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莇 未麻

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 影の中で、その人物は何の疑いもなく眠っている。静かな呼吸が夜の静寂に溶け込み、微かなリズムを刻んでいる。
 姿を潜めて近づく少年の足音は一切聞こえない。
 月明かりが窓から差し込み、部屋を照らす。少年ーーピンクがその明かりに踏み込んだ時、その光を全て吸い込み放つかのように、彼の瞳は美しく冷徹に、濃くピンク色に輝いていた。
 一歩一歩、近づく。情などは微塵も、無い。あるのは怒りか、悲しみか…もはや彼自身も、自らの感情を知ることはなかった。
 そのナイフを握る手が、その対象の喉元に迫る。
 
 その瞬間。
 「それで満足?」
 冷たい声が響いた。

 ピンクの手が一瞬、ぴくりと止まる。しかし彼の仕事に躊躇いは許されない。その人物は、それ以上の言葉を発することはなかった。ピンクは、己の一瞬の戸惑いを振り払うように、ナイフを振り下ろした。

 返り血に塗れた手でピンクは床に転がった携帯電話を手に取り、静かに声を発する。
 「………終わったよ…すぐそっちに行く…」
 そう言い終わったあと、携帯電話は捨てられたように床に落ちた。

 微かに鼻歌が聞こえる。
 ーーが自分のことを歌っているようで好きだと教えてくれた、あの曲。

 ピンクは鼻歌を歌いながら、海が見えるベランダの窓を開け、外に出る。外は、月明かりがより一層強くなり、彼の体を照らした。そして静かに柵に登り、

 その身を投げた。

 ーーーーーー

 ピンクはマンションの高層階のベランダから器用に手すりを伝って下まで降りる。彼がどこに降りてくるのかわかりきっているかのように、迎えの車が停車されている。
 ピンクが地面に着地したタイミングで車の窓が開く。
 「仕事が終わると毎回アクロバティックだよな…」
 呆れたような表情を浮かべるのは、ピンクの監視役である青年・ユウだ。
 「…なんだか、すっきりするから」
 ピンクにとってはこれが毎回のルーティンであり、たいして危険感も感じていないようだ。
 「見てるこっちはヒヤヒヤするよ。さ、早く乗れ。」
 ピンクが小さく、ふ、と笑いながら車の助手席に乗り込む。ユウはその表情を見て、今日も無事にピンクの仕事が終わったことに安堵した。
 ユウはピンクを迎えに行き回収したのち、彼の保護者兼依頼主であるマリーという女に報告をする決まりになっている。

 マリーは、表向きはオフィオメディア研究所という医療研究施設の責任者だ。しかしその施設は裏では人体実験や人身売買、違法薬物の製造などあらゆる犯罪に手を染めているいわば裏組織のようなものである。

 「…マリーさん。ユウです。回収しましたので、今からそちらに向かいます。…さ、出発しようか。」
 車が静かに発進する。ピンクは、今さっき終えた仕事の内容を詳しく話したがらない。ユウはいつもピンクの気持ちにできるだけ寄り添おうと意識しているため、車内は静寂に包まれることが多い。ピンクが車の窓に頬杖をついて外をぼーっと眺めている姿を時折横目で見ていた。
 すると、ユウの電話が鳴った。マリーからだ。
 「…はい、………え、このまま真っ直ぐですか?……いえ。申し訳ございません。承知しました。」
 ユウの少し焦るような声をピンクは窓の外を見つめたまま何も言わず聞いていた。
 「マリーさんが、このまま礼拝堂まで向かって欲しいって…。」
 電話を切ったあと、ユウは眉をひそめた。マリーの命令には逆らえない。彼女の声にはいつも寒気を覚える。
 ユウのハンドルを握る手が強くなりギュッと音が鳴った。ピンクは、うん。とだけ小さく返事をしてそれからは黙っていた。
 
 礼拝堂とは、マリーが取引している宗教団体である、ヴェルへミア教が所有する施設の一部だ。
 その取引とは、『ピンクを彼らの奉納儀式の供物として差し出す代わりに多額の金銭を受け取る』というものだ。
 ヴェルへミア教では、ピンクのように瞳に珍しい色を持った人間を神に選ばれた人間であると信じられている。
 その一環で、彼らは儀式の際、供物とされる人間の血と涙を集め、神に捧げるのだ。それで神の力を得られると信じられている。
 しかし、珍しい色の瞳を持つ人間はこの世に中々いない。そのため、血と涙を集めると言っても、その命まで奪うわけではなく、祭壇に跪かせたまま絶え間ない苦痛を与えるのだ。
 ピンクのように、生まれながらにしてピンク色という珍しい瞳を持った人間は、彼らにとって格好の供物というわけだ。
 それが金銭をマリーに払うだけで何度も利用できるのだから、月に一度くらいのペースでピンクはこうして呼び出されるのであった。
 ユウは礼拝堂の名を聞くだけで、あの暗い室内、血に染まった祭壇の光景と狂信する信者たちの様子を思い出す。本当に嫌な光景だ。

 間の悪いことに、仕事の現場から礼拝堂はそう遠くなく直ぐに到着してしまった。
 儀式にピンクを送り出す時、ユウはいつもかける言葉を失う。ピンクはそれをわかっているかのように、その場所に着いた途端にドアを開けて車を降りる。そしてユウは自分の無力感に打ちひしがれるのだった。

 ーーーーーー

 「これより神への奉納儀式を行う。この美しき瞳を、神に捧げましょう。」

 ついにこの時間が来てしまった。信者たちは祭壇に釘付けになっているので、ユウは無力な自分への当てつけのようにこの儀式を遠くから見ていた。
 ーーこの行為がピンクの苦しみを和らげることにはならない。
 自分の中でそう囁く声があっても、どうしても目を背けることはできないのだった。

 祭壇で跪いているピンクの姿。顔は俯いており、表情は見えないが、神官が近寄りその瞳を皆にも分け与えるかのように、ピンクの顎を掴み信者の方に向ける。ピンクの表情は全てを諦めているかのようだ。
 ピンクの瞳を見た信者たちは、大きな歓声を上げた。
 程なくして鋭利な長い刃物や大きな皿を持った神官たちがピンクの周りを取り囲む。神官のうちの刃物を持った1人が大きく振りかぶりピンクの腕を切り裂く。ピンクの呻く声が響くのと同時に信者たちの歓声が部屋に響き渡る。
 ユウは一瞬だけ顔を背けかけた。その瞬間、またピンクの呻き声がして鋭く彼の耳を刺した。
 「……っ!」
 同時に、信者たちの歓声が再び空気を震わせる。それはまるで彼の両耳に爪を立て、無理矢理目を開けさせようとするようだった。
 ーー見たくない。
 だが目を逸らせば、自分がこれを”認めた”ことになってしまう気がした。
 「俺は…ここで何をしているんだ」
 胸の奥から何かが込み上げてきたが、自分には何もできない。ユウはそれを歯を食いしばって押し殺した。

 永遠に続くかのように思われた儀式は終わりを迎えた。ピンクは祭壇の上で肩を上下させて息を荒くしている。ユウは今すぐピンクの元に行きたいと思ったが、興奮冷めやらぬ信者たちはいまだに祭壇の周りを何重にも取り囲んでいた。
 しかしそれが急に道を開けたと思えば、ヒールの音と数人の革靴の音が部屋全体に鳴り響いた。

 「ヴェルへミアの皆さん、ご機嫌よう。今日も儀式…をお楽しみのようね。私のピンクはもう回収していいのかしら?」
 女性にしては低く響く声、自信に満ち溢れた態度で背もだいぶ高く、存在だけでこの空間を圧倒している。
 マリーだ。
 しかし彼女が直々にピンクを迎えに来ることは珍しい。いつもはユウがピンクの移動を管理し、全ての予定を終えたら一度彼女のところに行くのが日課なのだが。
 ユウは信者たちの取り巻きが崩れたのを見計らって祭壇の近くに駆け寄った。ピンクは祭壇で半ば倒れるような形でうずくまっており、彼の表情を確認するが、長い前髪が顔を覆っていてよく見えない。

 すると程なくしてヴェルへミア教の教祖が現れた。
 「これはこれはマリー様。このような神聖な場所までご足労いただきましてありがとうございます。儀式は滞りなく終了致しましたので、問題ありませんが。そちらは神聖な祭壇です。お手を触れられぬよう。」
 この教祖は肉付きが良い初老の男で、物腰柔らかい口調だがどこか不気味な空気を漂わせている。
 見てわかる通り、取引相手とは言ってもこの2人の仲は険悪だ。双方やり手である上お互いの手の内を探り合っている印象を受ける。この施設がマリーに支払っている金銭は相当なものらしく、険悪といえど取引関係は長く続いている。
 「あらこれは失礼。今日はあの双子ちゃんたちはいないの?」
 「さてなんのことやら。用が無いならお引き取り願います。」
 マリーは、残念、と半ば半笑いで言い残し、ユウを一瞥した。連れてこいという合図だ。
 ユウは急いで祭壇の後ろの階段を登り、倒れるピンクをお姫様抱っこするような形で抱き上げ、マリーの後ろをついていった。
 ーー大丈夫か?
 あんなに苦しそうな声をあげて怪我をして、頬には涙の跡がまだ残っている。大丈夫なわけがない。なんと声をかけたらいいのかわからない。ゆっくりと歩く中、ユウはピンクをより強く抱きしめた。
 ピンクはそれに気がついたのか、ユウの肩に頭を寄せた。

 礼拝堂を出て少しした頃、マリーが急に振り返った。
 「今日、その子で”pink”を使うわ。だからあなたは先に帰っていなさい。」
 ユウは絶句した。頭に鋭い針を突き立てられたようだ。ピンクの苦痛が、これ以上続くなんて…。
 ーーふざけるな。
 そう叫びたい。拒否したい。けれど彼女にそんなことをしたところで、結局ピンクがもっと酷い目に遭うだけだ。ユウが1番嫌がることを、彼女は知っているから。どうしようもない自分に腹が立つが、拒否権はない。どんなにピンクと離れたくなくても、ユウは引き渡さなければならないのだ。
 ピンクは文句一つ言わずに全てを諦めているかのようだ。彼はどれほど心に痛みを抱えているだろう。彼の代わりに傷つくことができたらどれだけ楽だろうか、とユウは思った。
 「心配しなくても、ちゃんと返してあげるわ。いい子にして待っていなさい。」
 マリーはユウの頬に挨拶のようなキスをすると、連れの者にピンクを抱かせて車に乗り込んだ。
 彼女の存在は、まるで蛇のようだ。世界を絡め取り、抵抗するものを全て飲み込む。
 1人残されたユウは喪失感と無力感に再び苛まれ拳を握りしめた。

 ーーーーーー

 ユウは部屋に着くまで、ピンクと出会った時のことを考えていた。

 ユウの両親はヴェルへミア教の熱心な信徒だった。そのため彼も幼い頃から儀式やなにやらに連れて行かれた。
 その時もう既にピンクはマリーに連れられ神格化されていた。ユウは幼いながらにも自分よりも年下の子供が大人たちに狂信的に囲まれ、心を失っていく様子を見ているのがつらいと感じていた。
 マリーはユウの端正な見た目を気に入り、
 「もしあなたが望むのなら、彼の友達になってくれない?」
と提案してきた。
 両親は猛反対したが、ピンクのこともあり元々不信感を抱いていたユウはマリーの提案に飛びつく形で了承する。
 そこから両親とは一切連絡を取っておらず、住む場所もマリーに提案されてピンクの身の回りの世話をする監視役として同居することになった。
 
 それだけならよかったのだが。

 マリーはユウを今後一切自分に反発心を持たない道具として仕上げるために、連日に渡って側近に暴力を振るわせた。立ち上がれないまでの痛みが残る中、毎晩ユウは絶対にピンクのいる部屋に帰った。
 最初の数日は、そんなユウを見てもピンクは窓辺でぼーっとしているだけでユウが頑張って話しかけても曖昧な返事しか返ってこなかった。
 さらに数日経ってから、その日は特に酷く、ユウは部屋に着くなり凄い勢いで倒れ込んでしまった。ピンクはびくっとしてユウのそばに恐るおそる寄ってきて、
 「……痛いの……?」
 ユウは自分の痛みよりも、ピンクが初めて自分に話しかけてくれたことが嬉しかった。ユウは声を出すのもつらかったが、なんとか振り絞って答える。
 「…平気だよ…、これから…これからは、俺が君を守るからね……。」
 苦しそうだが優しい眼差しを向けるユウにピンクは戸惑った。しかし、手を握らなければならない気がした。
 「………よく、わからない……」
 ピンクはこの時自分に初めて向けられた優しさというものがよくわからなかった。しかし、心の片隅で、嬉しいという思いを感じていることは理解できた。
 「今は、わからなくていい、……俺と……」
 そう呟いて、ユウは目を閉じた。
 ピンクはユウが死んでしまったのではないかと驚き、えっ、と言葉を漏らして彼の顔を覗き込むと、すやすやと寝息を立てていることに気づく。
 よくわからないまま安心したピンクは、ユウの手を握ったまま彼の顔をぼーっと見続けた。

ーーーーーー


 日付が変わるまでピンクは帰ってこなかった。食べる元気はないだろうが、ユウは一応軽食を用意してピンクの帰りを待った。
 しばらくしてからピンクはマリーの側近に連れられ帰宅した。もうギリギリ歩いているという状態で、礼拝堂で受けた傷は適切な処理をされたのか血は止まっていた。
 ユウはとりあえずピンクをベッドで休ませようと抱き抱えて連れていった。
 横になってほんの少しだけ表情が和らいだピンクの顔を見てユウは少し安堵する。
ーーなんとかしてこの状況を変えたい。
 ピンクの辛そうな姿を見るのは、本当に耐え難いことだった。ピンクには、もっと幸せな人生を歩む資格があるはずだ。

 しかし、例の”pink”という薬…マリーが開発したということしかユウは知らない。ピンクがマリーに呼び出された後、何が起こって何をされているのか、ユウには知る余地もなかった。いつも帰宅した後のピンクが何か体調不良を起こすとか、そういったことは今までなかったが、かえってそれも不安を掻き立てた。
 色々考えていたら、ピンクが目を開けた。
 「ここは……」
 「帰ってきたんだよ。今日は本当に…。」
 ユウは言葉を飲み込んでしまった。そんなユウをみて、ピンクは再び目を閉じ、ユウの手を両手で握った。
 「あったかいね。」
ーー言葉など必要ない。
 ピンクはそう言いたいのかもしれない。その後またすぐ眠ってしまった。
 ユウはその寝顔を眺めながら、頭を優しく撫でた。
 「これからは俺が君を守るからね…か…」
 ユウは初めてピンクと心を通わせたあの日誓った言葉を思い出して、己の無力さを痛感した。



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