヨルハを愛している。ただ、それだけだったんだ。その、大切な感情ひとつを抱きしめて。ヨルハと歩いて行けば良かった。それだけで、良かったんだ。
遠い遠い場所で、ヨルハが僕の名を呼んでいた。
それは次第に、聞こえなくなった。
随分と僕に拘っていたけれど、それは今も変わっていないらしい。詰め寄ってくるユガンから、僕は逃げることが出来なった。ヨルハを支えていた腕の一本を掴まれ、強い力で手首を握られる。
「なんで、そんなっ、そんな、特別扱いみたいなことっ、お、おれだって、おれだってそんなこと、されたことないのに! なんなんだよそいつは!!」
「やめ……っ、やめてください……っ!」
その乱暴な手は、僕を引っ張り、ヨルハから離そうとしているらしかった。けれど、一人で立ち上がることすら困難なヨルハから今、手を離せば、彼は崩れ落ちてしまう。
僕は必死でユガンの手を振り払おうとした。僕が抵抗すればするほど、ユガンは憎悪の目をヨルハに向ける。
「リュシラは俺のものだ! 勝手に触るな! お前なんて、お前なんてなぁっ、こ、殺してやる!」
唾と共に大きな声を吐き出すユガンは、懐から刃物を取り出した。刃渡りの短い小刀ではあるが、人を殺すことは容易いだろう。騒動を遠巻きに見ていた野次馬たちが、悲鳴を上げた。
突然の出来事にもヨルハは冷静に判断し、彼は僕の肩を引いて後方へ下げ、僕を守ろうとしてくれている。けれど、その手はあまりにも弱弱しくて、僕の体を引き下げるに至らない。こんなに彼が弱っているのは僕のせいだ。僕が、彼を拒んだから。
本当は、拒みたくなどなかった。
ただ、僕が弱虫で、怖がりだったから。
僕がもっと強くいられたら、きっとヨルハをこんなに弱らせることはなかっただろう。何があっても、二人で生きていくと強く思えていたら、こんなことにはなっていなかった。
まだ遅くはない。
強くなるのだ。
今、ここで。
「やめて!」
耳に届いたのは、大きな悲鳴に似た僕の声。僕は、ユガンからもヨルハからも手を離した。そして、両手を開く。盾になるように、ヨルハを守れるように。ヨルハを守る強い僕になるために。
「え……っ、え? ……あ、あ、うわあああぁっ、お、おれ、こんなつもりじゃ……っ」
情けないユガンの悲鳴。
周囲の喧騒。
取り押さえろ、と叫ぶウォドスの声。
それらすべてが遠かった。ただただ、体が熱い。体に力が籠められず、僕は膝を折る。地面にぶつかるその直前に、優しい両腕に抱きとめられた。ヨルハの腕だ。
「アサヒ!!」
仰向けに倒れこむ僕を、ヨルハが上から見つめている。闇夜を背にしたヨルハの姿はとても美しくて、僕の愛したすべてがそこにはあった。そんな心配そうな顔をしないで、いつものように自信に満ちた格好いい顔を見せて。
「アサヒっ、おい、嘘だろ……っ!!」
ユガンの刃は、容赦なく僕を切り裂いた。ウェザリテの装束はひどく薄く、あってないようなものだ。僕は、肌を直に切り付けられたに近い。溢れ出る血流を感じる。血が止まらない傷口を、ヨルハの手が強い力で抑えていた。
「おい! 医者どこだ、医者ァ!!」
泣き出しそうな声で、ヨルハが医者を探している。不謹慎だとは思うけれど、僕のために必死になってくれることが、嬉しくて堪らなかった。これが最後でいい。最愛の人を守って死ぬなんて、なんて誇らしい終わりだろう。
「……ヨ、ルハ……怪我……ない?」
「ねぇよ! お前が俺を守ってくれたんだろうが!」
「……よかった、ちゃんと……ヨルハを、まもれた」
「俺はお前に守ってもらってばかりだっ、なんでこうなる! 俺は、お前を守るために強くなりたかった……それなのにっ」
ぽた、ぽた。静かに落ちる雫が、ヨルハの涙だと気付くのに少しばかり時間を要した。目が霞み、彼の表情を見て取ることが出来なくなったからだ。
手を伸ばす。彼の涙を拭いたかった。けれど、腕に力が入らなくて彼に届かない。そんな僕の手をヨルハが握ってくれる。温かい手だ。さっきは、あんなに冷たかったのに。不思議だな。
「な……か、ない、で」
褒めてよ。ヨルハを守りたくて、僕は強くなったんだ。ヨルハがいる世界を、僕はずっと守りたかった。遠く離れても、ヨルハが生きていてくれるなら僕はどうなっても良かったんだ。そうやって生きてきたんだよ、ねぇ。頑張ったって、褒めて。よくやったって。
「駄目だアサヒっ! 目を閉じるな!!」
体から力が抜けて、目を開けていることすら出来なくなる。でも、ちゃんとヨルハの声は聞こえていた。そんな悲しい声を出さないでよ。僕まで悲しくなってしまう。
「俺を置いて行かないでくれっ、お前のいない世界にいたくないっ、お前が死んだら、俺はすぐに追いかけるからな!!」
「……そ、れは……だめ、だ、よ」
「だったら生きろ! 俺と一緒に生きてくれ!!」
そう出来たら、良かった。
今になって思うのだ。誰になんと言われようとも、後ろ指さされようと、ヨルハと共に生きる道を選べば良かったと。ヨルハを不幸にすることになったとしても、一緒にいる未来を願えばよかったと。
僕は、愚かなほどに怖がりだった。馬鹿馬鹿しいほどに、意気地なしだった。それに今、気付いたのだ。
「……あい、してる」
僕の中の感情なんて、最初からそれしかなかった。ヨルハを愛している。ただ、それだけだったんだ。その、大切な感情ひとつを抱きしめて。ヨルハと歩いて行けば良かった。それだけで、良かったんだ。
遠い遠い場所で、ヨルハが僕の名を呼んでいた。
それは次第に、聞こえなくなった。
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