PiNK

莇 未麻

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 ピンクは部屋に差し込む朝日で目を覚ました。無意識にユウの姿を探す。ユウは少し離れた場所に座っていた。
 「どうしてそんなに遠くにいるの?」
 「おはよう。少し早く起きたから、朝食の準備をしてたんだ。」
 「…ありがとう。」
 ピンクは少し寂しそうな表情を浮かべ、食卓テーブルについた。朝食に相応しいパンや目玉焼き、サラダなどのメニューが並べられていた。ピンクが皿のそばに置かれたフォークを手に取ろうとすると、昨日礼拝堂で受けた傷が痛み、っ…、とフォークを落としてしまった。
 ユウは咄嗟に駆け寄り、
 「大丈夫か?やっぱりまだ、傷が痛むよな…」
 「いや…昨日は、腕だったから大丈夫。」
 大丈夫なわけがない。フォークも持てないほど深く傷つけられたのだろう。ユウが少し視線をずらすと、ピンクの服の隙間から見える大量の傷跡にぎょっとした。長年にわたって儀式に参加させられ、消えない傷痕が残り続けているのだ。
ーーここから逃げよう。
 ユウは言いかけたが、自分だけの力では到底及ばないことは痛いほどわかっているので、言葉を飲み込んだ。
 「傷が痛むなら、無理しないほうがいい。」
 自分にできるのは心配することだけだ。ピンクは、うん、と返事をするが、
 「でも、今日もマリーの依頼があるから。」
と続けた。
 ユウは居ても立っても居られなくなり、ピンクを抱きしめた。
 「ちゃんと時間通りに迎えに行くからな。」
 自分が今確実に約束できること。ピンクの無事を願ってユウは抱きしめる腕に力が入った。
 ピンクはユウの香りに包まれて、目を閉じた。


ーーーーーー


 ピンクは仕事現場まで向かう際、ユウが車で送ることもあれば、車で行けないような場所には1人で向かうこともある。その時は、目立たないように尾行できるマリーの側近がピンクを見張っているらしいが、詳しいことはわからない。

 1人で行動する時ピンクは、瞳を隠すための眼鏡をかけ、彼の頭には大きすぎるくらいごついヘッドフォンと、時代遅れの音楽プレーヤーを持って行く。
 ヘッドフォンと音楽プレーヤーは、昔ユウがピンクにプレゼントしたものだ。プレゼントしたと言っても、ピンクの仕事の間に立ち寄ったジャンクショップで叩き売りされていたものをユウがなんとなく修理したら、ピンクが欲しがったので渡したというだけなのだが、彼はそれらをすごく気に入っている様子だった。
 音楽プレーヤーには前の持ち主の趣味であろう曲が数曲入りっぱなしになっていた。その中には、ユウがまだ両親と暮らしていた時に聴いたことのある曲も入っていて、たまたま彼が好きだった一曲も混ざっていた。
 その曲を改めて聴くと、なんだかその歌詞が自分の気持ちとピンクを連想させる気がして、ピンクに引き渡す際に、俺が好きな曲も入ってたよ、と紹介した。
 『いばらの冠』という曲。ピンクはその曲を聴くと、いい曲だね、と言った。
 ピンクはその日から、部屋にいる時も外を眺めながら少し気分がよさそうにヘッドフォンをしていることが増えた。
 いい買い物をした、とユウはいつもその姿を見て思っていた。

 今日はピンクが1人で依頼現場まで向かう日だったので、ユウは朝ピンクを見送った後、食器の片付けや荷物の準備をしていた。すると、ユウの携帯に、非通知設定の電話が掛かってきた。
 「ヴェルへミア教と、オフィオメディア研究所は、近々抗争が起こる。その混乱に乗じて、ピンクを連れて逃げて。」
 ユウが反応しようとすると、
 「これが最後のチャンスだ。信じる信じないは君に任せるけど、迷う時間はないよ。」
 一方的に告げると、電話は切れた。
 抗争…電話の相手も不明で、脈絡もない。俄かには信じがたいと不審がるユウだったが、もしこれが本当なら願ってもないことだった。それほどに、ピンクが受けている傷は深く、なんとかしたいからだ。


ーーーーーー


 今日の仕事は短かったようで、合流場所まで行くとあまり待つことなくピンクは戻ってきたのだが、やはり昨日の疲れもあってか表情はいつもより暗かった。
 ユウはピンクの頭を撫でると、一瞬だけ肩を震わせ、ユウの方を見た。
 「怪我の具合はどうだ?」
 「うん、平気。」
 そう答えた時、ピンクの表情がほんの少し和らいだので、ユウは優しく微笑んだ。
 マリーに仕事終わりの連絡を入れようと思ったところ、また向こうから電話が掛かってきた。
 「お疲れ様。今日も”pink”を使うから、そのままこちらへ向かってくれる?ああそれと、今日はあなたもいらっしゃい。」
 そう言われ、不意を突かれたかのようにユウは、俺もですか?と若干狼狽えてしまった。
 そんな彼が珍しかったのかピンクは電話をするユウの横顔をずっと眺めていた。
 ユウが怪訝に思いつつも了承し、電話を切る。
 「疲れているだろうけど、これからマリーさんのところへ向かうよ。今日は何故か俺も呼ばれたけど…」
 それを聞くとピンクは、
 「えっなんで?マリーが呼んだの?」
 「?ああ。」
 「そ、そうなんだ…。」
 ピンクは珍しく慌てた様子で、少し様子がおかしい。こんなことは今までなかったので、これから何が起こるのか、全く予想もつかなかった。

 マリーに呼び出された時の彼女の居場所は、ピンクとユウの住居に近い場所にある高級ホテルか、彼女の研究施設の時もありバラバラだ。今日は研究施設に向かえばいいらしい。

 到着し、車を停めて降りると、その研究施設・オフィオメディア研究所の規模に圧倒される。外観も、昨日の礼拝堂と打って変わって近代的な、洗練された雰囲気を持っている。所在地は都市部から離れているものの、こんなに堂々と聳え立ち医療研究施設を謳っている建物が、裏では犯罪やらあらゆる違法行為をやりたい放題しているのだ。

 いつもは入り口で弾かれてしまうユウだが、今日は研究員に持ち物をチェックされ、武器となりうるものを回収され、2人で入った。

 研究所内部は、壁や床が白く、透明感が意識されたデザインで、ガラス越しに機械やモニター、何らかの設備が大量に並び、その音が静かに響いている。
 建物内部の雰囲気にも圧倒されていると、待っていたかのようにマリーは2人を出迎えた。
 ユウは思わず身構えてしまった。ピンクはユウの少し後ろに立っている。
 「いらっしゃい。そんなに警戒しなくていいわ。pinkの改良が進んだから、貴方にも来てもらったの。さ、こちらへどうぞ。」
 言われるがままにマリーの後をついて行き、3人はエレベーターに乗った。
 少し長くエレベーターに乗り、降りると、先ほどのエントランスとは打って変わって黒を基調とした廊下が広がっていた。それはどこにも続かない迷路のようで、ただ足音が響くだけで空気が重い。
 マリーは急ににやりとして、
 「嫌ね。まだ警戒してるの?あとでちゃんと説明するわよ。」
と言った。

 少し廊下を歩くと、大きなソファが二つ置いてある部屋に通された。壁に寄せられ置いてあるソファの周りにはパソコンや何かの機械、大きめのモニターなどの電子機器が並び、もう一方のソファは不自然に部屋の真ん中に置かれ、周りには何もない。
 ユウとピンクは後者のソファに座らされ、マリーは壁側のソファに座った。するとどこからともなく研究員たちが現れ、周りの電子機器類を操作し始めた。

 ピンクは静かに座っているのみで何も言わない。車内で少し慌てた様子だった後心を閉ざしてしまったようだ。
 ユウは今の状況に不信感が募り、目を左右に行ったり来たりさせていた。それを見たマリーがふっと鼻で笑って口を開いた。
 「改めて、オフィオメディア研究所へようこそ。今日は、貴方たちに、私が丹精込めて開発した薬の実験に協力してもらうわ。」
 “pink”…それはやや大きめの白い錠剤だった。
 ユウがピンクの身を案じてどんなものなのかずっと知りたかった薬だが、こんな形でマリーから説明されることになるとは。
 「これをピンクが服用するとね、その子を無条件で意のままにできるようになるのよ。
 ふふ、目の前にいる、誰でもね。それは一時的なものだけど、完全に精神的な支配ができるわ。」

 マリーの過剰に支配的な性格…ピンクのように美しい少年の身も心も掌握し、その囚われた姿を見て悦に浸る性癖があってもおかしくない。
 これまでピンクが呼び出された日、彼が何をされていたか…考えるまでもなかった。
 
 マリーは楽しそうな様子で続ける。
 「そこで、こういう疑問が浮かぶわよね。…この薬を、ピンク以外が服用したらどうなるのか、ということ。
 まあそれで先日1人の助手に使ってみたのだけど、精神錯乱を起こすだけで私にとって良い反応は無かった。もう、色々壊されて大変だったのよ。」
 彼女は笑っている。そして続けた。
 「ピンクとの繋がりが薄いのがダメなのかしら?…
 ということで、貴方を呼んでみたの。貴方たちの関係、私から見てもなかなか面白いわ。それがどれほどのものなのか試させてもらうわね。
 pinkに関して、貴方に詳しく教える気は無かったのだけど…貴方のその顔と身体、気に入ってるんだもの…。
 まあ、その時はその時、考えるわ。」

 その時…薬の服用によっておそらくユウが精神錯乱を起こして廃人化したり、最悪命を落とす可能性もゼロではないのだろう。気に入ってると言っても、結局ユウは使い捨ての駒に過ぎないというわけだ。

 「まずはユウ、貴方だけ服用しなさい。
 順番に反応を見ましょう?」

 ピンクは何も言わず座っていた。俯き微かに震え、その手が静かにユウの服の裾を掴んだ。ユウはその手をゆっくりと握りしめた。
 マリーは自分の手の内をここまで話して本人が嫌と言えば帰すような女ではない。

 「わかりました。」
 ユウが言うと、端から小さなトレイを持った研究員が近づいてきて、薬を渡そうと手に取る。
 するとピンクがユウの方を勢いよく向き、両手をユウの胸の辺りに置き縋るような声で言った。
 「ユウ…やめて…。」

 マリーはそれすら楽しんでいる様子で、
 「さあ、楽しみだわ!」
 と、ソファに長い足を組んで座っていたのを、すごく興味深いといった感じで前屈みに乗り出すような形に座り直した。

 ピンクは怯えているが、ユウがこの場で抵抗すれば、ピンクにも危険が及ぶことは火を見るより明らかだった。
ーーーピンクを連れて逃げて。
 ユウは不意に朝の電話を思い出した。それが誰からのものなのかも不明で、信憑性も確かでないが、ユウはその一本の蜘蛛の糸にも賭けたい思いだった。
 生き残り、ピンクを逃がす…そのために今は、従うしかない。
 「大丈夫だ。」
 ピンクの震える手を握り、その後ユウはpinkを手に取り、飲み込んだ。


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