私はヒロインを辞められなかった……。

くーねるでぶる(戒め)

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024 淑女教育

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「ここまでにいたしましょう」

「はい!ありがとうございました!」

 ふぅ。やっと終わった。思わず気の抜けそうになった体に喝を入れて背筋をピッと伸ばす。まだキルヒレシア辺境伯夫人は厳しい視線で私を見ていた。危ない危ない、気の抜けた態度を見せようものなら怒られるところだった。淑女たる者、いついかなる時でも余裕を持って優雅でなくてはならないらしい。気の抜ける瞬間は寝室の中だけだとか…息苦しくて息が詰まりそうだわ。王族の妃になるのって大変なのね…。

「よくできましたね。貴女ならできると信じていましたよ」

 そう言って夫人が優しい顔を見せる。先程の厳しい視線が嘘のようだ。ゲオグラムと同じ澄んだ青い瞳は、穏やかな色を湛えている。こうして改めて見ると、優しそうな線の細い女性にしか見えないから不思議だわ。あんなに厳しかった鬼婆は何処に行ったのかしら。きっと何十枚も猫を被っているのね。

「最初はどうなる事かと思いましたけど、為せば成るものですね。厳しい事もたくさん言ったと思います。よく諦めませんでしたね」

 夫人の優しい言葉に思わず涙が零れそうになる。けどダメ。淑女は容易に涙を見せないのだ。私は必至に涙を堪える。

「それだけ貴女のシュヴァルツ殿下を思う気持ちは強いということかしら?」

「っ…!」

 夫人にからかわれて、顔が熱くなるのを感じる。私が厳しい淑女教育を頑張ったのは、シュヴァルツと結ばれる為だ。何度も途中で辞めたいと思ったけれど投げ出さなかったのは、それだけ深くシュヴァルツの事を好きになってしまったからだろう。だけど改めて人から指摘されると、すごく恥ずかしい。おかげで堪えていた涙が一筋零れてしまった。怒られるかなっと少し不安に思ったけど、夫人の私を見る視線は微笑ましいものを見る様な優しいものだった。そのことが私を一層恥ずかしくさせる。もう顔なんてタコみたいに真っ赤だろう。

「今の貴女は、どこに出しても恥ずかしくない立派な淑女です。自信を持ちなさい」

「ありがとう、ございます」

 自然と頭が下がる。王族の妃になるには何もかも足りない私に、夫人は礼儀作法を中心にたくさんの事を教えてくれた。どうやらシュヴァルツがお願いしてくれたみたいだ。シュヴァルツも私と結ばれることを望んでくれている。そのことが嬉しくて、私は淑女教育を頑張った。

 夫人の指導は厳しいものだったけど、理不尽なことを言われたことはない。彼女は本気で私を淑女にしようと教育してくれた。言わば彼女は、私にとっての淑女の見本であり先生なのだ。そんな夫人に“立派な淑女”と認めてもらえて、とても嬉しい。今までの苦労が報われていく気持ちがする。

「ですが、慢心してはいけませんよ。これからも精進することが大切です」

 最後に釘を刺されてしまった。やっぱり厳しい。



 夫人からの淑女合格判定に気を良くしていると、コンコンコンとノックの音が飛び込んできた。ドアの傍で控えていたメイドさんが対応している。どうやらゲオグラムが来たらしい。

「失礼します、母上」

 夫人の入室許可が出されて、ゲオグラムが部屋に入って来る。淑女の教育を受けてから気が付いたけれど、ゲオグラムはとても礼儀正しい。前々から所作が美しいとは思っていたけど、それは厳しい教育によって洗練されたものであることが今なら分かる。

「帰ってきたのですね、ゲオグラム」

「只今戻りました」

 このタイミングかな?

「ごきげんよう、ゲオグラム様。お邪魔いたしております」

 スカートの横をちょこんと摘まみ上げて、右足を左足の後ろに引き、少し左足を曲げて体を落とす。この時、背筋は曲げない。顎を引いて、少しだけ顔を伏せる。うん、自分でも満点の挨拶ができたと思う。

「ほう」

 ゲオグラムが感心したような声を出す。えっへん、どうだ。

「驚いたでしょう?」

 夫人が私の肩に手を置いてゲオグラムに問う。

「ええ、驚きました。まさかあのじゃじゃ馬をここまで手懐けるとは。流石は母上です」

 じゃじゃ馬って酷くない?それに、確かに夫人のお手柄だけど、主に頑張ったのは私なんですけど!?

「かわいい息子の頼みですもの。頑張りました」

 夫人は笑顔を浮かべて頷いている。少しは否定してくれても良いんじゃない?ねぇ?

「冗談だ。そんな顔をするな。よく頑張ったな」

 ゲオグラムが僅かに微笑を浮かべて褒めてくれた。不意に笑顔を向けられて、ちょっとドキドキしてしまう。不意打ちなんて卑怯よ。私にはシュヴァルツがいるんだから…!

 シュヴァルツの事を思い出して胸のドキドキを無理やり抑え込む。私はドキドキさせられたのに、ゲオグラムは涼しい顔をしているのも腹立たしいわね。なんだかゲオグラムに負けた気分だ。

「それで、どうしたのです?貴方が此処に来るなんて珍しいですね。帰還の挨拶だけではないのでしょう?」

 そうだ。ゲオグラムが此処に顔を出すなんて珍しい。もしかして…。私の胸が期待に膨らんでいく。

「はい。マリアベルに届け物が。マリアベル、殿下からだ」

 やっぱり!シュヴァルツからの手紙だ!

「まぁ。ありがとうございます、ゲオグラム様」

 爆発してしまいそうな嬉しさをなんとか抑え込み、表面上は冷静にゲオグラムから手紙を受け取る。これも淑女教育の賜だ。本当は今すぐ読んでしまいたいけど、我慢我慢。

 シュヴァルツからの手紙はゲオグラムを通してたまに送られてくる。厳しい淑女教育を乗り越えられたのも、シュヴァルツからの手紙があったからだ。

 手紙のシュヴァルツは、なんて言うか、その、情熱的だ。『愛してる』とか『早く君に会いたい』とか、かなり直接的に愛を囁いてくれる。私はそれを、恥ずかしくてむず痒いような感覚を受けながらも、嬉しいと思ってしまう。

 できればシュヴァルツに直接言ってもらいたい。今度頼んでみようかしら。

 今日は冬休みの最終日。長かった冬休みも終わり、明日からまた貴族院が始まる。休みの間は立場が違い過ぎて会えなかったけど、漸くシュヴァルツに会える。まさか学校が待ち遠しく感じるなんてビックリだ。

 会ったら何を話そう?身に付けた礼儀作法に驚いて欲しいし、褒めて欲しい。直接愛を囁いて欲しいし、それからそれから…。

 私はシュヴァルツに会えた時の事を考えながら、手紙を胸に抱きしめた。
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